ノーブレスオブルージュ~その唇は吐息をしない~   作:雨居神宮

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346 どうか平穏を祈る

 

 

 赤い眼が虚ろに馬車の天井を眺めていた。イグニスは膝を抱え込み三角座りをしていて、半開きな口がいかにも心ここに在らずと訴えてくる。控えめに言って間抜け面だった。

 

 彼女とはもう付き合いが長いが、放心状態とは珍しい。俺は生きているのかなと指で頬を突いてみる。温かく柔らかい頬っぺたは、まるで突き立てのお餅の様な触感で気持ちが良い。だが抵抗が無い事に調子に乗ってウリウリと弄っていると、猛獣の様な顔でガブリと噛みついて来やがった。

 

「痛い! なんて事をするんだ!」

 

「それはこっちの台詞だ。誰が間抜け面だよ!」

 

「聞いてたか」

 

「ハハハ。君たちは本当に仲が良いな」

 

 桜色の髪をしたエルフは一部始終を見ていた様でカラカラと笑っていた。そんな彼女は馬車の中に居らず、一人だけ馬を駆り、俺たちの後ろを追従している。

 

 一体どんな状況なのかと説明をすると、今はシシアさんと面会をした翌日だ。あの日はジグルベインが世界を滅ぼそうとした理由から始まり、世界樹や、軍勢の事など、多くの話をした。

 

 どれくらい長い間語り明かしたかと言えば、朝に訪れたはずが、帰る頃には深夜を迎えていたほどである。内容が至って真面目な話だったのでジグは途中で飽きるし、後半はなんなら俺まで早く終わらないかと意識を飛ばしかけていた。

 

 イグニスはそれからというもの、浴びせられた情報を未だに反芻し処理しているようで、大量のタスクを実行中のコンピューターのように動作が緩慢になっているのだ。

 

「別にお前さん達はゆっくりしていても良かったんだぜ?」

 

「いえ、ご一緒させてくれて助かります。俺も世界樹を見てみたいので」

 

 そしてシシアさんが世界樹の元に戻るというので同行をする事になった。ボコに馬車を繋ぎ、手綱はリュカが握っている。老エルフを送り届けたらこのまま馬車を使っていいとの事なので、むしろ感謝をしたいくらいだ。

 

 セレシエさんは護衛を兼ねた案内役かな。ご両親にシシアさんを送り届けろと命じられた様だった。急な旅の指示に人使いが荒いと嘆きながらも、暇だしいいかと従うあたり彼女の懐は広い。

 

「げ、花畑に出やがった」

 

 狼少女は慌ててセレシエさんを呼び出して道を確認していた。案内役が居るので間違える事はあるまい。シシアさんは花畑への「げ」という発言が気になったようで、隻腕を顎に当てて首を捻っている。なので俺は以前に草原で酷い目に合ったのだと告げた。 

 

「なるほど、虫に襲われたか。キトのせいで畑の手入れが追い付いて無いんだな」

 

「へぇ、やっぱりこの花は育てているんですね」

 

 冬の入り口なのに爽やかな香りを振りまく薄紫の花々。俺は綺麗なものだと眺めながら、会話のきっかけになればと話題を振る。けれども食いついたのは頭がパンクしたはずのイグニスちゃんであった。死んだはずでは。

 

「エルフはシュバールが外国から仕入れた種や苗木を育ててるんだ。魔木や魔草の研究は彼らの協力があり100年は進んだと言われている」

 

「まぁ、そういうこった」

 

 俺はへぇーと頷く。特殊な環境でしか育たず、様々な効果を持つ植物達。その最たるが世界樹なのだろうが、エルフは大森林という広大な土地を生かして育成しているのだとか。

そういえばイグニスも草原でなにやら高周波を出す草を引っこ抜いていたか。

 

「私もツカサが居ない間に見学させて貰ったけど、いやーエルフの農園は素晴らしいぞ。希少な植物の宝庫だった!」

 

 確かに魔女好みの話題だった。ハスキーな声が饒舌に植物を語るや、シシアさんは「分かっているな」とウムウムと頷きながら相槌を打つ。博識同士、案外相性はいいのだろう。俺にはちっとも分からないけどね。

 

「そういえばよう。る、ルコールの栽培に成功したって言うのは本当なのかい?」

 

「ああ。今ではランデレシアの一部の町で普通に流通しているよ」

 

「のぁああ。一体どうやりやがった。実はつけても酒精なんて出来やしねえぞアレ!?」

 

(カカカ。技術の進歩は目覚ましいよな)

 

 人間も負けてはいないようで、その成果には老エルフも身を捩り悔しがっていた。和やかな雰囲気で会話をしていたら、前からリュカがオイと声を掛けてくる。

 

「セレシエの姉ちゃんが、景色も良いしここら辺で休憩しようってよ」

 

「了解。ついでに御者も代わるよ。疲れたでしょ」

 

「いいよ、別にあいつ等と話す事無いし」

 

 狼少女は会話に花を咲かすイグニスとシシアさんを指して言った。確かに話に混ざるのは難しいだろう。そういう事ならばと引き続き御者をお願いするのだけど、せめてこれから旅をする魔女とは打ち解けて欲しいものだと俺は思った。

 

「で、何してんだアレ?」

 

 リュカはベルモアから出て以来、割と俺にべったりである。人見知りをしない羨ましい性格ではあるのだが、まだイグニスとの距離感を掴めていないのだ。なので子犬の様に俺の後ろに付き纏っている。

 

「地脈……土地の魔力を使っているんだね」

 

(正解。お前さんも段々と魔法が詳しくなってきたの)

 

 最近はお勉強をサボりがちではあるが知っている範囲だ。シシアさんは数珠のように纏めていた魔石を数個取り出すと、ひょひょいと手早く地面に配置していく。たったそれだけなのだけど、馬車の周囲にだけ春が訪れた様な温かさが満ちていく。

 

 狼少女は不思議なものだと魔法に感心するが、魔女は再びに険しい顔へと戻っていた。昨日聞いた軍勢の話を思い出しているのだろう。

 

 地脈。俺はラルキルド領でイグニスと触った程度だが、土地の魔力を拝借する大規模な魔法は、今や多くの町で使われている技術だそうだ。そこに必要なのが魔石。土地は雑多な魔力が混じっているので、魔法として使うには整えてあげなければならないのである。

 

「そんな顔していても、今は何も出来ないよ」

 

「分かっているさ」

 

 思い出すのはサマタイでのゴブリンハザード。そこで鬼娘は鉱山から大量の魔石を奪っていった。その使用用途が昨日シシアさんの口からハッキリと告げられている。

 

 軍備の拡張。砦の建設。キトは気軽にジグを勧誘していたが、モアが雇われ幹部という言葉を使うくらいに戦力の増強に力を注いでいるのだそうだ。

 

「しかし魔大陸は想像以上に荒れていそうだ。ここまで知ればライエンの恐れも理解出来るよ」

 

「そうだね。結局あまり詳しく教えてくれなかったもんね」

 

 言ってもどうにもならないと諦めたか。それとも全てを勇者に託したか。【軍勢】と【深淵】の衝突。それは宰相から聞いた事柄であるが、老エルフが語ったのはもう少し踏み込んだ話であった。

 

 ずばり、不死の軍団と無尽の使徒による、血みどろで泥沼な喰らい合いだ。【軍勢】の魔王の能力は魂の束縛。かの始獣のように、死なず滅びぬ最強の軍団を率いていて、新たな対抗戦力【深淵】は尽きる事なき天使の兵を生み出すらしい。

 

「最強の名を欲しいままにしていた【軍勢】が手傷を負ったと聞いた時点で、もう少し警戒をしておくべきだった」

 

 深淵は撃退されたが、他の魔王と手を組み再起を図っている。ランデラシアで悪魔が起こした事件は、その余波でしか無かった。その矛先が人間に向かえばこれは明確な脅威に他ならない。

 

 魔大陸での戦いに決着が付いた時、人類に再び試練が訪れるのだろう。もう勇者や国が防波堤作りを始めてはいるが、残された時間は後どれほどあるのやら。

 

「ほら、君たちも飲みなさい。私たち特製の蜂蜜がたっぷり入っているぞ」

 

「……ありがとうございます」

 

 セレシエさんがカップを回してくれる。若者があまり難しい顔をするのではないと。イグニスにつられ、俺まで眉間に皺が寄っていたいたようだ。

 

「そういえばフラウアって町だと、蜂蜜をですね」

 

 外はカリカリ、中はフワフワ。そんなパンに絡めて食べるのだと説明をすると、エルフのお姉さんはゴクリと唾を飲んだ。狼少女なんてジュルリと唾を垂らしている。

 

「いいないいな。オレも食いたいなぁ」

 

「フラウア……聞いたことがある。確か花の都だな。今度行ってみるかな」

 

 美しい森、美しい花。大自然に囲まれながら口にする、蕩けるほどに甘い至極の一杯。

 贅沢な平和を噛み締めながら、どうか平穏を祈るばかりだ。

 

(ちなみお前さん、森を抜けるまでヴァニタスは使ってくれるな。よいな。ワシとの約束じゃ)

 

 ……今度は何したんだ魔王?

 

 

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