ノーブレスオブルージュ~その唇は吐息をしない~ 作:雨居神宮
(おーよしよし。奴らはもう行ったぞ)
霊体を活かして偵察をしくれていたジグが合図をくれる。川の中で息を殺していた俺たちは、急いで水から顔を出して、ぶはーと大きく空気を取り込んだ。
魔法で一帯を吹き飛ばした千手蜘蛛。たまたま足元に逃げ場がありイグニスの機転で助かったけれど、危ないところであった。
奴は満足するまで爆撃した後、死体でも探していたのか下級妖精がいつまでも周囲を探っていて。お陰で俺とイグニスは冬の冷たい水に浸りながら身を潜めるはめに。
「うう寒い。ありがとうジグ」
「ぶえっくしょーい。命と比べれば安いものだが、なかなかキツかったね」
俺たちはガグブルと震えながら、とりあえず陸に上がる。あれ程の攻撃の後だ。てっきり地上は更地になっていると思ったのだけど、意外や変わらぬ密林のままだった。
そうか、再生機構。この密林は魔法陣的な役割を持っているので、規模の大きな破壊は修復される。奴はそれを見越して気にせず攻撃が出来た訳だ。
(お前さん、川に落ちる時にヴァニタスを手放したな。妖精共が持っていったぞ)
「え? あれ!?」
確かに黒剣が見当たらなかった。正直なところ、いつでも取り出せるという特性が便利すぎて在処が頭から抜け落ちる事は多い。もしかして最初からヴァニタス狙いで襲われていたのだろうか。
まぁいい。それこそ取り返すのは造作も無いのだ。なにせ虚無は俺の手の内にある。
待っててねとガシリと虚空を掴み、いつも通りに引き抜こうとした。けれど待ちなさいと隣から声を掛けられてしまう。
「相手は私たちが死んだと思っているんだ。今はその方が都合が良いだろう」
「そっか。ヴァニタスが消えたら、すぐに引き返して来そうだもんね」
今ならばシシアさん達が勝ち目が無いと言った理由も頷ける。彼らと合流して作戦を練らねばと俺は苦い顔で頷いた。
「シシアさんと言えば……」
「その件は一旦忘れなさい。奴の家に行かないと着替えも無いんだぞ」
魔女は体温が下がり過ぎたか、普段はピンク色の可愛い唇を紫に染めている。
大きな怪我こそ無いけれど、この調子だと体力の消耗は激しいだろう。シシアさんが疑わしいという話は置いて、身を休める安全な場所が必要なのだ。
そういう事ならばと、イグニスに背を向けてしゃがみ込む。俺が身体強化をして一気に密林を駆けた方が速い。先ほどまで背負っていた事もあり、赤髪の少女は悪いねと口にしながら何の躊躇いもなく身を預けて来た。
「ああ、人肌が温かい……」
「……!」
冬場だけにお互い服は厚地の生地である。しかし水分を含んだ事で、体に密着をしていた。だからどうしたかと言えば、俺はいま背でもろにイグニスという存在を感じている。
女性特有の柔らかな肉感が体重を通して伝わった。意識してしまえば、耳元で吐かれる吐息や、冷たい服の奥に確かにある体温までもが愛しくなってしまう。
さらに言えば、彼女も冷たいので俺の体温を求めているようだ。それはもう、ピタリという表現がしっくりくるくらいに背に張り付かれている。いままで散々貧乳と貶してきたが、どうして中々主張があるではないか。
(なんでそんなに前屈みなんじゃ?)
「イグニスが重いから……」
「ぶっ殺すぞ!」
◆
とりあえず、さくりと逸れた場所までは戻ってこれた。あの怪物といつ遭遇するか分からないという不安はあったけれど、杞憂ですんで一安心だ。
戻ってくるだけならば一度道を作っただけに手繰るのは簡単だった。まぁ千手蜘蛛が通った箇所は部分的に修復されていたけど、新しい樹波の跡は、それはそれで目印になってくれたし。
「ふぅん。ヴァニタスを手に入れて引いたかな。一度も襲われなかったね」
(なんか肩透かしじゃのう)
ジグルベインも積極的に索敵をしてくれるが、植物に憑依をされると存在に気付けない。
そして恐らく、今まではそうやって監視をしていたのだろうと魔女は考える。
思えば千手蜘蛛は真っすぐにコチラへ向かって来たし、木人形の包囲も的確だった。妖精達は繋がっているという特性を生かして、数の多い下級妖精を監視カメラの様に配置していたようだ。
「そう考えると不気味だよね」
監視をされていた事ではなく、引いた事がだ。ヴァニタスが目的の一つとは言え、シシアさん達の存在を知りながら見張りを止めるのは思い切りが良すぎるのである。行動の裏を読むのであれば、妖精は事態を次の段階に運ぼうとしていると見るべきか。
「あれぇ!? シシアさんの家が無い!?」
「いや、場所はここで合っているはずなんだが……」
まずは合流して報告と考えた。なので俺は傾斜の強い坂道を上って周囲を見渡す。そこはもうシシアさんの家の庭であり、3人が待機しているはずの場所だった。
それがどうだ。目の前にあるのは木の壁だけだ。幾重に植物が絡み合い、樹波の跡としてワイヤーアートの様に残っている。
「いや、本当に彼らは何処に行ったんだ。結界のような魔力の反応もここには無いぞ」
「えっ」
仮に逸れたとなれば、この密林ではリュカのように追跡する方法がなければ合流はまず不可能だ。妖精達が引いたという事実もあり、身に何かあったのではと心配になった。
「あ、ツカサにイグニス! 良かった無事だったのか!」
どうしたものかと犬の様にグルグルと歩き回っていると、普通に声を掛けられる。
桜色の髪をしたエルフはなんと木の根の下から顔を出していて。この時ばかりは魔女も「ええっ!?」と困惑の声を上げていた。
◆
「はぁ、つまり自然を逆手に取ったんですね」
「カッカ。そういう事だ。この花園密林でも、土はあっても不自然じゃないだろ」
なんという逆転の発想。シシアさんは家が崩れかけていると知るや、外を土で埋めてしまったようだ。そうして壁を作る事で中に安全なスペースを作り出していた。
確かに植物の根元に土があるのは違和感が無い。証拠に俺もイグニスも家が消えたと戸惑った程だ。迷彩としてはこれ以上無い効果だろう。妖精の目を欺くは勿論、下手に結界を張って魔力で探知されるよりも有効なのだとか。
「これ、ツカサ達の荷物だ。植物に埋もれたり、散っていたのをリュカが集めておいてくれたぞ」
「ありがとうリュカ」
「いいって。ツカサが無事で良かった」
びしょ濡れの姿を見てセレシエさんが荷物を渡してくれた。報告をする前に先に着替えて来いとのことだ。二人してガクガクと震えていたので嬉しい配慮である。俺とイグニスは鞄を持ち、そうさせて貰いますと、いそいそと別室に足を運んで。
「おや」
適当な部屋に入って着替えていた。誰も、いやジグしか見ていないので、濡れた衣服をババンと脱ぎ捨てて。さながら風呂上りのように体をタオルで拭いていた。
そんな時だ。何かがコロコロと転がり、足元で倒れた。摘み上げてみれば、それはシュバール硬貨。それも金貨ではないか。俺は一体どこから来たのかと出所を探す。
(その壁かの)
気付かなかったが壁の下には5センチほどの隙間が存在した。恐らく樹波の衝撃で壁か床が傾いたのだろう。ほうほうと思いながら、隣室はどうなっているのかと覗き込み。
「あっ」と漏れそうになった声を慌てて両手で塞ぐ。隣室に居たのはイグニスで。彼女も俺と同じ様に着替えていたのだ。
(ん? なんだその反応は……ほう、なるほど。助平が)
壁抜けの出来るジグとは違い、俺からでは下着どころか、膝から少し上くらいまでしか見る事は出来なかった。だが、あのガードの堅いイグニスたんの生着替え。見ちゃいけないと思いつつ、まるで石化の呪いにでも掛かったかのように身体は動いてくれない。
(まぁ一部石化しとるのう)
「うるさい。バレたらどうする」
イグニスの足は俺の性癖の始まり。完璧とも言える脚線美であり、程よく脂の乗った肉が描く曲線は視覚からでも柔らかさを伝えてくるようだ。
モデル体型だけありまず脚が長い。普段から隠しているからか、その肌は陶器の様に白く滑らかで。もはや芸術。まるで宝箱に入った宝石を眺めている気分だった。
だがこれは着替え。脱いだという事は着るという事である。スカートでは動けないと言っていたように、今度は騎乗服のズボンを履くらしい。
ああ、もう隠してしまうのかという寂しさが襲った。グッバイ宝物。いつかまた拝める日が訪れる事を祈りながら、スルスルと革を纏っていく美脚を見送る。
「あれ、置いておいた金貨が無いな」
何処かに落としたかな。ズボンを履き終わった魔女はそう言いながら急に視線を低くした。ヤバい。心臓がバクンバックンと早打つ。
床は木製。それも古い民家だ。身動き一つしてはならぬと、俺は吐息も忘れて気配を消す事だけに専念した。それが功を奏したようで、すっと離れていく明かりにホウと胸を撫で下ろし。
「ソコデナニヲシテイル?」
「キャーー!?」
いつの間にやら、赤い瞳が逆に穴を覗き込んでいた。壁越しに視線が合い、見開かれた瞼から大きな眼球がギョロリとコチラを捉えてる。あまりの恐怖に俺はまるで女の子の様な甲高い悲鳴を上げてしまった。
「き、金貨がそっちの部屋から転がって来て……」
「【展開】」
そうですか。言い訳も聞いてくれませんか。
捨て台詞に良い脚だったぜと告げると壁が炎の槍で突き破られた。豪快な爆発と逆巻く炎。
俺は体を焼かれながら勢いよく部屋の反対側まで吹き飛ばされた。ガラガラと崩れる壁の奥では、赤い魔女が滾る殺意を隠そうともせずにフシューフシューと鼻息荒く立ち塞がって居て。
(お前さん、これを見ろ)
これは死んだかな。最後に良いもの見れたよ。辞世の句にイグニスの美脚を称える詩でも残そうと思えば、ジグルベインは何故か破壊された床を覗き込んでいた。
今の衝撃で床が壊れて落ちたようだ。木の床が剥がれた下には、ポッカリと穴が開いている。あれ?だってここはシシアさんの自宅で。平屋のはずで。地下室なんて、あったのか?