ノーブレスオブルージュ~その唇は吐息をしない~ 作:雨居神宮
ひょんなことからシシアさんの家にある地下室を発見してしまった。
踏み入った先で見たものは少しばかり衝撃的な。壁の一面が血で染まる程に強く、何度も何度も拳を叩きつけて、自傷した跡であった。
一体あの老エルフの過去に何が。俺は言葉を失い呆然としてしまう。けれどイグニスはすかさず壁をコンコンと叩いて、部屋の秘密ににじり寄ろうとする姿勢を見せる。
「なるほど。この部屋の魔鉱石はかなり硬度がありそうだね。はい、ツカサ。魔鉱石の特性を言ってみなさい」
「土魔法で創造出来る鉱石だよね。込められた魔力量で硬度が変わるんだっけ」
「正解。だから一般的には時間経過で脆くなっていく。その点この部屋は地脈の魔力で維持しているんだね。彼らしい工夫だ」
水魔法で水が作れるように土魔法は魔力を固めて結晶に出来る。それは属性変化の勉強で学んでいた。この部屋が魔鉱石で出来ている事なんて俺でも一目で分かる事だ。今更魔女は何を言っているのだろう。
意図を探るべく改めて室内を見回す。四方の壁も、床や天井さえもが、固く頑丈な素材で作られている。はて、その意味は。
「考えるまでも無いか。この場所はシシアさんの大切な物が保管されているんだね」
「まぁ、そう考えるのが自然かな」
この部屋に繋がる通路は土砂崩れで埋まってしまっていた。だから、そんな万が一も無いように魔法を使ってまで保護をしているのだ。物置ではあるのだろうが、倉庫というよりも金庫に近い場所なのだろう。
だから漁ってみようと、立てた指をクルクル回す赤髪の少女。人のプライベートもなんのその。何が出るかなと、まるで宝探しでもしている様だった。
「イグニスから物を隠す時は全力で知恵を使わないと」
(カカカ。ベッドの下はやめた方がよいな)
「おっと、それは何を想定しているだい?」
そんな事をしている間にイグニスは手近な箱に手を付けている。しかし、思った成果が無かったのか、なにやら布を広げて首を捻っていた。俺は床に転がる蓋を拾い上げながら、もう少し丁寧に扱えと苦言を呈す。
「違うよ。この箱は開いてたのさ。状況を考えるに、神酒はこの中に入っていたんじゃないのかって思ったんだけど」
状況と言うのは妖精に奪われた時の事だろう。大事な物が入っている箱の蓋を閉める余裕も無かった。ついでにこの部屋の扉まで開けっ放しだったので、よほど
「それならシシアさんの証言が正しいんじゃん」
(そうじゃそうじゃー)
「そうだね。だから分からないのさ」
ふむ。と、今度は俺とジグで首を捻る番だった。状況証拠からシシアさんは妖精に神酒を奪われ、慌てて止めに走ったのだ。これはほぼ間違いない事実だと思う。
ではこの少女は何が気に入らないのだろうと考えて、どうやら先に魔王が答えを見つけたらしい。
(なるほど。奪われた事がおかしいのだったな)
あ、と間抜けな声が出た。そうだ。イグニスが疑っていたのは証人が居ない事と、下級妖精に奪われた事である。
そしてそれは、現場を知れば余計に疑問が増す。部屋には戦闘の形跡すら無かった。つまりシシアさんは植物一つ無いこの場所で、10センチ程度の下級妖精にただ神酒を奪われた事になるではないか。
ならば、もはや盗まれたと言った方が適切だろう。だが能力の差は歴然だ。たとえ妖精が音も無く忍び寄ったとしても、俺にはあの老エルフが大事な物を盗られるとは考え辛かった。
「だろう。その上で奪われたという事実があるなら、彼はよほど大きな隙を作っていた事になるね」
「ああ、それでその箱から手をつけたの」
そういう事、とニマリとほくそ笑むイグニス。つまり彼の心を神酒よりも惹きつける物が一緒にあった。そうすれば辻褄が合うと考えての行動である。
けれどイグニスは三日月にした口をすぐに逆三日月に変えて、結果がコレだと手にした布を振った。
「白と黒の……旗かな。これもそうだけど、他の物も大分年代物だね。何か思い出の品か?」
(その旗は、まだ儂が魔王になる前に掲げていた物よな。あやつ、そんな物を大事に仕舞っとったか)
懐かしそうに目を細めるジグルベイン。俺はかつて、同じ彼女の顔を見た覚えがあった。そうだ、デルグラッド城。魔王の根城が伽藍の廃城に変わり果てているのを、こんな目で眺めていたか。
「イグニス、その旗は……」
とても大事な物だ。そう言おうとした時、カランコロンと何か軽い物が転がる音がした。旗にでも引っ掛かっていたのだろうか。ここにある物は全てシシアさんの大切な物。失くしてはいけないと思い、慌てて音の方向を光で照らす。
「なんだろう、これ」
小さく白い円柱状の物だった。素材は動物の骨だろうか。形状的に服のボタンかアクセサリーと予想をした。しかし、自分では正確な判断が付かないので、手の平に乗せてジグとイグニスの意見を聞いてみる。
「……恐らく人骨。手の中手骨のどれかだね。それも、大きさから子供の物だと思う」
「人骨……。ねえジグ、これもしかしてシシアさんの子供の……」
(分からん。少なくとも、儂が生きている時には奴にガキは居なかった)
しかし魔王の知識はもう400年も昔の話。その間、シシアさんが愛した人は居なかったのか。子供は本当に居なかったのか。そう考えたら、俺は胸が苦しくなり、心が張り裂けそうだった。
居たに決まっている。
だって、この部屋には。彼の痛々しいまでの苦悶の跡が残っているのだから。
「いや、断定は早いだろう。骨が彼の子供という証拠は無いし、壁の血と繋げるにしても確証が無い」
「……じゃあイグニスは、あの血塗れの壁をどう思うのさ」
「私は正直な所、シシアが裏切ってない事が分かればいいんだけど。ツカサはこういうの後を引くかぁ」
ならば少し考えてみよう。魔女は帽子をグイと深く被り、まるで真夏の夜に怪談でもするかの様な雰囲気で、ピっと人差し指を立てて見せた。
「彼が失ったものは見えないよ。なら、私達は今のシシアを見るしかない」
今の在り方を知ることで過去を浮き彫りにする。それは凹みに紙を乗せ、鉛筆を擦りつけるようなものか。イグニスは、とりわけシシアさんが固執するものが三つあると語った。
「世界樹、里、そして魔王軍という名前だ」
俺もジグも黙って話を聞いた。確かにそれは既存の情報。彼はたった一人で魔王軍を名乗り、世界樹を守り抜き、その根元に隠れ里を築いている。
「!?」
「おや、気づいたね。そうだ、今は最長老と呼ばれるシシアだけど、なら昔はどうだったのかな」
(むう)
そうだよ。ジグルベインは、シシアさんが最長老と聞いて驚いていた。つまり昔は、周囲に年上の人が居て、エルフの魔王軍も一人では無かった。恋人や子供を仮定するまでもなく、彼には大きく失ったものがあったのだ。
「戦渦。混沌の魔王が死んだ後の事はご存じの通りだ。侵略した土地はほぼ人間が奪還している。エルフが大森林を守り抜くには相当な被害があっただろうね」
「ああ……」
侵略者としての落とし前。混沌の魔王は、魔大陸より進軍し、巨大な大陸を暴力で奪い取っている。そして魔王の死後は、勢力の維持が出来なくなり弾け飛んだ。
イグニスは歴史としてもうとっくに終わった事だと言ってくれたけど。そりゃあそうだ。だって、責められるべき魔王が居ないのならば、怒りの矛先は他の魔王軍に向かうしかないのだから。その分をラルキルド領やシシアさん達が肩代わりしてくれていたのだ。
「まぁ、それが戦争だ。そこに私の意見は無い。言えるのは、国境が毎日変わる時代があったというだけさ」
「そうか。俺やジグは、シシアさんにとても辛い事を思い出させていたのか」
「……いや。私の推測では、それも少し違うな。彼らはまさに、そんな乱世の生き残りだよ。死に慣れているという言い方はしないけれど、死を悼むならば墓前でするさ」
(その通りだよ、お前さん。事情が見えた。シシアは生き残りなのではなく、死に損ないだったんじゃ)
魔王は壁一面の黒を見据えながら言った。あれは自分を責めた跡。仲間が減り続ける中で今日も生き残ってしまったと。死ぬべき時に死ねなかった己への呪い。
(老けるわけだ。本当は戦いで散りたかっただろうに、あやつは儂の命じた世界樹を育てろという使命を全うし続けたのか)
「じゃあ、なんだ……」
下級妖精に神酒を奪われるほどの大きな隙を作った理由は。彼がこの部屋を訪れて蘇った感情というのは。
「そうだね。まさかもう一度ジグルベインと会えるとは。生き残った甲斐があった。そんなところじゃないかな」
正解は本人に聞かなければ分からない。けれど俺はそんな野暮な事をするつもりは無かった。シシアさんを信じよう。そしてなんとしても妖精からこの里を奪い返さなければ。