ノーブレスオブルージュ~その唇は吐息をしない~ 作:雨居神宮
魔女の放った魔法は千手蜘蛛の特徴たる無数の樹腕【千手】を悉くに粉砕。大きなダメージを与えた。
しかし相手は森その物とも言える上級妖精だ。下級妖精自体は草花の疑似人格という儚い存在ではあるが、無数に集まればここまで強靭になる。
抱える膨大な魔力は無尽蔵を思わせて、どうせまた修復されてしまうのだろう。そう考えた。
けれど。
「シシアさんがやってくれたのか!」
以前は何本へし折ろうと瞬時に生え揃っていた腕がまだ復元しない。回復速度が鈍い。きっと老エルフが世界樹からの魔力供給ラインを破壊してくれたのだ。
であるならば敵もいよいよ限界が見えた。残る魔力は本体が扱える分だけ。それでも十分多いのかも知れないが、もう一斉掃射の様な大技は気軽に使えまい。
「よっしゃ、いけそうだよイグニス!」
「…………ああ」
勝負はここからが本番だと、一瞬だけイグニスに視線を投げる。背後の彼女を見た瞬間に俺は凍りついた。
赤髪赤眼の少女は鼻から血を吹き出し顔面をことさらに赤く染めていた。まだ意識はあるようだが体はフラフラと揺れていて。今にでも駝鳥の背から落下しそうな危なさが目に見える。
「だいじょ……」
(たわけ。奴は仕事を果たした。ならばお前さんも意を汲めい)
思わず駆け寄ろうとした所をジグルベインに止められてしまう。俺はその通りだなと、心配を押し殺し、背後の敵へ振り返る。
イグニスは背後は任せろと言い、言葉の通りに遠距離攻撃を全て迎撃してくれた。だがそんな都合の良いパワーアップがあるか。いや。必死で、全力で。約束を果たす為に死に物狂いだったに違いない。
「これはイグニスからだよ、受け取ってくれ!」
俺は黒剣を頭上に構えて飛び上がる。阿修羅は全身の破損が大きすぎて、まだ修復中。迎撃に向かって来たのは、かろうじて生やした1本の腕だけだった。
そんなもので防ぎきれるか。漆黒の刀身はバリバリと魔力を帯びて、樹腕をスパンと両断。これで止めだと、返す刃で頭から根までを豪快に斬り付ける。
「……っ!」
刃は確かに通った。樹皮は縦に大きく切り裂け、斬撃は有効だったと伝えてくる。
けどなんだ、この妙な手応えは。シャベルで土を掘っていたら石に当たったような。敵の中には硬い何かがあった。
「おいジグ。ちゃんと説明しろ」
(いや、儂が聞きたい。なにあれ……)
千手蜘蛛の姿はあくまで人形。だから破壊をすれば、中から上級妖精が逃げ出してくる予定であった。シシアさんからもジグルベインからもそう聞いている。なのにどうだろう。中から現れたのは、また人形だった。
まるでマトリョーシカの様に、両断した千手蜘蛛の中から黒い人型の何かが出てきたのである。
「あれが上級妖精ってことは」
(無い無い)
自分で聞いておきながら、だろうなと思う。相手は言葉に表せぬ様な異形だったのだ。
木の根が、枝が、蔦が、茎が、人間大の身体を覆う様に多種多様な植物が這いずりまわっている。
まるで人型の蛇の巣。全身の植物がズリズリと動き回る姿からは、無数の生命を感じ、直視が憚られる。あの体に一体幾つの命が蠢いているのだろう。樹木の怨念が形を成したような、おどろおどろしい容姿だ。
「――BBBAHHHH!!」
「ああ、君か」
度々、千手蜘蛛から漏れ出していた叫び。それがあの黒い物体から上がる。
セレシエさん曰く、藻掻き苦しんでいる悲鳴。そのヒントが俺に答えを理解させた。
逆だったのだ。千手蜘蛛に上級妖精が入っていたのでは無い。上級妖精は千手蜘蛛の中に囚われていたんだね。
「今、壊してあげるから」
俺は剣を振りかぶりながら駆け出す。それに対し黒人形は裏拳を放つような雑な動作で払いに来た。
(避けろ!)
ジグの叫びと俺の行動はほぼ同時だった。腕を蠢く植物が一瞬の内に膨張し、鞭の様に伸びて来たのだ。咄嗟に身を屈めて躱したが、背後では地を砕く破壊音が響く。
小さくなったからと言って、阿修羅の時と攻撃力は変わっていない。むしろ増えているくらいだろうか。直撃はやばそうだと冷や汗が噴き出るのを感じる。
「じゃあ、防御力はどうだよ!」
もう剣の間合いだ。俺は身を屈めたまま、無防備な横腹へ斬撃を叩き込もうとした。
瞬間、うにょりと。それこそ無数の蛇が牙剥くように相手の身体を囲む触手が襲い来る。姿形は変われど、こいつはまだ千手なのだろう。
「うらぁああ!!」
手にはブチブチと幾つもの植物の層を斬る感触。全てを力任せにぶった切り、黒剣は無事に敵に届いた。
けれどそれだけ。刃を僅かに身に食い込ませたけれど、攻撃の威力はすっかり削がれてしまっていた。固いというよりは分厚いというのが斬ってみた感想だ。
「うわ、ちょっ、放せ!」
このまま押し切れないかと剣に力を込めていたら、植物が黒剣を飲み込もうとしてきた。更には足を止める俺に追撃の嵐。胴体から伸びる触手に始まり、腕で、脚で、反撃に合ってしまう。慌てて飛び退き距離を取る。
何度か懲りずに挑むのだけど、状況は全て似たようなものだ。
本体は分厚い植物に保護されていて剣が届かない。刃を振る度に飛び散る触手は、密林で草を薙いでいる時のことを思い出させた。
「ふう。森を相手にしてるって意味がやっと分かったわ」
なんというか、アイツを倒すという事は剣一本を握りしめて森の植物を全て刈れと言っている様なものなのだろう。
いや、本当にそうかな。それにしては防御が厳重だ。どうにも壊されたら困るものがあるとしか思えない。
「ジグ、魔力をくれ。闇式で行く」
(儂がやった方が早くないか?)
「動けなくなるまでやるよ。これで仕留められなかったらよろしく」
「さよか」と魔王は身体に魔力を注いでくれた。闘気が黒く塗り替わり、俺は闇の魔力を身に纏う。行くぜ。そう覚悟を決めた瞬間に、黒人形はボウと炎に包まれる。
苦しみに藻掻く様に触手をやたらめったらに振り回す黒人形。身に蠢く植物は燃え尽きボトボトと炭になり崩れていく。
ラストアタックの気配を察したか背後より援護があった。俺は振り向かないまでも頬が吊り上がるのを感じた。
「さすがイグニス!」
俺は自分を鼓舞する様に雄たけびを上げながら敵に突っ込む。
黒炭の中から新芽が生えて、再び無数の触手が蛇の様に襲って来た。剣はまだ振らない。魔力防御で身を固め、森林を進む重機の如く歩を進める。
「うおおお!!」
絡みつく植物を引き千切りながらの前進。相手の前に立つ頃には、縄でグルグル巻きにされたかのように体に触手が張り付いていた。意思持つ樹木は鋭い棘を突き立てながら、潰れてしまえとギリギリと締め上げてきて。
棘が身に刺さるのを感じる。全身がペチャンコになりそうな程の圧力を感じ、絞られるように血が噴き出した。だから、どうした。
闘気の出力で触手を毟りながら腕を突き出し。まるで胸倉を掴むように黒人形が纏う植物の鎧を掴む。
「へへ、捕まえた。【闇の輝き光を照らす】【白に眩み、黒に潰れろ】」
俺が現在唯一使える攻撃魔法、魔銃。本来はジグから魔力を小出しに貰い打つのだけど、闇の魔力を身に纏う今ならば使いたい放題なんだよね。魔法掃射のお返しだ。一点突破で良い。その鎧に穴開けてやるぜ。
ズドドドドっと魔銃が光を噴く。黒人形の表皮は削れては治り、削れては治り。狭い箇所で破壊と再生が均衡する。
「そこだぁー!!」
闇の魔力が無くなる前に、一際大きな一撃を放つ。鎧はメショリと凹み、防御が薄くなった部分にすかさず黒剣を突き刺した。剣から伝わる肉を破った感触。手応えあり。
まるで黒い鎧が剥がれる様に、植物の中からは美しい羽を持つ青年が姿を現した。
黒剣に胸を貫かれながら、彼は笑う。その目は俺を見て居なくて、遠くを眺めがらパクパクと口を動かしている。
「シシアさん――綺麗な森に育ててくれて、ありがとう」
その言葉が上級妖精が最初に口したものである。
なんとも清白な声に目をパチクリとさせていると、黒い植物が再び彼を取り込もうと触腕を伸ばし。
次の瞬間に妖精の上半身はパンと吹き飛んだ。笑顔の最後であった。
同時、依り代を失ったからか俺の身を包む呪腕も解けていく。終わったかと気が抜けてぼてりと尻餅を付いた。
「こっちこそ、ありがとう。大森林」
視線を彼が見ていた方に運べば、そこでは二人のエルフが1つ弓を構えていた。シエルさんの剛弓だ。どうやら片腕の無いシシアさんが引く為に、セレシエさんが文字通りの片腕になったらしい。
二人のエルフは森に敬意を払う様に黙祷を捧げ。それを眺める魔王は、何を思うかこう告げる。
(決めた。儂、ちょっと世界樹ぶっ壊すわ)
「どうしたらそんな結論になるんだよ……」