ノーブレスオブルージュ~その唇は吐息をしない~ 作:雨居神宮
「おかえりなさいませ、アトミス様」
「ああ」
自宅の前で女中が出迎えに来る。短く返事をするや、ギイと重々しい音を立てて扉が開かれた。ふわりと感じる温かい空気に少しばかり眉間の皺が緩む。
最近は冷え込むようになってきたので空調の魔道具が有難い。確かエルツィオーネ家からの贈り物だったか。あの家系は本当に魔法だけは優秀である。
出来るなら騎士団にも寄付をして欲しいものだ。城は日差しこそ取り込む造りだが、無駄に広いので底冷えするのだった。
「先に湯を貰ってしまおうか。出る頃に晩酌の準備をしておいてくれ」
脱いだ上着を預けながら申し付けると、女中は意味が分からぬとばかりコテリと首を傾げた。私としても難しい事を言ったつもりは無い。むしろ日常的な流れだったはずだ。
では何故と、思考を巡らし解決する。上着だ。玄関にある上着掛けには、既に白い外套が掛けてあった。つまり客人が来ているのだろう。それも使用人の反応を見るに約束があると嘘を言って上がり込んだに違いない。
「ジト子。追い返せ。私は誰とも約束などしていないぞ」
「流石は聡明なアトミス様。ならお相手もお察しの事でしょう。私如きでは到底追い返せません」
女中は何を考えているのか分からない無表情でぬけぬけと言い放った。これはその名で呼ぶなという彼女なりの抵抗か。
ジト子。それはツカサ少年の手紙に書いてあった愛称だ。初めて文を読んだ時ははて誰の事やらと考え込んだものだが、なるほど、理解すれば傑作だ。あまりに似合いすぎていて、それはもう屋敷の皆で大爆笑したものだ。
「少年か……」
まぁその件なのだろうなと思う。出なければ間の良すぎる訪問に溜息が出る。
掛けられた上着は軍用。それも私と同じ白百合の騎士の物で、ついでに女性用の大きさだった。
家に帰ってきて、やっと肩の力を抜けるというのに。シャツのボタンを緩めながら、渋々と客間に足を運ぶ。
「ああ、アトミス。お邪魔してますよ」
「ほんとだよ」
そこには予想通りの顔があった。アルス・オルトリア。金髪金眼の女はさながら部屋の主の様に居座り、葡萄酒を煽っていた。
私が対面に腰を降ろすや、お疲れと杯に酒が注がれる。フンと鼻を鳴らし一息で飲み干すのだが、どうにも解消出来ない疑問があった。
「私の方が先に城を出たはずだが、何故お前が先に居る?」
「帰ったと聞いて慌てて走ったのですが、速すぎたみたいですね」
「そうか……馬車を追い抜いて来たか……」
まぁコイツなら軍馬の全速でも置き去りにするのだろう。単純にお疲れ様ですという心境だった。問題はそこまでしてやって来る熱意の方だ。
「で、わざわざどうした。まさか酒を飲みに来ただけではあるまい」
「うふふ。今日城で久しぶりにバルドに会いましてね。せっかくなのでベルモアの話でも聞こうと思ったら、極秘なので話せないなんて言うんですよ。つれないですよね」
「口が堅くて結構じゃないか。潜入任務の内容をペラペラと話すような馬鹿じゃなくて良かったよ」
「ええ。ですが不思議に団長にもまだ報告書が回って無いんですよ。あ、これアトミスが止めてるなと思いまして」
アルスは実におっとりとした口調で喋った。表情こそ淑女という言葉が相応しいほほ笑みを見せるが、歪む金の瞳だけは獲物に噛み付こうとする獣のように鋭い視線を放つ。
私は降参だと肩を竦め、ベルモアに潜入していた黒豹からの報告書を机に出す。
そこには獣の国の動向や、始獣の扱いが詳細に記されている。特に今回は、人狼という魔族の起こした騒ぎから、スライムの変異種、始獣の新たな形態と、てんやわんやな内容だ。
さぁ、何が知りたい。情報を隠さずに提供をすると、アルスは肩透かしを食らったようにゲッソリとした顔をする。そうだろうさ。研究職の奴らなら歓喜をするような重要な情報ばかりなのだが、この女が興味を引く内容では無かった。
「実は少々バルドに圧を掛けまして。ヴォルフガングとツカサくんの決闘は聞き出したんですよね」
「ハッハー。口が堅いというのは撤回しよう。あの黒猫め覚えてろ!」
恐らくアルスは単純に獣闘士の英雄の話を聞きたかったのだろう。そのくらいならばと妥協した時、ポロリと少年の事を口走ってしまったのだと想像出来た。なにせ私に報告をする時でさえ場の熱を思い出すような語り口だったのだ。
今度こそ本当に降参である。握り潰そうとした事実を既に知られているならば、もはや引き込んだ方が早いだろう。負けを認めるのがやや悔しく、ホレと残りの書類を投げ飛ばした。
「なるほど。経緯は把握しました。いえ、理解は出来ませんけどね」
アルスは呆れ顔で文字を目で追う。既に内容を知っている私は、そうだろうなと、その顔を肴に酒を口に含んだ。
少年がベルモアに居たことにまず「お前そこで何をしている」と突っ込みたくなるのだが、問題の内容は銀髪への変化。獣人に魔族と判断された事だった。
「これは隠したくもなりますね。特に今は時期が悪い」
正解である。ツカサ・サガミはシュバール防衛戦の詩により時の人だ。そこに魔族であると噂が付くと面倒くさい。
ちょうど少し前の悪魔騒ぎが落ち着いてきたばかり。急成長をする若者、魔族への変貌と情報が重なれば、悪魔憑きと誤解する者も出て来ることだろう。
あの事件は犯人が山ごと消し飛んでしまい座りが悪いのだ。実は少年こそ真の黒幕と騒がれると否定が辛かった。なにせ彼は事件に深く関わり過ぎている。
「そもそも少年は出自が不明だしな。勇者一行とはいえ強い立場では無い。余計な騒ぎにしたくないのさ」
情報を伏せた言い訳をする。しかしアルスは金眼を輝かせながら、それでと話の続きを促してきた。だからお前に言いたく無かったんだよ。
「アトミスはツカサくんと獣殿が同一人物だと思いますか?」
「さてな。なにせ私は会った事が無い」
そう獣殿。この戦闘狂は必ずそっちに食いつくであろうことは想像が容易い。
なにせシュバールから帰って来てからというもの、まるで恋する乙女の様に「あの人はどうしているのかな」と頬に手を添え呟くのだ。
せめて窓から遠くを眺めながら言うのならば可愛げがある。しかし剣の刀身に顔を映しながら言われるととても怖い。
「フィーネとツカサくんは、たしかエルレウムという街で合流でしたか。ちょっと私も……」
「行かせると思うか阿保!」
「……冗談ですよ」
半分本気だったな。この馬鹿とももう長い付き合いだ。それくらいは分かる。
アルスとの出会いはベルモア戦役。ちょうどあの獣の国と戦争している時が出合いだったか。
獣闘士の頂点をヴォルフガングが獲り、獅子族が一族の威光を取り戻そうと打って出た。
最初は小規模な戦闘だったのだが、場所がシュバールを含む3国の国境付近だった為に足を引っ張りあう泥沼の戦いになって。
「懐かしいな。お互い若い頃は無茶をしたものだ」
「誤魔化さないでください。私は獣殿の話をしているのです」
「ちっ。だめか」
普段ならば適当に煙に撒けるのだが、どうやら本気らしかった。何か知っている事があるならば話せと目を見て言う親友。不覚にも昔を思い出していただけに、その姿は少々心に効く。だがだ。
「忘れろ。少年少女が命を懸けて世界を救おうとしている。それを大人が邪魔してどうするのだよ」
「……はぁい」
そんなもの、言われるまでもなく黒だ。
ツカサ・サガミの移動と、獣殿の出現は一致している。そこに化けるという要素が加わるのならば、ほぼ確定だろう。
原理までは判断がつかないが、恐らくは悪魔憑きのような症例。
嘘と悪意を見抜く勇者が彼を善性と扱うからには、獣殿には別の人格があると想定出来た。
「私は少年の味方だよ。一応な」
それだけの行いをしてきたのである。それに関してはアルスも認めているようで、ぶつけられない苛立ちを飲み込むように杯を乾かしていた。
私はツカサ・サガミの調書を蝋燭の火に当て燃やしていく。ベルモアは暫く大きな動きに出れまい。ならば予定通りにシュバール国との連携を深めるまで。
足の引っ張り合いなんて、もうさせないさ。我らは白百合の騎士。国と、子供の未来を守るのがお仕事だ。