ノーブレスオブルージュ~その唇は吐息をしない~   作:雨居神宮

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397 たかが木の実一つ

 

 

「ヒャッハー!」

 

 目の前に雲海など広がろうものなら、走って近づくのは当然だよね。

 俺とリュカは「あっコラ!」と叫ぶイグニスの制止を振り切り、一目散に丘を下った。

 

 崖の間際は砂と雑草が入り乱れている。それがかえって砂浜のような光景を生み出し、陸の終わりには今にも波が打ち寄せてきそうな雰囲気があった。

 

「はっーすげえな。オレたち本当に雲の上にいるんだ」

 

「霧が晴れたらラシアスの町も見えるかも」

 

 浮遊島の大地ギリギリに立ち、下を覗き込みながら言う。まさに一粒で二度美味しいという奴だろう。

 

 白くうねる雲の海は、飛び込んでみたいという気持ちを駆り立てるのだが、俺は理性的なので落ちるだけだと判断して踏み留まった。

 

 だが、そんな姿を鼻で笑う狼少女。なんてことはありませんと澄ました顔で、俺より一歩崖に歩み寄る。ドヤッと書かれた得意げな笑みは、崖から突き落としたくなるものであった。

 

「フーン。そういう事しちゃうんだー」

 

(今はやめといた方がいいぞ)

 

 リュカは俺が高さにビビったのだと判断したらしい。崖との距離はすでに50センチも無いのだが、端いっぱいまでにじり寄るチキンレースが始まり。

 

 もうつま先がはみ出す距離に到達した時、ビュウと下から吹き込む強い風。一瞬霧の膜が晴れ、高度2000メートルから見る地上の光景が目に飛び込んで来た。ゴクリと唾を飲んだのは二人同時の事だった。

 

「こらこら君たち、そんな事をしていると危ないぞ」

 

「「うぉおっ!?」」

 

(だーから言ったのにー)

 

 背後から急にオッサンの声がした。注意が完全に疎かになっていた俺たちは、咄嗟に距離を取ろうとするも、そこに足場は無い。

 

 踏み外しかけて、ヤジロベエの様にバランスを取り、見かねたオジサンが落ちる前に陸へと引き寄せてくれる。助けて貰ったのでとりあえず感謝はするのだけど、急に背後に立つなと言いたい。

 

「はぁはぁ。ありがとうございます。あれ、貴方は……」

 

「やあ黒の旅鳥。懇親会ぶりじゃないか」

 

 目の合ったイケオジがパチンとウインクをする。使い古した皮具で身を固めているので印象は違うが、この軽薄な態度には思えがあった。パーティーでは自身の冒険譚を面白可笑しく語っていた人だ。

 

「これはレルトン教授。うちの馬鹿共がご迷惑をお掛けしました」

 

「あーいいんだ。急に声を掛けた私も悪い」

 

「というかテメェが悪いんだよ!」

 

 狼少女は勇敢なのかただの馬鹿なのか。落ちかけて涙目であった。

 そして俺たちに代わり、いつの間にか追いついてきた魔女がオジサンと握手を交わす。そうだ、レルトンさん。クリアム公国の有名な冒険家だと聞いている。

 

「その様子だと、東の調査はもう終わったのですか?」

 

「おや、何故東に行ったと……」

 

 イグニスの質問に「ああ、そうか」と自己完結する冒険家。俺たちが南に居る理由を察したようで、深く感心をしていた。照れるね。

 

「東は山岳地帯だったんだ。遠目から島の終わりを確認したのだが、特に文明らしき物は見当たら無くてね」

 

 歴史学が専門だから早々に移動したらしい。そして崖沿いを通って西に向かっているところでバッタリと出会ったようだ。この人は二日ばかり早く前乗りしているので、有り得ない話ではない。

 

「ん、おっちゃんが居るってことは、ペルロの兄ちゃんも居るのか?」

 

「彼なら狩猟の最中だ。邪魔だから近寄るなと除け者にされたよ」

 

 やれやれと大きく肩を竦めてみせるレルトンさん。そういえばこの人は犬の獣人とコンビを組んでいたか。リュカは狩猟と聞いて楽しそうと目を輝かせるのだけど、俺は浮遊島でまだ魔獣を見ていない事を思い出す。

 

「こんな場所でもちゃんと生き物が居るんですね」

 

「それ込みの調査じゃないか。もう少し東側には鳥の糞山や巣もあった。海鳥のものだな」

 

 この浮遊島は海の上を回遊していた時期もあるそうだ。なるほど、海鳥や旅鳥にとって、空の島はいい羽休めの場所なのかも知れない。

 

 痕跡こそ歴史。土地に残る物を辿って行けば、通ってきた過程が浮かんでくるのだ。気さくなオジサンは、けれど大人な顔をして語る。あ、これは叱られているのだなと真面目な声に察した。

 

「鳥は糞で種を運ぶ。実れば獣がまた運ぶ。その意味が理解出来るかい?」

 

「この浮遊島は風に乗って世界を旅している。何処で何を拾っているか分からないと仰りたいのですね」

 

 ふざけていた俺とリュカに喝を入れようとしたのだろう。お前ら遊びに来たのかと。

 耳に痛い話だが、ウンウンと納得するイグニスちゃんが、冒険家とはなんたるかを語りだしてしまう。

 

 此処は言わば、浮遊島と言う名の外来種。未知という可能性は、プラスだけの作用では無く。病気、害獣、危険植物。様々な厄種を積んでいる場合を想定しなければならないのだと。

 

 それをいち早く察知し被害の拡大を抑えるのも冒険家の仕事なのだ。国が大金を払い秘境に送り込むわけである。

 

「あーうん。そうだ。大森林を踏破した君たちには余計なお節介だったか」

 

「いえ、言ってやって下さい。彼らは少々気が弛みすぎている」

 

(エンジョイ勢が言いおるわな)

 

 俺も浪漫を求めてやってきた奴には言われたくないのだが、気が浮かれていたのも事実。反省の意味を込め、猿の様に首を垂れた。反省。

 

「もう、坊やの近くが一番安全なんだから置いて行かないで欲しいわ~」

 

「やたら俺の近くに居ると思ったら、そういう理由だったんですね」

 

 毎度の如くフェミナさんがすり寄ってきた。それ自体は構わないのだけど、問題は格好か。イグニスと共に走って追いかけてきたのだろう。額に薄っすらと汗をかき、荒い呼吸が妙に扇情的だ。有り体に言えば、色っぽかった。

 

 淫魔のフェロモンはオッサンの理性を一本釣りする。大人として少しばかり尊敬しそうだったのだが、だらしなく鼻の下を伸ばす顔みては、そんな感情も吹き飛ぶものだ。

 

「なーんて素敵なお嬢さんだー。お名前は!?」

 

「ええ、どちらさまかしら~!?」

 

 この場合、フェミナさんの体質が凄いのか、レルトンさんの性格が軽薄なのか。ともあれ薄緑髪のお姉さんはやや困惑をしながらオッサンにガン見されていた。

 

「見ているのは君もだろう。そんなにコートの膨らみが気になるのか、ああん?」

 

 気にならないと言えば嘘になるのだが、他意は無い。本当だ。

 魔女は不愉快そうに舌打ちをし、ところでと教授の視線を強引に遮った。オジサンは正気に戻ったのか、なんだいと表情を引き締める。

 

「この植物に見覚えはありますか。途中の草原に実っていたのです」

 

 そう言ってイグニスが取り出したのは、道中に実っていた小さな赤い果実だった。

 手のひらから拾い上げ、つぶさに観察し。レルトンさんはいやと首を横に振る。

 

「生憎植物は専門ではないのだが、この国では見たことが無いな」

 

 青々とした草原が残るならば、もっと南の植物だろうかと推察する冒険家。専門では無いと言いつつ、小さな情報から推測していく姿は流石である。

 

 けれど、俺が驚いたのはイグニスが知らない植物だったという点に他ならない。

 

「イグニスでも知らない事ってあるんだ」

 

「そりゃ沢山あるさ。けど、そうだね。植物にはわりと自信があったよ」

 

(エルフと植物トークで盛り上がれるくらいじゃしな)

 

 この浮遊島は流れ島だ。たまたま遠くで種を拾ったという可能性もある。のだが、元から自生していたという場合もあり。そうなると見えて来るのが、浮遊島が在った場所だそうだ。

 

「他にも数種類、見知らぬ物がありました。消去法で考えるならば、私はこの島が魔大陸から来たと推測するのですが、どうでしょう?」

 

 たかが木の実一つ。されど情報は確かに持っていて。拾い上げた魔女はニチャリと笑った。

 

 

 

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