ノーブレスオブルージュ~その唇は吐息をしない~ 作:雨居神宮
異世界に行く方法。
教授に発した言葉に、リュカも老騎士も、なんのこっちゃとポカンとするが。俺は怪我の痛みも忘れてイグニスの肩に掴みかかった。
「どういう事だよ! この島に、なんでそんなものが!」
「……」
「そうかい。ツカサくんも聞かされていなかったか……」
赤髪の少女は目を反らして無言を貫く。しかし、その態度がより話の真実味を増していた。
「本当に……あるんだ」
ハハハと、口からただ空笑いが漏れた。胸に喜びが溢れるけれど感情が追い付かない。一体こんな時にはどんな顔をすればいいのやら。
五里霧中どころでは無かった。世界はあまりに広大で。廃城から飛び出たあの日から手掛かりの手の字も見つからず。さながら、砂漠の中から一粒の砂を見つけなければいけない心地だった。
どちらに行けば、どこまで行けばと彷徨い続けた俺の冒険の。ゴールが、やっと。見えるのだろうか。
希望を抱くのはあまりに早いと分かりつつ。家に帰れる可能性が過っただけで、潤う瞳がイグニスの輪郭をぼやかす。
「……君がそういう顔をするだろうから、最後まで言いたくなかったのに」
喜ぶのは手に入れてからだよ。そういうイグニスは、そっと右手を伸ばし、親指で目の縁をなぞった。だからなんとしても手に入れよう。小声で囁かれ、俺はそうだねと返事をする。
「イグニスくん。いつからだ。いつ、この結論に達した」
「じっくりと議論をしたい所ですが、今は時間が無い。すぐに追いつかれるし、この会話は聞かれている可能性が高いのです」
「分かっているとも。だからこそ私は問うている。馬鹿な事は止めなさい。もう島の歴史を追うべきでは無い!」
教授の提案は浮遊島からの離脱だった。一緒に逃げるならば協力しようと。
なるほど。基地から出ればレチスコ山脈は目と鼻の先だ。調査隊が裏切ったという事実を持ってラシアスの町に帰還すれば、後は国が決着を付けるだろう。
全てを自分たちの手で解決する必要は無い。情報を持ち帰る使命を背負った、冒険家らしい発想で。大人の考えだった。
(カカカ。その説得は逆効果じゃ)
そうだね。ほんの一瞬前であれば、俺はその提案を受け入れていたと思う。
けれど、異世界転移をする術があると知ってしまえば、もう意地でも逃げ帰るなんて事は出来ないではないか。
「レルトンさん、ごめんなさい。意見には賛成なんです。リュカたちを連れて行ってあげてください」
「ふざけんな。オレは逃げないぞ!」
勝手に決めるなと狼少女が牙を剥く。そうは言うけど、結構ピンチだよ今。だが教授の考えにイエスと頷く者はいなかった。
協定が破談になりレルトンさんは表情を一層に険しくし。では我々は行く。そう踵を返すところで、「えっ」と場にそぐわぬ間抜けな声が響いた。
どうやら猟犬の背に居た助手くんが目を覚ましたらしい。状況が分からないようでキョロキョロと周囲を見渡し現状を把握しようとしている。
「あれ、僕は。そうかペルロさんたちが助けてくださったのですね」
「シトニクよ、そちらで一体なにがあったというのだ?」
「ああ、オウルさん。ご無事でなによりです。ごめんさない、僕の力が足りないばかりにセリューさんは……セリューさんが」
ボロボロと大粒の涙を零す助手くんには、逃げ出そうとする教授たちも困惑するばかりだった。そして彼の口から語られる、俺たちの不在の時間。
女冒険家の判断を皮切りに、基地内をバラバラに行動しはじめた訳であるが。あの部屋で調査隊が発見のは金銀の財宝だけではなかった。
不死薬。人を魔石化することで生かし続ける、禁断の薬を見つけてしまったらしい。
「とても恐ろしいものでした。もう何百年も前の物のはずなのに、瓶の中にあったのは、あまりに瑞々しい、まるでまだ生きているかのような肉片だったのです」
「始獣の一部で間違いないだろう。けれど不思議だ。それだけで進化はしないはず。そもそも、この島は日常的に始獣を食べていたとみているが」
「ええ。おそらくは毒などで特定の負荷を掛け、魔力で進化の方向を促す。そんな感じの薬でしょうね」
イグニスの言では研究の中で進化のプロセスというのは、おおよそ解明されているらしい。人工進化は古くから着目されていて、駝鳥の進化系である馬鳥も、レースにより速さを競わせることで走りに特化させているのだとか。
俺はその話を聞いて、流れをぶった切るのを覚悟で待ったを掛けた。
「も、もしかしてだけど。このままだとボコは進化しない?」
「しない」
「そんな。ずっと楽しみにしていたのに」
(お前さんはさぁ……)
悲しみのあまり膝から崩れ落ちるも、無視されて話は進行する。よしよしと慰めてくれたのは、助手くんの事情に微塵の興味もないリュカだけだった。
「やはりエルデムは薬を手に入れる為だけに、セリューを陥れたのか」
怒りに震える老騎士が助手くんを問い詰める。ハイという弱弱しい返事。そして青年は懺悔をするように、真実を告白した。
「僕は事情を知っていたのに。なにも止める事が出来ませんでした……」
学者はなんと余命宣告がされていたらしい。神聖術でも完治しない病を患っているからこそ、浮遊島の調査を人生最後の大仕事として立候補したのだとか。
ダングス教の助手くんは、体調管理を含めた万全のサポートをする為に付いていて。引退した老騎士が抜擢されたのも、病弱な学者を補助するためだった。
「神聖術で治らない病気もあるんだ」
「そりゃね。特に先天性のものは治らないことが多い。でなければ、この世に医学なんてものは生まれないさ」
嗚呼。ならば学者にとって、不死薬はまさに奇跡のような物だったのだろう。
長生きしたからと諦めかけていた人生。そこに垂らされる蜘蛛の糸は、たとえ地獄への片道切符だったとしても縋ってしまうほど魅力的だったに違いない。
助手くんは、気持ちを察するべきだった。諫めるべきだったと、悔いを噛み締めるように涙を見せる。
「老い先短い身から言わせて貰えば、何も同情に値しませんな。ただ生き縋るならともかく、若者の命を犠牲にするなど言語道断ですわい」
迷う聖職者を言葉で両断する老騎士。
職務を全うしたセリューくんに代わり仕事を果たすと。皺くちゃな横顔に、さらに皺をよせるのだ。
仕事というより、もはやケジメに近いのだろう。この人はここを死地と定め、最後まで戦う気らしい。戦場に身を置く者の死生観。彼らは死が近いからこそ、誇りという汚してはいけないものを尊ぶのだろう。
「ありがとうオウルさん。おかげで決心が付きました。僕も調査隊の一員として、結末を見届けるべきなのでしょう」
助手くんは獣人の背を降りて、レルトンさんたちに深々と頭を下げた。そしてお別れですと笑い、精一杯の神聖術を施す。
傷を癒された二人の表情は複雑そのもの。まぁそうか。せっかく助けた人間が、死を悟ったような顔でお別れを言うのだから。
「参ったな。これでは私たちが臆病者のようだ」
「いや、念のために真実を告げる人間も必要でしょう。彼らが英雄のように凱旋するのだけは御免ですから」
イグニスは教授の行動を的確と評価した。しかしながら、この場に居る人間は逃げるには少しばかり重荷を背負いすぎていたようだ。
「おい、レルトン。そろそろヤバイぞ。誰か近づいて来ている」
「そうか。……二階には礼拝堂があった。イグニスくんなら答えになるはずだ」
予想はしていたものの、確信には至っていない魔女。そんな彼女の為に、教授は最後のヒントを残して去ろうとして。けれど、歩みはほんの数歩で止まることになる。
レルトンさんたちの足音に被せるように、「動くな」と声が響き渡ったのだ。
「ご、ごめんなさい。捕まっちゃったわ~」
「フェミナさん!」
俺は血管がぶち切れそうになった。
背後で両手を縛られた薄緑髪の女性は、首元に剣をあてがわれていて。躊躇なく殺すぞと、そのアピールのためだけに食い込む刃が、白い肌を赤で濡らす。
(なるほど。襲撃は時間稼ぎだったか)
そういう事なのだろう。
老騎士が生きている事が判明し、勝てないと判断した奴らは慌てて人質を取りに走ったのである。