ノーブレスオブルージュ~その唇は吐息をしない~ 作:雨居神宮
「……ぁ」
それは小さな声で。あるいは言葉ですらない、ただ吐息の漏れた音だったのかも知れない。だが、どんなに小さかろうと、俺たちの切望した反応であった。
「セリュー。セリューよ、聞こえるか!?」
すぐさまに老騎士が呼びかける。返事は無いけれど、紺髪の男は閉じられていた眉を薄っすらと持ち上げてみせた。
「し、信じられない。あの状態から目を覚ますなんて」
「セリューさん! 本当に、本当に蘇った!」
ああ、脳死からの蘇生が成功した。賭けに勝利したのだ。
まるで、なけなしのチップで一点張りしたらジャックポットを決めた心地。感情には驚愕と困惑が入り乱れ、しだいに歓喜の一色に塗りつぶされる。
「うぉおお。さすが金髪ドリルさん!」
(儂はやってくれると信じておったよ)
「うるさい。患者の前だ!」
わーきゃー盛り上がっているとイグニスに怒鳴られた。騒いでいた助手くんや魔導士団たちと共にしゅんとする。少しくらい喜んだっていいじゃない。
一方でテキパキと動くのがメイドちゃんである。赤い瞳が使えない男共だと侮蔑の視線を向けてくるけれど、その子も生えてるんだぞ象さん。
「知的な女性、素敵だぁ……」
(おっとドMがおるな)
「人の趣味はそれぞれだって」
邪魔だからと、喜ぶ間も与えらずに隅へと追いやられる。助手くんはイグニスの快刀乱麻ぶりを惚れ惚れした様子で眺めていて。俺はやや面白くない気持ちで、横たわる騎士を見守った。
セリューくんは肉体的にはすでに神聖術で回復していた。だから問題となるのは、極限まですり減った体力と、失われた血。そして一度機能を停止していた脳らしい。
流石にもう次は無い。イグニスは、かろうじて残ってくれた種火を消さないように、慎重に保護をして。
「もう大丈夫なの?」
「……ああ。一応脈や呼吸は安定してきた。あとは安静にして様子を見るしかないね」
その一言を聞いて、全員でほっと、大きく息を吐きだす。
セリューくんは体温を下げないようにと毛布でグルグルに包まれ、魔法陣の中で寝かされていた。
なんでも空気を集めて高気圧にしているそうだ。酸素カプセルのようなものだろう。ここは空気薄いから。なお、維持する魔力は魔導士が捻出している。自分たちから進んで動力になった。
「けれど、残念な知らせもあってな。どうやら右半身が動かないようだ。もう騎士としては生きていけない」
「そんな……」
まずは生きているだけでも喜ぶべきなのだけど、彼の気持ちを考えると胸が苦しい。
優秀な騎士の中でも更にエリートの道を歩んできたはずだった。それこそ、俺とは比べ物にならない年月を剣に捧げているのだ。
剣術バカを一人知っているだけに、そんな人間から剣を取り上げるのが、どれほど残酷か想像が出来てしまう。
「なんとか……なんとか、ならんのですか?」
老騎士も、同じ騎士として心情が理解出来るのだろう。いや、甥の起こした凶行だけに責任感すら覚えているかもしれない。キレのない声で魔女に縋る老人を止めたのは、他でも無い本人で。
「これは職務を全う出来なかった自分への罰でしょう」
「なにを言う。お前は誰もよりも騎士であったろうよ」
「いいえ、オウルさん。私は斬れなかったのですよ、友を」
自嘲するような声で語られる真実に、老騎士はやりきれず目を伏せる。
そうか。セリューくんは調査隊の隊長を任される実力者。なのにルニマンに遅れを取ったのは、躊躇ったからなのだ。
それを騎士として失格と嘆くなんて、まったく真面目な男で。けれど、俺は人間として彼を好きになった。
「麻痺の件なのですが、もしかしたら治るかも知れませんわ」
「えっ?」
復活からずっと静かにしていた金髪ドリルさんが口を開く。呪術が脳死にさえ効くのであれば、他の治療にも使えるのではないかと。
彼女の性格ならば「オホホ、さすがワタクシ!」くらい調子に乗るかと思ったが、どうやら真面目に考えこんでいたらしい。
要は使い方なのだ。毒も少量であれば薬になるように、人の欲や感情を操るという、おぞましき力も、脳や心の病を癒す力になる可能性があった。
金髪ドリルさんは、どうだろうとイグニスの顔色を伺うように盗み見る。
「良いと思うぞ。そもそも魔法に善悪は無い。力を正しく使うなら、私は否定しないね」
ただし、と忠告が入る。この基地に残されていた呪術は、外道な人体実験の成果。真っ当に研究をしていくのは大変だと。なるほど、治療の為とはいえ忌まわしき力を研究するのは外聞も良くないことだろう。
「……じゃあ嫌ですわー」
「「そこはやれよ!?」」
(カカカのカ)
思わずイグニスと突っ込んでしまった。まさか、この流れでNOと言うとは思わないじゃん。怪獣のようにガオーと吠える魔女を、メイドちゃんがまぁまぁと抑えて、お嬢を諭す。
「お嬢さま。すでに実績も出来たのです。呪術を医療に持ち込むという視点は、きっと学術派に大きな風を吹き込むことになるでしょう」
「で、でも。それで家の名を汚しては本末転倒ですわ」
「ははん。さてはお前のところ、爵位を没収されかけているな?」
金髪ドリルさんは「なんのことかしら」と言いつつ目を泳がせた。分かり易いことである。
イグニスが教えてくれたが、学術派というのは実技が問われない代わりに研究の成果で実力を見られるようだ。滅多なことでは剥奪されないが、逆に何代に渡り成果を出せないと切り捨てられることはあると。
そこで古代魔法。あるいは、研究題材を求めて浮遊島に訪れていたのか。何気に金髪ドリルさんも一世一代の大博打をやっていたようだ。
「剣を……握れる日が、また来るかもしれないのですか」
セリューくんは右手を震わせるも持ち上げること叶わず。しかし可能性を聞き、声に芯が通った。それは希望になりえるだけの話だったのだろう。
皆が視線で金髪ドリルさんに期待を向ける。重圧に「うっ」と一歩逃げるが、メイドちゃんががしりと両手を捕まえて。「私、お嬢さまなら出来ると確信しております!」口説き文句を口にする。
「当然でしょう、私に不可能なんてないんだからね!」
落ちた。けど、死者蘇生までしていると説得力があるね。
良かったと老騎士は静かに男泣きをする。俺は視線を外して見なかったことに。真面目騎士が再び剣を握れる日を祈るばかりだ。
◆
「おいおい、こりゃどういうことだ。その騎士は死んだんじゃなかったのか?」
セリューくんを動かせないので、キャンプ地を格納庫から動かした。彼には栄養を取って欲しいので、ちょっと早めだけど夕飯の準備に掛かっていると、もう何度目かの驚きの声がする。
そりゃみんなビックリするだろう。なにせ、調査隊の反乱は彼の死から始まったようなものだ。レルトンさんや女冒険家の反応もかねがね似たようなものだった。
「それはこっちは言葉だ。まさか呑気に狩りをしていたわけじゃあるまいな」
黄金モアイを追っていた猟犬が帰ってきたのだ。ただし、魔獣の死体を背負って。
ペルロさんはまさかと否定しながら、俺に肉を渡してくる。飯に使えというのだろう。
大きなトカゲを預かるのだが、その奇妙な破損に首を傾げた。頭部がまるで力任せに引き千切られたように失われているのだ。
「結論から言えば逃げられた。あの野郎、魔力で動く体だから、ずっと全速力で走れるらしい」
「それは盲点だった。そりゃ流石のお前でも追いつけないな……」
「ああ。だが行き先は分かる。奴らは西に向かった」
西。それは、調査隊が最初に居た町で、オリハルコンの戦士がある場所だ。
思えば、反乱が失敗した以上もう彼らに帰る場所は無い。戦力を確保し、異世界への逃亡に賭けるしかないのであった。
そこが最終決戦の地か。やはり、あの白金の戦士とはもう一度戦う必要があるらしい。お玉を握る手に自然と力が籠った。
「……ところで、なんか変な岩人形が暴れた様子があってな。むしろ逃げられたのは、そいつの存在が大きい」
「へっ?」
この基地の外は魔獣の巣のようなもので。侵入を防ぐために門も閉じられている。本来ならば、外に逃げられる前に追いつけただろうと。
だが、先に壁を崩して、周辺の魔獣を減らした存在が居たらしい。そのモアイ像は返り血で真っ赤に染まり、魔力を使い尽くしたか、道中でただの石像に戻っていたそうだ。
「不思議なこともあるんですね……」
(であるなー)
絶対にジグルベインが動かそうとした奇行種ではないか。フェミナさんの処遇に心を砕く教授の前では名乗り出ることも出来ず、俺は床に目を逃がした。うちの魔王がごめんなさい。
「さてと。それじゃあ、そろそろ行くか」
食事を食べてひと段落している時。束の間の休息にぼんやりと火に当たっていると、イグニスがのそりと腰を上げた。
トイレかなと思い、行ってらっしゃいと見送れば「違う!」と声を荒げて否定する。
2階の礼拝堂。レルトンさん曰く、浮遊島の答えがある場所。それを確かめに行こうという誘いだったのだ。
ここまで来たら見届けなければいけまい。俺はどうすると差し出される魔女の手を取った。