ノーブレスオブルージュ~その唇は吐息をしない~ 作:雨居神宮
足の指先がちょんと湯舟に触れると、思わぬ熱さに一瞬だけ躊躇う。けれど俺は漢だ、退きはしない。覚悟を決めソイヤッと勢いよく首まで漬けた。
「あっ、あっ、あっ」
(なんじゃその鶏みたいな声)
雪山で遭難していた身体は冷えに冷えていたようだ。40度程度でさえ熱湯のように感じてしまう。
実を言うと、俺は浮遊島からのパラグライダーで着地に失敗したのである。皆の居る場所から大幅にズレて、救助狼ことリュカが来るまで深い雪にずっぽりと埋まっていたのだ。
しばらく蛸のように身悶えていれば、やっと温度に馴染んできたらしい。余裕が生まれて体内で血が巡るのを強く感じる。指先の毛細血管までが押し広げられ、甘い痺れにも似た感覚を全身で味わった。
「ああ~~いい湯だな」
(カカカん)
今更ながら、ここは金髪ドリルさんの実家である。キリタップ家だったかな。
浮遊島から飛び降りたあとは、1時間ほどですぐに空馬車が来てくれた。迎えを前提に、広くて見晴らしのいい場所で待機していたから帰還はスムーズだったものだ。
しかし、よそ者の俺たちは町に戻っても帰る場所が無い。今から宿を探すのも不便だろうと泊めてくれることになった。
どうやら古代魔法を迎撃する様子は町からも見えていたようで、一足先に屋敷に戻っていたドリルさんは大興奮だった。むしろ帰さぬという勢いで館に招かれている。今頃イグニスたちは武勇伝をねだられているはずですわ。
貴族の家でも、さすがに風呂は男女に分かれていない。大浴場を独り占めしている座りの悪さから、少し温まったら早く交代してあげようと。頭ではそう考えるのだけど、ぼんやりと天井を眺めたまま、なにも行動を起こそうという気にはなれなかった。
「今回の冒険は、過去で一番きつかったかも」
(結局なにも得られんかったしな)
「それもあるなー」
浪漫を追うのも楽ではないものだ。俺は天空の島でバルスと言いたかっただけなのにな。
体が温まると凝り固まっていた筋肉が解れ、気持ちまで緩んでいくようだ。
今日一日がピンチの連続だっただけに、もう頑張らなくていいのだと言わんばかり、手足どころか瞼も重くなってきていた。
ちなみにイグニスはちゃっかりと
もっとも老騎士がならば報告はするし、買い取りにも立ち会うと言っていった。魔女は駄々を捏ねるだろうが着服は出来ないだろう。ざまぁ。
(その。転移魔法の件は、残念じゃったな)
目を閉じて、ぼうとしていると浴室に鈴のような声が響く。薄目を開ければ、湯気に紛れるジグは柄にもなく励してくれているのが伺えた。俺はなんだそんなことかと、優しい魔王様を見つめ返す。
「いいんだよ。存在が知れただけも十分だった」
欲を言えば、転移魔法の術式を手に入れて解読が出来れば最高だった。けれど文句を言っても火炎竜王で古代魔法ごと木っ端微塵なのだ。
俺としては次元を繋げる魔法があると判明しただけで有難いと思う。この目で魔法陣が異世界へ繋がるのも確認したし、満足である。
「それに、手掛かりまで消えた訳じゃないしね」
(……ドゥオルオか)
ウンと静かに頷く。
異世界への知識を持っていたらしい天使族は、混沌の魔王に滅ぼされている。しかし、最後の生き残りがいて、居場所まで分かっているのだ。ならば尋ねぬ理由が無い。
もとより、ジグルベインの肉体を取り返しにいくつもりであった。
魔大陸の果て。天と地の狭間。少しばかり道は険しくて、俺一人であれば挫けていたかも知れないけれど。いまは頼りになる仲間たちが付いているから。
「浮遊島まで行ったんだ。いまさらどこだって怖く無いぜ」
(まぁ、そうさな。目的地が定まっただけでも前進じゃな)
◆
その後、くだらぬ話をして時間を潰してしまった。体も温まったし、そろそろ出ようかなと思った時だ。微かにだがギイと扉の開く音が聞こえた。恐らくは脱衣所だろう。
誰かが入ってきた。まっとうに考えれば、使用人が掃除や着替えの用意などでしている確率が高い。しかし大穴でイグニスという可能性も存在するのではないか。
別に嬉し恥ずかしのハプニングなど期待はしていないのだけど、ラッキースケベなど全然期待していないのだけど、気づけば俺は耳を澄ませて入り口を凝視していて。
「フハハ! ご苦労だったな、コダルよ!」
「【闇の輝き光を照らす】【白に眩み、黒に潰れろ】ー!!」
目に映ったのは、それなりに鍛えられた逞しい筋肉と、隠すこともなく晒される股間であった。なかば条件反射で魔銃をぶっ放した。
いや、風呂なので全裸は別にいい。問題はその男、顔をズタ袋で隠していたのだ。どう見ても不審者じゃん。
「おのれぇ。おのれぇ。まだ世継ぎのいない我の大事なところをぉ!」
「ごめんってー」
股を抑えて蹲るズタさんの背をスポンジを使ってゴシゴシと擦る。大事なら隠しておけよ。そう思ったのだが、俺は賢いので言葉には出さなかった。
「ところで、何をしに?」
「風呂に入浴以外の用事があるか。たまには裸の付き合いでもと思っただけよ」
(貴様らは服を着て会っている時間の方が短いじゃろがい!)
彼は開口一番に「調査隊が迷惑を掛けたな」と言ってくる。ああ、彼は浮遊島で起きた事を詳しく知ったのだろう。学者の暴走。ルニマンの裏切り。セリューくんの引退。雇う側としては頭の痛いことばかりだったはず。
「セリューくんは、その」
俺は不器用なりに励まそうとした。するとズタさんは、「よい」と続きを手で遮り、代わると言い出す。まさか王子に背を流してもらえるとはね。クルリと反転し、背を晒せば、慣れぬ手つきで垢が落とされていく。
「そういえば、レルトンが後日に披露宴をすると言っておったな」
「うわ残念。俺たちは参加できないかなぁ。早ければ明日にでも発つよ」
「そうか。次は何処に行くのだ」
「エルレウムって町。シェンロウを目指しているんだけど、そこで勇者と合流するんだ」
彼が求めたのは、ただの他愛のない会話であった。案外、大公子としてではなく、ズタ袋として少し弱音を吐き出したかったのかもしれない。ならばと俺は、浮遊島のことにはあえて触れなかった。
代わりにエルレウムのことを少し聞く。どうやらこの国の最南端なのだが、それもそのはずで、大陸の終わりでもあるのだとか。だからシェンロウは対岸に見える距離ではあるが船が必要だそうだ。ははん、それでと、イグニスが集合場所に決めた理由を知る。
「まぁ、なんだ。貴様らには世話になった。もし勇者が公都へ寄るならば、顔を出すといい。歓迎しよう」
「ありがとう、ズタさん」
少しばかり友との会話を楽しみ、俺は先に出ることにした。
脱衣所で体を拭いたあと、さて着替えをと籠に手をかける。中には小樽が一つだけ入っていた。ぶっ殺すぞあの野郎。
「あふ。やっと寝れる。恋しかったよフワフワのお布団ちゃん」
長湯をしてしまったようで、待っていたイグニスからネチネチとずっと文句を言われる。しかし、それもいまは昔だ。
もう食事も採り、あとは寝るだけ。本日は、基地を出てからというもの、何度死にかけたことか。大ハードな一日だったので、いまならば早寝の世界記録だって更新できそうである。
「ツカサ、起きてるか?」
「寝てるよ」
「起きてんじゃん!」
灯りも消して、お休みなさいと布団に飛び込んだ直後だ。ノックも無しに扉が開かれた。
廊下に立っていたのは狼少女である。枕を抱え、所在なさげに入口で立ち惑っていた。
部屋にゴキブリでも出たのだろうかと思うも、そんな柄ではあるまい。言葉を待てば、一緒に寝たいとのことだった。俺は面倒なので、深く考えもせずにおいでと布団を捲る。
「……イグニスも一緒がいい」
(おっと高いハードルじゃな)
本当である。リュカはともかく、俺をあの歩く貞操観念の塊が同じベッドで寝ることを許すだろうか。想像をした。燃やされた。無理だよと首を横に振るのだけど、灰褐色の髪の少女は、クゥーンと子犬のような瞳で見つめてきて。
「ん。じゃあ部屋に押し掛けちゃおうか」
「おう!」
スリルな冒険のあとだから人肌が恋しいのだろう。魔女を必死に拝み倒して、今日は3人仲良く、川の字で寝た。せっかくの機会で残念だが、邪念を抱く間もなく、俺たちは死んだように眠った。