ノーブレスオブルージュ~その唇は吐息をしない~ 作:雨居神宮
「ふふふ。この影縫いの前に現れたのが運の尽きよ。お前なんか串刺しにしちゃうぞ~」
私は揺り椅子に座り、暖炉の前で縫い物をしていた。もとより単純作業が根に合っているのだろう。無心になり針を通していく時間がぞんがいに好きだったりするものだ。
「シャルラ様。人形のボタンが取れちゃったの!」
「コラコラ。針を使っている時は椅子を揺らすなって」
しかし、趣味を楽しむには障害が多い。
破れたズボンを縫っていれば、今度は少女が壊れた人形を持ってきた。子供は加減が下手なので、本当に物をよく壊すものだ。特に男子。
「大丈夫だよ。すぐに治してやる。バル、お前はあとでお仕置きな」
「うげー。ごめんなさーい!」
いつからだろう。我が家の大広間は、冬にはすっかり子供部屋へと成り果てる。
薪の節約として一か所にまとめているのだ。5歳くらいからは家の仕事も手伝い始めるけれど、それより幼い者には子守りが必要だろうと始めたことだった。
合間を見て言葉や文字の簡単な授業もしているが、子供の世話は大変だ。
しかし止めようと思ったことは一度も無い。今、無邪気にワーキャーと騒ぐ者たちが、いずれ領を支える大人になると知っているから。
「ティグもあんなにやんちゃだったのになぁ」
最近活躍の目覚ましい大虎も、よく喧嘩をしては誰かを泣かせていたものだ。あのガキ大将が今や町で一番の働き者とは、去年の私では信じないことだろう。
領主としての仕事が忙しくなってきた身ではあるが、この子供部屋だけは続けていきたいものだと、多くの笑顔を見て思い。
「シャルラ様!」
さて縫い物の続きを。
そう手元に目を落とした瞬間に扉が開け放たれた。
相手は私の侍女であるトルシェ。このボロ屋敷で足音にすら気を配る彼女が、ノックも無しに部屋へ飛び込んでくるのは明白に異常事態だった。休息はここまでかと人形を置き、事情を聴く。
「どうした?」
「大変です、シエル様が玄関で暴れております!」
「なんでだ~!?」
誰にも止められないとトルシェは半べそだった。そりゃそうだろう。あの怪物を止めるというのは、天災に立ち向かうに等しい行為である。
「よくぞこの町に顔を出した。積年の恨みだ、死ねエルツィオーネ!」
「くぅ、なぜ私がこんな目にー!」
私が現場に辿り着いた頃には、庭先が酷いことになっていた。
もう葉の落ちる季節だと言うのに新緑が生い茂り生き物のように蠢いて。そんな動く森の頂点には、楽しくて仕方無いとばかりに高笑いを浮かべる黒髪の女性。
さながら狩りに興じるように植物達をけしかけている。どうやら獲物は赤髪の中年男性だ。彼は魔法で必死に抵抗をするが、手数があまりに違いすぎた。逃げられるのも時間の問題であろう。ほら捕まった。
「ってプロクス殿ではありませんか。シエル様、待った待ったー!」
私は影剣を操り、なんとかエルツィオーネ智爵の保護をする。身を挺しエルフに抗議をすれば、チッとこちらにまで聞こえる舌打ちの音が聞こえた。まるで反省していないのが伺える、子供のように分かりやすい悪態だった。
「いやーすみませんね。うちの女中が」
「ま、まぁ。先触れを送らなかったこちらにも非はあるのでしょう」
場を執務室に移す。本来は応接間に通すべきなのだろうが、しばらく使っていなかったので、あの部屋は極寒なのだ。
プロクス殿は額に汗を浮かべていて、すかさず侍女が机に茶を出す。
トルシェは分かっているなと視線を投げてきた。私は当然と静かに頷いて見せる。
作法の話だ。こういう席では出す側がまず毒見として最初に口を付けるのだ。そうしなければプロクス殿は差し出された茶を飲むことも出来なかった。
「……うぐっ!」
「えっ、シャルラ様?」
紅茶を口に運ぶと、普通ではありえない強い苦みが舌を襲う。そして手足が震え、臓器がひっくり返りそうな勢いで痙攣をはじめて。これ……毒です。ガクリ。私は死んだ。
◆
「シエル様、客人に毒を盛るとは何事ですか!?」
「そうか、作法でシャルラが先に口を付けるのか。勉強になった。次は遅効性の物にしよう」
「私は盛るなと言っているのですよ!」
犯人を呼び出し、みなの前でお説教をする。もとより死体なので毒くらいでは、この身は朽ちない。けれど私に毒を飲ませてしまったとトルシェは心に深い傷を負ったのだ。可哀そうに。
「ま、まぁ。死人が出なくて良かったね……」
プロクス殿は場を和ませようと愛想笑いを浮かべるも、その顔は引き攣っていた。
私は誠心誠意に頭を下げる。エルツィオーネ家には随分と良くしてもらったものだ。だからこそ、私も心が痛かった。
「して、本日はどのようなご用件でしょうか」
「そんなに畏まらなくても大丈夫さ。最近は茶会にも顔を出してくれないから、様子を見てこいと妻に尻を蹴られてね」
「ターニャ様にご心配をかけてましたか……」
やはりその件かと思う。私がこの領に引き籠り、すでに一月ほどが経つだろうか。
外の商人たちとの摩擦もあったが、現在それは保留をしている。幸か不幸か、町の人間はそれどころではないのだ。
くるべき冬を乗り越えるため、巣籠の準備で忙しかった。いまは町人総出で、薪や保存食を作っているところである。
「私も、もう少し早く顔を出したかったのだけど、娘がさぁ。外で色々とやらかしているみたいでさぁ」
「娘というと、イグニス殿ですね?」
ウンと儚げに頷く中年男性。少しばかり痩せたと思っていたが、どうやら心労が祟っているようだった。
私の耳にもツカサ殿の活躍と共に彼女の話は届いている。城門を爆破したり、数千の魔獣を屠ったと派手なものが多かったはずだ。また何かやったのかと尋ねるとハハハとカラ笑いが部屋に響いた。
「嘘か真か、エルフの長老を爆弾で脅したそうだ。大森林に入った時期的に、タルグルント湖から水精が消えたのにも関係があるのではと噂されている……」
プロクス殿は胃を抑え、やはり外に出すのではなかったと激しい後悔をしていた。
すこし伏せると、やや薄くなった頭頂が見えて。私はなんて励ませばいいのやらと言葉に迷う。
「エルフの長老? おい、それはどこの情報だ!」
「私は隣国に友人が居てね。確かな筋だよ。シシアという人物が大森林から出てきているそうだ」
シエル様は少し考えこんだあと、「アイツの仕業」かと勝手に納得をしていた。その表情は、苦いような嬉しいような、複雑なものだった。
するとプロクス殿は、思い出したように手土産があるのだと言い出す。どうぞと机の上に置かれたのは、一冊の本である。私は、その題名にこれはと心惹かれる。
「ラルキルド領経営日記?」
「うん。作者は君も知るエーニイという少女だ。もとは商人向けに書かれた本なのだけど、いまは外国の貴族の間でも注目を集めていてね」
エーニイ。私たちの我儘に付き合い、町に滞在してくれていた少女だ。
あの詩人は、商人たちとのすれ違いに心を痛め、このラルキルド領の在り方を広める努力をしてくれていたらしい。友の優しさに、思わず視界が滲むのを感じた。
「しかし、なぜ国外で人気に?」
「簡単に言うと、この領は魔族との付き合い方を測る物差しということさ」
近年の荒れる世界。魔大陸には魔王が集いだし、再び大きな戦いの兆しがあるという。
そうなれば、人以外にも多くの魔族が住む場所に困るだろうと。つまり人間は、我々を通し、魔族と共存が可能かを判断しようとしているようだ。
「それは、責任重大ですね……」
正直なところ、再びに領を閉ざすような事は別に考えていなかった。マヨネーズのおかげで生まれるささやかな利益は、確実に領の生活を潤したから。
それは冬の備えをしていると顕著だった。ルーランのおかげで今年は暖かく過ごせそうだと皆で感謝をするほどだ。
「領の経営は大変でしょうが、私も後見人として出来る限りの事はします。頑張りましょう」
「心強いお言葉です。ならば早速甘えてもしまっても宜しいでしょうか」
領の先行きの相談をしようと思えば、プロクス殿は待ったと言葉を手で止め言った。
あー時にだね。ラルキルド領の湯屋街は良い癒しの場だと聞いてだね。チラチラと察して欲しいとばかりに圧を掛けてくる。
なるほど、情報源はハウロかな。私は死んだ目で、お疲れのようだし体を温めてきて欲しいと言った。町のみなには無理を言って店を開いて貰った。
後日、この町にはやつれた人間がたまに訪れるようになる。