ノーブレスオブルージュ~その唇は吐息をしない~ 作:雨居神宮
今日もその場は、血の匂いと獣の咆哮で満ちていた。
円形の闘技場で繰り広げられる壮絶な戦い。歴戦の猛者たる巨象が空を舞い、自慢のウテリアを披露する。
おお、獣闘士かくあるべしよ。
あの鍛え上げられた肉体を見ろ。研ぎ澄まされし技を魅ろ。
巨躯なる戦士は、己こそが百獣の王に相応しきと、観衆の前で最強の証明を果たさんとし。
相対するは無敗の狼。
受けて立つを信念にする男は如何な攻撃からも一歩たり引かず。当然のように挑戦者の全てを迎え入れた。
派手な技の応酬である。飛び交う血飛沫が、見る者にまで威力と殺意を伝えてくるようだ。会場は勝負の行方を手に汗握り、熱狂の渦に飲み込まれていた。
「はん。ガージャめ、また一段と鍛えあげたようだな」
私の知る、あの象の獣闘士は確かに強かった。しかし、限界を悟りどこか冷めていたように思う。それがどうだ、この熱さ。さながら闘争心を思い出したかのように王者ヴォルフガングへと牙を剥くではないか。
いいや。それはアイツだけでは無いのだろう。
私は椅子にドカリと座り勝負を見下ろす。脇からすかさず骨が差し出され、ソレをしゃぶりながらオイと執事に問うた。
「時間が押しているようだな。ヴォルフは今日何戦目だ?」
「3戦目でございます、バスガス王。ちなみに明日以降も予約が一杯ですメー」
「そうか。まぁ奴が嬉しそうなら構わんがな」
気に食わんことに、人間の小僧が獣の心に火を付けたのだ。
我らは狼を王者と認めてしまったが故に、牙を失っていたのだと思い知らされてしまった。
そうだよなぁ。挑むだけならば出来たのだ。敗北を恐れなければ戦えたのだ。
まさかアパムゥの精神を人間に思い出させられるとは。あの満月の夜の戦いは、多くの闘士を刺激し、闘争に駆り立てていた。
「私も、せめてあと10歳若ければなぁ」
「まずはお痩せになるのが宜しいかと」
「やかましいわ。地獄に放り込むぞ貴様!」
とはいえ、確かに腹は弛んできたか。最盛期を超えた自覚はあるが、気分は一応現役であった。クソ猫に負けた忌まわしき記憶が蘇り、腹を摘みながら少し運動せねばと考える。
「「「ヴォルフ! ヴォルフ!」」」
「ぬ。終わったか」
少し目を離した隙に決着のようであった。
だが、まぁ別に惜しくはない。いつも通りの光景だ。もう十年以上に渡り、王者の座は揺るがない。
当然のように勝利を重ねる男。狼は天に拳を突き立て、敗者は地に伏せる。会場には英雄の名が木霊する。
以前と違うところがあるとすれば、ヴォルフガングは挑戦者が増えたことで生き生きとし。活力が溢れるぶんだけ強くなった。これでは、もう10年は奴の天下は揺るぎまい。
「では陛下。舞台の清掃が終わり次第、アリスの餌の時間に入ります。これが本日の罪人の目録ですメー」
「あーよいよい。死にゆく者に興味は無いわい。それより、私が餌やりを見届ける法律をそろそろどうにかしたいな」
アリスを管理するという意味で、とても大事なのは分かるのだ。
しかし、毎度毎度は正直飽きる。あの人間のように番狂わせが起きることは稀で、ただただ罪人が食われていくだけだ。
やるならば早くしてくれ。私は欠伸交じりに死刑の執行を許可した。
地獄の蓋の上に、大勢の獣人が入った檻が置かれる。己の犯した罪だろうに、奴らは決まって嫌だ死にたくないと口にして。
だが、観客はそれを許さない。殺せ殺せと心地よい裁きの声が響き、答えるように舞台は地獄へとゆっくり降りていく。
「……なんだ?」
その声は隣からした。気づけばヴォルフガングが戻っていたらしい。奴は私の労いの声も無視して、柵から地獄の様子を覗き込んでいた。
「どうしたヴォルフよ。王者はドンと構えているといい」
「貴様の耳は飾りかバスガス。アリスの奴、なにか叫んでいるぞ」
「あーん?」
会場では観客が叫んでいる。地獄の穴からは死刑囚の声が反響し、ろくに言葉の判別も出来やしない。その中でも狼はアリスの声を聴き分けているようだった。
もし、他の誰かの言葉であれば、私はそんな馬鹿なと流していただろう。だがこの男の言うことであれば耳を貸す余地があると考え。愚民共に静まれと、王としての言葉を伝える。
すると、どうだ。確かに地獄の中から声がした。
普段の金属を擦り合わせたような高い音ではない。抑揚が無いが、ハッキリと言葉だと聞き取れるものであった。
『コード:アイリス承認。世界樹の魔力量、規定値を突破。チューニング、エデン。ようこそ我が家へ』
『アイリス、アイリス、応答を願います。Hello、Bonjour、Ciao、こんにちは。こちら、人類永続機構・ネバーエンディングストーリー!』
「なんだ……。何を言っているんだ、アリス!」
困惑をする狼の横で、同様に私も困惑をしていた。しかし、戸惑う理由は別だろう。
私は、始獣が古の言葉を発したことに目を細める。どこで覚えた。いや、あるいは何かをきっかけにして思い出したのであろうか。
「ネーバエディングスタール。直訳をすれば、終わりなき物語か」
死を超越せし永遠の獣には相応しき言葉ではあるが。貴様はもはや地獄に繋がれし、ただの残骸なのだよ。
「ヴォルフガングよ、役目を果たせ。脳を破壊して記憶を消すのだ。喋らなくなるまで徹底的に、何度でもだ」
「それしか、ないようだな。詳しくは後で聞かせて貰うぞ」
やはり頼れる男よ。ヴォルフガングは即座に英雄の仮面を被り、観衆の恐怖を払うように地獄へと飛び込んでいった。私はその背を目で追いながら思う。詳しいことなぞ、こっちが知りたいわい、と。
「いや、待て。ちょうどいいのが居るか」
牢獄の中には、まだハイエナの爺が住んでいる。宿のように好き放題使ってくれた対価を払って貰うとしよう。確か、大昔にもアリスが壊れたように言葉を垂れ流したことがあると。
「聞いたことがあるような。無いような?」
「そこはハッキリとしてほしいメー」
「やかましいわ!」
ほどなくし、歌うように言葉を紡いでいた始りの獣は、狼の手により沈黙する。
だが、幾ら壊されようと無防備で、痛みすら覚えぬような無感情さに。同じ生物としてどこか恐怖を覚えた。