ノーブレスオブルージュ~その唇は吐息をしない~ 作:雨居神宮
「急段。
司教の拳は緩やかに伸ばされて、トンと軽くカノンさんの胸に当たる。
瞬間、さながら大型トラックにでも撥ねらたかのように彼女の体が吹き飛んだ。その勢いや教会の壁を突き破り、裏路地に背中の擦れた後が長く残るほどで。
(ほう)
「一体……なにが……?」
俺は唖然として動けなかった。一方で急に人が転がってきた通行人は大混乱。ピクリとも動かぬ僧侶を囲い、死体だろうかと困惑している。
あのタフで頑丈な女性が、へなちょろパンチ1発でKOされた。その事実をようやく頭が理解をしても、やはり分けがわからない。
だって、イキリ雑魚代表のリュカならばともかく、相手はカノンさんだ。格闘戦ならば勇者に勝る猛者であり、その実力は道場破りで披露した通り。なのに司教は、肩に掛かる羽織すら落としていないのである。
「不思議がることじゃねえさ。三柱教は修めるほどに神へ近づく。そして司教というのは、序破急の全てを習得した者なんだぞ」
若竹色の髪をした少年は、額に汗を浮かばせながら言う。すなわち、スヴァルさんは神に近づきし者であると。間違いなく英雄を超えた超人の領域。世界の壁とはなんとも分厚いものだと、俺は自然に唾をのんでいた。
「いや。見事な練度だったよ。でなきゃ回復なんて見っともない真似はしないさね」
本当はもっと余裕で受け止めるつもりだった。思わぬ威力に完全な相殺は出来なかった。敗者への、せめてもの慰めか。大上段から褒めながら、倒れる僧侶のもとへ向かう司教。そして「起きろ」と蹴りに回復を織り込むという器用なことをして見せる。
「ゲホゲホ。ありがとう……ございました。私は何をされたのですか?」
「魔力でぶん殴った。肉体が出来上がり、技を修めた先は、信仰あるのみ。信・技・体、揃っての急段だと知れ」
「オス」
いまだ地面にぐったり倒れるカノンさんに、大女が問いかける。いつまでコチラに居るのだと。正確な予定を知らない青髪ポニテのお姉さんは、たぶん一月くらいと悩まし気に答え。
「そうか。それは忙しくなるな」
事もなげに自身の帯を解いて、ポイと僧侶の上へ落とす。くれてやるという意味なのだろうが、帯の色は階位を表すと聞いたばかりだ。なによりも驚いているのは、受け取った本人であった。
「カノン・ハルサルヒ助祭よ、これからは司祭を名乗れ。順序は逆になるが、時間の許す限り技を叩き込んでやろう!」
「い、いいのですか?」
「アタシは司教だぞ。文句がある奴が居たら尻を蹴り飛ばしてくれるわ」
ガハハと笑うとスヴァルさん。外見だけでなく、中身まで豪快な人のようだ。
すると何処からか響く叫び声。成り行きを見守るフェヌア教の方々が祝いの正拳突きを行っていた。俺はあきれ笑いしか浮かばなかった。
◆
「ウハハ、めでたいなオイ」
「本当におめでとうございます、カノンさん!」
「いやーどうもどうも」
寝ていた狼少女は、何があったんだと首を捻るが。僧侶は昇格し、明日から司教直々に修行を付けて貰うことになった。俺たちは、お祝いの為に近くの飯屋に飛び込み、絶賛酒盛り中である。
「けど、勇者一行の特権を使ったようで、ちゃんと努力している人に申し訳ないわ」
ちゃんと実力でもぎ取りたかった。そう言うカノンさんは、ビー……麦ジュースを豪快に飲み干してカップを机に机に叩きつけた。
心境的には、嬉しさ半分悔しさ半分といったところか。貰った司教の帯を大事そうに握りしめて複雑な顔をしている。
「まぁ今度は勇者も連れて来いなんて言われちゃな」
「バレてるよね」
やはりスヴァルさんはコチラの素性を察していた。フェヌア教において、強さを求めるのは邪道。しかして、それを承知で強くあろうとする僧侶の心意気に答えるべく、自身も規則を捻じ曲げてくれたのだった。
なんというか漢である。人物の背景を理解し大陸語まで操る深い知性。立場を持ちながらも情に厚く、付いて来いと背中まで見せてくれた。やはり司教ともなれば、強さだけではないのだと実感する。
「私もいつか、ああ成りたいものね」
素敵と惚気顔をするカノンさん。気持ちは分からなくもないが、
「カノンさんが修行を急ぐのは、やっぱり魔大陸入りが近いからですか?」
「そりゃ出来ることはやっておくわよ。後でもっと鍛えていれば、なんて後悔はしたくないわ」
俺はやはりなと目を細める。胸に募るのは、仄かな罪悪感。
魔王軍との戦闘が本格的になると見越すからこそ、この人は強さを求めているのだ。けれど、その未来に俺は一緒に居るのだろうか。
(お前さん、そんな暗い顔をしてくれるな。祝いの席なのじゃろ)
「うん。そうだね」
追い求めていた帰郷だというのに時期が悪い。仲間を見捨てるような間になってしまい、まだ告げることができていなかった。フィーネちゃんやイグニスが明かさないのは、タイミングを委ねてくれているのだろうが、重いものだ。
「鍛錬に俺たちも参加していいのは助かるな。やっぱ独学じゃ限界あるぜ」
「カノンさんが一撃だもんな。凄かった」
「あんまり言わないでよ~」
肉を頬張るヴァンは、やや興奮をしながら司教の見せた技を語る。俺は気を取り直して強く頷いた。あれは、敢えての手加減。魔力操作の重要性を分かりやすく説いてくれたのだろう。
詰まるところ、やみくもに筋肉を鍛えるだけでは駄目なのだ。思えば人外の領域に居るアルスさんは細見の女性。純粋な力でいえば、そんなに強くないのかもと考えて。あの人は化け物だから断言が出来なかった。
「なあなあ。もっと肉頼んでいいか?」
「おう、好きなだけ食えよ。ツカサ、後で払うから悪いけど立て替えといてくれ」
狼少女の要望に応えて気前よく追加注文をするヴァン。だが後半に聞き捨てならない事を言った。奢りだと言うので店に入ったが、俺は鍛錬の後なので金など持っていないのだ。
さっと顔の血の気が引くのが分かる。残るはリュカとカノンさん。駄目だ、奴らが金を持っているはずが無い。いや。そもそもの話、こんな飯屋で異国の通貨が使えのるだろうか。フィーネちゃんはそれを見越して、現金を手に入れるべく真っ先に換金へ行ったのでは。
「お、俺も金無いぞ」
(バカが揃うとこうなるのじゃな)
えっ、と全員で顔を見合わせた。ダメもとで皆がポケットを漁るけど、無いもの無い。
短い時間ながらに結構な品を頼んだものだ。机には空き皿や空き瓶が一杯で。勇者一行が無銭飲食とか洒落にならないぞ。どうすんだコレ。
「……走るか?」
「お前仮にも聖職者がそんなこと言っていいのかよ!」
「仮じゃねーわい。立派な司祭ですー!」
てっきり食い逃げしようと言い出したのかと思ったが、カノンさんは勇者のところに一人向かわせようと提案しているようだった。
どこに居るのか分からないだろと呆れる少年だが、こちらには匂いで追跡出来る狼少女が居た。勝ち筋が見えた瞬間である。
「リュカ、お前なら出来る!」
「硫黄の匂いが強くて無理だよ……」
「終わった」
(カカカ。即落ち2コマ。いや、そうでもなさそうだな)
ここは素直に謝るかと苦い顔をしていれば、魔王は頭上に浮かびながら言う。
縋る気持ちで指をさす方向を見た。雑踏に紛れる派手な赤髪を見つけ、俺は歓喜に立ち上がり。さながら無人島で遭難した時に、救助のヘリを見つけた気持ちで大きく腕を振った。
「バカなのかお前ら?」
「はい」
「言い訳も出来ねえ」
イグニスに料金を立て替えて貰い全員で拝み倒した。どうやらフィーネちゃんたちは無事に換金を終えて、食料や消耗品の買い物に向かったようだ。そして魔女は、途中で騒ぎを聞きつけてマルルさんと教会に向かってくれたようだが。
「ランデレシア人には血も涙もないのか……」
商人と一体どんな交渉をしたのだろう。通訳を果たした聖騎士は、げんなりとした顔で一歩引いている。嘘の通じない勇者を始め、交渉に強そうな面子だもんね。
「だいたいカノン。君にはこんな時の為にお守りを渡しているだろ」
「いけね。忘れてたわ」
青髪ポニテのお姉さんは、道着の内側を探るや金貨を取り出し、テヘと舌を見せた。
金を持たない主義の親友を心配し、非常用として持ち歩かせているようだ。涙ぐましい友情であり、そういえばイグニスも金貨を肌身離さず持っているのを思い出す。
赤髪の少女は呆れてものも言えぬとばかり肩を竦め。それでと、飯屋でバカ騒ぎをしていた理由を聞いてきた。
「ども。今日よりカノン司祭です!」
帯を見せ、ニシシと笑う僧侶。赤い瞳は驚きに大きく見開かれ、抱き着き。豊満な胸に顔を埋めながら、おめでとうと呟く。
そうか。カノンさんの進捗に一番歯噛みをしていたのは、或いは彼女なのかもしれない。思えば親に認められない不良娘同士だものね。
「よし、飲むぞ。私の奢りだ!」
「もう帰るんだよ!」
「やーだー飲ーむー!!」
続きはまた夜にだろうか。机にしがみつくイグニスを引き剥がして帰路につく。
なんだか盛り上がってしまったが、約束は果たそう。俺はちょっと用事があると輪を離れ。アサギリさんの待つ家に一人で向かった。