ノーブレスオブルージュ~その唇は吐息をしない~ 作:雨居神宮
此処は、とある山の開けた一角。
周囲は森に囲まれながらも、なぜかこの場だけは岩肌が剥き出しの。視界には土と石しか映らない殺風景な空間だった。
目の前には、その場所を象徴する物がある。俺はソレを見上げながら、「ははぁ」と溜息を漏らしてしまう。
崖に巨大な像が彫り込まれているのだ。ソレこそはフェヌア教の開祖、フェヌア様の御姿だとか。聞くところによれば、この場に修行に訪れた信者たちが、道具を一切使わずに素手だけで削り込んだらしい。
凄いね。脳筋だね。仁王像のように佇む、荒々しくも迫力ある彫刻に、ただただ圧倒されながら。頭では何故こんな所に居るのだろうと考えていた。
「素晴らしい場所ね。フェヌア様の神気を肌で感じるようだわ!」
筋肉教の信徒は感激のあまりに祈りの正拳突きを繰り出す。
だが、テンションが高いのはカノンさんだけであり。フィーネちゃんやヴァンも、とんでもない場所に来てしまったと、目を胡乱に細めている。
「なるほど。この一角だけ踏み固められて植物が育たねえのか」
「血と汗はたっぷり染み込んでそうだけどね……」
仕方ない。右を向けば筋肉で。左を向いても筋肉だった。
それもただの筋肉ではない。フェヌア流という殺人術を仕込んだ全身凶器共。総勢100名以上はくだらぬ信者たちが、熱心に神に祈るその迫力よ。
男共が獣のように咆哮を上げている。ズシンと杭打機さながらに地を踏む足。呼吸揃い、地震かくもに大地が揺れて。そして一斉に飛び出す気合の拳。
正拳突き。正しい拳の突き方と呼ばれる、簡素ながらに完成された技は。何をとち狂ったか、この宗教の祈りの形である。
「ここが我らが聖地。体と技を極めたフェヌアが最後に悟りを開いた場所。その名もフェヌア練気神座さ」
背後でガハハと豪快に笑うのはスヴァル司教。この巨女が、俺たちを聖地へ連れてきた張本人だった。
今日からカノンさんが修行をつけて貰うということで、教会へ勇者も顔を出したのだけど。出会いがしらにフィーネちゃんをははんと見定めたスヴァルさんは、場所を移そうと提案した。此処だった。逃げらなかったことを今は悔やむばかりだ。
「俺はカレーを作るために香辛料を買いに行きたかったんだけどな」
(儂もそっちの方が良かったのう)
「お前だけ逃がすと思うかよ」
愚痴を零せばヴァンに鼻で笑われる。この野郎め。
突然のことにたじろいでいれば、巨躯の女性はざんばら髪を風に泳がせながら言った。
「勇者一行の実力は、はっきり言って想像以上だよ。剛活性に猛活性。成人したての年齢を考えれば驚異的と言ってもいいさ。だからこそ、私は君たちに心を伝えたい」
ココに居るのは、全員が司祭以上だそうだ。
時には海を渡って訪れる者まで居るそうで。その理由こそ、急段という果てしなく遠い壁を打ち砕くためなのだと。
「闇雲に鍛えて辿り着けるのは破段まで。その先に行けるのは、ほんの一握り。人によっては一生を費やそうと答えは見えぬのさ」
司教に到達した人の言葉は重かった。
確かにシュバールで会った司祭は老人であったと思い。それと同時に、聖地と崇められる本当の理由を察す。壁に行き詰った者たちが、開祖の心を知る為に、同じ環境と景色を見にやってくるのだろう。
「少年少女よ。人生に正しい答えなどない。それは、己で見つけ出すものだ。しかし同じ悩みを持つ者も居る。時には、その言葉に耳を傾けるのも、何かのきっかけになるはずだよ」
迷っているなと言われてドキリとする。皆も思うところはあったようで、司教の言葉を神妙な面持ちで聞いていた。
「ちょっとは聖職者らしい事を言うと思ったら、結局コレかよぉ!!」
「頭で考えるから悪いんだ。体に直接聞いてみな!」
(カカカ。しょせん脳筋作成教であったか)
やらされるのは瞑想や滝行などの精神修行ですらなく、ただひたすらに物理であった。
具体的に言えば、俺たちに課せられたのは重量物を背負ってのランニング。専用のコースが約50キロらしいのでフルマラソン以上の長さだ。ふざけるな。
なお、カノンさんだけ別メニューである。他の修行者と戦い、帯を10本奪ってこいと命じられていた。ここは急段の習得に勤しむ猛者ばかり。さしもの僧侶も、一人目から苦戦しているようだ。
「私も今日は顔見せだけで、訓練までする気は無かったんだけどな」
「……だが、この修行。あんがい理に叶っているのかもしれねえ」
黙々と大岩を背負いながら歩を進める俺たち。重りは一人一人で大きさが違い、個人の限界を持たされている。必然に、フィーネちゃんが一番大きく。次に俺で、ヴァンと続く。
だから条件的には同じはずなのだけど、二人の進みはなぜか俺より速い。
ならば技術だろう。体の運用や魔力の扱いが上手いのだ。潰れそうな重みに歯を食いしばりながら、背を追うべく試行錯誤を繰り返す。
「理に叶ってるって、こんな拷問がか?」
「……猛活性への入り口は、条件が曖昧なんだよ」
若竹髪の少年は、自身がぶつかっている壁を正確に把握しているようだ。剛活性は鍛えるほど伸びるが、それこそ罠ではないかと答えた。
「剛活性で人は一応完成する。船旅では猛活性のフィーネより強い上級騎士を何人も見た」
その意見には同意せざるを得ない。俺も剛活性ながらに英雄に劣らぬ強さの老騎士を見たからだ。ヴァンはつまり、猛活性に辿り着くには違う切り口が必要ではないかと考えていて。勇者は間違っていないと剣士を肯定する。
「たぶん、そう。私が壁を越えた時は、魔獣暴走で体力が付きて、マキナを打った後だから霊脈もボロボロだったの」
精も魂も尽き果てた極限の先。それでも立ち上がろうとする意志。それが英雄になるための条件であると。
話を聞いて薄っすら見える猛活性の全貌。恐らくは脳によるリミッター解除の一種なのだろう。そりゃあ出来ない人は、いつまでも到達できないね。
「でもそれってさあ。限界以上に追い込まれるってことじゃね?」
「そう言ってるんだよ。フェヌア教の修行好きはカノンみてりゃ分かるだろ!」
(カカカ。まぁ頑張れ)
絶望的な情報であった。
今日は歩いて帰れるのかなと思っていると、フィーネちゃんが頑張ろうねと明るい声で応援してくれる。流石は勇者、挫けない強い心だね。
◆
「ツ、ツカサくん。無理しなくていいんだよ?」
「よせよフィーネ。俺たちは行けるところまで行くぞ!」
「ハァ……ハァ。そうして、くれ」
俺は半分も進めずに限界が来た。あわや背負う岩に潰されそうになった時、どこで見ていたのやらスヴァルさんがひょいと重りを持ってくれて。体に羽のような軽さを覚えながら、前のめりに地面へ伏せる。
同条件の鍛錬では、基礎の下地の違いが浮き彫りなってしまった。物心付いた時より剣を振っている二人は積み重ねが圧倒的に違う。それは体力だけでなく、精神の強靭さも含まれているのだろう。
「初めてにしては良く持ったほうだよ。自分の限界を知るのも大事な事さ。肝心なのは、そこからどれだけ進めるかだね」
酸欠と疲労で頭が回らない。グワングワンと揺れる視界の中で、けれど手は伸び土を掴んでいた。
今もヴァンやフィーネちゃんは限界に向かって歩いている。辛さを歯を食いしばって耐えている。頭上で何か言っているが、胸に沸くのは悔しいという気持ちばかりで。
「俺は……?」
「こらこら、今日はもう止めておきなさい」
音を上げる肉体を闘気で無理やりに駆動し、再びに岩を担ぎ上げた。
遠ざかる背中を見て、悔しさが自分への怒りに変わったのだ。俺はヴァンに勝ちたいと口にしておきながら、アイツの半分も努力なんていてないじゃないか。
「決めたぞテメェ。日本に帰るまでに絶対にぶっ倒してやる!」
ならば気持ちで負けていられるか。遅れたぶんを駆け足で詰めて、ドヤ顔を披露する。
若竹髪の少年は、そんな俺を雑魚がと笑い。金髪の少女は負けていられないねと目を細める。