ノーブレスオブルージュ~その唇は吐息をしない~   作:雨居神宮

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484 それでは足りない

 

 

 机の上でパタンと本が閉じられる。

 何気なくその動きを目で追えば、次元接続論というタイトルが見えた。もしかしなくても異世界転移の資料。イグニスは最悪に備え、すでにウィッキーさん抜きでも儀式を行えるように動いているようだ。

 

 相変わらずの先読みと行動力。もしや俺本人よりも転移に本気なのではないか。

 恐るべき熱量に茫然としかければ、意識が逸れたことを悟られたらしい。こっちを見ろとばかりに冷たいハスキーボイスが響いた。

 

「なぁツカサ。私と君の仲じゃないか。隠し事は無しでいこうよ」

 

「隠し事ばかりのくせに、どの口で」

 

「あん?」

 

 カンと音を立ててカップが机に置かれる。分かりやすい威嚇行動だ。

 その姿に、俺は小槌を振り回す裁判官の姿を幻視した。いまばかりは魔女が閻魔大王に見える。嘘をついたら舌を抜かれるという意味だが。

 

(……メンゴ!)

  

「ノリが軽いなぁ」

 

 険悪な雰囲気に耐え切れず、元凶となったギャルが片手を上げて謝罪してきた。

 本当に悪いと思っているのか問い詰めたい態度。だけど、詰問されているのはコチラで。赤い瞳が思考を透かそうとでもするように目の奥を覗き込んでいる。

 

「酒が入っている時を狙うのは、まぁいいよ。交渉に有利な状況を作るのは常套手段だものな」

 

 俺は気づかれないように静かに唾を嚥下する。実行前にバレてしまったイグニスお持ち帰り計画だが、一番恐れているのは、これで機嫌を損ねて日本に付いてきて貰えないことだ。なんとか穏便に済ませたいところだった。

 

「ごめん。内緒にしていたのは謝るよ。何処を舐めれば許してくれる?」

 

「まずはその舐めた態度を改めろ」

 

 赤髪の少女の額にビキリと青筋が増える。そんなに怒ると脳の血管切れちゃうぞ。しかし、そんな指摘は神経を逆なでするだけ。俺は口を結び、表情を引き締めて。

 

 やっと話をする姿勢を整えたと判断したか。イグニスは脚を組み替え、意識して寄せていた眉を逆に開いて言う。

 

「私を日本へ連れて行って、どうしたいんだよ?」

 

「それは……」

 

 ここに来て、もはや隠すことではあるまい。

 俺は抱えていた転移への不安を吐露する。霊体のままのジグ。これから魔大陸に挑む勇者一行。大切な人達を残し、一人で平穏に戻ることは出来ないのだと。

 

「……そうか。君がこの世界を好きになってくれたのは嬉しい。でも、相談くらいしてくれても良かったじゃないか」

 

「だって、イグニスが本気で俺の事を考えてくれているって知ってたから」

 

 異世界で出来た最初の友達は、帰れなければずっと一緒に居てあげるとまで言ってくれた。地球やジグの事を知っているのもあるけれど、この子の存在は本当に救いであり。友の中でも格別の好意と信用を寄せていて。だからこそ伝えられないこともある。

 

「馬鹿野郎! こっちがどんな気持ちだったかも知らないくせに。いつか来る別れを恐れていないとでも思うのか!」

 

 自分はそんなに強くないと、力無くうなだれる少女。その姿に、激しい後悔が過った。

 先日部屋に入った時、飲みすぎと思える酒瓶の量に引いたものだが。イグニスは口や態度に出さなかっただけで、しっかり別れを惜しんでいてくれて。

 

 それでも俺を帰すため、今も異世界転移の方法を学んでいた。

 嗚呼、怒るのも当然だ。彼女は泣く泣く物語を打ち切るつもりだったのに、俺が一人で続きを考えていたとは。

 

「帰りたいのは本心なんだよ。でも、こっちの世界に居たいのも本心だ。だからお願い。戻ってくるために力を貸してくれないかな」

 

「……行けないよ。いくら君の頼みでも、それでは足りない。兄が死んだ今、私が家の跡取りだからさ」

 

「あっ……」

 

 分かるね。そう言って赤い瞳は寂しげにこちらを見た。

 イグニスに旅が許されているのは、父のプロクスさんがシャルラさんの後見人を務めているから。帰れるか分からない異世界に行ってしまい、家督を継げませんというのは彼女の信条に反した。

 

 勇者一行の活動とて命の危険はある。しかし、偶発的なものと選択をするのでは本質が違う。俺は貴族の矜持を捨てろと迫ったのに等しいのである。

 

「知識は学んでいるにしろ、魔力の問題も残っている。日本で転移魔法が使えると確定しないなら、すまないが私がウンと首を縦に振ることは無いと思ってくれ」

 

 話はおしまいと、椅子を後ろに引いてゆっくり立ち上がるイグニス。読みかけの本を手に取った彼女は、部屋に戻る途中で一度だけこちらを振り向き言った。

 

「今は、ちゃんと日本へ戻ることだけを考えなさい。絶対に私がなんとかするからさ」

 

「ありがとう」

 

 一人だけになってしまった広い居間。賑やかな思い出が残るだけに、とても寂しく感じる。魔女の背を見送った目が、ふと机に見つけるのは、すっかり冷めてしまった珈琲で。一息に飲み干した俺は、その味を噛みしめながら呟いた。

 

「苦いや」

 

(是非もなし)

 

 珍しく静かにしていたジグルベイン。月のような金の瞳はなにを思うのか。さも愉快気にカカカと喉を鳴らしている。笑う要素は無いだろうと俺はややムッとしながら魔王を睨んだ。しかし怒りは涼やかに流されてしまう。

 

(いや、シエルもぶつくさ文句を言いながら最後まで付いてきてくれたと思うてよ)

 

 良い仲間じゃないかと褒められれば、「そうだね」としか言えなかった。

 一方でアサギリさんはどうしようと頭を抱えて狼狽している。会話の内容が理解出来ないために、自分がイグニスを怒らせたと思っているようだ。

 

(なんか、本当にごめん!)

 

「大丈夫ですよ。むしろ、いい機会だったのかも」

 

 漠然とだが、俺はこうなる未来が分かっていた。

 だからこそ結果を恐れて言い出せず、策まで講じようと思ったのだけど。しかし、そうか。貴族の責務。見えなかったピースはじつに彼女らしいもので、納得と同時に気付かなかったことが恥ずかしい。

 

「はぁー」

 

 まぁ行って戻ってくるなど、そんなに都合の良い話は無いということだろう。

 計画が頓挫し、俺に残るのは帰るか帰らないかの二択。どうしたものかねと、伸ばしていた背をだらりと丸めた。

 

 

「ただいまー。誰か荷物運ぶの手伝ってくれないかしら?」

 

「あいあい」

 

 そのまま居間でぼうっとしていたら、買い出しに行っていたティアが顔を覗かせる。

 いいリフレッシュになったのだろう。いかにも上機嫌な笑顔が眩しいものだ。俺はもうそんなに時間が経ったのかと少し驚きながらも腰を上げて玄関に向かった。

 

「いや、買いすぎでしょ……」

 

「えへへ。市場回っていたら楽しくて、つい。反省はしているのだわ」

 

「馬車にまだあるんだ。文句言わずにドンドン運べや」

 

 ヴァンはそう言って外に逃げ出して行った。まだあるのかと呆れてしまう。

 すでに玄関の入り口を塞ぐ勢いで木箱や樽が積まれているからだ。消耗品や服などもあるようだが、多くは食材らしい。

 

 館の台所を牛耳る雪女だ。せっかくだからと様々な種類に手を出したのだろう。気持ちは分かるのだけど、止めろよ。いや、出来なかったのかな。思えばアイツは動物ストラップを買い占める暴挙もしているし。

 

「まぁいいや。食材ならすぐ使い切っちゃうでしょ」

 

「頑張るわ。あっ、頼まれた香辛料も買ってきたのだけど、あんなに沢山の種類何に使うのかしら?」

 

 食材を一緒に台所に運んでいると、目を輝かせながら、気になりますとばかりに聞いてくるティア。いまはその明るさが少し辛く、ああと答えながらも目を伏せる。

 

 カレーは日本の家庭の味。みんなに、イグニスに食べて貰いたいと思ったのだけど、もう特に意味も無いのかな。

 

「……なんか、元気ないわね」

 

「実はフラれたばかりなんだ」

 

 笑い話として先ほどの出来事を話した。するとピシャンと頬を打つ手のひら。

 痺れのなかに熱さと痛さを感じていると、白藍の髪をした少女は、グイと顔を近づけて言う。それをあの子に言ったのかと。

 

「えっ?」

 

「立場の話よ。貴方はあの子の気持ちも考えず、ただ扉代わりに連れて行こうとしたの。最低だわ!」

 

 イグニス・エルツィオーネを舐めるなと吠える雪女。ライバル関係にある彼女が、それは侮辱だと。魔女の名誉のために顔を真っ赤にして憤る。

 

 

 

 

 

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