ノーブレスオブルージュ~その唇は吐息をしない~   作:雨居神宮

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486 閑話 魔女VS勇者

 

 

「ケヒヒヒ」

 

 食事を終えて部屋に戻った途端のこと。抑えていた笑いが声になって漏れ出てしまう。いけないと思い、唇をきつく結ぶのだけど、どうにも頬は勝手に吊り上がる。

 

 嗚呼、白状しよう。私は小躍りしたいほどに喜んでいた。感情を発散するべく寝台に飛び込み、淑女的無音寝返り回転だ。もちろん枕に顔を押し付けて、声が漏れないようにするのも忘れない。

 

「遠慮する理由が消えたか。これでツカサが手に入るなぁ」

 

 ずっと惜しいと思っていた。なにせ彼は私が育てたのである。

 冒険者ギルドに放り込み、人と交流を図らせた。貴族と対面出来る程度に身なりを整えさえ、教養も与えた。

 

 いまや理想的な距離感に持ち込み、相棒としては申し分ない男に成長したと言えるだろう。ツカサ・サガミ育成計画は順調なのだ。

 

「しかし、唾は付けたものの。食べるわけには行かなかった」 

 

 彼は異世界の人間。いずれ私の手から離れていってしまう存在なのだった。

 引き留めることは簡単だろう。けれど笑顔を失われては意味が無い。隣に立たせる飾りならば、外見の良い男など他にいくらでも居る。ツカサにはツカサらしく居て欲しくて。

 

 だから、勇者一行としての旅が終わった時。冒険の思い出は胸にそっと仕舞い。エルツィオーネ家の跡取りとしてまだ見ぬ夫と結婚しよう。そう覚悟していた。

 

「フフフっ!」

 

 再び頬が緩む。

 ツカサは言った。確かに言ったのだ。故郷に帰っても、またこの世界に戻ってきたいと。

 なんだよ水臭いな。もっと早く教えてくれればいいのに。それなら私も動き方を変えようじゃないか。

 

「もう面倒な見合いは要らないな。ごめんよアト姉、一足早く旦那を捕まえてしまいそうだ」 

 

「……イグニス、居る?」

 

 今後の人生計画に大幅な修正を加えていると遠慮しがちに扉が叩かれた。声の主はフィーネ。なんの用事だと身を起こして考えるが、多すぎて絞り切れない。直接聞いた方が早いなと部屋に招き入れる。

 

「口は大丈夫かい?」

 

「うるしゃいな。そっちも髪ボサボサだよ」

 

「む」 

 

 言われて手櫛でささっと髪を整えた。激辛料理で唇を腫らした金髪の少女は、その間も行儀よく立ち尽くしている。私はどうぞと椅子を引き、ついでに作り貯めしていた試用品を机の上に置く。

 

「使いなさい。彼は思いつきで動くんだから、馬鹿正直に付き合う必要はないんだぞ」

 

「だってぇ、私のために特別に作ったなんて言われたら残せないよぉ」

 

 カレー。多様な香辛料を一つに纏めあげた黄金色の料理の完成度は素晴らしいものだった。あれだけで彼の世界の食文化がいかに進んでいるか想像が出来よう。

 

 しかし、この金髪の少女の皿だけは赤かった。炎を煮詰め凝縮したような灼熱の色だった。およそ人が口にしていいものには見えなかったのだけど、勇者は恐れるどころか完食している。凄いね。

 

 思考が飛んでいると、これはと小瓶を振りながら首を傾げるフィーネ。私とて休暇をただ遊び過ごしていたわけではない。ニンマリとほくそ笑みながら、回復薬だよと告げた。

 

「ただし、かなり薄めた3等品さ。切り傷くらいは塞ぐけど、重症は無理かな」

 

「ああ、使える回数を増やしたんだ。なるほど、出血を止める応急手当が出来るだけでもかなり違うね」

 

 意図を察してさっそく唇に塗るフィーネ。すぐさまに腫れは引き、私は効果に満足をする。そう。敢えて薄めることで使用回数を伸ばし、戦線の継続力向上を目指したのだ。これなら日に5回を目安に使えるだろう。

 

「でも、いつからこんな物を……」

 

「モアが国に侵入したかもと聞いてすぐだよ。使わなかったら、それでいいと思ってね」

 

 目を瞑れば、あの日のツカサの惨状は容易に蘇る。もはや人の原型を留めておらず、まるで踏みつぶされたカエルのように、ぐちゃぐちゃだった。

 

 あれは交代という裏技で死期を後伸ばしにしただけの新鮮な死体。同じ悲劇を繰り返してはならぬと思うが、彼は戦いになればまた無茶をする。ならば私は、備えるくらいしか出来ないじゃないか。

 

「やっぱりイグニスも、このまま戦いになると思う?」 

 

「なる。しかも今度は耐久戦だ。私たちは日食の日まで多くの物を守り通さなければならないぞ」

 

 フィーネは静かに頷く。

 幸い仕事に行っていたウィッキーは無事に帰ってきた。どうにも聖職者が悪魔憑きとは疑われなかったらしい。命拾いしたくせに、警備に穴があるのではと複雑な声色だった。自殺願望でもあるのだろうか。あるのかもしれない。

 

「要になるのは悪魔憑きの規模だな。ランデレシアでも一匹の上級悪魔が千人単位の被害を出した。同時期のことだと考えると、時間があったぶんだけ恐ろしいよ」

 

 大聖堂の警備にはスヴァル司教も加わったそうだ。暫くは要所を固めていくのだろうが、本体を叩くまで長い戦いになるだろう。

 

「そうだね。騎士団の話だと、モアも動き始めている。積極的に争う理由が無いとはいえ、警戒はしないとだし」

 

 ふむ、と今度は私が顎を擦った。モアは全身を黒く染め、闇夜に便乗して町を徘徊しているそうだった。奴も目的がハッキリしているわりに行動が読めないなと思うが。

 

 真に読めないのはフィーネだ。こんな話をしに来たのだろうかと探りの視線を入れる。敏い彼女はそれだけで、顎を引いて表情を引き締めた。

 

「やっぱりイグニスには分かるよね。うん。ツカサくんの話」

 

「……聞くよ」

 

 食事のあとなので消化に良い薬草茶を淹れる。金髪の少女はカップに口をつけ、実に嫌そうな顔をしながら不味いと言った。失礼な。

 

「ツカサくんは、イグニスにも帰ってきたいって思いを伝えたんだってね」

 

「知ってたのか」

 

「前に、ただいまを言わせてって」

 

 両親に、そして私たちに。彼らしい話だと思いながら聞いていたら、次にフィーネはとんでもないこ発言をする。不覚にも噴き出しそうになった。

 

「でも現実味がない。私はいっそ、閉じ込めて返したくないとまで考えました」

 

「意外と過激な思考なんだな」

 

 口を開いて呆れていると。それでも、イグニスが一緒ならば帰って来れるのではないか。それが一番丸く収まるだろう。なんてツカサが出した結論と似たような事を言う。私は確実ではない、こちらにも立場があると断ったものだが。

 

「嘘は分かるの。イグニスは行く気満々で、条件を引き上げるために断った。例えば、婚約でも結べば満足だったかな」

 

 させるかとばかり敢えての笑顔を見せる女に、ピクリと片眉が動く。

 

「勇命を使います。勇者フィーネの名において命ず、ツカサ・サガミを連れて日本から帰還せよ。上位者からの命令ならば、立場的には十分だよね」

 

「ぐぬぬ。承り、ました……」

 

 これを断れば、如何な名目があれツカサに付いていく時点で義に反する。

 確かに勇者の命令で異世界に行ったならば、筋は通るのだろうがだ。私の幸せ結婚予定は水の泡。喧嘩を売っていやがるのか。

 

「おいおいフィーネ。ずいぶんツカサに執心だなぁ。人の男にちょっかい出そうってのか、あん?」

 

「まだイグニスの男じゃないよね。付き合いは長いかも知れないけど、本当に女として意識されてるの。私には隣で死ぬって言ってくれたよ」

 

 譲らぬ言葉、譲れぬ視線。ならばこれは男を賭けた女の闘い。机越しに向き合う私たちは、一拍の間に手を伸ばして魔法陣を展開しあう。

 

 最終通告として、「本気なんだな?」と問えば、迷うことなく応と即答する声。

 好きになっていたんだからしょうがない。なんて感情剥き出しの言葉は、けれど真っ直ぐだから胸に刺さった。

 

 思えばフィーネは、今もツカサのために私と向かい合っている。ならば私は、心から彼を愛していると言えるのだろうか。間違いなく優良物件ではある。ただ、理屈で捉えるだけに。そう育てられたゆえに、断言が出来ない。

 

「……止めだ。殺し合いは不毛すぎる」

 

「じゃあ、ツカサくん譲ってくれるの?」

 

「そんなキラキラした目をしてもやらんわ!」

 

 だから、勝負の方法を変えようと机にグラスを置く。言わずもがな飲み比べだ。

 私の酒の強さは知っているだろう。それでも、引かぬかと挑発笑みを浮かべれば。勇者は恐れることなく杯を取った。

 

「じゃあ肴はツカサの話にでもしようか。好きなところも駄目なところも、話題は一杯あるし」

 

「いいね。私もツカサくんのことなら一晩中語れる自信があるよ!」

 

「それは頼もしい。まぁ、起きていられたら、だが」

 

 間が良く、今日スティーリアが買ってきてくれた酒樽があった。

 フィーネは碧色の瞳を見開きながら、震えた声で中身を聞いてくる。葡萄の蒸留酒。当然、火の付く濃さだ。

 

「君は樽なん杯飲める?」 

 

「……これは、死んだか」

 

 彼女は勇敢に戦った、とだけ言っておこう。

 

 

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