ノーブレスオブルージュ~その唇は吐息をしない~ 作:雨居神宮
「本当にそれでいいのかい?」
俺がイグニスへ指輪を贈るのを見ると、宝石商のオジサンは不思議そうに言った。流石に本職、彼女が指に填めた宝石の色に疑問を覚えたらしい。
婚約指輪というのは、まぁ予約済みの証明のようなもの。こちらの世界では自分の属性を、しいては髪色を相手に身に着けて貰うのが一般的である。
俺ならば黒になるのだろうか。魔女の指に自分の色が付くというのは、どことなく独占欲が満たされるような心地になるけれど。イグニスにはそのままで居て欲しい。これは相棒としてのエゴに似た気持ちなのだ。
「ん。ツカサが私に似合うと選んでくれたんだ。文句はないよ。それに、こっちはとっくに首輪を嵌めているし」
(やはりか)
「へ?」
なんのこっちゃと思ったが、魔女は伸ばしていた手でそのまま俺の首元を指差す。
そこにあるのはエルツィオーネ家の紋章が入ったルビーの指輪。つまりイグニスの赤である。
「あれ、嘘。コレそういう意味なの!?」
いつ貰ったかすら思い出せないけれど、社交界などでも女性がまったく寄ってこない理由が判明した。開いた口が塞がらない。こんなの呪いの装備だよ。
「ちなみにだけど。ランデレシアでは浮気をするとどうなるか知っているかな」
「……いえ」
「お前を殺して相手も殺す」
「「ひぃえぇぇ!」」
気を付けようなと笑顔で言うイグニス。その迫力には俺どころかオジサンまでもが震え上がっていた。浮気するほうが悪いにもしても、少しばかり発想が戦闘民族すぎやしないかい。
赤髪の少女は鼻歌混じりでご機嫌に宝石の鑑定を続けた。こちらの照れ臭さは吹き飛び、とんでもない怪物を選んだのかもと慄いてしまう。
(なにをいまさら。行く先々で放火をしている女だぞ)
「ぬ、ぬぅ。良いところもあるんです。本当なんです」
思い返せば、もう何度騙されたかも分からない。人前では完璧なように振る舞う少女であるが、共に生活をしていると不満も欠点もいっぱいあって。それでも一緒に居たいと思うのだから不思議なものだ。これが恋ならばいいのだけどね。
「えーっと。全部でいくらですか?」
「なんか目出度い話をしてたし、切りよく金貨100枚でいいや」
「やった。ありがとうございます」
払うのは500万の大金であるが、買い物の内容としては随分と負けてくれていた。この枚数になると数えるのも手間なので、支払いは天秤にかける。
山盛りの通貨がピタリと釣り合うと、オジサンはうんと頷き。やや同情した顔つきでお幸せにと神に祈ってくれて。
「それだー!」
大声で叫ぶイグニスに宝石商はびくりと肩を震わせる。気になったのはお祈りのようだ。
ここは聖国。珍しいものではないだろうと思えば、だからこそ、なのだと言う。
「宗教っていうのは信用にもなるんだよ。同じ教義を学ぶのは、同じ尺度を持つのに等しいからな。もしかして、この国だと商人に信徒は多いんじゃないか?」
「あ、ああ。俺も他国の人間だから。少し不純だが、取引相手としての信用を得るために信仰してるくちだよ」
「へぇ」
フェヌアの道場に乗り込むときにカノンさんは言ったものだ。言葉は通じずとも、同じ神を信仰しているから分かりあえると。結果はその通りになり、俺は信仰は国境を超えるのだなと思った。
教義とは、ざっくり言えば善悪の基準。国が変われば法も常識も違うわけだが、宗教という同一の価値観により手を取り合えるのである。
だが、なんで今と考えて、俺は恐ろしさに周囲を見渡してしまった。歩く人、馬車に乗る人、商売をする人。その全てが疑わしく見えるようだ。
(ううむ。確かに盲点よな。ただの信者は、聖職者ではないか)
悪魔憑きの共通事項。それはズバリ信仰心なのだろう。
聖職者は神から御霊分けを受けて、神聖術を扱える者を指す。けれどだ、入信だけならば実は誰でも出来る。むしろ比率で言えばそんな一般人の方が圧倒的に多いのだった。
「でも、それは」
「事実を見なさい。年齢や職業もバラバラな人間が一か所に、更に定期的に集まる場所は少ない」
人が集まるだけならば、市場でも公園でも候補はいくらでもある。だから俺たちは共通点を絞り込めなかったわけだが。
その点、礼拝はどうか。三教でも週に一度の休息日にお祈りをする文化があり。厚い信仰心を持つ者ほど、真面目に通い詰めるはずだった。悪魔にすれば、大勢が集まり、また週末にやってくる絶好の餌場となりえてしまうのだ。
赤い瞳と視線が重なり、頷き合う。さきほど大量の悪魔憑きを見たばかり。疑惑があるならば確認をしなければ。
「すみません、この近くにマーレ教の教会はありませんか?」
「おっ早速教会に行くのかい。うふふ、若いっていいね」
「やかましいわ。あと、念のために神聖術を受けた方がいいぞ!」
店主に卑猥な視線を送られて、魔女がキレながらも助言を送る。領主一族の教育か、イグニスは心底に民は守るものという価値感が根付いていて。
だから今回の事件はそうとう頭に来ているようだ。馬車に乗り込むや「飛ばせ」と低い声で指示がある。合点承知でい。
◆
「オラオラオラァ!」
「口だけじゃないか!」
荷台からペシリと頭を叩かれる。
しょうがないのだ。平日の真昼間だけに、市場も大通りもそれなりに混雑をしていた。飛ばしても事故のもとになるだけなので、せめて気分だけでも急いでみたんだよ。
幸いに、教えて貰った教会は近かった。
町外れの高台にそびえる青い屋根の建造物は、とても趣があり、素敵な場所だなと思った。
手入れの行き届いた緑の芝生、木陰の出来る小さな林。下には海と港を一望出来て。鐘楼の鐘が揺れれば、音さえ心を清めることだろう。
そんな爽やかな雰囲気を持つだけに、邪な気配は微塵も感じない。だからこそ騙されるのか。
「くそっ。予感は当たっちゃったみたいだ」
(外から分かるのか?)
「分かるよ」
駝鳥のリードを木に結んでいれば、来訪を窓からでも見たようだ。青の衣を纏った女性が出迎えに現れた。にっこりと微笑みながら、静かに扉の前に佇んでいて。俺たちが教会に近づくや、そよ風のように優しい声がかけられる。
「ごめんなさNE。今日は急用ででで。もう閉めるのよ」
「ハッ。急がせてしまったようだね。ゆっくりしていてくれて良かったのに」
魔女は、そんなシスターの態度を鼻で笑い。開いた魔法陣へ、問答無用に拳を叩きつけた。指向性を持った爆発が女性ごと扉を吹き飛ばす。
入口からは、かき混ぜられた空気が漏れ出すのだけど、ムワリと血と臓物の生臭さが乗り胃から吐き気が昇ってくるようだ。
「うぐっ。庭も臭かったけど、これはキツイな」
相手は市場の一件ですでに異常を把握していたか。俺たちが到着したのは、逃げ出す寸前のことだったらしい。間に合ったという思いと、遅れたという後悔が同居する。
聖母マーレの像と大きく日を取り入れる色ガラス。真摯に祈れば天使さえ降りてきそうな神聖な空間が血で汚されていた。教会の中は屍の山。もう用済みということか、幼い子供たち含めて無残にも肉塊へと果てていて。
「HUHぅうUUU。見て、首をね、残したの。恐怖、苦痛、絶望。みんなの最後の表情はどうかしRA!?」
見れば長椅子にはご丁寧に生首が並べられていた。その表情、今にも断末魔の合唱が聞こえてきそうである。神を騙り、信仰を踏みにじる。まさに悪魔の所業だった。
不愉快な高笑いが耳につき、嘆きや悲しみを覚える前に激しい怒りが訪れる。自然と奥歯を噛み締め、虚無より黒剣を抜き放つ。
「テメェは祈っても許してもらえると思うな」
前面が焼け焦げ、すでに死に体の女は。けれど操り人形のように、間接を不自然な方向に曲げながら立ち上がり。内よりボコボコと溢れる黒い魔力が、体躯を異形へと作り変えていった。