ノーブレスオブルージュ~その唇は吐息をしない~ 作:雨居神宮
崩れかけの地下室から脱出してみれば、表はもう日暮れの時間。空は夕陽に照らされて、赤と青の交じり合う幻想的な色に染まっていた。
俺は天を仰ぎながら、ああと溜息を溢す。美しさからではない。幕引きへの悲しさからだ。紫は大いなる闇の先兵。日が落ちると同時、あっという間に濃くなり世界を黒で包んでしまう。姿を隠すには、これ以上ない隠れ蓑となるだろう。
「マズイな、もうこんな時間か……」
「そうだね。闇に紛れて逃げられたら厄介だな」
考えることは同じか、肩を貸すイグニスからも同意の声が聞こえる。
現実的に考えるならば、日が落ちきるまでの短い時間が聖遺物を取り戻すラストチャンスなのだった。
俺も加勢したいという気持ちはありつつ、目の前で繰り広げられる戦闘のレベルに二の足を踏んでしまう。
「フフッ流石に三教の司教たちが揃うと壮観だな。こんな機会も少ないだろう。せっかくだ、初代勇者一行の実力を堪能させて貰おうか」
崩壊した礼拝堂を、我が物で歩く銀の甲冑。モアは手に黒の大剣を携えて、聖遺物はここだとばかりにバイザーを持ち上げ髑髏を晒した。
相対するは三名の司教。青、緑、白と己の神を表す色を纏い、臆することなく魔王軍幹部へと立ち向かう。
モアの言い分を聞いて、俺は上手いことを言うものだと思った。
聖職者とは名ばかりに彼らの本質は勇者一行。来るべき脅威に備え、平和を説きながら研鑽を続ける者たちだ。
その真価は、三教が肩を並べることで発揮されるのである。
前衛、魔法使い、後方支援。元が一つのチームだったからこそ生まれる親和性に、魔王を戦場に放り込むのも躊躇ってしまう。
「やれやれ、最後に大仕事が回ってきたみたいだね」
「すまないねスヴァルくん。こちらも随分と忙しそうだったようじゃないか」
「まぁ三大天と比べりゃ肩慣らし程度さ」
人が心配と礼拝堂に残ったスヴァルさんであるが、その予想は当たったようだ。
俺たちが地下で揉めている間にも、大聖堂には悪魔憑きが襲ってきていたらしい。その傷跡は室内に残り、内装の破損が戦闘の激しさを伝えてくる。
もっとも現在進行形で壊れているのだが、それは彼女がモアの動きに対応している証拠でもあるのだろう。
「ほう、素手で良く捌く。素晴らしい力量だな」
敵さえ褒める、大女の器用な立ち回り。俺の中では剛のイメージが強いフェヌア教であるが、スヴァルさんの動きを表現するのであれば、まさしく柔という言葉であった。
ゴウと振られる大剣、音も相まってその迫力は雷が如し。しかし臆さず進むスヴァルさんは、剣筋を見切り、なんとも軽やかにいなして見せる。
アイツに無手で肉薄をするなんて神業だ。俺の攻撃は片手で捌ききったモアであるが、間合いは更に潰れ、大剣の取り回しが完全に追いついていない。傍から見れば、勢いはスヴァルさんにあるように見えた。
「惜しむらくは狂気が足りないな。極限状態での殺し合いを経験したことがないだろう?」
「こちとら聖職者だっつうの!」
コッと独特の呼吸音が聞こえる。確か、フェヌア流、
練り上げた魔力を打撃と共に開放し、威力を倍増させるのだと、覚えたての僧侶が語っていたか。つまりは渾身の一撃。伸びる拳が、喉元捉えたと、聖遺物の収まる兜を狙い。
「ならば、それがお前の限界だ」
スヴァルさんが叩いたのは、小楯であった。ビリビリと激しい衝撃波が駆け抜けるも、モアは左腕一本で堪えてみせて。右手に握るは黒の片手剣。近間でも十分扱える凶器でないか。
達人同士の応酬ともなれば、当然に高度な情報の読みあいが挟まる。奴は武器の形状が自由な事を隠し、大剣の間合いと攻撃タイミングを敢えて植え付けていたようだ。
「しまっ……」
「キエー!」
一瞬とはいえ致命になりかねない隙。だが、それを補うのがチーム戦の肝だろう。聖女のお婆ちゃんは、もはや奇声を上げて聖域を展開し、モアの刃から大女を救いだす。
そこに便乗するのがウィッキーさんだ。仲間を巻き込まない状況と判断するや、間髪入れずに魔法で援護をした。
「くっ、これが邪魔だな。なんだ、その魔法陣は。見たことも無い術式だ」
「我が遊星歯車式はお気に召したかね?」
風の弾丸をモアは小楯で防ぐも、混じる氷の礫が鎧の隙間を凍らせ埋める。ほんの僅かに鈍る動きを、フェヌア教の司教が見逃すはずもなく。胴に深々刺さる回し蹴り。地下の戦いから含め、やっと一撃をお見舞い出来た瞬間だった。
「すげえ!」
「驚いたな。まるで芸術だ。ウィッキーめ、あの技術は魔法を10年は進めているぞ」
地上に出た仮面の男は、場が開けたことでようやく本領を発揮していた。
彼が背に展開する魔法陣の、なんて特異な外見か。一つの大きな円の中に複数の円を内包するそれは、機械仕掛けの歯車のようにガラガラと回転し、自在に紋様を変えているのだ。
イグニスの読みでは膨大なパターンを組み合わせ、属性はもとより、形状から範囲、威力まで、瞬時に切り替える離れ業を行っているらしい。
「しかし妙だな。モアの奴、あんなに好戦的だったか?」
「……いや。そういえば変だ」
司教たちの奮闘を陰ながら応援していると、ポツリと魔女が呟いた。
左手に盾、右手に剣を持ち、一人で大暴れをする全身甲冑。確かに彼は、進んで暴力を振るうような人間性では無い。
怪我は負わされたが、俺が生きているのが何よりの証拠だろう。なんなら地上に出た瞬間に、逃げの一手を打っていてもおかしくはなかった。
その矛盾が、脳裏に嫌な考えを浮かばせる。これは善戦なのか。遊ばれているだけではないのかと。
「そう。モアの目的は最初から悪魔だった。奴はいま、聖遺物を奪ったことを見せつけているだけなんじゃ……」
「やっべ、悪魔のこと完全に忘れてたわ」
「嘘だろ?」
赤い目にジトリと見られて、そっと顔を逸らす。モアの印象が強すぎて霞んでいたけれど、そうだ。当初は、悪魔の陰謀を阻止するために動いていたのである。
聖女候補にニセの天啓を下し、地下室の鍵を開けさせた。そこまでは敵の計画通りに進んだものの、聖遺物の行方はご覧の通り。では肝心の悪魔は何処に行ったのか。
俺たちと同じだ。競合に予想だにしない大物が現れたせいで、動くに動けないでいるのだろう。
「……ツカサ、探せ! 近くに居るはずだ!」
「了解、ジグも手伝って!」
(ん。お、おう……何を?)
まさかのポンコツになっていた魔王様。この鉄火場でも交代をせがまないと思いきや、ろくに話も聞いていないほど沈思黙考に耽っていたようだ。
まぁ気持ちは分かる。俺も日本製のドクロに思うことはあるけれど、そんなことは取り戻してからの話であり。
焦燥感に駆られながら周囲を見渡した。いくら司教たちでも三大天を抑えながら、悪魔を警戒する余裕なんてあるはずがない。
どこだ。どこだ。どこだ。さながら炸裂する寸前の時限爆弾でも探す気持ちで、敷地へ目を走らせる。
「はっ、見つ……けた!」
切っ掛けは差し込んだ西日であった。地面に落ちる大聖堂の影。尖塔の描く三角に、人型の影法師が乗っていたのだ。上か。顔を持ち上げ、その姿に固まってしまう。
背に黒い翼をはためかせ、風にサラサラと流れる白銀の髪。こちらを見下ろす、月のような黄金の瞳は、夜を思わせる冷たい視線。相手はジグルベインの容姿そのものだったのである。
(儂のコピーじゃな。ドゥオルオめ、本当に気持ち悪い発想をするのう)
「あ、ああ。てっきりお姉くん以外にも兄妹がいたのかと」
(いたとしても死んどるわ)
エルフの長老の話では、【深淵】の魔王の能力は天使の生成。ならばあれはジグをモデルに生み出し、悪魔を入れてお人形ごっこしているという訳か。気持ち悪すぎて、ゾワゾワと鳥肌が立つのを感じた。
けれど、見つけたはいいが屋根の上では遠すぎる。
どうしたものかと考えていれば、ニセベインはスッと片腕を上げ。その手の先には、見る見るうちに、暗黒の球体が出来上がっていくではないか。
「み、みんな、上だー!」
薄々と予感はあったか、俺の叫び声によりピタリと止まるモアとの戦闘。皆は荒れ狂う空を見上げながら、苦い顔をした。そりゃそうだろう。漁夫の利を狙い、わざわざ疲労の溜まる頃合いに、極大の一撃が放たれたのであった。