ノーブレスオブルージュ~その唇は吐息をしない~ 作:雨居神宮
「嗚呼――」
深い慟哭があった。
ウィッキー・ググールは悪魔である。今でこそ聖人の道を行く彼だが。昔は人に寄生する悪魔として、例に漏れずに、業を背負っていて。
しかし、遡ること20年前。まだ名も無き悪魔は、一人の聖職者と出会いを果たす。
男は魔石症という不治の病に侵されており。死期を悟った彼は、なんと信仰を捨ててまで、悪魔に身体を譲ったのだという。
「そうだ、許せぬ。とても許せることではない。私が悪魔として裁かれるのならば構わないとも。しかし、この身に背信という不名誉を与えることだけは、断じてあってはならない事だ!」
まるで己を焚きつけているような心境の吐露だった。
勇者一行は茶化すことなく静かに聞き入り。居間には彼の声と、暖炉でパチパチと薪が燃える音だけが響く。
「私がセージに貰ったのは、赦しだ。生まれて初めて、他者に存在を認めてもらえたから人に成れた。この大恩を仇で返すことが、どうして出来よう」
人を騙し寄生することで生き長らえてきた悪魔にとって、聖職者の施しは前代未聞の衝撃であったそうだ。だからこそ、体を譲り受けた者として、奪う側から与える側になりたかったと。
故に歩み始めた聖人への道。ダングス教徒であった男のように、清く正しく勤勉に生きた。彼の名誉だけは穢されてなるものかと、ウィッキーさんは涙ながらに激しく憤る。
(へいへいへい。よく分かんねーけど、ウィッキーを泣かすってんならウチが相手だぜ!)
すると、ウィッキーさんの胸倉を掴む魔女を威嚇するように、ギャル幽霊が割り込んできた。虐めるなとシャドウボクシングの真似事をして、戦う姿勢を見せるのだ。
イグニスは苦笑いしながら「ごめんよ」と手を放すのだが、その姿に言葉を失う男性。袖口で涙を雑に拭い、果たすべき義務を見つけたかのように、瞳へと炎を宿した。
「そうか。そうだね美咲。全てを失った私にも、まだ成すべき事はあるようだ」
(あれ? ウチの早とちりだった?)
「ううん……その気持ちが嬉しかったんだと思うよ」
アサギリさんでさえ、大切な人のために戦おうとするんだもの。そりゃ負けていられないと奮起もするだろう。
或いは、これがイグニスの望んだ着地点か。
思えばウィッキーさんが身の潔白を証明するには、もはや弁では立ち行かない。身分を偽り教会に侵入していた悪魔の言うことを、誰も信用しないからだ。
ならば戦うしかない。自身で悪魔を打ち倒し、行動をもって関係性を否定するしか無いのである。
「ま、待って欲しい。少し話が急展開すぎて、頭の整理が追い付かないぞ……」
魔女の発破により立ち上がる意思を見せる悪魔だが、ドンドンと進む話に聖騎士が待ったを掛ける。特にマルルさんはダングス教徒。その感情は、俺たちの誰よりも複雑であろう。
この場に居る人間が期待をしていたのは聖国の内情的な話だった。聖遺物奪還のためとはいえ、勇者一行まで抑えようとする急な方針転換の理由を枢機卿に求めていたのだ。
「蓋を開けてみれば、まさかその枢機卿が悪魔だったなんて。言葉も無いのだわ」
「敵がウィッキーさんを助けに来た理由も謎だよね。そんな事をされたら、誤解が深まるだけだよ……」
(カカカ。であるよな。悪い女がいたものよ)
ウィッキーさんの事情を知る勇者は、城の襲撃に焦点を当てて考えているようだった。
昨晩の出来事という事で、夜に不在だった俺へ、碧の瞳がチラリと向く。
顔に不信と書いてあるような表情なのだけど、同じだけの圧をイグニスに向けられ、フィーネちゃんはムググと悔しそうに言葉を飲んでいる。ふー危ない。
「その件はまったく身に覚えが無い。城で気絶させられ、気付けばこの家の厩舎に居たのだ。我が師、ダングスに誓うよ」
「貴方ほどの実力者であれば、悪魔から逃げ出す事も可能なのでしょう。心眼を持つ勇者が居る以上、内偵を疑うつもりはありませんが」
浅葱色の髪をしたお姉さんは、暖炉の前に居るウィッキーさんの元へとやってくる。訊ねたい事はただ一つ。汝はまだダングスを師と仰ぐのかと。
宗教上の繊細な問題だ。俺は黙って成り行きを見守ることしか出来なかった。
悪魔とて、そこを責められる覚悟はあったのだろう。なにせ如何に聖人として振舞おうと、司教という立場を偽っていたことだけは、けして否定出来ない彼の罪なのだ。
「答えよう、マルル司祭。我は悪魔に生まれし不浄の身。しかし聖職者として神聖を宿すことはあり得ずとも、魂朽ちる時まで教えを胸に抱き続ける所存」
ウィッキーさんは椅子から立ち上がるや、聖騎士の前に跪き、腕で十字を作る。
ダングス教の祈りだ。それは彼が聖職者として過ごした年月を表すように、清廉され美しい所作であった。
気に食わないのであれば首を刎ねろ。そう言わんばかりの堂々とした態度。自身の犯した罪はいつでも受け入れるという気概が見えるようである。
「ふぅ。同志よ、確かに司教を騙り、身分を偽り続けた罪は重いのでしょう。けれど私は思うのです。信仰とは国境を越え、言葉や人種の壁さえ超えて繋がるもの。何より、貴方は立派な人だった」
ならば種族さえ跨ぎ、教えが伝わる。それは素晴らしいことではないかと、マルルさんは悪魔の肩に、己の白いマントをそっと載せた。
「そうね。信仰は、神聖術が使えるかどうかじゃ、ないわよね」
聖騎士の出した答えにウンウンと頷く、青髪ポニテのお姉さん。彼女も聖職者として言いたい事はあったのだろうが、同じ宗派の者へと譲ったようだ。
改めてダングス教の一員と認められ、再びに悪魔の涙腺は緩みそうになるが。今度はオリハルコンさえかみ砕きそうだった口元も、どこか緩み、いまにも吊り上がりそうである。
「だからこそ、復讐なんて馬鹿げたことはお止めください。そんな事をしても、もうダングス教に貴方の居場所は無いのです」
「それは……」
喜びに浸るウィッキーさんに、冷や水を掛けるように事実が告げられた。
悪魔の討伐は、聖遺物を取り戻そうとする聖国の動きと真正面からぶつかる。なにより、悪魔を倒したところで、晴れるのはマッチポンプの疑惑のみ。帰る場所は何処にも無いと。
「いや。アンタは剣を取り、戦うべきだ」
一方で「違う」とペシリと膝を打つ音がする。マルルさんの言葉を真正面から否定するのは若竹髪の少年。悪魔の抱く、仄暗い感情を、無意味では無いと弁護するのだ。
俺はヴァンが語る姿を珍しいなと思って目線を向けるのだけど、どうやら奴の騎士道という琴線に触れた話題だったらしい。三白眼の男は目つきをギラギラさせながら、普段より饒舌に言う。
「人には戦う権利がある。例え、それが負け戦であろうと、戦わないと行けない時がある。名誉を傷つけられた時だ。尊厳を踏みにじられた時だ。誰にとって無意味だろうと、テメェだけが信じるもんを、誇りっつうんだろうよ」
「そうだそうだー!」
「はいはい、リュカちゃんはちょっと静かにね」
悪ノリする狼少女は、ティアに諫められて静かになる。いつの間にやら餌付けされているようだね。
けれど、ヴァンの理屈には俺も戦士として刺さるものがあった。美徳を神に委ねるではなく、己の自己愛に注ぐ。あるいはこれも信仰の形なのだろうか。
「すまない、マルル司祭。自分でも愚かだと分かっているのだ。それでも私は、彼の為に。いや、自分の意思で、戦わねばと思っている」
「……そうですか」
ウィッキーさんは立ち上がり、「ありがとう」と言ってマルルさんの腕へマントを戻した。その時の彼女の、なんとも悲しそうな顔。まるで正しき道を示せぬ己を恥じるような表情である。
「でも、困ったね。悪魔の居場所を掴むのに、もう少し時間が欲しかったんだけど」
勇者もわりと脳筋の気があるので、名誉の戦いならばとアッサリと彼の事情を呑み込んだ。むしろ彼女が悩むのは匿う場所のほう。とうに滞在が知れられたこの館では、聖国の調査が入るのも時間の問題なのだ。
「確かにそうだね。でも他にウィッキーさんを匿ってくれるような場所なんて……」
あるかなと首を捻っていれば、カノンさんが神妙な顔つきでアソコならばと言う。
発言者が筋肉教の信徒なので、皆が答えに気づき、正気かとばかりに緑の胴着の女性へと視線を集めた。
「ええ。フェヌア練気神座なら誰も来ないっしょ!」
「まぁ行きたくないもんな」
魔女の呟きが全てなのだろう。これは妙案だと皆で僧侶を誉める。「本気かね!?」とか「嫌だー!」という叫び声が聞こえたような気もした。