ノーブレスオブルージュ~その唇は吐息をしない~   作:雨居神宮

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517 咎人の願い

 

 

 一人の聖騎士が、血塗れになりながらも床を這い、扉の前に現れる。

 己の回復よりも、敵の接近を知らせるためだけに命を燃やし、教皇へ逃げろと必死に叫んだ。

 

 だが、それが断末魔。次の瞬間には彼の頭に足が降り。さながら割れたスイカのようになって息絶えてしまう。突然の出来事に俺は血が凍るような緊張感を覚えた。

 

 廊下より鼻歌交じりに現れるのは上機嫌な女性。これから舞踏会にでも出席するかのような、華美な黒いドレスを身に纏った姿だった。

 

 あまりに場違い。けれどここが王城であることを鑑みれば、正装ではない俺たちの方が不作法なのだろうか。どうでもいいな。

 

「カッカカー。おや、もう逃げるのは終わりでごじゃるか?」

 

 ソイツは足元を返り血で汚すが、気にする素振りも見せずに高笑った。よほどに逃げ惑う獲物を追い詰めるのが楽しいようだ。瞳に悪意を蓄え、唇は愉悦によって邪に歪む。

 

 ジグはそんな下種な表情しねえよ。中身が違うと表情とはかくも違うらしい。かつてないほど下品な顔を見て、奴は別人なのだと、今更ながらにその意味を理解をする。

 

 不愉快だ。銀髪金眼の見慣れた顔で。透き通る鈴の音のような聞き慣れた声。

 外見だけで言うならジグルベインと瓜二つなのに、漂う雰囲気のせいか、俺にはひたすら嫌悪感が湧いてきた。

 

「お前、悪魔なんだろ。なんでそんな姿を……」

 

「ほう、お目が高いでごじゃる。これは我が魔王より下賜されし特別製の天使。なんとまだ3体の限定品で、更に取り扱いには混沌検定に合格する必要があるでおますぞ」

 

(…………えっ、儂って量産されとるの?)

 

 自慢したくて仕方なかったのだと、ウフンとセクシーポーズを取って見せるニセベイン。

 そんな事をされても周囲の空気は冷え冷えで、教皇など震えてしまっている。

 

 一方で本物は目が点であった。前回は遠巻きに見ただけだったし、まさかこんな中身が入っているとは想像だにしなかったことだろう。

 

 その姿で遊ぶな。文句を言ってやろうと思ったのだが、気づけば腰には手が回っていて。振り向くと、灰褐色の髪の少女が青い顔をしてブンブンと首を横に振っていた。

 

「だ、駄目だツカサ。アイツと戦うな。死臭が半端じゃないんだ、こんな奴と会ったことない……」

 

 俺はその姿に軽く面を食らってしまう。あの誰かれ構わずに噛みつく、野良犬のような気性をしているリュカが、対面しただけで怯えているのだ。一体どれだけの死の匂いを纏っているのだろう。

 

 いや。気持ちは少し分かる気がする。なにより不快なのが奴の目だ。会話をしながらも金色の瞳は、まるで虫けらでも眺めるかのような視線をしていた。あれは人間など言葉を話す珍獣程度にしか思っていないのである。

 

「世話になったな教皇よ。お陰で座標0を発見し、褒美にこの体を受け賜われた。礼をせねばと思い、手ずから皆殺しに来てやったのじゃぞ」

 

「ふ、ふざけるな。誰が世話などしたか。私は部屋へ突然訪れたソイツに、天使に由来する物は無いかと聞かれただけで!」

 

 断じて背信などしていない。それは誰への弁明か。教皇は慌てふためき事実の否定をする。けれど、教皇を庇い悪魔の矢面に立つ偉丈夫が、溜息を吐きながら言うのだ。

 

「猊下、神聖術はまだお使いになれますか?」

 

「……!」

 

 問いに答えは無かった。なるほど、そこが事件の核心。

 神の魔力を授けられようと、日々の祈りがなければただの人になる。立場上マーレ教に籍を置くお人だが、意外や信仰心はそこまで篤くなかったようだ。

 

「私の祈りが足りなかったばかりに、知らず悪魔に憑かれていたと言うのか……」

 

 絶望をする教皇の姿に、ニセベインはニンマリと頬を吊り上げるだけだった。

 体に異常が無かったのは泳がされていただけか。聖遺物の事をうっかり口走ったばかりに悪魔に目を付けられ、以来ずっと自分で国の内情を漏らし続けていたのである。

 

 教会の機密が知られているのは勿論、奴の行動が騎士団にも捕捉出来ないはずだ。ウィッキーさんたちが如何に知恵を絞ろうと、対策が筒抜けでは意味もあるまい。

 

「安心しろ、お前は殺さぬ。教皇として、これからは麻呂を神と崇めるがよいぞ」

 

(やだ恥ずかしい。コイツの一人称、麻呂なのっ!?)

 

「気になるのそこかよ」

 

 麻呂は恍惚の表情を浮かべながら両腕を大きく広げ、さながら神でも降臨したかのような仰々しい恰好を取った。

 

 俺はまだ、馬鹿げていると思った程度。しかし、ここには本物の神を信仰する聖職者が居て。包帯男はこれ以上無い侮辱に肩を震わせ拳を握る。発された声は、普段の優しい声が嘘のように冷たいものだ。

 

「貴様が、神の代わりになろうと言うのか?」

 

「いかにもでおじゃる。魔族は神を崇めぬ故に、少し興味深くてな。麻呂もこの国で色々と試してみたのよ」

 

 その言葉により、脳裏にフラッシュバックするのは教会の惨状。信仰を捨て去るほどに追い込まれたシスターに、礼拝という神への祈りの時間を汚された信徒たち。

 

 あれがただの好奇心であり。次は国の規模で行うと宣言され、気づけば俺は奥歯が砕けそうなほどに食いしばっていた。

 

「ふざけんのも大概にしろよテメェ!」

 

「待ちなさい司くん」

 

 怒りに任せ黒剣を抜き放つ俺だが。今にも飛び出しそうな体を抑えたのは、ウィッキーさん。片腕を伸ばし、行く手を遮ってくる。そのポーズは、話くらいは聞こうと大人びた姿勢に見えつつ。私がやると殺気に滾っているようにも感じた。

 

 けれどもニセベインは、ふざけてなどいないと、心底不思議そうに首を捻る。そんな奴の言い分はこうである。

 

「麻呂は感服したでおじゃる。信者を集め、力を欲することが美徳と説き、自ら進んで魔力を求めさせる。なんて効率的な人間牧場なことよ!」

 

 三柱教の在り方は、悪魔にとってまさに理想なのだと。カノンさんに、マルルさん。神を崇める全ての人達が、馬鹿にされた気がした。俺は信仰者では無いけれど、あまりに悔しくて俯いてしまう。

 

「猊下。咎人の身でありながら、私は不相応なお願いを致したく」

 

「……申してみよ」

 

「我が罪を許せとは言いません。しかしこの体の持ち主は、ダングス教の司教を務めた者。どうか彼を聖者として大聖堂で眠らせることを許しては頂けませんか」

 

 ベリベリと顔の包帯を剥く男は、縋るような視線を教皇へ向けた。

 答えには一瞬間があった。だが、分かったと告げる声は重々しく。けっして場の保身の為に言ったわけではないと分かる。

 

「その者が司教ならば、十分に資格はある。文句を言う者など居まい。教皇の名に懸け約束をしよう」

 

「感謝いたします。その言葉を聞けて本当に良かった」

 

 言い切るや、糸が切れたようにガクリと崩れ落ちるウィッキーさんの体。俺は慌てて受け止めるのだけど、そこにはもぬけの殻という言葉が似あうような、もの言わぬ偉丈夫の体だけがあった。

 

「おじゃ?」 

 

「長い間、ありがとうセージ。ここからは、私自身の道を行こう」

 

 ああ。恐らく、戦うと決めた時より、この瞬間を覚悟していたのだろう。司教セージに暴力を振るわせないため、彼は悪魔ウィッキーとして敵に挑むのだ。

 

 恩人の体を捨てて飛び出す黒い靄。形成していく人型は、されど異形で。尖る口元は翼の無いカラスのよう。空は飛べぬが、その足は懸命に地を踏みつけて、拳を振り上げ。

 

「我々の信仰を、馬鹿にするなーー!!」

 

 気合と共にニセベインへ突き立てられる渾身の打撃。

 その腕力のなんて非力なことか。麻呂は蚊にでも刺されたかのように、不快に眉をしかめただけだった。

 

 それもそのはずで、先走る腕には、まったく腰が入っていない。ただ前に出しただけの手では、ポカンという擬音がピッタリな、へなちょこパンチしか打てないのである。

 

 もしフェヌア教の人間がこの場面を目撃したならば、彼には拳の握り方から優しく教えてくれるのではなかろうか。しまった。あの悪魔、人に暴力を振るったことなんて無かったんだ。

 

 

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