ノーブレスオブルージュ~その唇は吐息をしない~ 作:雨居神宮
「ツ、ツカサか!? 一体何をしているんだ、こんな所で!」
「マルル、さん? ……助かったぁ~」
海岸まで、なんとか辿り着いた俺に、そんな声を掛けて来たのは見慣れたお姉さんだった。浅葱色のショートヘアをした彼女は、浜に打ち上げられた俺を見ながら、未確認生物でも発見したかのように間抜けな表情をしていて。
「大丈夫かい。唇まで真っ青だぞ!?」
けれど俺の顔色を見るや。躊躇わずに足を水へと浸し、身体を引き上げてくれる。
怪我だらけでの冬の海は、体力的にかなり厳しいものがあった。もう少し遅れていたら、低体温でぽっくりと逝っていたかも知れない。
そういう意味でも、お守りをくれたリュカに感謝をしなければ。まぁ実際は、少し冷静になれば遠い水面には建築中の橋や街影が見えていたんだけどね。
「冒険者ギルドで寒中水泳を体験していなかったら危なかったな」
(改めて考えてもクソブラックな会社じゃの)
マルルさんは震える俺を手厚く保護してくれた。怪我の治療から始まり、火や温かい飲み物まで用意して貰い。白いマントに包まりながら聖騎士の施しをありがたく頂く。
カップから口に含んだスープは熱々で、少し冷めるまで手で温度を楽しみながらフーフーと息を吹きかけていれば。話題は当然のように、何があったのかというものに。
「君は今日、ミサキと転移をする予定だったはずだろう?」
「はぁ。それがちょっと失敗をしまして、もう一つの次元門を利用する事になったんですよ」
俺が頭上を指で示せば、さっきまで何処に居たかは察しが付いたようだ。なんて無茶をとマルルさんは目を覆う。気持ちは分かる。そして同時に、事の顛末も理解したらしい。じゃあ転移は……と声を下げる彼女に、なるべく明るい笑みを浮かべて見せる。
「なんとかアサギリさんだけでも返せました」
「……そうか。流石は勇者一行だ。ミサキも喜んでいるよ」
所で、YOUは何しに海岸まで。助かりはしたが、都合の良すぎる登場に首を捻った。
ああ、それはねと事情を聞けば。実に簡単な話、地元住民を避難させていたようだ。ここは機神の腕が伸びていた逆方向。つまり、一番の安全地帯だったからと。
都合よくスープがあると思えば、避難した人たちに配給する予定だったのか。海辺は寒いもんね。
「けど、あの腕は海へ降ってきただろう。大慌てで解散させて、戦える私たちが様子見をしているという訳だ」
「お疲れ様です」
俺は平身低頭に疲れを労った。戦果を聞けば、勇者一行ばかりが目立つかも知れないが、その活動の背後では、いつもこうして大人たちがフォローをしてくれている。
聖騎士は職務を果たしているだけと謙遜をするけれど、助けられた身からすれば、その当たり前の正義が頼もしい。
「私も外様だ。本当に手伝った程度に過ぎないよ。さて、本職の邪魔をしても悪い。君を大聖堂まで送ろう」
「重ね重ねすみません」
マルルさんがチラリと視線を向けるのは海の方向。海岸には続々と馬車が集結しだし、その中からは、鎧を着た男たちがゾロゾロと降りてきている。
どうやら騎士団が機神の腕の顛末を見届けに来たようだ。
次元門が閉じると同時、本体から切り捨てられた巨大な腕は、湯舟に入浴剤でも溶かしたかのように海を黒く染めていた。
やはり、他の部品と同様に無数の生命となっているのだろう。なんとか海まで落とせたのも、徐々に結合が解けていたからではないかと俺は推察する。
「殆どは溺死するだろうが、打ち揚げられた死体の処理だけでも酷い手間になりそうだな」
「流石に、アレを食べる気にもなりませんしね」
モアや悪魔の事件が終わり、やっとひと段落したところであるが、また暫く騎士団は忙しそうだと、遠くから合掌をした。お勤めご苦労様です。
そして、俺は馬車へ案内してもらうのだけど。どれにだろう。海岸沿いの道路には、騎士団が乗ってきた以外にも沢山の馬車があり。しかしダングス教のものは一つも無かった。貴族の家紋から店の紋章まで、様々な所属の旗が並んでいるのである。
「フフッ、どれでもいいよ。非常時だったから、避難用に好意で貸し出してくれているんだ」
「すげー。これが宗教国家か」
三教は、国家すら跨いで広がる概念。ならば、生まれや職業くらいは、とっくに超越をしているというわけか。宗教という名のもとに繋がる人間の底力を見た心地だった。
◆
マルルさんの助けもあり、無事に大聖堂まで戻ってくることの出来た俺。
ヤッホーっと大手を振って仲間の元へ向かいたい所であったが。勇者一行の姿を見つけた途端に、なんて声を掛ければいいのか分からなくなってしまう。
空を見て立ち尽くす赤髪の少女。地面に座り込み、力無く嗚咽する金髪の少女。
他の皆も表情は暗く、一人で空気を持ち上げようとする青髪ポニテのお姉さんが居た。
「ほらほら、あんた等元気出しなさいよ。ツカサなら向こうの世界でも、きっと楽しくやっていくわ」
「……ツカサ、早く戻った方がいいんじゃないのかい?」
「どんな顔でですか!?」
(笑えばいいと思うよ。カカカ)
今ばかりは魔王の能天気さが本気で羨ましくなる。
先に戻ったイグニスが、俺の帰還を皆に伝えたのだろう。もう戻って来ない永遠のお別れは、まるで死別でもしたかのように暗い影を落としていた。
この空気にどうやって入ればいい。俺がまごまごとしていると、見かねた聖騎士がはぁと溜息を吐き。「ならば私が伝えてこよう」と御者台を立つ。止める間の無く勇者のもとへ行ったマルルさんは、俺の無事を知らせようとして。
「フィーネ、ツカサは……」
「うぅ。はい、故郷に帰りました。寂しいけど、ツカサくんは帰りたがっていたし。ちゃんと家族に会えたなら……私は喜ぶべきなんでしょうね」
「ああ。それに死んだわけじゃない。別れは辛いが、日本へ戻るのは彼にとって良いことなんだ」
「あ、いや……うぉおん」
まるでお星さまを眺めるように空を見る二人の少女に、聖騎士は言い辛いと顔を背けた。
そう。これが死の淵からの生還だけであれば、喜んで貰えたのだろうけれど。俺の居残りは、つまりミッションの失敗。
覚悟を決めて送り出してくれた彼女たちだからこそ、なんて伝えていいのか迷ってしまうんだよね。
「あれ、なんでマルルの姉ちゃんからツカサの匂いがするんだ?」
「……!?」
そうか、マントを借りたから。狼少女に言及され、マルルさんは不審者のように目を彷徨わせてオロオロとしていた。
しかしリュカは匂いを嗅いで確信したようで、鼻を動かしながら周囲を見渡し。やがて、荷台からコッソリと覗く俺と目が合う。
灰褐色の髪の少女は「あっ!」と叫ぶや、周囲の混雑も鑑みずに一目散とこちらへ駆け出した。その行動が呼び水となり、皆は次と次と俺の存在に気が付いていき。
「えっと。ただいま?」
「んだよ、随分と早い里帰りじゃねえか」
リュカに抱き着かれながら、えへへと笑いをすれば、剣士に憎まれ口を叩かれ。もうと呆れる雪女に、元気だせと励ましてくる僧侶。俺の戻る席は確かにそこにあり。揉みくちゃにされながら、此処が自分の居場所なのだと実感をする。
ただ。
ツカサと短く名を呼ぶハスキーな声があった。見れば赤い瞳が、喜びと悲しみで揺れていて。イグニスは一歩も動けずに、ただこちらを眺めるだけだった。
「馬鹿な。なんで居るんだよ。もしや、間に合わなかったのか?」
「違うんだよ。次元門は生身だと通れないみたいで、イグニスは悪くないんだ」
だからこちらから迎えに行く。ありがとう、帰れなくてごめんね。
落下の時の風圧か、ボサボサになっている赤い髪を手櫛で整えてあげれば。魔女は俺の顔を見ながら、瞳に大粒の涙を溜めて言った。
「ヘラヘラ笑うな。私には、その顔が一番辛い」
目元が腫れていることを指摘される。彼女には、俺が大空で泣き叫んだことまでもお見通しのようだ。それでも、戻ってきてしまったから。もう一度君の隣に居ていいかな。
改めて「ただいま」を告げれば。「おかえり」と魔女と勇者が胸元に飛び込んできた。