ノーブレスオブルージュ~その唇は吐息をしない~ 作:雨居神宮
「こっちを見て、笑った? アイツ、何を考えて……」
「ちょっ、凄い風。なんなのだわ突然!?」
フィーネによる聖剣の一撃が防がれて、場に絶望の空気が訪れた時。魔王と勇者の間に割り込んだ、白銀髪の女を中心に、膨大な量の魔力が吹き荒れる。
さながら嵐のような勢いで、周囲に居た人間は、もはや立っていることさえ困難だった。堪えようにも凄まじい圧には、足が地面を滑って後退をしていき。
そんな最中。カカカと響く高笑いと共に、世界の摂理が闇に侵食されていく。
まるで壮大なる宇宙の始まりを覗き見た気分。収束する魔力は一つの世界を構築し、黒い球体の中には漆黒の太陽と、星屑が生み出す銀河が透けて見えていた。
「ジ……ジグっ……!」
「えっツカサ……おい、ツカサ!?」
どういう事だ。何故、ジグルベインとツカサが同時に存在をしている。
私は同じように風圧に耐える彼へ、叫びながら手を伸ばしたのだが。ツカサは近づくどころか離れていく一方だった。
そして膨れ上がる闇に、私たちは押し出されるように弾き飛ばされ。しかし、黒髪の少年だけは、混沌の生みだす暗黒に飲み込まれていってしまう。
勇者一行とノーキン軍は、草原から防壁の前にまで吹き流された。黒い塊の膨張は止まったものの、いまだ余波が打ち付けて、とても身動きなんて取れやしない。私たちは目も開けぬ暴風に晒され、ただ耐え忍ぶ事しか出来なくて。
「まさか、これは……あの【崩壊の序章】か」
エルツィオーネは、これでも混沌の特異点を管理していた家系だ。目の前で何が起きているのかを、人より理解出来たと思う。
あれはきっと妖精界。ジグルベインは能力内に取り込んだ妖精界を、自分の物として創造しているのだ。恐らくはアイツがヴァニタスを自在に扱える理由で、ツカサがあの世界に飛び込めてしまった理由か。
「……収まった、かしら?」
「ええい。ツカサと魔王たちは一体どうなった!?」
時間にすれば、ほんの僅かな間の出来事だった。火に掛けた鍋の水が沸騰もしないくらいだろう。しかし、どうだ。その少しの時間で、世界は想像以上に変わり果ててしまっていた。
私は開いた薄目を、思い切りに広げて困惑をする。目の前には何も……何も無かったのだ。二人の魔王も、ジグもツカサも。あるべきはずの大地すらも。
ノーキンは魔大陸と接する土地であったが、陸地は大きく抉れて、対岸も見えぬほどに綺麗サッパリと消滅をしていた。
シェンロウ聖国は過去にクリアム公国と地続きだった訳だが、なるほど。こんな景色を見れば、時の国王も神を崇めたくなるのかも知れない。
「ねぇ、イグニス。なんか私、まだ嫌な予感がするのだわ……」
呆けていれば、下からクイクイと引かれる袖。私の手首から先が無い腕を握るのは、スティーリア女子で。白藍の髪の少女が、瞳の端に涙を蓄えて危険を訴えてくる。地響きがするの、と。
言われれば、足元は微かに震えていた。今度はなんだ。少し考え込む間にも、揺れは大きくなり、明確に感じるようになり。次第に、砦が震える規模になる。
「何か来るぞ。総員退避、急いで砦へ戻れー!!」
いち早く避難の指示を出したのは、ポイチョフ将軍であった。
魔王の襲撃を生き抜いた英雄たちが、上司の撤退命令により、急いで砦へと帰還していく。
「私たちも行くのだわ。ほら、貴女は手の治療もしないとでしょ!」
「……でも、まだツカサが!」
腕を引くスティーリアに対して返した言葉に、私は自分で驚いたものだ。まさかここまで感情的で不合理な言葉が、己の口から出るとは思わなかった。
「ほら、何やってんのアンタら。早く行くわよ!」
「カノン助かるわ!」
駄々を捏ねる私に、スティーリアが眉間へ皺を寄せていれば、横から有無を言わさずに担がれてしまう。カノンは瀕死のヴァンも抱えていて、そんな彼女を何故止められよう。
そして最後尾を走るのは金髪の少女。フィーネは足を動かしながらも、キョロキョロと忙しなく首を動かしている。もしかせずとも、ツカサを探しているようだった。
「フィーネ。ツカサはまだ……」
「ずっと探してるから知ってるよ。ツカサくんも心配だけど、リュカの姿も見えなくて……」
「はぁ!?」
いや、そうかと自分の至らなさを嘆く。
ジグルベインは魔王たちを己の世界に取り込んだが、その選別はどうやったのか。少なくとも目視ではないだろう。あの時、空に飛ぶ竜人を見てはいなかったからだ。
事実から見て、周囲の人間と区別をした方法は魔族か否かだろう。不幸にもリュカ・リオンという少女は、人狼の血を引くのだった。
◆
それから五日が経つ。私は防壁の上から、潮風に揺れる水面を眺めていた。
岸から、そんな私に向かって手を振る女が見える。青い髪を結った少女は、身軽に岩場を跳ね上がり、一気に防壁まで登って来てしまう。
「さっき捜索班と会ったけど、駄目ね。やっぱりツカサもリュカも、周囲には見当たらないって……」
「……そうか」
彼らは、まだ見つかっていない。
あろう事かノーキン砦の前には、いま海が広がっていた。魔大陸との防波堤として果てた千手であるが、よもや本当に海水を受け止めることなるとは、想像だにしなかっただろう。
ジグルベインが抉り取った大地は、どうやら海まで繋がってしまったらしい。
あの日、地響きと共に波が襲ってきた時には、将軍も目を白黒させていたものだ。海までどれだけの距離があると思っている、と。
「なら、残る捜索範囲は……」
「ええ。魔大陸ね」
ノーキンの草原は水に沈んだが、もう少し東へ進めば、陸路がないわけでも無い。
しかし道は険しく、魔族の領土に兵士が押しかければ、戦争にも発展しうる。ポイチョフ将軍が表立って調査をする事はまず無いだろう。
何よりだ。行方不明はツカサたちだけではない。魔王に挑んだ英霊の死体を含め、手の届く範囲の堅実な捜査が必要だった。
「フィーネはなんて?」
「さて。それは本人に聞いてみなさいな」
「私は魔大陸に行くよ。決まってるでしょ」
気付けば、背後には金髪の少女が立っていた。まるで感情を何処かに落としたかのように、暗い瞳であった。
勇者一行は遊びではない。皆が死を覚悟していたつもりだ。
それでも、数々の試練を共に乗り越えてきた仲間を失ったのは初めてで。未熟な私たちは、欠けた悲しさを埋め合わせる術を、まだ知らない。
「イグニスも賛成してくれるよね?」
「……いや。私たちはランデレシア王国に引き返すべきだよ。このまま進むのは得策ではない」
「ふさげけるなよ! 私はまだツカサくんの命を諦めていない。彼のためにも進むべきだろ!」
フィーネは私の胸倉を掴み、感情のままに糾弾をした。ツカサを好きだったのではないのかと。彼の想いに報いる気は無いのかと。潤う瞳には、彼への本物の愛情が見えて。
そうだね。彼が隣に居なくなった喪失感に、ふと涙が零れ落ちそうになる時がある。この様で、よくツカサを日本へ帰すつもりだったと、過去の自分に呆れるほどだ。
「ツカサは今頃、泣いているのだろうな。こんな時に、隣で支えてあげられないなんて。抱きしめてあげられないなんて。彼の気持ちを考えるだけで辛すぎるよ……」
イグニス・エルツィオーネは、もはや胸に隠せぬ恋心が燃えていた。
それは、彼がこの世界に戻って来ると知った時か。一度は本気で別れを済ませた時か。ともあれ。自覚した愛に、別離は苦しすぎて。
「だったら、なんで!」
「ツカサは生きてる。絶対だ!」
詰め寄る勇者に、今度は私の方から、額を擦り合わせる。
陸地が消失した範囲は、ジグルベインが領域を展開した範囲より広く、方向性があった。そこには何かしらの意図があったはずなのだ。
故に確信を持つ。アレは、ジグがツカサを助ける為にやったことだと。
あれだけ凝縮された魔力。使用者が途中で死んで、異界が弾けていれば、この一帯は全て崩壊していただろう。
暴発に巻き込まない為にも、アイツは何処かに力を逃がす必要があった。
あの混沌の魔王が、何処までも一人の少年に尽くしたのであれば。その寵愛を受けた彼が死ぬはずが無い。
ならば。
「絶対に迎えへ行く。その為にも、私たちは彼女に助けを乞うべきだ」
「彼女? まさか……」
「ああ、そうさ。【黒妖】シエル・ストレーガ。魔大陸に深い土地勘を持ち、実力も申し分ないだろう」
しかし、彼女の立場は魔王軍四天王。敵じゃんとフィーネは口元をきつく結んでいた。
私とて奴は恐ろしい。なにせ、出会い頭に赤髪赤眼という理由だけで胸を貫かれているのだ。それでも、絶対に必要な人材だから。視線を合わせて強く訴える。
「……分かった。予定通り帰還しよう。ランデレシアに」
命の重さ。失敗出来ぬ冒険。大きな期待。勇者は改めて全てを背負うように、引き抜いた剣で、自らの髪をザクリと切り裂いた。風に流され、美しい金髪がフワリフワリと海に舞い散る。
これが私の覚悟だと言われ、今度が私が言葉を失う。
長い髪を切らないのかと聞いた事があった。フィーネは、せめて女の子らしくと答えた。それが全てだろう。