ノーブレスオブルージュ~その唇は吐息をしない~ 作:雨居神宮
それからも俺たちは、町へ向かうべく馬車の轍を追ってひた歩いた。
とは言え子供の足だ。小さい歩幅では速度も上がらず、慣れぬ長時間の歩行は、確実に少年少女の気力と体力を消耗させていく。
「大丈夫か、エルマ?」
「……うん」
傾斜のキツイ山道を進んでいると、ほどなくして少年の足がピタリと止まる。
だが視線を投げかけても茶髪の男の子は、無理に笑みを浮かべるだけで。見て分かる強がりに、俺はその頭をポンと叩いて、少し休憩しようと声を掛けた。
「ごめんなさい」
「気にすんなよ。倒れられた方が困るんだ」
実際に俺でも辛い環境だ。何せ暑い。この山に入った辺りから、冬景色が一転して夏のような猛暑が襲い掛かってきている。
火照る体に吹き出す汗。だと言うのに、雪を溶かして飲んでいた俺たちは、いまや水の一杯も飲めやしない。飲まず食わずの身では、そりゃ体力も持ちはしないだろう。早めに補給をしたいところだ。
ちなみにマリーちゃんは、もはや俺の肩を定位置のようにして、歩き疲れたらよじ登って来ていたりする。幼女のペースに合わせるのも大変だから構わないけどね。
「ねえ。この辺り、なんでこんなに暑いのかな?」
木陰に逃げ込む少年が、舌を出しながら、そう聞いてくる。
知らねえよ。お前らの故郷じゃろがい。と返したくなるが、薄っすらと事情は察していた。
特異点。自然の法則すら蹴飛ばす魔王の現実浸食能力は、時に爪痕のように世界に残る。
そして【竜巣】の魔王の能力は天候支配だ。いよいよ敵のテリトリー内に入ったと見るべきなのだろう。
「お母さんに近づいているって証拠だよ」
「そっか。でもね、前にお母さんがこの山には近づいちゃいけないって……」
「そりゃあ山は危ないからな」
言いながら俺もエルマの隣に腰を下ろすのだが。尻にはべちゃりと冷たい感触があって、思わず悲鳴と共に再び立ち上がってしまう。
「な、なんだぁ!?」
「きゃはは。お兄ちゃん、おもらししたー!」
股間を濡らす俺を、幼女が指をさして笑ってくる。ち、ちがうもんね。
雪解け水で湿っていたのだろうか。悔しさに唇を尖らせながら、座ってしまった木の根の付近を探り。
そこで面白い物を見つけた。ブロッコリーのような苔だった。
「これは確か、七色苔……」
「うわぁ、水が出てくる。変なのー」
押すと水を含んだスポンジの様に水分が滲み出す植物。少年は飲めるだろうかと口に近づける。止めなさい、マリーが真似するでしょ。
七色苔は、かのラウトゥーラの森の奥底を照らしていた植物だった。だからこそ印象に強く残る、その特性。コイツは土地の魔力に反応をして属性を変えるのである。
「そうだよ。水属性のこの苔があると、近くには水場があるって言ってたな!」
やはり、持つべきは親友だね。脳裏にうざいドヤ顔を披露する赤髪の少女が浮かぶ。
俺はこうしちゃいられねえと二人を抱え、馬車道から外れて崖へとダイブして。
高低差20メートルほどの急な斜面を一気に下れば、そこには沢と呼ぶに相応しい、小さな川がちょろちょろと流れているではないか。
「ヒャッハー、水だー!」
ジャボンと着水し、膝から下に味わう冷たい感触に、俺は歓喜の声が溢れる。
けれどエルマは、兄ちゃんと震えた声で袖を引く。見れば、着地の衝撃に反応したようで、岩に擬態をしていた大蟹が鋏を持ち上げ威嚇していた。
「食料まで手に入るなんて、これは日頃の行いだな」
「なに言ってんのさ……早く逃げないと!」
噛み合わない会話に、おやと思う。そういえば、この兄妹は俺の強さを知らないのである。せっかくの獲物を前に逃げるだなんてとんでもない。虚無より黒剣をゾルゾルと引き抜きながら言った。
「安心しろ。今日は蟹を食わせてやるよ」
◆
せっかくの水場なので俺たちは数日ぶりの入浴と洗濯をした。
うーん、体が綺麗になると魂まで洗われるようだね。服が乾く頃には、巨大な蟹ににも火が通ったらしい。試しに丸焦げの殻を砕いてみれば、中からは白くてプリプリの身が姿を現し。
「はふはふ。なにこれ、虫みたいで凄い美味しいね!」
「おいちー!」
「うんうん……たんとお食べ、君たち」
丸太のような脚を抱えて齧りつく兄妹は、久しぶりのまともな食事に顔を綻ばせる。
初めての蟹に目を輝かせる茶髪の少年。例えるものが、よりによって昆虫とはね。普段の食生活が透けて、よよよと涙が止まらない。
対して俺は、腹に入るだけでも十分なのに、あわよくば塩かポン酢が欲しいと考えてしまう。自分はなんて強欲で薄汚いのだと、二人の眩しい笑顔を直視出来なかった。
「さて。水と食料も手に入ったし、もうひと踏ん張りだぞ」
「兄ちゃん、お水が赤いの」
降りた崖を登ろうとマリーを肩に乗せたところ、幼女は不思議なことを言う。
どうやらこの沢は、もう少し下で川と合流をしているようなのだが。確かに、覗き込んでみれば、まるで染料を溶かしたかのように水が赤く染まっているではないか。
上流で一体何が……。疑問を抱えながら進めば、答えは道の先にあった。
「二人とも、見るな……」
「なになに~?」
ここで戦闘があったのだろう。山の一部が崩れ、巨人たちは馬車ごと崖の底に落ちていた。真っ赤な花を咲かす3人の巨人族。外見での見分けは付かないが、数からすると、俺が逃がした町の生き残りなのかも知れない。
更に、その隣に横たわるのは、大きく欠損をした20メートル級の魔獣の死骸。さてはあれがチェパロか。なるほど、竜と恐れられるだけの風格があり。
「問題は、誰がやったのかだな……」
トカゲの方は、流石に俺でも戦いたくないレベルだ。これをこうもあっさり仕留めるとなれば、犯人は少なく見積もって英雄級だろう。
まして奴らは魔王軍である。その配下に堂々と手を出すなど、【暗君】と【竜巣】の二つの勢力へ喧嘩を売るに等しい行為だった。
と考えて、さぁと顔の血の気が引く。ソレ、俺もじゃん。
あの時は深く考えなかったけれど、けっこう危ない橋を渡っていたな。情報がここで止まったのは、ある意味幸運だったと言えるのかも知れない。
「そう思っていた時期が、俺にもありました……」
兄ちゃんと俺の腰にしがみつく二人。ジグが居ればこんなミスはしなかっただろうに、崖下を間抜けに覗き込んでいる間に包囲をされてしまったようだ。
道を挟み、左右から剣や槍を突きつけられる。この距離で戦えば子供たちを守り切れない。抵抗はしないと両手を上げるのだが、訪れるとても嫌な予感に冷や汗が止まらなかった。
相手は巨人族では無かった。まして竜人でも無い。
屈強な身体、額の角。赤や青の色取り取りの肌。それは見覚えのある種族の姿で。
「おうおうおう! テメエら、此処をどこだか知らねえのかい。竜も泣いて逃げ出す竜哭谷。そこを仕切るは俺たち鬼族よ。挨拶も無しに気軽に馬車で行き来たぁ、随分と舐めた真似をしてくれんなぁ!?」
気風の言い啖呵を切りながら、群れの中から姿を見せる、長い鼠色の髪をした男。
さてはアレが竜を屠った凶器か。血の付いた金棒の先端が、ガツンと地を叩く。たったそれだけの衝撃で、ベコンと陥没する地面。
謎は全て解けたという気分だった。
まさかこんな場所で再会をするとはね。植え付けられたトラウマに脚がガクブルする。土下座をするから見逃してくれないかな。
「……なんでえ。どっかで見た面だと思えば、勇者一行のツカサ・サガミじゃねえか!」
しかし、相手にはしっかりと顔と名を覚えられていたようだ。
こっちも忘れないよ。軍勢の魔王軍が誇る最大戦力。天に等しき者、三大天がその一角。
「【赤鬼】のキト!」