ノーブレスオブルージュ~その唇は吐息をしない~   作:雨居神宮

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57 夜更かし

 

 

 薄桃色の寝間着を着たイグニスは、靴を脱ぎ、椅子の上に体育座りで乗った。

 足の指をぴこぴこと動かしながら積み上げられた手記を愛おしそうに撫でてはニンマリとほくそ笑んでいる。怖い。

 

 どうやら書かれている媒体はバラバラのようで。

 薄い木の板を紐で連ねた木簡や、大きな植物の葉らしきもの、紙だと思っていた物は羊皮紙になるのだろうか。硬い画用紙の様な手触りで、表面のツルツルさには少しプラスチックにも似た感触があった。初めての触感であり、俺もなんとなしに撫でてしまう。

 

「ああ! 400年前の! それもラルキルド卿の手記を拝める日が来るとは!」

 

 本当に気分が高まっている様で、今にも羊皮紙に頬擦りしそうな魔女。

 その高揚ぶりを冷めた目で眺めていたら、気づいたのか、オホンと一つ咳払いをし、冷静を取り繕おうとする。残念ながら手遅れだ。

 

「かなり量があるけど、どれから行く」

 

 欠伸を噛み殺しながら聞く。

 初代ラルキルド伯爵は混沌の魔王の幹部の一人という事で、魔王亡き後に魔族達をこの土地に避難させ40年間守り抜いた英傑。そして魔族にして唯一の爵位を持つ人物だ。

 

 ジグルベインと深い関わりがあるだけに、何かしらの情報を期待しているのだけれど、如何せん量が多い。きっと真面目な人だったのだろう。

 

 俺の求める情報としては、地球に戻るための手段が一番なのだけれど、流石にそんな事は書かれておるまい。ジグルベインの遺体の在処でも判明すれば御の字だろうか。

 

「シャルラ殿の話だと、この土地に来てから書いた物らしい。切迫した移動だったのだろう。ならたぶん羊皮紙よりは木簡が古いはずだ。先にそっちを追おうか」

 

「うん分かった。木のほうが先ね」

 

 この地に逃げながら書いたのであれば羊皮紙が手に入る前に木に書きなぶったというのも納得である。どれどれと適当な木札を手に取り眺めてみる。

 

 読めないし所々掠れているけど筆記体の様に流れる美しい文字だった。今まではどうせ分からないからとまじまじ見る機会は少なかったが、こんな文字を読み書き出来たら格好いいと思う。

 

「ジグ、これは何て書いてあるの?」

 

(これは愚痴よな。仲間はみんな薄情な奴らだ、自分勝手が過ぎると嘆いておるわ。カカカ)

 

 内容に思わずクスリと笑ってしまった。個人の日記なのだからそう言う事も書かれているだろう。あまり見ていい内容では無いと思い、木簡を伏せて次の板を手に取った。

 

 そして、おやと思う。

 その木には文字が刻まれているのだ。インクや墨で書かれた物ではない。鋭利な刃物で刻み込んだ痕だ。

 

 流麗な筆跡の持ち主からは信じられない程の荒々しさだった。感情がそのまま形を成した様な想いが伝わる。思わずジグルベインを見れば、彼女もまた神妙な趣で、その傷跡に目を走らせた。

 

(……月の月、24の日。混沌墜つ。痛恨なりや。主を先に失う己を恥、仇すら討てぬ運命を憎む。ああ痛恨なり)

 

 臣下として主を守れなかった悔いと、憎むべき勇者が居ない事から感情の行き場が無かったのだろう。掘られた文字を指でなぞる。溝の深さがそのままに悲しみの深さに思えた。

 

「愛されてたんだね」

 

(うむうむ。続きにはこう書かれておる。気高く美しき我が主を失い心は張り裂けんばかりである。あの優しさにもう触れる事が出来ないとは悲しい、と)

 

 木簡を手に少ししんみりしていると、目ざとく手元を覗き込んでくるイグニス。

 へえそれは変わった手記だねぇとずずいと顔を近づけてきて耳に吐息が掛かる。

 

「主を先に失う己を恥、仇すら討てぬ運命を憎むか。随分と忠臣だった様だね。ぷふっ! 我儘で省みる事ない傲慢な王だったけれど、居なければ寂しいものだ。だってさ」

 

「おいこらジグ。随分と内容に差があるようじゃないか」

 

(か、解釈の違いよな! 大体お前さん、儂と小娘のどちらを信じるというのだ!?)

 

 ジグルベインの株大暴落だった。それから俺は聞き専に回る。

 別にジグが信用出来なくなったとかではなく、単純に眠かったのだ。

 放って置いても喜々とイグニスが読み上げるので二人に読まれても混乱するだけである。

 

 ほんの少しだけ、目を閉じた。

 揺れる炎の優しい光。身体は昼の疲労で適度に重く、耳元では魔女の色気のある声。

 身体も少しポカポカしてきて、ああ微睡みって気持ちいいよね。

 

「シエルが里を訪れた。シエル……【黒妖】シエル・ストレーガか! ふふふ、いいぞいいぞ。実に興味深い」

 

 訪問理由は他の四天王達のその後を知らせに来たようだね。なになに?

 

 時神と空間神は同盟を破棄。魔大陸に引き返す。唯一人間達と争う【千手】は今だ戦闘中。西で暴威を奮う。

 

 【堕天】は行方知れず、【黒妖】の婆は里帰りするも追い出されたようだ。手伝えと言うもちょくちょく遊びに来ると旅立った。何でも美少年を侍らせ自分だけの可愛い子王国を作るのだとか。勇者よ、何故死んだ。せめてこいつ等を片付けて逝け。

 

 あはは。これは酷い。

 しかし、当時の局面を考えるならば幹部との戦闘は避けられて良かった。何せ混沌以外にも魔王は居るからね。内部も外部も一番国がガタガタだった時期だろう。

 って、おい。君聞いているのか?

 

「聞いてる……聞いて……ぎゃー!!」

 

 目が醒めた。口の中に広がる苦みと刺激臭が広がっている。

 何をしたと魔女を睨むと、小瓶を振って見せつけていた。

 

「眠そうだったから栄養剤を。まだ夜は長いよ、うふふ」

 

 どうでもいい記述もあるようだが、それを含めても40年分の分量は凄まじい物がある。

 何処まで行ったっけ?と聞くとイグニスはお茶で喉を湿らせながら、一端情報を纏めようと提案してきて、俺は霞む目で首を縦に振った。

 

「簡単な話、ラルキルド卿が孤立無援だったと言う話だ。注目すべきは【堕天】だね。彼だけは動きが掴めず、ラルキルド卿も不審に思っていたようだ」

 

 そう言って、その箇所の記述を読んでくれた。

 

 あの混沌第一主義の男が行方知れずらしい。てっきり人間を抹殺すると張り切っていると思ったのだが。

 

 シエルの話では魔大陸の奥地で天使を目撃した者がいるようだ。その場所は天地の境目。今は何もない場所である。アイツ、一体何を考えている?

 

「それは確かに怪しいね」

 

「だろう? ただし確認するには場所が遠すぎる」

 

 ジグに確認すれば、死体を持って行っても可笑しくはない人物のようだ。

 

(儂の最初の臣下だ。理由あって儂を神格化しとったから、やるかやらないかで言えば、やる)

 

 天地の境目。それはかつてジグルベインという名の町が有った場所。

 もし俺の旅の終点が、ジグルベインの始まりの場所であるならば中々に洒落ていると思うが、問題は距離だろう。

 

 気軽に行ける場所でないと聞き、どうするかと考えているとニンマリと笑い別の紙を見せてくる魔女。指を指して文字を強調しているが、当然俺には読めはしない。

 

(シエルの居場所が書かれておる。ラウトゥーラの森? どこぞ)

 

「ラウトゥーラの森はここより更に東。その森は深く、未だ人類未踏の地が残る大森林さ」

 

 ラルキルド卿の残した手記でこれだけの情報があるのだ、本人に話を確認出来たら一番ではないかと。

 

 それは確かにそうだが、問題は何処まで信用出来るかだ。何せ400年前の記述である。

 住処が変わっている可能性も本人が亡くなっている可能性も十分あるだろう。

 

「それはシャルラ殿に確認してみよう。何にせよ選択肢が増えるのは良いことだよ。混沌の幹部の行方なんてまるっきり不明だったのだからね」

 

「まぁ天地の境目だの、世界のへそよりは近いのかな。俺は自分の事だけど、イグニスはそんな場所まで行っていいの?」

 

「しょうがないよ! 君のためだものな!」

 

 魔女は赤い眼をキラキラと輝かせ、子供の様な笑顔で言い切った。行く気満々である。そうか、人類未踏の地にそんなに行きたいのか変態め。

 

 その後は目も覚めてしまった為に、何度かお茶を入れ替えながらイグニスの夜更かしに付き合った。

 

 壮絶な記録である。劣悪な環境で人間と戦い続けた様が残されていた。

 

 羊皮紙を使う頃には何とか村を築けたらしいが、食料問題や、病。戦禍によるストレスなど町を襲ったあらゆる苦悩がしたためてある。

 

 同時に、村人の出産など起こった幸せまでもが残されていて、途中からはラルキルド卿個人の日誌というよりは、ラルキルド領の記録の様な趣になっていた。

 

 途中で人間の子供を引き取ったとあるが、これはシャルラさんの事だろう。

 思春期の娘に対し距離感の分からない父親の悩みが何とも微笑ましい。

 

「これは……」

 

「え? どうしたの」

 

「うん。王が亡くなった日の事だ」

 

(全身鎧の男が訪ねてきた。纏う空気、余りに不吉。すぐさま剣を取ったが、よもや吾輩が手も足もでないとは)

 

 魔王幹部を圧倒するも命を取る事はなく、ただ王の死を告げ去って行ったそうだ。

 血まみれの甲冑。漂う腐敗臭。恐らくは死人であり、【軍勢】という魔王の配下だろうと書かれているらしいが。

 

「それって鎧さんの事かな?」

 

 サマタイで会った気の良い死人、鎧さん。

 ジグルベインをして生前でも良い勝負をすると言わせ、ゴブリンハザードのおりにゴブリンを一掃して転移陣の向こうに消えてしまった人だ。

 

「さて。時代的には甲冑は珍しくないだろうけど、情報は一致しそうだよね」

 

 本人ならば400年前から存在した事になるのか。あの人の事は謎が深まるばかりである。

 

 読み始めてどれほど経ったか。

 順不同の為にいきなり最後のほうを覗いてしまったが、積みあがる山はまだ半分も消化していない。

 

 しかし、イグニスは途中から目をしぱしぱとさせ始め。声は妙に甘ったるくなり。

 集中力が途切れ、身体が一気に疲れと眠気を思い出したのだろう。肩に重さが加わったかと思えば、小さな頭が寄りかかっていた。

 

 形良い唇からすーすーと気持ちよさそうな寝息が漏れている。

 その様子を見て、俺は思わずイグニスの口に手を運んで。

 

「うえ! 苦! 臭! えっ!? えっ!?」

 

 イグニス謹製の栄養剤を流し込んでやった。

 俺の眠気を奪っておいてそれは無いよなイグニス。夜は長いぜ、へへ。

 

 

 

 

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