ノーブレスオブルージュ~その唇は吐息をしない~ 作:雨居神宮
イタチの最後っ屁とは言うが、人攫いのワニ兵士は追い込まれるや特大の屁を鳴らした。
ギャオンと、鳥とも獣とも取れる、咆哮に似た甲高い音。それは勿論やつの尻から出たわけではなく。
角笛だ。奴らが竜を操る為の物らしい。
ワニが発したのは警戒音か。建物を崩しながら巨大トカゲが街中に姿を見せるのは、怪獣映画さながらの光景であった。
「ぐはは、これで貴様も終わりだ。人間風情が魔王軍に逆らった事を……ブゲッ!」
「うるせえ! てめえこそ一発で済むと思ってるんじゃねえだろうな!?」
「あっ……ちょ、やめ……っ!!」
余計な事をしやがってよ。
意識が飛ぶまで殴る蹴るの暴行を加え、完全にのびたワニの胸倉からパッと手を放す。そのずんぐりむっくりした体が路面に倒れれば、少しばかり気分も晴れたように感じる。
しかしスッキリとした余韻に浸る間も無く、背後からクイクイと裾を引かれた。
見れば焦げ茶髪の少年が目を泳がせて、如何にも切羽詰まった様子で声を掛けてくるのだ。
「やばいよやばいよー。僕たちも早く逃げないと、チェパロに食べられちゃうよー!」
「食べるといえば、あのトカゲなかなか美味しかったなぁ」
「こんな時になに言ってるのさー!」
他人が慌てふためいていると、かえって自分は冷静になれるものである。俺は落ち着けとエルマの頭に手を置く。
通りに居た人は既に大慌てで逃げ出しているけれど、建物の中からでは騒ぎに気付けない人もいるだろう。怪獣をこのまま町で暴れさせる訳にはいかなかった。最悪でも時間くらいは稼がないとね。
俺の見て来た中でも最大クラスの巨体ではあるが、腕だけで数キロに及ぶ機神を見た後では、まぁ何とかなるさという感想しか浮かばない。実際に赤鬼が仕留めているの知っているので、倒せる相手と思うだけで、だいぶ気は楽だった。
「二人は危ないから離れてるんだぞ」
子供たちは鬼娘に預けておこう。そう思い、フードを被る不審者に手を挙げて合図した時、真下から聞こえる幼女の声。
「マリー、おしっこしたい……」
「ほぁ!?」
何故目の前に竜が迫る時に、そんな事を言うのだ。
でも思えば彼女は誘拐されていた身。その間自由にトイレへ行けるはずもなく。忘れていた尿意が今になって押し寄せてきたか。
どうせならもう少し緊張感を保っていて貰いたかった。口にしたという事は、いよいよ決壊が近いのだろう。俺は時限爆弾をパスする心地で、エルマとマリーを鬼娘のもとへと放り投げる。
「ごめん、マリーがおしっこ行きたいんだってさ!」
「おまっ、ふざけるなよ馬鹿人間! 待て待て、まだするなよ!?」
下唇を噛みしめてプルプルと震える幼女を受け止めたキキは、手元で漏らされては溜らないと、狼狽しながら首を右往左往させて。アジトで落ち合おう。声に出さぬが視線で合図を受ける。
あんな性格でも意外と子供には優しいようだ。いい所あるじゃんと、人混みに交じっていくローブ姿の背を見届けた。
「よし、じゃあ俺と勝負といこうか」
木造の建築を飴細工のように粉砕しながら直進してくる一匹の竜。
改めて近くで見ると流石に迫力がある。四足歩行で形状としては、やや首の長いトリケラトプスのようなものか。
圧巻なのは、やはりサイズ。首をもたげれば全長20メートルにも届くだろう。そんな生物が荒れ狂いながら近寄ってくる光景は、まるで生きたビルが迫るかのようだった。
「ギャーオン!!」
竜笛のせいで相手は興奮状態。獲物を見つけるや、すぐさまに敵を排除しようと攻撃に移る。向けられたのは俺など一口で丸かじり出来る巨大な顎。その口元には鍾乳石を思わせる、太く鋭い牙が並でいた。
なるほど竜ね。食物連鎖の上位に居るのも頷ける話だ。こんな化け物に齧られては、如何に大型魔獣といえど一溜まりもあるまい。
「オッラァ!」
だから、その口は閉じていろとアッパーで下からカチ上げた。
殴った拍子に手から伝わる感触。まずは重量感。そして纏う鱗の硬さ。なにより、筋肉と脂肪の分厚さ。混式の威力でなんとか顎を跳ね除けるが、これは強敵だと直感する。
素手では埒があくまい。俺は迷いなく虚空を掴み、ゾルゾルと漆黒の凶器を引き抜く。
やはり打撃では効果が薄いか。地竜は首がしなる中でも瞳はギョロリと此方を捉え、今度は前足で踏みつけにきて。
「それを受け止めるのは無理――!」
慌てて横っ飛びしての緊急回避。
間も無く、図太い足が地面を叩いて、その振動は街を揺るがすのだが。
しまった、ワニの事を忘れていた。彼は哀れにも、自分で呼んだ増援の手により。いや足により踏みつぶされてしまったのだった。
思えば笛で制御出来るのであれば、倒さずに脅迫でもした方が良かったかもね。それも後の祭り。竜を扱う術は粉々に砕け、荒ぶる怪獣だけが町中に残る。
「うん?」
デカブツの弱点はどうしても小回りだろう。俺は巨体の下に潜り込み、腹を掻っ捌いてやろうと黒剣を肩に担ぎ。腹部に残る、幾つもの刃の傷を見つけてしまう。
なんだこれ。
どう見ても、獣同士ではなく人間と戦ったものだ。まさかと思い、支柱にも似た4本の足に視線を向ける。あった。腹より硬いせいか、薄っすらとではあるが、鱗には確かに細かな傷が付いていた。
「……繋がってきたな」
予想の通りであれば、この竜も可哀そうな子である。俺は剣を構えたはいいものの、刃を振るう事に躊躇いを覚えた。ところがどっこい、野生において情けは死を意味する。
巨体の死角に逃げ込んだつもりが、奴は長い首を生かして股下を覗き込んで来たのだ。
バッチリと目が合い、猛烈に嫌な予感が頭を過る。
ねぇ君、なんでそんな所で口を開いているんだい。その収束する魔力は何かな。
「おいおい、まさか――撃てるのか?」
思うと、この巨大トカゲはなぜ竜に分類されるのだろう。
外見だけであればワニトリを始め、恐竜に近い生物を見たことはあるが、それらが竜と呼ばれる事は無い。
例えば
「GYAAA----!!!」
「あっぶねぇ。マジで使えるのかよ!?」
妄想が正解かは今度イグニスに聞くとして、事実に高威力砲を持っているのが問題だ。
地竜というだけあり、魔力の波には鉱石も混じるか。さながら巨大な散弾銃でもぶっ放したかのように、建物が広範囲になぎ倒されていた。
俺はその破壊の光景を、彼の背に乗り、額から冷や汗を垂らしながら見る。
竜からドラゴンブレスが連想出来なければ、今頃はハチの巣になって倒壊した家屋に埋もれていた事だろう。
「これ以上暴れられたら被害が大きくなりすぎるな。しょうがない、暴力を振るうぞ」
腹の傷を見てから、あまり気は進まない。
かつて魔女は、魔獣の進化の方向性を決める事は可能だと語っていた。お馴染みの駝鳥シュトラオスも、レースで競争させることで、速度や耐久力のある馬鳥に成るそうだ。
ならばトカゲは何を持って竜に成るのか。
そもそもに竜巣軍が、こんな希少な魔獣を何体も飼育している点に疑問を覚えるべきであった。
コロシアムで戦わせられていたのは素人だ。それを見た俺は、この町の戦士は何処にいったのかと疑問に感じたが、その答えがこれなのだろう。
戦士たちは竜の巣に放り込まれ。進化のための敵として、生きながらに餌とされたのだ。
死の極限が壁を壊して進化を促すと聞く。なんてことはない。竜とは、力を手にして生き延びる事が出来た者なのである。
「ごめんね。せめて苦しまずに逝ってくれ」
地竜が首を持ち上げ、背に居る俺を振り落とそうと身を捩った。けれど、もう遅い。俺は黒剣に魔力を流し込み、白い光の翼が刃より伸びる。
狙うは首。ヴァニタスはオリハルコンさえ切り裂いた魔王愛用の凶器。いかに頑丈な竜種の鱗であろうと、闘気の出力と合間れば、肉はもとより骨ごと両断せしめて。
黒剣の裂いた後を、追うように走る白い輝き。
噴水のように立ち昇る鮮血。ゴトンと重々しい音を立てて、地面へと落ちる頭部。ぽつぽつ滴る真っ赤な雨に濡れながら呟く。
「ジグが居たら、ピロリン、ツカサは