ノーブレスオブルージュ~その唇は吐息をしない~ 作:雨居神宮
地平線より日が昇り始めるも、照らすは未だ山の背後のみ。薄闇が残る空の下、町は静かに眠る頃合いだった。突如に鳴り響く笛音が静寂の中を駆け抜ければ、共鳴をするように魔獣がこぞって咆哮を上げる。
朝を告げる生物と言えばニワトリと相場は決まっているだろうに、鼓膜を震わす叫び声の主は、あろうことかドラゴンで。
なんて迷惑な目覚ましのあったもの。
窓から覗いていれば、飛び起きたであろう住人達が勢いよく窓を開けたり、路地に出たりと大慌てだった。混乱が目に見えるようで、よほど最悪の寝覚めをしたのだと窺える。
「兄ちゃん~! ツカサ兄ちゃん、大変だよ~!?」
そして例に漏れず、アジトの内部も大パニックである。
エルマが大声を出しながら廊下を走り回る音が聞こえた。恐らく俺の部屋に向かったのだろう。
残念、そっちじゃないんだな。扉を開いて、こっちだよと顔を見せると。先に目が合ったのは、遅れて部屋を出てきた幼女であった。
「あー、おにいちゃんが起きてる! もう、マリーが起こしたかったのに。ちゃんと寝ててよ!」
「ビックリするほど理不尽なこと言うじゃん」
朝の弱いマリーちゃんは、寝坊助な俺に、おはようマウントを取りたかったらしい。
しょうもない理由ではあるが、もう大丈夫?と可愛らしく首を傾げるもので、笑顔で平気だよと頷く。
「それね、おかあさんが治したの!」
「あっ、ちょっと待って。引っ張らないでちょうだいマリー」
ニコニコな幼女は、扉の奥からお母さんを引き摺りだそうとグイグイ腕を引く。人見知りする性格の割に、身内の扱いは強引だよね。
俺の前に出てきたのは、苔色の長い髪を一房のおさげに纏めた女性だった。
逆立つ寝ぐせも気にしない5歳児と違い、ママは礼節を知る淑女か。寝起きでも、せめて身だしなみくらいはと必死に手櫛で髪を梳いていた。
「アハハ。こんな格好でごめんなさいね。二人だけでなく私まで助けて頂き、なんて感謝をすればいいのか……本当にありがとうございました」
奴隷の身分であった彼女は、薄いワンピースを着ただけのくたびれた服装。寝起きで、すっぴんで、洒落っ気の一つのも無いのだが。その生活感と恥じらう動作には妙な色気がある。
「めっ!」と叱られているのに、幼女の表情はこれ以上なく幸せそうで。気持ちも分かる。この人になら俺も叱られたいものだ。
「こちらこそ怪我を治して頂いたみたいで。ありがとうね、ママ」
「いえいえ、私にはこの程度しか出来ないので……ママ?」
お互いに低姿勢で挨拶をしていると、そんな事をしている場合かと鬼娘が尻を蹴ってきた。首を縦に激しく振って同意をするのはエルマくん。ヤバイヤバイと少ない語彙で必死に危険を訴えている。
俺は立ち話もなんだしと、ママたちを部屋に迎えいれるのだが。少年は分かってないと頭を抱えて悔しそうにしていた。
「おい、マルグリット。この町にいま地竜は何頭居るんだ!?」
「14……いや、ツカサ・サガミが殺したから13頭か。どちらにせよこれは……」
キキの問いに答えた女戦士は、言葉を最後まで言い切らない。しかし、何を言いかけたかは、蒼褪める表情からして察するというもの。
地竜は空を羽ばたく翼こそ持たないが、間違いないなく最強種の名を冠する魔獣だ。
建物を子供の玩具のように壊していく巨体と力。並みの刃物では傷付きもせぬ鱗と分厚い筋肉。何より奴らを竜たらしめる破壊の息吹。
1頭だけでも脅威だと言うのに、それだけの大群が暴れてみろ。町は瞬く間に瓦礫の山へと変わってしまうだろう。
「分かったか、これが竜人王に。竜の巣に手を出すということさ……」
既に外では、派手な倒壊音と逃げ惑う悲鳴が聞こえる。
なんとかしたいと思いつつも、四方八方に土煙が見えては八方塞がりというもの。こんな時に勇者一行の皆が居ればなぁ。
とりあえず俺は、逃げようよと慌てる少年を引き寄せ。その肩に手を置きながら、マルグリット卿へ向いた。
「この子がエルマだよ。どうかな、弟の面影はあるかな?」
「髪の色などは似ている気がするのだが。すまない、別れたのは彼に物心が付くまえだ。もう私に見分けは……」
子供の成長は早い。大きくなった少年に対し、本人と確信出来ないと、女戦士は恥じ入る顔で目を反らす。
「し、しょうがないだろう。だって当時のエルマーノはこんなに小さかったんだ!」
「10センチも無いじゃん。胎児かよ」
言い訳をするように指をこれくらいと広げて見せるのだが、嘘は良くないですね。
思えば、彼女は最初から御霊分けで判別をするつもりだった。長い年月で摩耗していく記憶に、希望で都合よく補完されていく偶像。
マルグリット卿の中には、当時のままの弟が美化をされて生きているのかも知れない。なんとも身のつまされる話で。俺も両親の顔を忘れる前に再会したいものだと思った。
「……兄ちゃん、何の話? 今はチェパロが暴れてて」
「よく聞いてくれエルマ。実はな、この人はお前の血が繋がった家族かも知れないんだ。それを判別する方法があるから、試してあげてくれないか?」
「馬鹿かよ。そんな事してる場合じゃねえって言ってんだろ!」
現在進行で迫る危険。刻一刻と崩壊をしていく街。ちゃんと理解はしているけれど、その上で俺は「だからこそ」と言い切る。
「死んでからじゃ遅いだろ。もしかしたら、なんて疑念を抱えて逝くより、よほどいいさ」
視線でキキを黙らさせるけれど、肝心のエルマは言葉の意味を呑み込めていないようだった。ビキニアーマーなんてアホみたいな恰好をした女の存在にようやく気が付き、ひゃーと手で顔を覆い赤面している。
「か、家族って言われても。僕にはお母さんもマリーも居るし。どうしたらいいのか分からないよ……」
「……まぁそれが普通の反応か。自業自得というやつだな」
まるで片思いに敗れた乙女のように肩を落とすマルグリット卿。
彼女は【抱天】の二つ名さえ持つ、竜巣軍の幹部で。エルマの町を滅ぼした事や、親子の絆を引き裂いた事に罪が無いとは言わせない。
けれど俺の家族はもっと質の悪い、最強魔王なのよね。
だからか、女戦士とママへ視線を往復させる少年へ、自然とこう言っていた。
「選ばないと、なんて思っているのなら違うぞ。これはね、エルマに家族が増えるかもっていう話なんだ」
「家族が、増える……」
意外やその発言にキキが反応する。そうか。鬼娘も、兄貴が結婚をすれば義姉が出来るのだ。エルマの場合は本物になるわけだが、新しい家族など普通にあり得るのだった。
感じ入るものがあったのだろう。赤い肌の少女はガリガリと頭を掻き、「しゃあねーなぁ」と大きな溜息を溢す。
「死の間際だってのに人間って言うのは、どいつもこいつも大馬鹿だな。せめて逃げてから出来ないのかよ。まぁ時間くらいは稼いでやるか」
「おっ戦るのか。いいね、オレも槍を失しちまってな。竜の牙なら良い素材になりそうだ」
話について行けず隅っこ大人しくしていた狼少女が、自分も行くと伸びをした。
リュカには幼女たちの事を任せたいのだけど、ここには女戦士が居るから大丈夫かな。なにより町の状況は、まさに猫の手も借りたい程に最悪なのだった。
その一因に少なからず俺も関わっているもので。せいぜい暴れようと、三人で部屋を後にしようとすれば、背後より待ったと掛かる声。
「駄目よ。どれだけ血を流したと思っているの。神聖術で傷は塞がっても、体力までは治らないのよ!?」
行かせないと扉の前に手を広げて立ち塞がるママ。その瞳は悲しげで、貴方たちは恩人なの分かってと口にして。そんな彼女の腰にしがみつく幼女が、泣きそうな顔で言ってきた。
「……おにちゃん、ちゃんと帰ってくる?」
告白をするならば、いまの俺はまともに戦える状態ではない。体力が戻るどころか、闘気の反動で霊脈がぐちゃぐちゃなのだ。
顔には出さないようにしていたけれど、勇者の力を持つこの幼女には薄っすらと察するものがあったのだろうか。
「当たり前だろ。ちょっと行ってくるから、お母さんとお留守番してるんだぞ」
「うそつき、きらい」
精一杯の強がりを見せたはずが、まるでフィーネちゃんのような返しをされてしまう。思わず苦笑いが漏れた。そんな君だから、守りたい。