ノーブレスオブルージュ~その唇は吐息をしない~ 作:雨居神宮
私の背後でガチャンと庭の門が閉じられて、詰まっていた息をやっと吐き出せました。
王都の入り口に騎士団が待機していた時は何事かと驚きましたが、既に旅での成果は市民にも伝えられているようですね。
護衛なんて大袈裟だと思ったのに、通りには埋め尽くさんばかりの人が居て大混雑。お陰で私たち勇者一行は、ずっと笑顔で手を振り続ける羽目になってしまったのです。
けれど、愛想を振りまくのもここまでかな。
変わらぬ場所に、変わらぬ家。帰る場所という存在のなんて安心すること。
館の前には、不在の間でも建物を綺麗に維持してくれていた使用人達が並んでいて。今度は嘘偽りの無い笑顔を浮かべて言うことが出来ました。
「ただいま。長い間空けてごめんね」
「いえいえ。ご当主様の活躍が耳に届く度に、我らも誇らしいばかりでした。お帰りなさいませ、フィーネお嬢様」
代表して私を迎えてくれるのは家令のセバス。彼は使用人の纏め役であり、秘書のような仕事を担ってくれていました。
というか。ぶっちゃけ普段から家を切り盛りしてくれているのは、このお方なのです。私が不在でも問題無いのは、そういう事ですね。
「お疲れでしょうし、まずはお風呂になさいますか?」
「……ううん。久しぶりに、我が家の料理が食べたいな。後、食事に師匠も呼んで頂けると嬉しい」
「それはそれは。あの子も喜ぶことでしょう。料理長には奮発してもらわなければいけませんな」
老翁は鋭い眼光を優しく歪めて、鼻の下に蓄えた髭をピンと伸ばします。
セバスの家名はオルトリア。何を隠そう、私の保護者兼、師匠であるアルス・オルトリアの祖父なのでした。
突然変異の化け物と違って、剣の腕は立つ程度ですが、まだまだ健康のようですね。「呼んできます」と残し、疾風のように駆けていってしまうではありませんか。
そんな彼の背を
「ああ、模様替えしたんだ。落ち着いていて良い感じだね」
「恐れ入ります」
思い返せば、私が旅立ったのは夏の真っ盛り。武術大会のすぐ後でしたか。
館の冷房は暖房に切り替わり、涼やかな青を中心としていた調度品も、温かみのある色へと置き変わっていました。
使用人に上着と手荷物を預けて、自分の家なのに、ついつい中を探検してしまいます。
うんうん。流石に私の好みを良く把握しているね。居間の内装もいい感じ。外国で買ったお土産は、何処に並べようかな。なんて考えていると、背後から掛けられる声。
「フィーネ様。暫くは王都に腰を据えてくれるのでしょうか?」
「ううん。準備が整い次第、すぐに発つつもりだよ。あっ、陛下に謁見のお伺いをしてるから、急いで礼服の用意をお願いしたいんだけど」
「かしこまりました。既に流行の服を何着か揃えておりますので、選んで下されば針子に丈を直させますわ」
「流石だね」
私は居間に寄ったついでに、お茶を貰います。
愛用の椅子に座れば、視界に映るのは見慣れた部屋に慣れ親しんだ家具。離れていた時間よりも、圧倒的に思い出の多い空間で。空白を埋めるように、心が日常へと連れ戻されました。
先に実家に寄ったみんなも、こんな気持ちを味わったのでしょうか。
「冒険は、家に帰るまでが冒険だ」ツカサくんの口癖のような言葉が、深く身に染みますね。
そんな、誰よりも帰宅を望む人が、まだ家族の顔も見れないなんて。彼はいつになれば吐息が出来るのだろうと、家庭の温もりが罪悪感を生み出します。
「こちらに、お嬢様が不在中に起こった目ぼしい出来事が纏めてあります」
椅子で寛いでいると、政治や趣味と分類ごとに整理された書類が渡されました。
新型の魔道具では、光の魔石を用いた照明器具や洗尻器が流行中……何故ウォシュくんが。パラパラと紙束をめくっていると、目に飛び込んできた文に、お茶を噴き出してしまいます。
「あの女狐……じゃなかった。レオーネ殿下が婚約って、誰と!?」
「シュバール国の新王、ディオン陛下でございますね」
「ははぁ、なんて恐れ知らずな……あっハトヴァリエ先生、新作出したんだ。題名はラルキルド領経営日記!? 大変、いますぐ買いに行かないと。悪いけど師匠との食事はまた今度で!」
「もう呼びに行っているのですし、そうは行きませんって。それにご安心ください。発売日に朝一から並び、無事確保しておりますよ」
「ありがとうございます!」
うちの使用人は本当に優秀ですね。
その反応は想定済みとばかりに、苦笑しながら本を差し出されました。
◆
私は受け取った宝物を抱えて、小躍りをしながら廊下を駆けました。このフィーネ、もう食事が出来上がるまで部屋に立て籠る所存。読むぜーと、寝台に飛び込むべく自室の扉を勢いよく開くのですが。
「…………っ」
私の部屋は、旅立った当時のままでした。
かと言って埃を被っているわけでもなく。さながら時が止められていたかのように、丁寧に現状を維持してくれていたのです。
懐かしい。とは少し違いますね。自分の育った、自分だけの居場所に。嗚呼、帰って来たのだなと。家を見た時から覚えていた実感が押し寄せてきた心地になります。
「ハハ。もう冬なんだし、せめて掛け布団くらいは出しておいて欲しかったな」
バフリと布団に倒れこめば、いつもの寝心地の中に、自分の匂いさえ染み込んでいるように錯覚をし。母に抱かれるような安堵を感じられました。
だからか。在りし日の面影が、旅立つ前の高揚を鮮烈に蘇らせます。
そうだ。あの時は希望に満ちていた。特異点とラウトゥーラの森を攻略して調子付いていて。手には聖剣、横には苦楽を共にした頼もしい仲間。
世界を舞台にした時、どんな冒険が待ち受けているのだろうと。不安の中にも確かに光が差していたんだよね。
「なら、今の私はどうなんだ。これが、これが望んでいた姿なのか……?」
誰も見ていないからでしょうか。弱音と共に、目からは自然と涙が零れていました。
シュバール、シェンロウ、ノーキン。大きな戦いがあれば、いつも大勢の犠牲が出ます。
真に讃えられるべきは、前線で一歩も引かずに戦った、名も無き兵士達。なのに喝采を浴びるのは、いつも何も出来なかった私で。
「仲間一人守れなくて、なにが勇者なんだよぉ~」
流石は勇者と持ち上げられる度に、死ぬほど惨めな気持ちなりました。
けれど皆を代表するからこそ。伝説を継いでしまったからこそ。私は聖剣を掲げ、胸を張って行進をしなければいけません。
モアこと勇者ファルスが、死んでも死にきれなかった心境が、今なら少し分かる気がします。散っていった無念を晴らす為にも。止まれない、引き返せない。もう、進むしか、道は無いのですね。
「ひっぐ。ツカザぐん……わだし……行くから。待ってて、お願い……生きてて」
髪を切って、弱い自分とは決別したつもりだったのに場所が悪いのですかね。
ただの町娘が貴族に引き上げられ、剣術や礼儀作法を叩き込まれました。かつての私は、今のように人知れず涙を零したものです。
本当に、なんの成長もないのかお前は。
「ぐすっ。泣いちゃ駄目だ……私は、勇者なんだろう!」
「いいえ。そんな事はありませんよ。自分の部屋でくらい、好きに泣けばいいじゃないですか」
「えっ?」
気付けば部屋の入口に立つ、金髪金眼の女性。私はみっともない姿を見せたと、体を起こして、袖口で涙を拭うのですが。
寝台に腰を下ろして、隣に座る師匠は。私のすっかり短くなった髪を撫でながら言います。
「頑張りましたねフィーネ。誰がなんと言おうと、貴女は私の自慢の娘です」
「っぁああ~~!」
止めてよ。こんな時ばかり優しくしないで、お母さん。