ノーブレスオブルージュ~その唇は吐息をしない~ 作:雨居神宮
勢い余った光翼剣は多頭竜ごと背後にある沼を両断していた。
お陰で底が抜けたか、どんどんと水位が下がっていくもので。俺はこれ幸いと中へ飛び込むのだが。
「うげっ、思ったよりも深かった」
着地をすればベチャンと重い音がする。水の流れが緩慢なせいで底には随分と滞留物が積もっていたらしい。膝まで下が泥へと埋まり、ブーツに流れ込むネチョリとした感覚に少し後悔が過った。
やっちまったと固まっていれば、脇から泥が飛び散ってくるではないか。
何事だと腕で汚れを拭うと、「うはは」と無邪気な笑い声が聞こえる。どうやらリュカも降りてきたようだ。
ただし俺の有様を見て、ちゃっかりと靴を脱いでいた。裸足でぬかるむ土を味わいご満悦の様子。
灰褐色の髪の少女は、この暑さもあって、すっかり半袖半ズボンの装いである。そんな服装の子が足で泥遊びをしていると、中性的な容姿もあって、田んぼで遊ぶ少年にしか見えないね。
「へぇー沼の底ってこうなってるんだな。初めて見たぜ」
「砂漠の底は浮遊島で見たじゃん」
「一緒にしていいもんなのか?」
麦わら帽子の似合いそうな、やんちゃ坊主が好奇の目を走らせるのは、しかし長閑な田舎とはほど遠い環境だった。
広い沼だとは思っていたけれど、ヒュドラなんて怪物が住むだけあって深さもかなりのもの。その水が抜けた事により多くの魔獣が姿を現わす。聞こえてくるのは蛙の大合唱ではなくて竜の唸り声である。
「でも爬虫類ばかりかと思えば、他の生物も居るのか。ザリガニとか釣れないかなー」
「とりあえず魚は取り放題だな。あっ食われた……」
「「……」」
泥の上では、ピラニアのような牙の生えた魚がピチピチと跳ねていたけれど、無情にもピンクの槍に貫かれてしまう。
犯人は、竜の頭部に手足が生えたような不細工な蛙もどき。ベロンと伸びた長い舌で魚を射抜き、リールを巻くように獲物を口へと回収していった。俺とリュカは顔を見合わせながら思う。これ遊んでいる場合じゃねえなと。
「ちょっと急ごうか」
「そうだな。もたもたしてたら、食われるのはオレたちだ」
流石は始獣の肉で進化を加速させたという園。ヒュドラ以外にも、やばそうな生物が沢山居るではないか。こんな場所の真ん中で無人島生活をしていた者たちには、同情を禁じ得ない。
その遭難者を救助すべく、俺は泥に足を取られるも、ガポガポと靴を鳴らしながら大股になって進んだ。
逃げるならば絶好の機と判断したのだろう。島に囚われていた人たちも、同じように沼の底へと降りてくる。
「気を付けろ、背後に魔獣が来ているぞ!」
もうすぐ合流出来ると思った矢先の事だ。ぞろぞろとこちらに向かって来る集団へ、狼少女が大声で注意を促した。
こんな足場では駆ける事も出来ず。俺はせめて援護をしようと魔銃を構えるのだけど、どうやらそれは無用の心配らしい。
「ぬぅうん!」
「ゲギャ!?」
「ひゃー強えな、あのおっさん達」
捕虜を背後から襲ったのは、手足にヒレを持つワニである。人間など丸呑みに出来る大口を開きながら、魚のようにびちゃんと泥から跳ねた。
食べられそうになった緑鬼が拳を振り下ろす。するとその打撃は頭蓋を砕いたか、巨大なワニが一撃で沈んでしまう。まさかの返り討ちに、リュカは驚きに目を見開いている。
思えば当然なのだ。
彼らは、この魔獣共が蔓延る環境でも生き抜いた戦士たち。最強【軍勢】の面目躍如を果たす強者ぶりであった。
「おーい、大丈夫ですかー!?」
「……ああ」
そんなこんながありながらも、何とか無事に合流することが出来て。およそ30人ほどの集団と対面をする。屈強な男が多いけれど、やはり無傷なものは一人としておらず破れた衣服に血を滲ませていた。
良くぞ生きていてくれたね。俺は万感の思いを込めて、助けに来たと告げるのだが。どうして喜びよりも困惑の方が大きそうか。
「お前は本当に味方なのか?」
ずいと前に出て来て問うのは、ガゼルのような角を生やした人牛さん。
仲間を庇うように立ち塞がる彼の手には大剣が握られていて、警戒心を隠そうともしていなかった。
狼少女は無い胸を堂々と張って、「そうだぞ」と宣言をするものの。俺には疑われる心当たりがあるだけに、どう納得して貰うかと考える。
「うーん。キトが居れば話は早かったんだけどなぁ」
【暗君】軍の巨人たちは遠目でも目立つだろうし。こちらには【竜巣】軍の元幹部マルグリットまで居た。お互いのは立場を考えれば、直接に刃を交わしたことさえありそうだもんね。
「待たれよ、ミョルク殿。黒髪の男子……主はよもやツカサ・サガミでありんすか?」
「こいつを知っているのか、クレハ」
素性が知れず疑心暗鬼なミノタウロスに、背後から琴のような張りのある声が掛かる。俺は名を呼ばれて、おやと視線を向けるのだけど、その姿を見て息を飲んだ。
青い着物のような服を着崩した女性だった。背に流す黒い髪は、絹のようにしなやかで、手には似合わないボロボロの長刀を持ち。天に向かいそびえる一本角の。
青鬼。そんな言葉が頭を過るのだけど、顔は無機質な仮面に覆われていて、表情を知る事は出来ない。まさか、この人がキトの婚約者だと言うのだろうか。
「勇者一行の戦士ざんすよ」
「やっぱり敵じゃねーか!」
ミノタウロスが唾を飛ばしながら叫ぶ。その意見には思わず確かにと同意をしてしまう。
自分の事を棚に上げていたけれど、思えば【軍勢】と勇者一行も立派な敵対関係だったね。魔大陸がここまで荒れているのは、三大天という戦力が墜ちた側面も大きいのである。
けれども、青鬼はそんな事実をカラカラと笑い、だから面白いと言ってのけた。
袖で口元を隠す動作はなんとも上品で。一頻りに声を響かせたあと、仮面を外して、目尻に溜まる涙を弾く。その素顔を見て、俺はやはりと思う。
鬼だなんてとんでもない。彼女は人間なのだ。
黒髪の奥の赤い瞳がニィと楽し気に俺を捉えて、会ってみたかったと告げられる。その表情には敵意無く、呆れと狂おしいばかりの親愛が見て取れた。
「大丈夫、この人は味方でありんす。キトから飽きるほどに聞かされた漢を、疑う方が野暮と言うものざんしょ」
それは、赤鬼への信頼。
キトの認めた人間ならば無条件で信用が出来ると、彼女は敵のはずの俺を前にして、獲物を鞘へ納めてしまった。
その覚悟を裏切る訳にはいくまい。俺も黒剣をポイと泥に沈め、目の前の人牛へと手を指し伸ばす。
「話すと長いんですが、今はキトと同盟を結んでいます。怪我人も居るのでしょう。まずは手当をして、食事でもしながら事情を聞いて欲しい」
「……疑ってすまなかった。助けに来てくれて、感謝をする!」
大きな手が俺の手を包む。
もう大丈夫と分かった安堵か。戦士たちは顔をクシャクシャにして、今にも泣き崩れそうな表情を見せていた。
仕方あるまい。彼らは竜に囲まれた孤立無援の島で生活を強いられていたのだ。
体は傷つくばかりで、物資も減る一方。また一人と倒れる仲間を見ては、誰もが今日こそ自分の番と覚悟をしたことだろう。また家族に会えるのかと生還を喜ぶ様子を、俺とリュカは目尻を下げて、ただ眺める。
「ところで、貴女がキトのお嫁さん?」
「わっ、ワッチはまだ嫁いでおりませんわい」
クレハと呼ばれた女性に尋ねると、彼女は顔を赤くして、再びお面で表情を覆ってしまった。けれど答えは聞けたようなものだ。愛しいのキトも此処に来てますよ、と揶揄うように教えれば、皆が良かったなと笑顔で祝福をしている。
羞恥にプルプルと肩を震わせる青鬼だが、人牛ははてと首を捻りながら聞いてきた。
「じゃあキトは何処に居るんだ。アイツが居れば、こんなややこしい話にはならなかっただろうに」
「いや、まったくその通りで」
何処で油を売っているのだかと思いながら沼の底を進み、俺たちは陸地に戻った。
あらお帰りと迎えてくれるのは、ママでも女戦士でもない見知らぬ女と、怒りに燃える形相のキトである。
どんな状況。マルグリットに視線を向けると、半裸の痴女は顔に冷や汗を浮かべながら言う。奴こそが、裏切りの三大天なのだと。
ははん。実に簡単な話、キトを足止め出来るような存在など、同格の者しか居ないわけで。
「さてはお前が【無乳】のオッパーイか!」
「何も合ってなーい! だーれが無乳だ、大事な一文字を間違えないでくださるかしら!?私が冠する二つ名は無間。そう、【無間】のオッパーニよ!」