ノーブレスオブルージュ~その唇は吐息をしない~ 作:雨居神宮
唾の爆撃を耐えて姿を現したオレに、変態トカゲは驚きのあまり一瞬の硬直を見せる。
近づく間合い、振りかぶる白槍。奴は咄嗟に身構えて、両腕で顔を隠すけれど、元より狙いはそっちじゃない。
「これでも食らえ、んにゃー!」
「ぐっ脚だと!?」
無防備に晒される太ももへ、渾身の力で槍を突き刺す。手応えはあった。
硬い膜のようなものが矛先を拒むように反発したが、刃はソレをぶち破って肉へと埋まる。
勇者曰く魔力で防ぐ術を纏鱗と言うそうだ。なるほど、いかにも硬そうな名前だけど。オレの白槍は、竜種の鱗を貫く捕食者の牙から削りだしたもの。変態トカゲの脚から噴き出す血に、ざまぁ見ろと思い。
でもこれが限界かな。
相手の傷は致命傷には遠かった。振り払われるように蹴られて地面に落ち、襲い来る激痛に転げて叫ぶ。
「つぅ~!!」
「まさか正面から突破してくるとは。なんて頑丈な奴だ……」
木の上から称えるような呆れるような声が響き、脚から引き抜かれた槍が雑に捨てられた。もう少し丁寧に扱えと文句の一つも言ってやりたいが、口には唾液が溜まり言葉も出やしない。
「おい、大丈夫かリュカ?」
「フーフー、大丈夫なもんか。ああ、ちくしょう。腰も痛てえし背中も痛てえ! ぶっ殺してやる!」
「それだけ吠えられりゃ上等だ」
痛みに抗うべく、なんとか呼吸整えていれば、駆け寄ってきたキキが体を起こすのを手伝ってくれた。
その時に触れた手の熱さ。思わず跳ね除けたくなるほどに熱を纏っていて。鬼の象徴とも言える二本の角が、闇に紅く仄光っている。
オレは訝しみながら目を細めるけれど、「そっちこそ平気か?」と聞く前に、キキの口から怨嗟を固めたような、おどろおどろしい声が漏れ出した。
「ちっ、血統書付きの狼め。お前には、あーしがぶつかる壁も扉みたいなもんなんだろうな」
「ああん?」
言葉にはやけに棘があり、そんな態度にオレもつい喧嘩腰で返してしまう。
何が血統だ。そもそもコイツの兄こそ、とんでもない化け物ではないか。ツカサから話は聞いていたけれど、実物は想像の上をいく生物だった。なに食って育ったら竜を投げ飛ばせるんだよ。
指摘をするとキキは寂しそうに言う。「あーしと兄貴に血の繋がりは無い」と。だから凄い先祖に感謝をしろと。
オレは、いやオレの家族は、その生まれに苦しんで来た。
知った事を言うんじゃねえ。怒鳴ってやりたかったけれど、拳を握りまだ力が入ることに気が付いてしまう。
不思議とこんなに傷を負ったのに、まだ戦えそうだ。それどころか、身体の奥底から溢れるような魔力まで感じ。ふと頭上を見れば、木々の隙間に優しい月明かりが差し込んでいて。
「……そうだな。感謝しないといけないのかもな」
父さんは、オレに何もくれなかったと思っていた。リオンの姓も、人狼の血も、母さんから引き継いだものだから。
でも、あったんだな。
受けて立つ。屈強な獣闘志の攻撃を全てその身で受けて止め、その上で勝つという信念。不利を飲み込み、けれど最後まで舞台に立ち続ける最強の王者。
あの人の血が、確かにこの身体にも流れているのだと実感すると。少しだけ月が霞んで見えた。
「今なら負ける気がしねえ。よっしゃ、あの全裸男をとっとと倒して自慢しよう」
「はぁ!? ちょっと待てよ。時間稼ぎに脚を狙ったんじゃねえのか!?」
「なんでだよ。最近のツカサはガキを構ってばかりだから、オレだって褒めてもらいてえんだ」
「それ本音じゃねえよな。なぁ、違うって言えよ!」
キキはもう引く気だったらしく、食い違う意見にはてと首を捻る。
どうにも脚を狙い機動力を奪ったのが、ツカサに託すための行為に思えたようだ。
それは半分正解で、半分間違い。
確かにアイツなら何とかしてくれるとは思うけれど、それはオレの逃げる理由にはならないだろう。
頭上を見上げながら、ゆっくと周囲を見渡す。
生い茂る木々が作り出す影は、夜空より濃い闇を生み出し、蜘蛛の巣のように広がっている。微かな風がガサガサと枝葉を揺らし、不気味な気配を発するものの。いくら目を凝らしたところで変態の姿は何処にも無い。
「一度見失ったら、もう見つける自信がないから、なんとしても一撃ぶち込む必要があったんだよ」
「……そうか、血の匂い」
オレは静かに頷く。
奴は皮膚の色を自然と同化させ、匂いまで消して念入りに気配を断っていた。これでは追跡は困難だ。
暗殺者とは、獣ではなく人を狩る達人。悔しいけれど、その手腕ばかりは同じ狩人として認めなければならないだろう。
でも出血があれば話は別さ。闇に紛れその姿が目に映らずとも、狼の鼻は匂いを足跡のように浮かび上がらせるのである。
「だから……視えてるぜ!」
「ちっ。本当に大した追跡能力だ。俺がここまで狙撃を外したのは久しぶりだな」
「うおっ、そんな所に居たのか!?」
トカゲは地面に這いつくばりながら、こちらへ向かい、長い舌を伸ばしていた。
ばら撒く唾とは違い、魔力を溜めた唾液砲。最初に混沌軍を狙った高威力のものである。
させるか。ブンと槍を放り投げれば、飛び跳ねて躱され。相手が木の上だと思い込んでいたキキは、物音でやっと敵の位置を認識したらしい。
「そもそもだ。簡単には逃がしてくれねえよ。背中なんて見せて走ったら、あっという間に頭が吹き飛ぶぜ?」
「はっはっは。その通りだ。言っただろう、この姿を見られたからには生かして帰さん!」
股間を葉っぱ一枚で隠す様を見せつける変態トカゲ。恥ずかしいなら少しは隠せよ。
世の中は理不尽だ。なんでツカサやこんなバカが高い戦闘力を持っているのだろう。
疑問は同じだったか。隣から「悔しいな」と呟く声が聞こえた。見ればキキは、俯きながら細い肩を震わせている。
「あーしは、負けを認めるよ……」
「ちょっ。テメェ今更なに日和った事を言いやがる!?」
覇気の消え失せた声と表情に、その言葉が嘘ではない事が伝わった。
その顔一発ぶん殴ってやろうか。ぐいと胸倉を掴みキキの体を引き寄せようとすると、隙ありとばかりに、ぺっぺっと唾を吐き出す汚い音が聞こえて。
しまったと思う。
これは炸裂弾。威力は耐えられない程ではないけれど、その真価は目暗ましにある。
アイツはまた姿を消して、陰から狙い撃とうというのだろう。
だけれどオレの手を振り払って、キキが唾の矢面に立った。背中越しからでも感じる熱気を纏い、こちらを庇うように両手を広げ。ババンと小さな爆発が連なり。
「なんだ?」その疑問は、オレではなくトカゲからの口出たものだった。
ジュウと熱した鍋で水分が蒸発するような音がしたと思えば、視界はたちまちに白い霧で覆われていくではないか。
やがて無傷で姿を見せた鬼の少女は。全身を薄紅色の炎に包みながら、己の心に着火するか如くに叫びを上げる。
「認めるよ、お前らは強い。でもなぁ、ここからだ。壁があるなら砕いて進む、それが魔族の生き方ってもんだろ!?」
一瞬チラリとキキと目が合って。やるぞ。そう聞こえるような、強い意志を感じた。オレは無言のままにニッと笑顔で答え。投げた槍の元へ走り出す。
「ほう。俺の魔闘技を、炎の熱で蒸発させたのか……」
唾を無効化された変態トカゲは隠れる様子もなく腕を組んでいた。
「余裕な面してんじゃねえ」キキが怒気を見せながら拳を振れば、小さな薄紅色の炎が宙を飛び。
一撃だけではない。激しい連打により何百という炎が夜闇に煌めく。その様は、まるで花弁が風に舞うような、優雅で美しい光景だった。
「これが兄貴の百火繚乱だぁ~!!」
一つ一つは小さな火といえど、こうも数が嵩めば十分な脅威だろう。最初こそ唾で迎撃していた変態トカゲも舌打ちをながら木上へ逃げ出す。
でも、ここで脚を刺したのが効いたらしい。尻尾を使って器用に枝を渡るが、その動きはやはり鈍かった。
「残念だったな、オレはこっちだぞ。目暗ましのお返しだ!」
キキの派手な技は注意を引くのに丁度良かった。オレは背後から忍び寄り跳躍。今度こそ心臓を目掛けて槍を突き出す。
仕留めたと確信するくらいには完璧な間と距離だったのに、いつの間にか奴の目はギョロリとこちらを捉えていて。
「いや、把握しているが?」
「嘘だろ。今のを躱すのかよ……」
突き出した槍は木の幹に刺さり、カンと鋭い音がする。
なんて野郎だ。矛先を回避して枝の上に立つ相手を見ながら、落下時特有の背筋がゾワゾワする浮遊感を味わい。
届かなかった。本当か。
獣闘士の本分は、自由に空を制し、華麗な技を魅せることだろう?
咄嗟に反応した身体。伸ばした脚が槍を掴み、落下の勢いと遠心力で、縦にグルリと半周。付けた加速により、もう一度だけ僅かに飛ぶことが出来て。
「みさらせ。これがベルモアの自由なる牙、ウテリアだ!」
「馬鹿な、宙で飛んで見せただと!?」
啖呵を切った所でオレにできる事は少ない。せいぜいがガブリと奴の右足に食いつき、一緒に下へ落ちるくらいだ。
再び地面に叩きつけられ、二人してふらりと立ち上がった。
口の中に広がる鉄の味。異物を誰かのようにぺっと吐き出せば、ごろりと肉塊が転がる。ざまぁないな。変態トカゲはこれで両脚が使え無い。
「魔王軍幹部だか何だか知らねえが、小娘だと舐めてるから、こうなるんだ」
「……舐める? 俺は女子供であろうと、武器を持つのであれば戦士として扱う。それが互いに命を懸ける者への礼儀だ」
「お、おう」
真顔で心底不思議そうに言われてしまった。
唾を飛ばして戦う様が、あまりにふざけて見えたけれど、本人は至って真面目に戦っていたのだろうか。
思えば初手から狙撃をしてきたりと、手を抜かれていた様には感じない。陰湿なわりに、どこか武人の気質があるようだ
「騙されるなリュカ。こんな格好や戦闘法が真面目ってんなら、もっと質が悪いだろ!?」
「それもそう」
動かすのは口ではなく足だと、炎を纏うキキが森を駆ける。
オレはチラリと木に刺さったままの槍を一瞥した。もう決着は間近。取りに行っている暇があるならば、加勢したほうがいいだろう。
最後の攻勢に出るオレ達を、もはや動けぬトカゲは身構えながら待ち受けて。
「しかし、本音を言うのであればここまで苦戦するとも思わなかった。二人とも明らかにこの短時間で強くなっているな。さては変異体を食ったか?」
「なに?」
「その進化は偶然ではないと言ったのだよ」
けん制に炎を飛ばすキキ。当然のように唾で相殺をされるが、オレは僅かに生まれる水蒸気に飛び込み、霧の中から奇襲を仕掛ける。
拳は簡単に受け止められ、捩じられながら地に叩きつけられた。
遅れてキキの時間差攻撃。下に視線を向ける奴の頭部へと蹴りを放ち、けれどその足が届く事は無い。
射撃をする時に見せていた長い舌が、先に彼女の腹を叩いていたからだ。
まさか、そんな隠し武器があったとは。
「嘘だろ、ここまで差があるのか?」
動けない相手に対し、オレ達は二人掛かりでも簡単に制圧されてしまう。
進化して壁を越え、多少は強くなれたらしいけれど。その程度では到底に埋める事の出来ない戦力差があったのである。
「まぁ良くやったほうだ。俺の元に辿り着けただけでも評価をするに値する」
最後くらいは当てさせて貰うぞ。変態トカゲは倒れるオレを踏みつけて、鼻先へと長い舌を伸ばしてきた。0距離射撃。確かにソレならば、どんな下手くそでも当たるだろう。
「やれよ」と気勢を張るが。ここまで実力差を見せつけられては、抗う気もおきやしない。唯一に不満があるならば、舌先に溜まる唾液の不快な臭いだけど。顔をしかめている内に、オレの鼻は嗅ぎなれた彼の匂いも見つけてしまった。
「あれ? 嘘だろ、なんで?」
「ハハ、そうか。やっと来たか。あーしは言ったぜ、負けを認めるってよ。だからバカでも気づくように、最初に派手な技をぶちかましたのさ」
「一体なんの話を……」
そうしてオレは見た。
舌を伸ばして魔力を溜めているトカゲの額に、小さな光の点が浮かんでいるところを。
奴の顔にあんな模様あっただろうか。思い出す時間もない内に、トカゲは「ぶぎゃ!?」と汚い悲鳴を上げて後ろに吹き飛び。
聞き慣れた声で、けれど初めて聞くほどの低い音がする。
助けられたはずなのに、オレとキキは、その怒りに満ちた響きにガクガクと震えあがってしまった。
「暴力を――いや、ランボーをしに来たぜ? 覚悟しろよお前ら」