僕は一冊の本に手を伸ばした 作:我、匿名希望
色々不慣れなので、お手柔らかにお願いします。
プロローグ:帰還
人間は忘れる生き物だ。砂上の楼閣のようにさらさらと。時が経つ事に少しずつ楽しかった記憶も、苦しかった記憶も薄れ、儚いものとなっていく。それは生きていく上で様々な経験をし、行動し、多くのことを知るが故のことだ。古い記憶は新しいそれに上書きされていく。
然し忘れることの出来ない記憶というものも存在する。脳を直接ぶん殴られるような強烈な体験。人生観を揺るがすほど強烈なそれは時として脳にこびりついて僕たちを抱きしめる。
そう、例え何年経とうとも、あの時あの場所で抱いた思いを胸に手を伸ばした、あの記憶だけは消して忘れることは無いだろうと。
僕はそこで一冊の本に手を伸ばしたのだ。
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情けなく空気を吐き出した風船のような音と共に扉が開く。人が入り乱れる雑踏とした空間に飲まれながらも、それを搔き分ける。普段より多い人の出入りに辟易としつつ、その理由に思い至り、気持ちが弾んだ。太陽に迎えられ降り立ったそこは記憶より煌びやかな場所に感じられた。足裏に感じる石畳の感触に頬が緩む。暫く鬱蒼とした草木に囲まれていたから余計に。
ぐい、と凝り固まった身体を解すように両腕を持ち上げた。想像より長い間乗車していたようだ。あっという間の列車の旅だと感じたのは夢中になれる本を読んでいたからだったのかもしれない。手に持った辞書程ある分厚い本を仕舞うと、街の方から微かに漂う香ばしい食べ物の香りが鼻腔を擽った。途端、思い出したかのようにその存在を主張するお腹を宥めるように撫ぜる。活気に満ちた街を食べ歩きしながらゆっくり帰るか。なんて妄想していた時、突然かけられた声に肩を震わせた。
「待ってたぞ、アルバス」
「───ん?」
背後から聞こえてきた声に足を止め、振り向く。反応が遅れたのはまさか自分の名前を呼んでると思わなかったからだ。
その者はぼろぼろの黒衣に身を包み、正体が露見することを嫌ってか布を頭部と口元に巻くことで、顔を隠している。然し、唯一除くその瞳に宿された色は鋭く、ただ物でない雰囲気を醸し出している。騒がしい人の往来の中、そこだけが別世界のようにぽっかりと空間が切り取られているような感覚に襲われた。
背中に背負われているのは幾本かの杖。一見不審者然としている彼であるがその実力は妖精の尻尾でも最強候補の一角に数えられているほどの実力者である。
「……ミストガン。珍しいね、帰ってきてたんだ。……それで、どうかした?」
「頼みがある」
先ほども述べたが、ミストガンは妖精の尻尾で最も強い魔導士として名前が上がるほどの実力の持ち主である。顔を隠し、徹底して自らの正体を明かさないため同じギルドのものでもその存在が知らないものは一定数いるものの、一部のS級をはじめとしたギルドの実力者たちは当然その存在を把握している。そんな彼らが最強の候補へと押すのだからその実力は押してしかるべきである。そんなミストガンが頼みがあると言ってきているわけで。
はぁ、と小さくため息を漏らす。顔を覗かせる非日常の欠片。楽しかった気分が急速に萎んでいく。
「わかった。一応聞くけど、ご飯を食べる余裕は……」
一縷の希望に縋るように問いかける。黒衣が数度頭を振った。当然、否。その事実に空腹を訴えるお腹を宥めるように軽く撫でて、肩を落とした。
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時は僅かに遡り、ラクサス率いる雷神衆によって開催された
「エルザが……エルザが復活したー!!!」
それは石化の魔眼によって石化していたエルザが奇しくも、義眼であった自身の右目の効力によって、石の状態から解放されたのだ。これによりギルドの情報ボードに刻まれた残り人数が二から三へと変動する。
「なるほど。私が復活したことで残り人数も律義に変わるという訳か。……凝ったことを」
「この三人はナツとガジルとエルザのことだね」
術式の細かい設定に感心していると突然、術式に刻まれた三の数字が音を立てて四へと変化した。然し周囲を見渡してもエルザの他に石化状態から元に戻った者はいない。更に一度脱落したものに再度参加する権利は与えられていないことから、参加者は必然的に外から来たものに限れる。そこまで考えたところで、術式の情報ボードに刻まれた一人の名前にエルザは笑みを零した。
「……まったく、随分と遅い参戦だな」
【アルバス・クロイツ参戦】
「うおおおおおお!!!───アルバスだ!アルバスが帰ってきた!!」
「ぬぉおおおお!エルザとあやつの力があれば───勝てるぞ!」
「……『
皆がアルバスの帰還に歓迎の声をあげる中、唯一面識がないガジルは噛み締めるようにその名を呟いていた。顔は知らない。然し、多種多様な魔法を行使すると云う彼の名は、幽鬼の支配者にも届いていた。元マスターであったジョゼをして、警戒に値すると評された人物。その理由は終ぞ明かされることはなかったが、故にその名前は耳に張り付くようにして残っていた。
「……チッ」
ナツたちが会話しているのを尻目に捉える。アルバスの参戦に対して、高揚を感じられるその不敵な笑みは彼らが、如何に件の青年に期待を寄せているかを伺わせてガジルの胸中を騒めかせる。ガジルは舌打ちを一つ鳴らすと手に持ったフォークを口の中に放り込む。慣れ親しんだはずの鉄の味が妙に味気なく思えて、また一つ舌打ちを零した。
【アルバスVS.ビックスロー】
『ッ!!!!!!!』
そんな折、ギルドの術式に刻まれるアルバスの交戦を知らせる情報に一同は驚愕に目を見開いた。こうしてはいられないと、高ぶる気持ちを胸にエルザはギルドを飛び出していく。勝機を見出す、反撃の狼煙があがった。
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ここ何年か余りギルドに顔を出さず、一人で依頼を遂げていたこともあって皆の情報にはどうしても疎いものがあったから。紙面や又聞きでギルドの話を得ることはあっても、それで微細な人間関係なんて知れるはずもなく。 だからこそ、心躍ったのだが、どうやら
そうして僕は知ることになる。今まで大丈夫だと思って目を逸らし続けていた罪を。
*
黒衣の不審者改め、ミストガンに
一度立ち止まり、大きく息を付いた。 これだけ街中に魔力が広がっていたらある特定の人物を探ることなど至難の業だ。刻一刻と過ぎ去る時間は止まってはくれず、焦れた思いは思考を鈍らせる。努めて冷静に在ろうとし、本を開いた時、それは起こった。
「───ッ!!」
首筋に突如チリ、とした痛みが走った気がした。産毛が逆立ち、指先が反射でピクリと動く。それは五感のどれにも属することのない、然し、確固たる経験に裏打ちされら独自の感覚。所謂、第六感と呼ばれるそれに、瞬きのうちに状況が目まぐるしく変化する戦場において、幾度となく窮地を救われてきた。
半ば反射的に身体に魔力を灯すと、感覚に従いその場から飛び退く。次の瞬間、元居た場所を幾条かの閃光が空気を焼いた。
「……おいおい。今のを避けるのかよ、化け物め」
そこには器用にも街灯の上に立ち、呆れた仕草で肩を竦ませる一人の男の姿があった。周囲には5つの人形が浮遊しており、先ほどの攻撃はあの人形から齎されたものだろう。目元を覆い隠すバイザーが特徴であるその男は、ラクサスを慕う雷神衆の一人。
「後ろから奇襲した挙句、久しぶりに会う相手を化け物呼ばわりとは。随分なご挨拶だね、ビックスロー」
「───八ッ、妖精流の手荒な歓迎だよ!お気に召さなかったか?!」
大仰な仕草と共に投げかけられるその言葉に、耐え切れず口角が持ち上がる。胸中を支配するのは怒りの感情だった。
ここに来る前、ミストガンから既に戦えるものは手指の数にも満たないことを聞いた。如何様にしてその情報を掴んだのか定かではないが、実際に街中に倒れ伏す仲間の姿を見る度、心の裡に言いようの得ない感情の種が一つ一つ植え付けられているような感覚を覚えた。
あまつさえ、それが仲間同士で争いあったが故に生じた傷だった場合は尚更に。そんな彼らの悔しそうな、苦悶の表情を見ながら手当をするのは大変だった。沸々と湧き出てくる怒りが、処置を施す指先にまで現れていないかと。
だからこそ、こちらも大手を奮ってそれに応えたい。但し、僕の振る舞いは少々過激なものになるかもしれないけれど。
「……まさか、大歓迎さ。ただ、ずっとそこに立たれてるのは寂しいな───」
微笑に歪む唇が音を零す。
「─────ねぇ」
───こっちに来なよ。
「うお!!?」
その時、驚愕を帯びた声と共にビックスローは姿勢を崩した。不安定な足場の上では踏ん張ることもできず、まるで吸い込まれるように僕の下へと落ちてくる。
「っ、くそ───ベイビー!!」
虚を突かれた反応。次いで焦りを滲ます声。僕らの間を阻むように5つの人形が躍り出た。人形の内に眠る魔力は、光の弾幕へと形を変え、僕の視界を明るく照らした。霧雨のように広がるそれに後退を選択。直後、石畳に降り注いだ光の雨は、土煙となって僕らの視界を覆い隠した。
「ラインフォーメンション!!」
確かな意思を感じるその声を合図に風を切り裂く音を耳が捉えて、咄嗟に上体を反らす。魔力の刃が耳元を通り過ぎ、空よりも濃い青色の髪が幾本宙を舞った。
「───っと。……ん?」
そうして視界を覆っていた土煙が晴れた先に捉えたのは、路地裏へと消えていくビックスローの姿だった。戦闘中に敵へ背を向けるという思ってもみない行動に瞠目し、その行動の意図に思考を巡らせる。然し、逃走を許す以上の瑕疵を見出せず、即座に後を追いかけた。
*
ビックスローは何かを狙っている。あの場面で逃走を選択したことはそれを確信させるだけの違和感があった。故に路地という名の虎穴へと身を投じようとした時、それに反応することができた。高所という死角から放たれた攻撃はまたもや空気を焼くだけに留まった。
「これも避けるのかよ!!!」
驚愕に満ちたその声を聞いて虎穴へと飛び込む。然し、離れた所に立ち尽くすビックスローが目を覆うバイザーに手を掛けているのを捉えた瞬間、自らの失策を悟った。
────釣られた。
反射的に視線を落とす。その魔眼の属性は人憑き。視線が絡めば最後、僕の敗北は免れない。
攻撃は陽動。台詞は狂言。全ては確実に自らの鬼札を切る為の作戦だった。
「───オレから目を逸らしたな!!!」
辛うじて視線が合うことはなかったものの、瞬間、激しい衝撃が左肩を襲った。肌に焼けた鉄が触れ続けたような熱が走る。
「畳み掛けろ、ベイビー!!────バリオン・フォーメーション!!」
魔力が膨れ上がる。視界が足元に限定される中、それを捉えた。僅かに
それは魔眼を晒し、勝利の定型に追い詰めた本人すら自覚し得ない安堵の感情。勝てる、勝ちたいと喘ぐ感情が生んだ無意識の行動。
然し、僕にとって勝敗を預けるに値する一縷の蜘蛛糸。
「
音はなく。然し、力強く靴底を蹴り、倒れるように迫りくる閃光へと飛びこむ。地面に限りなく水平に投げ出された体躯は、風を切り、迫る閃光の下を潜り抜けた。
「───な、テメ……!」
ビックスローからしてみれば、急に視界から消えた僕が突然目の前に現れたように見えたに違いない。それも自らの勝利の命運を預けた確信の一手、その死角から。僕の慮外な行動に彼の身体は自然と仰け反る。
この瞬間、小さな綻びは明確な隙となった。がら空きの懐へと風のようにするりと潜り込む。拳に纏う魔力で、
鋭く打ち据えようとしたその刹那。
「……っ、!」
突然、身体を支配していた全能感が消滅した。不意に意識を落としたブレーカのように。
驚愕で目を見開くも、既に放たれた拳の勢いは止まらない。但し、身体中に満ちていた魔力が消失したことにより、昏倒させる勢いで衝撃を与えるはずだったビックスローの身体は、無造作に置かれた木の箱や樽を破壊しながらゴム毬のように転がっていき、やがて見えない壁に衝突するに留まった。
「ぐぉッ、……が、クソ」
それを見届けながら、何故自分の魔法が消失したのかを遅れて理解して不満げに鼻を鳴らす。直後、幾何学模様をした壁が両者を囲むように持ち上がっていく。
【この中で扱える魔法は遠隔操作系のものに限られる】
それは雷神衆の一人フリードの得意とする術式魔法だった。設置するまでに時間こそかかるものの、発動してしまえばその領域の筆者となることができるその魔法は、構えて待つ陣地戦において無類の強さを誇る。当然味方であるビックスローには設置場所とその効力が知らされていただろうことを踏まえるのなら。
「なるほどね。ここまでが君の計略だった訳か」
口の端から零れる血を拭い、脳が揺れているのを誤魔化すように数度頭を振りながら立ち上がろうとするビックスロー。そんな満身創痍の状態で尚、現状を理解して不敵に笑うビックスローと視線がぶつかる。
「はぁ、はぁ……。これで形勢、逆転だな……」
術式の外から顔を覗かせる複数の人形を見やり、感心したように肩を竦める。いかに強い魔導士であれ魔法が使えないのなら唯の凡人ということだろう。術式を数度拳で叩く。手の甲に伝わる衝撃から少なくとも魔法なしで抜けるほどやわな硬度ではないようだ。
「……凄いね、文言を利用した逆説的な証明。……全ての魔法、としなかったのは、高度と範囲の両立も視野にいれてあるからかな」
逆に言えば高度や範囲を犠牲にすることで、全ての魔法を禁ずることも可能ということだろうか。どちらにせよ卓越した技術だ。
「……アンタの実力は、ラクサスを側で見てきたオレたちがよく知ってる。オレ一人の力で勝てるなんて……始めから考えてなかったさ」
「なるほど。……唯、何故そうまでして勝ちを拾いに行くんだい」
単身では敵わない相手に対して周到な作戦を用い、仲間の協力の下打倒するという流れは往々にしてある話ではある。それを今更疑問に思ったりはしない。
唯、その行為が仲間を傷つける目的で。確かな
「……オレたちはラクサスに着いていくと決めたからだ」
逡巡を挟むことなく、淡々と感情を押し殺して、然しそこに確固たる覚悟を込めた表情だった。
「……そうか」
眩しいものを直視した気分に陥って瞼を伏せる。結局のところ、彼らが強引にマスターの座を奪おうとする目的はラクサスにしかわからないのだろう。ラクサスの心の裡は彼本人にしか。
「…………なあ、アルバス。アンタなら───」
いや、と喉元まで出かかった言葉は発されることはなかった。一瞬顔を覗かせた迷いの表情に宿る感情はどういったものだったのだろうか。
「……最後に、言い残すことはあるかい?オレからラクサスに伝えてやるよ」
会話は終わりだと言わんばかりに人形の魔力が脈動を始める。後一言人形に意思を下すだけで、溜め込まれた魔力は形となって放たれるのだろう。けれどその前に世辞の句と言わんばかりに一刻の猶予を与えてくれた。慈悲、だろうか。或いは────。
然し、僕はここで地に伏すつもりなど毛頭なかった。
「いや。───直接聞きに行くよ」
「……なに?」
魔法が扱えないはず絶体絶命の状況に居るはずの僕が、焦りの一つすら見せない様子を見て、何かあると察したのだろう。人形に命令を下そうと行動を起こす刹那、仄かに花の香りが鼻腔を擽った。
「……な、ぜ」
ビックスローの身体がぐらりと傾く。振り子のように揺れたかと思いきや、そのままぷつり、と意識を失い倒れ伏した。
【ビックスロー戦闘不能】【勝者 アルバス】
「……ごめんね。今の僕は遠隔操作系の魔法も扱えるんだ」
術式が解ける。背後から風に乗って一冊の本が滑るように僕の手元へと収まった。路地を吹き抜ける風に、艶やかな紺瑠璃の髪が揺れる。衣服に滲む冷たい汗が心地良かった。
「さて、ラクサスの居場所を教えてもらおうかな」
眠りに落ちたビックスローの側に屈み込むと、僕は彼の頭へ手を伸ばした。
─ミストガン─
結構な時間待ってた。
─アルバス・クロイツ─
妖精の尻尾所属の『
牛歩のように書いてます。