僕は一冊の本に手を伸ばした   作:我、匿名希望

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我ながらナメクジもみたいな更新速度で草。でも8月中に投稿に成功した喜び。


境界線

 記憶という名の泡沫が弾けた。今でも目を瞑ると思い出す。

 

 陽の光に温かく見守られる中、僕は瞼の裏に夢を見る。

 

 

 

 太陽が真上に位置して間もないある日の妖精の尻尾。騒然としたギルド内に金色の髪を振り回しながら一人の少年がギルドに飛び込んできた。少年は肩で息を切らしながら誰かを探している様子でギルドを見回す。

 やがて騒々しい空間から隔絶されたカウンターの右端に、一人の少年がちょこんと腰掛けているのを認めると顔を輝かせた。空のジョッキが放物線を描く諍いの最中をずんずんと進む。

 

『アルバス!』

 

 丸まった背中に声を掛けるも、反応は見られない。唯、歪に曲がった痛々しい指先が活字を追いかけるだけ。どうやら声が届かない程読書に没頭しているようだ。

続けて何度か呼びかけてもうんともすんとも言わない。その事実に焦れた少年はむ、とした表情でアルバスの両肩に手を添えた。

 

『おーい、無視するなよ~』

 

 振り子のようにぐらぐらと揺らす。反応があるまで何度も何度も。さすがのアルバスも視界を物理的に揺らされては堪らないようだった。到底読書ができる環境ではなくなったことで顔を上げる。不満を滲ませた冷ややかな眼差し。昏く澱んだ瞳と目があった。

 

『裏庭に行こう、アルバス!』

 

 然し、瞳に宿るその色を気にも留めず、ラクサスは子供らしく要件を唐突に告げた。困惑。次いで混迷。パチパチと鈍く光る紫紺が瞬いた。

 

 

 絹を裂くような悲鳴が、身を竦ませる怒声が脳内をこだまする。烈火のようで、それでいて関心のない冷めた眼差しが脳裏を過る。その度に傷のある額がじくじくと痛み、歪んだ指先がきりきりと啼く。顔は思い出せない。然し、そこから逃げるように知識の海へと飛び込んでは空想に浸る。

 それが停滞であることに必死に目を逸らして。

 

『裏庭に行こう、アルバス!』

 

 その少年─ラクサスはそう言って、断られるなんて微塵も思っていない様子で手を伸ばしてきた。泥濘(ぬかるみ)に沈むアルバスの首根っこを強引に引っ掴んで引っ張り上げるように。太陽のような輝きが真っ直ぐに彼を見据えていた。

 

『……いやだ』

 

 対して、鈍くくすんだ淡い夜空色の髪が数度、横に揺れた。アルバスは陽の光を疎む。幼少より両親からそう在れと躾られた少年は、親の手を離れて尚、その悪意に(とざ)されていた。陰鬱な表情で落とされた視線。零した否定の言葉は、迷い子のような響きをはらんでいて。 

 然し、アルバスの事情を知る由もないラクサスは、拗ねた様子で頬を膨らませると無邪気に続けた。

 

『えー、そんなこと言うなよ!じーじが魔法見せてくれるんだ!』

 

 アルバスの肩が微かに、けれども確かに跳ねた。"魔法"。その言葉はお伽噺を愛読する彼にとって、無視できない響き。好奇心を擽られるだけの魅力がそこにはあった。ぐるぐる、と興味と抵抗の天秤が葛藤となって頭の中を遊泳する。

 空想に潜るアルバスにとって、"魔法"は自らの理想の投影であり、憧れ。然し、染み込んだ悪意は彼に太陽の下に出るという行為を許さない。

 既に目に入る活字は視界に入れた先から零れ落ちていて。

 

『あーもう。ほら、行こうぜ!』

『ちょ……!』 

 

 ラクサスがアルバスの腕をつかんだ。強引に、彼の逡巡など知ったことかと言わんばかりに、未だ喧噪に揺れるギルド内をずんずんと進む。引き止める間もなく、合ったとしてもそれだけの勇気を持ち合わせているはずもなく。アルバスが俯き、言い訳を脳内で雄弁に語っている内に、彼はあれだけ忌避していた太陽の輝きの下にあっさりと引きずり出された。

 

『……───』

 

 陽の光がじりじりと肌を焼き、近くの湖で魚がぱちゃん、と跳ねてその身を太陽に晒す。その後も半ば引きずられるようにしてギルドの裏手にたどり着くと、そこには今の彼らとそう背丈の変わらない老人が、ちょこんと切り株に腰掛けていた。

 

『じーじ!連れてきた!』

 

『おぉ!!待ってたぞぃ』

 

『約束通り、早く見せてよ魔法!!』

 

『─────』

 

『─────!』

 

『─────』

 

 二人の声が世界から遠ざかる。唯、幼い日の、楔のように打ち込まれた悪意が脳裏を回る。太陽が映す自分の影に世界がくらり、と揺れた気がした。アルバスは込み上げてくる吐き気に蓋をするように天を見上げる。その時、飛び込んできた光景に息を呑んだ。

 

『───あ……───』

 

 吸い込まれそうな青天と、そこを寝転ぶように揺蕩う白い雲。木々が囁くようにその身を揺らし、爽やかな風が頬を撫でて。眩く輝く太陽に思わず、掌を笠に瞳を(すが)めた。

 

 陽光が全身に注がれている。染み込んだ悪意が(そそ)がれていく。

 

 それは大海の広大さを知って、自分の悩みがちっぽけだと感じるような、そんな感覚で。アルバスは物語の中でしか読み取ることのなかったその意味を初めて知れた気がした。

 心の裡からせり上がってくるナニカに身を委ねるように瞳を閉じる。到底視界に収まりきらない世界に浸るように。

 

 それは懐かしくも儚い、木漏れ日のような記憶。

 

 

   ***

 

 

 追想という名の泡沫が弾けた。それは触れれば割れてしまいそうな追憶の欠片。

 

 背に感じる確かな熱と共に、僕は時折耽るように夜空を見上げる。

 

 

 

 蔦の絡まる半ばで折れた支柱。無造作に散らばる瓦礫の数々。とうに廃墟となった工場跡に根を張る雑草。そこは昼間であるのに薄暗く、割れた天蓋から差し込む淋し気な陽の光だけが唯一の光源だった。

 

 そんな既に荒廃し、人も寄り付かないであろう荒れ果てた廃墟基地に彼らの姿はあった。

 

『のこのこと入ってきたかと思えば、お上品な正規ギルドの妖精さんだぁ』

 

『ほら見ろよ、オレたちのような日陰者とは比べ物になんねぇくらい良いモノ身に着けてやがる』

 

 獲物を品定めするような、ギラついた眼差し。彼らはげらげら、と卑下た嗤いを浮かべながら威嚇するように武器を見せびらかし、じりじりと包囲網を縮めている。その中心には互いに背を預け合う二人の男の姿があった。

 然し、二人は十数名もの人物に包囲されていて尚、自然体でそこに佇んでおり、その様子は今の状況を欠片も危機と認識していないようだった。

 

『……ねェ、聞いた?ラクサス。僕たちお上品だってさ』

 

『虫唾が走るぜ、まったく。寝言は寝て言えってなァ』

 

 それどころか顔を見合わせ滑稽だと言わんばかりにくつくつ、と笑う。

 これに我慢ならないのは薄汚れた男たちだ。圧倒的優位に立っているはずの自分たちが侮られている事実は、闇を生きる者としての在り方を大いに刺激されていた。顔を真っ赤に紅潮させ、唾を吐き捨てる勢いで怒鳴り散らす。

 

『て、テメェら!!』

 

『今の自分たちの状況が呑み込めていねぇようだなァ!!!』

 

『先の奴らのように無残に殺して─────』

 

 ぱちん、という音と共に、続く男の言葉は遮られた。男はまるでねじの切れたカラクリ人形のように動きを止めると、ビクンと痙攣してそのまま仰向けに倒れていく。

 

 しん、とその場に沈黙が降りた。

 

『殺し、ね。その言葉を聞いたからには穏やかにはいられないな』

 

 それを為したのは華奢な体躯を持つ青髪の青年だ。彼は先程のあっけらかんとした雰囲気から一転して、冷徹なの眼差しをぐるりと囲む男たちへと注ぐ。

 

 その張り詰めた威圧感に、誰かがゴクリと喉を鳴らした。

 

『……相変わらず手の早いヤツだ』

 

 その隣で降ろされる雷を纏った右腕。寸での差で先を越され、行き場を失った雷が中空に溶けていく。それを目敏く見兼ねた青年の唇から皮肉交じりの失笑が漏れた。

 

『ちょっと、遅いんじゃない?』

『───あ゛?』

 

 金髪の男の、琴線に触れた反応。荒々しい声色が青髪の青年へと注がれる。

 

 一歩。増した威圧感に押されるように男たちの脚が地面を擦った。渦中で矛先を向けられている青年は、涼しい顔で受け流しているにも関わらず、彼らの膝は小鹿のようにカタカタと笑う。

 漸く、彼らは思い至った。もしや、自分たちはトンデモない怪物を相手にしているのではないか、と。

 

『───』

『──────』

 

 最早会話すら満足に拾うことなく。恐怖に震える身体。先の威勢など、とうに挫かれており。

 

『なら、より多く倒した方が(はや)い。……異論はあるか?』

『ない。それで構わないよ』

 

 唯、その言葉が悪魔の宣告のように耳朶を揺らした。薄暗い廃墟。それでも割れた天蓋から注ぐ微かな光が、獰猛に光る紫紺と金色を不気味に浮かび上がらせる。それは正しく、獲物を狩る狩人の眼差し。

 

『うわぁああああ!!』

 

 誰かが発した悲鳴が空間を(つんざ)いて。恐怖に彩られた思考が武器を放りだす。それらが奏でた金属音を合図に、狩人が千々に散る獲物を求めて地を蹴った。

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 境界線を乗り越えた。意図・動機に関わらずここだけは乗り越えてはいけない、そのラインを踏み越えたのだとマグノリア上空をぐるりと囲む球体を見てそう感じた。神鳴殿、そう呼ばれる魔法を端的に述べるのであれば雷の雨を落とす魔法だと答えるだろう。そして魔力を持たない一般人にとってその光景は容易に死を脳裏に描くことができる。

 

「───見えた」

 

 この街(マグノリア)のシンボル、カルディア大聖堂だ。堂々たるその威容と万人に開け放たれた門戸は本来なら真摯な祈りを捧げる場所である。

 然し、今は冥府の入り口がぽっかりと口を開けているようだった。中より鋭利な刃物を思わせる魔力が肌を刺す。それは普段の覚えのある魔力とは別人のように研ぎ澄まされていた。そしてこちらが気付いたということは向こうもまた同じ事。誘われるようにその境界線を踏み越えた。

 

「───チッ。やはりビックスロー一人では荷が重かったか」

 

 声の主は祭壇手前の階に腰掛けていた。相も変わらず尊大で自信に満ち溢れた相貌は、零した言葉とは対照的に送り出した仲間のことを強く信頼していたことが伺えた。

 

「いや。強かったよ、ビックスローは。フリードもいつの間にあんな高度な術式を刻めるようになってたのさ」

 

 恐らく、情景を追って相当な修練を積んでいたに違いない。(はや)すぎる背に追いつこうと懸命に手を伸ばして。事実、最後に手合わせした時よりもずっと強くなっていた。

 僕の声色からお世辞の類ではないことが理解ったのだろう。ラクサスはその不遜な相貌を瞬き一つ分だけフッ、と崩した。

 

「……ったく、情けねェ」

 

 その不遜な物言いとは裏腹に、心なしか得意げな様相を醸し出すその表情に呆れた様子で肩を竦める。

 

「それで?ギルド最強を決めるって響きには心惹かれるものがあるけれど。……術式を用いた仲間同士での戦闘の誘発、加えて、一般人への被害が懸念される神鳴殿の使用。……些かやりすぎじゃないかな、ラクサス」

 

「……ククッ。そうやって上から目線で遠回しな言い回しを好むのはお前の悪癖だよなァ、アルバス」

 

「そんなこと言って、君の後先考えない直情的な性格も十分質が悪いだろ」

 

 そのやり取りには久しぶりあった友人と気負いなくお茶を交わすような気軽さがあった。互いにこれからの行く末を漠然と感じ取っていながら、このゆるま湯に浸かり続けたいと願う愚かさがあった。

 郷愁にも似た感覚。その心地よさに後ろ髪を惹かれても尚、浸かり続けてはいられない。

 

 仮に神鳴殿の起動による一般人の被害が起こったのなら、それはギルド内だけの問題では済まなくなる。魔力を持たない一般人の元へ雨のように雷が降り注ぐという事は、決して軽傷では終わらない。

 無闇に彼らを傷つける行為は闇ギルドのそれと変わらない。故に───。

 

「───ここがデッドライン。君を止めに来たよ、ラクサス」

「───はッ。オレがそれを望んだかよ、アルバス」

 

 覚悟を宿した眼差し。貪欲なまでの双眸と視線が交わった。

 ふと、その片隅にある感情の欠片が見え隠れしている気がして。けれどその欠片は、瞬きを挟んで奥深くに潜ってしまう。ラクサスは続けてむしろ、と口を開いた。

 

「オレから一つ、提案だ」

「───なァ。こっちに来いよ、アルバス」

 

 大手を広げて。思い上がりでなければ僅かな期待を宿して。近所に遊びに行こうよ、そんな気軽さでラクサスは問いを投げかけてきた。

 思いもよらないそれに大きく跳ねる心臓。それが輪郭だけを帯びた叶うことのないものだと理解して尚、心が揺れる。それは変わってしまった僕への、変わらぬ問い掛けだった。

 

「オレとお前が居れば頂点に立てる。ジジイにだって、ギルダーツのおっさんにだって負けやしねぇ」

「───このギルドを強くできる」

 

 握りこぶしと共に続けられたその言葉に、ラクサスが何故このような事態を引き起こしたのかわかった気がした。彼の強迫観念に憑かれたような瞳。同時に自身の胸中を支配する、煮え返るような苛立ち。やはり僕の行動は致命的なまでに遅かったことを自覚した。

 例えラクサスの想いの切っ掛けが正しいものだったとしても、ここでラクサスの誘いに乗ることはできない。倒れ伏す仲間の姿が、その苦悶に歪んだ表情が脳裏を過る。

 

「それでも仲間を犠牲にして得られる強さなんて、僕には望めない」

 

 だからこそやんわりと、然しはっきりとした拒絶の言葉を返す。甘美なそれを払いのけ、朧気だった境界線を明確になぞる。

 

「そうか───」

 

 地獄の底から響くような低い声色。然し、そこに落胆の色はなく。唯、激情が高波のように覆いかぶさる。

 

「───なら、チリにしてやるよ」

 

 腰を上げたラクサスが纏う雷。妄執にも似た執着に取り憑かれた眼差し。その今にも火蓋が切られそうな緊迫した状況の只中において。僕の心には何故か安堵の感情が浮かんでいた。

 その源泉はラクサスが妖精の尻尾(ギルド)を憎んでいる可能性を否定できなかったことに尽きる。突然街中に刻まれた術式。その中で傷ついた仲間。そんなことはないと信じてはいても。もしかしたら、そんな嫌な推測が脳裏を過ぎったのは事実で。

 然し、実際に言葉を交わして、その可能性は払しょくできた。妖精の尻尾(ギルド)を強くしたい。その感情は妖精の尻尾(ギルド)を憎む人間には発露しない想いだと感じたから。

 

唯、ラクサスは方法を間違えた。力による強さに固執した。故に僕はそれを否定する。僕の抱える想いをラクサスに叩きつける。

 

「───久々の喧嘩だ。腕が鳴るね」

 

力を誇示することだけが強さではないのだということを。案外答えは身近に転がっているということを。

 




─アルバス・クロイツ(幼少期)─
 虐待を受けていた過去がある。それ自体は路傍の石ころのようにありふれたもの。それでも幼い少年にとっては、その後の人生観を鎖してしまうような拘束力を持っていた。

─ラクサス・ドレアー(幼少期)─
 自分のなんてことない行動が意図せず相手を救ってたなんてよくある話。
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