体を抱く。
暗闇の中に浮かび上がった裸体は細く、流線型を描き出す、F1マシンのように優美である。
そしてその足はまるで透明に透き通っているようにも見えた。
走る度にヒビが入り、いつかそのヒビは致命的なまでに拡大する。
自分の体質は理解している。この体は酷く速いと同時にガラス細工のように繊細だ。
チューニングを受けたマシンは一点ものが多い。特に最高峰のレースで使われるマシンは唯一無二のものも多い。壊れるときは劇的だ。時速数百キロで故障した時のダメージは操縦者にもろに襲い掛かって来る。
懸念するべきはこの足がどこまで持ってくれるかだった。初期の分析からして、走り続ければ故障することが目に見えていた。それを上手く制御できるものを探していたのだがついに見つからなかった。
全力を出せば壊れる足をいかに鍛えるか。それを考えて、考えて、考えて、研究して、そして……。
「……ハッ、ハッ、ハッ!」
最高時速70km。ウマ娘の限界速度と呼ばれる速度。だが、それが限界であると証明されたことはなく、故に。
まだ先がある。根拠も無く言ってのけるのは、らしくもないがそう思うのだ。
先を行く皇帝の背中のぴたりと付けて風の抵抗を減らす。スリップストリームはつまるところ空気力学で説明できる現象であり、スポーツの世界においては先を行くものの背後が一番空気抵抗が少ない。
しかし皇帝は流石に振り返らない。知らず口角が吊り上がるのを覚えつつ、とにかく走る。
ペース配分もめちゃくちゃだ。二人しかいないのだ、順位は二つしかないからだ。
「もっとだ……ッ!!」
「なっ」
最終直線に差し掛かった。ギアを落とし、回転数を跳ね上げる。吸気量を増やし、横からブチ抜く。途端に伸し掛かって来る風の抵抗を甘んじて受ける。
驚愕にわずかに声を漏らすシンボリルドルフを尻目に、脚部が地面に埋まるのではというほどに、アキレス腱をばねにする。体を倒し、もっと、もっと、もっと!
「あはははははっ! はぁっ……くそっ、くそっ……!」
急激に失われていく力に毒づく。
俺の意志とは裏腹に体から力が抜けて、呼吸が苦しくなって、脈拍だけが上がっていく。体力切れ。配分ミス。短距離走よろしく駆け抜けた代償がこれだ。
コンマ数秒後、影が突き抜けていく。影を踏むことすら許されない。
「あれが世界か……」
世界で通用する実力が、みるみるうちに遠ざかっていく。先行しておきながら、差す。強靭な脚力だけではない、心肺能力含めあらゆるものが及ばない。わずかにひるませられたのが成果だった。
そして俺は、負けた。
「まだ……まだ終わらない!」
諦めが悪い、それが性分だ。鞭を打つ。スロットルを回し、脚部のピストン運動を跳ね上げる。無い力を使ってガラスの脚部を推進させた。
背中が迫る。手を差し伸ばして、それから――――。
肩で息をする会長と、一方で俺は肩どころか全身で息をしていた。
会長の爽やかな笑顔まで憎々しい。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ……疲れた! 心底疲れたぞ、アグネスタキオン!」
「情けは無用だよ会長………」
「だが鼻先まで肉薄していた。末恐ろしいよ。手放すなんて惜しい。残るつもりはないか?」
「ないね、ああ少し、お手洗いに……」
俺は無理に言葉を打ち切ると、手洗い場へと向かっていく。
手洗い場で顔を洗うと、そのまま物陰へと隠れる。そして地団駄を踏んだ。
「クソがっ! あと少しだっただろが! ええっ!」
「やめろ」
不覚だった。後を付けて来ていたらしいモルモット君が、俺が地面を蹴っ飛ばすのを無理に止めさせようとしてよろめいた。ウマ娘の脚力はそれだけのものがあるのだ。
俺は悔しくて歯を食いしばっていたがモルモット君が手を頬に添えてきたので、そうもいかなくなった。
「この前の薬をくれ」
「ないよ」
「一緒にあの先を見させてくれ。薬でもなんでも飲んでやるよ」
「へぇ」
モルモット、もといトレーナーはそういうと、ドロドロと光る眼でこちらを見つめてきた。
俺と同じ目だ。スピードの先を見つめる狂気を宿した目。
「あんなレースをみたら、やめられない。進むしかないんだ」
「へぇ」
尊敬するレーサーと同じようなセリフを無意識にぶちまける眼前の男を見て、胸がときめく。斜陽の時間帯。朱色に相手の顔色が埋もれている。
相手が手を掴もうとしてくるのを、逆につかみ返し、顔をぐっと近寄せた。背丈は相手の方が大きいが、襟首掴んで下げさせる。吐息と吐息がかかるような距離感。
「クックッ………覚悟はいいか? ボロ雑巾みたいに使ってやろうか? ええ?」
「望むところだ」
「………」
「………」
俺は手を離すと、うーんと伸びをした。そして手招きをして歩き始めた。
すると腕を組んだ姿勢で建物の入口にて会長が待ちわびていた。努めて冷静な姿勢だが、耳と尻尾が揺れまくっている。何かを悟っているらしい。憎々しい女だ。トシの割に察しが良すぎるのも、かえって欠点だ。
「決まったか、アグネスタキオン。手続きはこちらでしておこうか」
弾む声がうっとおしい。これもこの女の手の内だった可能性を考えただけでも嫌になる。
俺はひらひら手を振ると職員室に向かって歩き始めた。
「計算通りか………いや癪に障るな、会長殿。自分でさせてもらうよ。さて行こうかトレーナー君。こうしちゃいられない。残留すること、トレーナー登録、その他もろもろの手続きを寮に戻る前にやらなければならないだろうからな」
「ああ、わかってる。行こうか」
全く口答えすることも無くついてくるトレーナーを引き連れて俺は、職員室に直行した。
『正式トレーナーをこの男にする』宣言した時点で職員室が騒然とした。
そもそも名前すらロクに確認していなかった。名札に書いてあるのもよく見ていなかった。後で話してみたところ、あろうことか新人だった。妙に若いと思ったらそういうことだったらしい。
「帰るか」
手続き完了後、既に寮に戻らないといけない時間帯直前になっていた。
危ないから送ると言い始めたので、エスコートさせることにする。
「不審者なんて別に返り討ちにしてやるが……」
「なんでもすると言っただろうに」
と言うあたり本当になんでもやりそうなので、俺は、おもむろに試験管を渡した。受け取るなりラッパ飲みし始めるトレーナー君。嘘つくつもりはないという証明のためというのはわかるが、つい面白くてニヤニヤしてしまう。
数秒のラグを置いてトレーナーの体が蛍光色に光り始めた。
「何か体が光り始めたんだが……」
「ああ副作用が出て来たか………ちなみに本命の効果としては快眠できるぞ」
「光ったまま眠れるのか怪しいな……じゃあタキオン、お休み。明日また会おう」
トレーナーは、ピカピカと全身を光らせながら歩き去っていった。街灯が歩いているみたいで、夕闇時に映える。
「ふふふ………今日は俺もよく寝れそうだなァ…………」
「………」
「どうだった?」
「足が痛い」
ウマ娘の身体能力を一時的に発揮できる『とある処置』を試してみたのだが、効果はものの数分で切れて、襲ってきたのは強烈な筋肉痛という有様。ひっくり返って大汗をかいているトレーナーの顔を反対側から覗き込んだ俺は、思わず喉を鳴らした。
「なんでもと言ったけど本当に刺……いや………ちなみに」
「?」
「アレだ、言わないでおこう」
「おい! それくらいは……アッ糞ッ……タキオン手を貸してくれないか! 立てない!」
「がんばってついてくるといいよ。ほれほれ」
四つん這いで這って動くさまはまさしくモルモット。
俺は半笑いでその様子を見守りつつ距離を保ちながらトレーナーをおちょくって遊………効果を観察することにしたのだった。
第一章『DRAMATIC JOURNEY』完了
第二章『transforming』←continue?
史実より先に危険性に勘づくのは経験値と人生経験からということで
Q.これは……マン島レースじゃな?
A.ネジ穴がついてないレーサーが集う地獄のレースなので一度見てみたいですねハイ
マン島レース本戦前で既に死人がでまくってるのはご愛敬