→https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=20562869
そちらの方では「単語の変換」機能を使って、先生の名前を自由に設定できます。
ハーメルンの方では、ヨースターっぽい名前に設定してあります。
ごっこ遊び
お昼頃の郵便受けには、毎日何かが入っている。学習塾のチラシとか、飲食店のクーポン付きメニューとか。
掌を広げなければ持ちきれないほどだけど、日々の回収を怠れば、二日ぐらいでポストが溢れる。たまに本当に大事な書類が入っていたりするから始末に悪い。ひとまず、郵便物のロールケーキをお昼の弁当と共に抱え、エレベーターに乗り込む。
昼食を済ませて、分別開始だ。今日も今日とて、シャーレは暇ではありえない。今日は美味しいお店に食べに行きたい気分だったのに……と内心で愚痴りながら、もう何度も捨てたものは中身も見ない。そんな中、厚みのある一枚の光沢紙が手に触れた。
「……メイドカフェ?」
業界最大手と名高いMaid'n Dreamが新店を出すようだ。どういうお店かは、私も知っている。だがその所在やアクセスに私は首を捻った。D.U.中心街から離れた山の麓だ。最近客層にも幅が出てきたとはいえ、若者が集まりやすい駅チカが定石なのに。
「あら、興味深いものをご覧になっていますね」
私が分別の手を止めていると、執務室を掃除していた室笠アカネが寄ってきた。いつものように、メイドカフェのスタッフとは一線を画す「ホンモノ」の装いだが、やはり他のメイドも気になるのだろうか。まさか、「掃除」対象としての品定め……? と思ったが、どうやら純粋に興味があるだけらしい。
「メイドカフェ巡り?」
「ええ。奉仕される側に回ることで見えてくるものもありますし――可愛いじゃないですか」
セルフレームの向こうで、アカネは目を弓なりにした。もっともらしいことを口にしているが、本心は後者のようだ。C&Cに入部を決めた理由が(表向きは)メイド部だったから、というのも納得だ。
「恐縮ですが、よろしければ、ご一緒にいかがですか?」
「やっぱり行くんだ」
「ええ。山の麓という立地なら、明確なコンセプトのある店舗かもしれません。ご主人様も興味をお持ちのようですし」
「……うん、確かに」
私が小さく頷くと、早速アカネはスケジュール帳を取り出した。
* * * * *
ビルの谷間から、遠い空には入道雲。ただ息をしているだけで汗がダラダラ落ちてくる暑さも和らぎ、晴れの屋外もそれほど苦痛ではなくなった。秋の足音も近いかもしれない。
店の近くまで路線バスが通っているからということで、待ち合わせはシャーレ近くのバス停だった。ミレニアム自治区在住のアカネに少々遠出をさせる手前、だいぶ早めに向かったのだが――案の定、彼女はベンチで待っていた。
「ごめんね、待たせちゃった?」
「いえ、私も今しがた来たばかりですから」
ハンディファンで涼を取るアカネと、定型文を交わす。その見慣れない姿から放たれた新鮮な印象が、私を通り抜けていった。記憶にあるアカネは、クラシカルなメイド服姿か、潜入用の大胆なバニースーツ姿ぐらいのもので、思えば制服を着ている姿も目にしたことがなかった。
「私服姿、初めて見たよ」
「ご主人様とのお出かけは、単なる外出ではありません。おめかししてきたんですよ?」
褒めて下さいとばかりに、アカネは純白のフレアスカートを、ひらり。はためく裾からちらりと覗く足首の向こう側で、普段は見せることのない生脚が、うっすら生地に透ける。レースアップサンダルの先端では、足の爪にターコイズブルーがあしらわれている。「大人っぽくて綺麗だね」と素直に口にすると、アカネは求めていた答えに、気品ある顔をほろっと緩めた。
路線バスを待つこと数分、外から見ても客の少なさが見て取れる車体が近付いてきた。どうか今日一日、爆発騒ぎを起こしませんように、と隣のアカネに悟られないように祈りつつ、席を確保する。車内には強めの冷房がかかっており、アカネは普段使いの茶色いストールを取り出して、レースの入ったオフショルダーのブラウスを覆った。
「夏でもちゃんと持ってるんだ」
「冷え性なので。でも今日は、大丈夫かもしれません」
「どうして?」
「ふふっ……ご主人様がすぐ隣にいますから」
体温の伝わる距離の座席で、アカネが身を寄せてきた。
停留所を一つまた一つと通り過ぎる景色の中で、コンビニや飲食店は少しずつ姿を消し、車窓の向こう側に緑が増えていく。鬱蒼と茂った森をしばらくバスが進むと、やがて年季の入った洋館が木々の合間から屋根を覗かせた。あれは何だろう、と私が思った瞬間、Maid'n Dreamのロゴが入った看板が見えた。
* * * * *
洋館の裏手には駐車場があり、乗用車が何台も停まっている。思いのほか多くの人が、ちょっとした列を作っている。持ち主が売却した庭園付きの土地をMaid'n Dreamの経営会社が館ごと買い取り、メイドカフェ兼なにがしかの施設へ作り変えようとしている所らしいのを、その時に知った。
「ご主人様――あっ」
アカネがぽつりと口にすると、後ろに並ぶ客に小さなどよめきが走った。私達の前にいた客が店内へ呼ばれると「お帰りなさいませ、ご主人様」という店員の声が聞こえてくる。
「なるほど。呼び方を変えないと、混乱してしまいそうですね。不本意ではありますが……」
「ご主人様は、ちょっとね……」
「では……
「うッ!? ごほ、ごほ……!」
しっとり呟かれて、私は思わずむせこんでしまった。照れ混じりの笑みを、アカネはくすくすと浮かべている。
「いかがでしょう?」
「そっ、それはそれで、別の誤解を招くっていうか……!」
「そうですか……悪くないと思ったのですが。それなら……」
ヨウタさん――♡
「っっ! ちょっと、アカネ……!」
恋人へ囁くトーンで名前を呼ばれて、顔に火照りが込み上げる。
「先生! 先生でいいからねっ」
「……ええ、承知しました」
私の反応を楽しんで満足したのか、アカネはにこやかに目を細めた。私をご主人様と呼んで、仕えることが幸せであると言っておきながら、油断ならない。キヴォトスに来て以来、名前で呼ばれるなんて、フルネームの確認以外では初めてだ。心臓が振り子みたいに揺れている。
* * * * *
順番がやってきて店内へ招かれる。屋敷めいた外観から予想できた通り、歴史を感じる内装の洋室だ。いつもアカネが身にまとうような、裾の長いクラシックなエプロンドレスの店員が、しずしずとフロアを歩いている。
街中にある、ポップカルチャーの象徴めいた系列店とはまるで雰囲気が違う。カフェというよりは喫茶店といった方がしっくりくる気がした。
「お帰りなさいませ。ご主人様と奥様、お二人様ですね」
「あ、この子はお嬢さ――」
「えぇ、間違いございません」
「アカネ……!」
訂正を遮ったアカネが、上機嫌で店員の後についていく。メイドカフェにおいては、男性客はご主人様、女性客はお嬢様と呼ばれるのがお決まりのはずだが、こういうパターンもあるのか、それとも本当に
革張りのメニューを開く。「もえもえキュン」や「おいしくな~れ」といった類のパフォーマンスはしませんよ、とばかりに、よく知る店で見るのより(お値段含めて)ワンランク上の食事メニューやデザートが硬派に並んでいる。
高い天井からフロアを照らすシャンデリア、猫脚のツヤツヤした黒革張りの椅子、キャンドルを象ったテーブルランプなど、私の知るメイドカフェとは全く趣が異なっているが、ゴシック絵画の中へ招かれたみたいで、一種の没入感があるのも確かだった。
「……では、こちらでお願いします」
「かしこまりました、ご主人様。奥様のご注文も確認いたします……」
「ええ、間違いありません。デザートは、
柔和な態度の店員もとい、テーブル担当のメイドへ注文を済ませる。同業者を品定めする目つきでアカネはメイドの後ろ姿を眺めていたが、ある程度距離が離れると、音を立てないように指先で小さく拍手した。
「所作の一つ一つがエレガントで、洗練されていますね」
「アカネの目から見ても、そう感じるんだ」
「ええ。各地の系列店の選りすぐりを集めているのでしょう。私も見習いたいぐらいです。それに、ふふふっ、奥様……♪」
「ああ、うん。アカネが大人びてるから、だと思うけど」
アカネは眼差しをしっとり潤ませて、大層ご満悦だ。てっきり「仕える身でありながら、なんと烏滸がましい」と謙遜するかと思ったら、口の中で小さく「ご主人様と、奥様」と復唱しては、うっとりしている。ロールプレイと呼称するよりもっと緩い、ごっこ遊びのようなものだが、アカネはどっぷり浸り切り、レンズの向こうでアッシュブラウンの瞳をキラキラさせている。
やがて食事が運ばれてきてからも、アカネは終始にこやかで、時々何かを考えてぽやーんとしていた。カリンとメイドカフェに行くときはもっと厳しい目でメイドを見るそうだ。しかし、「今日は甘々な評価になってしまいそうです」と呟き、アカネは小さく切ったフレンチトーストを口に運んでは、年頃の少女らしく、バターの香る甘みに舌鼓を打っていた。
温和で上品なアカネは、この空間での体験を、無邪気に楽しんでいた。メイドに向かって私を「主人」と言っては頬を染め、私のことを名前で呼ぼうとする彼女を諫めるのも野暮な気がしてしまい、つい悪ノリを許してしまう。
立場上、口に出して認めるわけにもいかなかったが、甘いごっこ遊びに一種の快を覚える私がいたのも、また確かだった。
* * * * *
「申し訳ございませんでした、ご主人様。つい浮かれてしまい、目上の方に大変なご無礼を……」
森を抜けて、立ち並ぶ人工物がバスの車窓に増えてくるにつれ、夢から覚めたアカネは、恐縮して目を伏せてしまった。
「無礼だなんて、思ってないよ」
「ですが、まるで配偶者であるかのように振る舞ってしまい……うぅ」
遠くの優先席に座っていた乗客が、停止ボタンを押した。次のバス停を過ぎたら、残る乗客は最後列の私達だけになる。もうすっかり窓の外は見慣れたD.U.の光景だ。森の洋館が、1ブロックごとに肌から揮発していく。
「アカネは、楽しかった?」
「え? ええ。包み隠さず申し上げると、それはもう、我を忘れてしまうぐらい」
「だったら、それでいいよ。私も楽しかった。今も楽しいし」
「……ご主人様……」
遠慮がちに触れ合うばかりだった肘が、絡み合った。
夕焼けの陽光は優しく、早まっていく日没もまた、夏から秋への移ろいを予感させる。バスを降りて、数時間の小旅行とでもいうべきひと時が終わる。しばらく歩いてシャーレのオフィスビルの前を通ると、アカネは名残惜しそうに腕を解いた。
「本日は、ありがとうございました」
畏まったアカネが、深々と頭を下げた。「それは、こっちのセリフだよ」と、私はアカネへ笑いかける。少しずつ、彼女の雰囲気がいつもの装いを取り戻していく。
風になびくスカートの白も、オフショルダーのトップスから見える剥き出しの肩も、日が沈むと共に消えてしまう気がした。口惜しいな、と思っていると、アカネが口を開く。
「あのお店、いずれは庭園やバルコニーへテラス席を設けて少しずつ拡張していくそうです。ですから……」
「うん。また行こうか」
「ええ、是非! ご主人様ならそう言って下さると思っていました」
曇り空が晴れ上がるように、アカネが声を弾ませた。もしかしたら、私が次を期待していることも、彼女には悟られてしまうかもしれない。
ミレニアム方面へ続く電車に乗るべく、改札の向こうへ消えていくアカネ――メイドでもバニーでもない、ただの室笠アカネ――は、去り際に満面の笑みを私に送ってくれた。
次回もまた、夫婦ごっこになるのだろうか。
終わり