已むに已まれず
転送完了までのバーが、少しずつ動いていく。作業を見守る私の横では、ベッド型のクレードルに横たわる一人の少女が、数分前からもう胸を上下させて、呼吸を始めている。あと6%だ。
きっかけは、エンジニア部から依頼されたアンドロイドの性能試験だった。ヴェリタスと共同開発した、AIをインストールして秘書のように働いてくれるロボット。それを次回のミレニアムプライスに出展したい、ということだ。送られてきたテスト用のAIでは既に正常起動できていたから、「タブレットPCのOSをインストールして性能試験を行いたい」と申し出た所、白石ウタハが快諾してくれた。
素体のデザイン希望としてアロナの姿を送り、彼女たちは実際かなり精巧にその通りのボディを作ってくれた。青いセーラー服や大きな白いリボン、傘にもできる白いショットガン(実際に撃てるらしい)まで、シャーレへセットで送ってきてくれた。
この世界に自分の足で立ったとき、空気の匂いを嗅いだとき、広々とした空を見上げたとき、大好きな甘いものを実際自らの口で食べたとき。画面の向こうにしかいなかったアロナは、コンピュータのセンサーでない感覚器で、一体何を感じるのだろう。私はそれを見るのが楽しみで仕方がなく、仕事も放り出し、クレードルから離れられずにいた。
そして――
「ん……んぇ……?」
空の深い青を閉じ込めたような瞳が開かれた。目が合った瞬間、片目を隠す前髪がさらりと揺れる。
「先生?」
「おはよう、アロナ」
「わぁっ、先生! なんかスゴいですっ!」
「なんか、って」
思わず口元が綻んだ。姿勢制御などは自動で行われることを少しばかり説明してあげると、アロナはすぐにクレードルから体を起こし、自身に繋がれたケーブルを外していく。背中に手が届かないからと助けを求められて、早速手伝いをすることにもなった。
「さて、どうしようか。アロナは何かしたい?」
掌を見つめたり、きょろきょろ首を回したり、アロナはまだ忙しない。だが、やりたいことは既に決まっていたようで、すぐスニーカーに足を突っ込んだ。
「先生、お散歩しましょう!」
「うん。そう言うと思った。じゃあ、お外に行こうか」
デスクのマグカップにはコーヒーが残っていた。半分程度しか飲んでおらず、もうぬるくなっている。それを手に取って一気に飲み干そうとすると、頭二つ分ぐらい低い所から、好奇の目が私を見上げてきた。
「先生がいつも飲んでるヤツ……♪」
「飲みかけだし、その、多分後悔すると思うけど……」
「欲しいです!」
マグカップを奪い取らんばかりだったアロナに、罪悪感と共に手渡す。真っ黒なコーヒーに視線を落とすと、アロナは私の予想した以上に、躊躇せずカップを傾けた。
「…………」
「……アロナ?」
「…………!!」
アロナは今まで見たことがないしわくちゃの顔で悶絶している。あぁ、涙目だ。初めて味わうものがブラックコーヒーだったら、こうもなるだろう。
「先生はいつもこんな毒を飲んでるんですかっ!?」
「こういう苦味が、眠気を和らげてくれるんだ。アロナにはまだ早かったかもね」
「うぅ~……子ども扱いしないでくださいよ~!」
今度は恨みがましい目をぶつけられた。「子ども扱いしないで」と言うのは子どもだけなんだよ、と言いたいのは胸にしまった。カップを受け取り、口を付けた所が重ならないように、残りを飲み干す。シッテムの箱の中にいる時のように、アロナのヘイローは目まぐるしく形を変えている。アロナは隠し事がとことんできないのだろうな、と改めて感じた。
* * * * *
エレベーターで立って並んでみると、上から見えるのは彼女のつむじばかり。背筋を伸ばして立っていても私の胸辺りまでの背丈しかなくて、視野を広く取らなければすぐ見失いそうだ。アロナは、並んで立つとこんなにも小さい。何となくぶら下げていた手を握られたから、そのまま手を繋いでシャーレの外に出た。その手には、本来感じるはずのない、血の通った体温があった。
「へぇ~……はぁ~……!」
自動ドア、シャーレ出入口のゲート、ビル前の石畳に、強風に舞うビニール袋。目に見えるもの全てを視界に収めようと、アロナは始終首を回していた。そよ風に髪がなびくのすらも楽しいようで、私と目が合うたびにニコッと屈託ない笑みを見せる。
「アロナ、どう? 自分の目で見る景色は」
「いつもよりこう、カメラの位置が低いと言いますか……見えている景色が違う気がします」
「いつもは、大体この辺から見えてるのかな」
「ん~……多分そうです、きっと!」
シッテムの箱をいつもの胸元に掲げてみる。画面をちらりと見てみると、当然アロナはそこにいない。一般的なタブレットPCと同じようなホーム画面だ。左手を握られていて操作もできないから、そのままたすき掛けのカバンにしまった。
「ブラックコーヒーのお口直しに、何か甘いものでも食べていこうか」
「わっ! いいですねっ、行きましょう!」
D.U.だったら大抵のものはある。食べ物の好みを聞いてはみたものの、食べたいものが多すぎて決められないようだ。だから最初に見つかったものにしようと決めて、いつもの通勤路周辺をアロナと歩いた。小春日和の陽気に促されて私は途中からコートを脱ぎ、腕にかけたままにしていた。アロナはコートを羽織りたがっていたが、残念ながら彼女にはブカブカで、裾が地面に引きずられる有様だ。丈が長すぎてハロウィンのお化けみたいに垂れた袖口は何とも可愛らしかったが、やはりコートは腕にかけたまま持ち運ぶことにした。
「アロナは、寒くない?」
「う~ん……よく分からないです。今日は寒いんですか?」
「冬にしては暖かいかな。こんな日だと、冬でもアイスが食べたくなる――っと、ソフトクリームがあるね。どう?」
食べた~い、とお子様丸出しに喜ぶアロナをくすぐったく思いながら、公園近くの移動販売車へ立ち寄る。ミルクたっぷりのそれはひんやり白く、汗ばみそうな体に冷涼感を届けてくれる。
「ひひ、うひひ~……甘くて美味しい……♪」
舌の上でとろけるクリームと、広がっていく優しい甘さを噛みしめ、アロナは顔をてろてろに緩めている。味覚を始めとした知覚はかなり精密に作られたそうだ。美味しそうにソフトクリームを舐めて喜ぶ姿の愛らしさは、スイーツに舌鼓を打つ生徒達と何ら変わらなかった。
* * * * *
スマホの通知をこまめに見て業務の状況を確認したが、幸い今日はそこまで忙しくなさそうだ。立ち寄ったピッツェリアでアツアツのマルゲリータを頬張るアロナをもう少し眺めていても、シャーレに戻るには十分だろう。雑貨屋で買ったピンクのイルカが、ストックと傘の柄を兼ねた部分でぷらぷら揺れている。
「先生って、いつもどういうものを食べてるんですか?」
「それはアロナも知ってるんじゃないかな」
「あっ、そうですね。カップ麺とか、菓子パン……あ、エナドリも飲んでました!」
「……よく見てるね」
「そういうのって体に良くないんですよね? 生徒さんもよく言ってますし……」
「こ……この話は止めておこうか。あっほら、デザートが来るよ。イチゴミルクのムース……」
「じーっ……」
じとっとした目が、テーブルの反対側から私を咎めてくる。アロナはそうしながらも、ピザの最後の一切れをもぐもぐと咀嚼している。こちらのテーブルに来るかと思ったデザートは、隣のテーブルに届けられていた。
会計はもう事前に済ませてあるし、のんびりアロナとお喋りでもしようか……と思っていると――
"ガシャン"
「おい! スープに虫が入ってンじゃねーかよォ!」
「どーしてくれんだよ! こういう時は誠意だよな、アァン!?」
不穏な大声に喧騒が打ち消され、ホールが水を打ったように静まり返る。
「ネットで高評価だからせっかく来たのによ~、客の体験台無しにしてんじゃねーっつの!」
「こんな店、ぶっ壊されんのがふさわしいぜ! 美食研究会がやってるようによ!」
遠目に、スケバンの二人組が見える。店員は引き攣ったトーンで頭を下げているが、二人はさらに増長している。天井目掛けて自動小銃を撃つ音まで聞こえてきて、会計中の客が急いで逃げていった。アロナも目の色を変えて、立てかけていた銃を掴む。
その時。
何かが転がってきた。
「!!」
手榴弾――
蹴る
遠く
アロナ――
危ない!
"パァン"
直後、頭の芯がグラグラ揺れた。
激しい耳鳴りに聴覚が詰まる。
背中に燃えるような熱が走った。
「――生! 先生!」
「……大丈夫?」
埃っぽい煙にむせながら、腕の中のアロナを抱き寄せる。爆発から彼女を守ることはできたようだ。目立った外傷も見られない。だが、当のアロナはボロボロ涙をこぼしている。
「どうしたの? 痛いの?」
「ちがっ、ちがいます! 先生が、先生が、っ……!」
「落ち着いて。私は大丈夫だから」
「せんせい、なんでっ」
「ひとまず、ここを離れるよ。じきにヴァルキューレの子達が来るはずだから」
私がそう言い終わる前に、ピッツェリア入口の扉を蹴破って、生活安全局の生徒が数名店内へ闖入した。先頭に立つ中務キリノが、スモークグレネードを投げつけ、襲撃犯と化したスケバンへ飛びかかっていくのが見えた。
アロナを戦闘に巻き込むわけにはいかない。彼女の小さな身体を半ば担ぎ上げる形で、私は店の外へ飛び出した。
* * * * *
爆心から距離を取れたおかげで、私は致命傷を免れた。自分で歩けるぐらいではあったのだけど、「ごめんなさい」を繰り返して泣き止まないアロナが痛々しくて、外科治療を受けるべく病院へ直行した。背中に火傷を数ヶ所負い、飛んできた瓦礫やガラス片が複数刺さっていたようだ。
「ごめんなさい、先生……」
「アロナが謝ることじゃないよ」
「力が、使えなかったんです」
待合室に戻った私を出迎えたのは、まだ顔をくしゃくしゃにしたままのアロナだった。きっと涙に違いない液体を拭いながら、しゃくりあげるアロナを慰める。銃弾や爆風、飛来する瓦礫から私を守ってくれるあの力は、どうやらシッテムの箱から外に出たら使えないらしい。アロナはそれを知らなかった。私はそれに思い至りもしなかった。少し考えれば分かることだったかもしれないのに。
「なんで私を庇ったんですか……! 私のボディは作り物なんだから、私が身代わりになればよかったのに……!」
「……こういうのはね、已むに已まれぬ衝動なんだよ」
「お願いです。すぐシャーレに戻って、私をシッテムの箱に戻してください。そうしないと、先生が……!」
「目の前にいる私は生きてるでしょ? だから大丈夫。さぁ、もう泣かないで」
それから十分ぐらいして、ようやくアロナは泣き止んだ。
シャーレに戻るとすぐ、アロナはボディからシッテムの箱へ戻った。
それっきり、アロナが散歩に行きたがることはなくなった。
* * * * *
「そんなことがあったんですね」
「そうですよ、プラナちゃん。私はここから、いつも先生をしっかり守ってるんです」
「さっきまで、寝てましたよね」
「それはそれです!」
シッテムの箱が二人体制になったある日、預かったままになっているボディを見て、二人がそんな話をしていた。
「……シッテムの箱の管制は、私でもできます。ですから」
モニターの中で、プラナが一歩前に迫ってきた。私にも何かを促すように。
「先輩、行ってきてはどうですか? 先生はこちらで保護します」
「う、でも……」
「行きたくないのですか?」
「……いっ、行きたい! 先生とお散歩したいです!」
それを聞いて、胸の奥が温かくなった。無表情なプラナも、どことなくホッとしている。仕事がまだ残っていたけれど、ボディの充電とデータ転送の準備を始めることにした。
外はいい天気だった。
終わり
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