怒号、悲鳴、金属音、ともすれば雑踏に放り込まれた時のような不思議な眠気と、自分が剥離したような感覚に陥る。そのくせ神経は尖りきっていて、耳を劈く(つんざく)声に身体は反応し、すぐさま反撃を叩き込む。
もう、どれくらいの時間が経っただろうか。30分? 一時間? それ以上か? やけに甘ったるく吐き気を催す香りだけが、自分をここに立たせている理由だった。
「少し………いや……」
厳しいわね、と出かけた言葉を飲み込む。
背中を預けている子はまだ健在で、きっと険しい顔をしていることが容易に想像がつく。歳下で常にムスッとしてる男の子。今はからかう余裕もないのだけれど。
自分と、相棒の梓くんを取り囲むように、濁って腐り落ちたような白濁した目がいくつもこちらを睨んでいる。今回の討伐目標『リジェスタ』によって製造された動く死体に、私達は取り囲まれていた。
いかにしてこの窮地を脱するか。それだけに思考リソースを割いて思考の海に沈みかけたタイミングで、背中の彼が言葉を発した。
「魔耶さん、まだ俺は」「うん、わかってる」
まだ、大丈夫。その強がりとも本音とも取れる言葉を遮る。まだ、という言葉の本質。それから目を逸らさないといけない。
言葉を交わした刹那、じり、と異形共が距離を詰める。
時間はそう残されていない。まだ、が、もう、に変わる前に状況を変える必要がある。
同行した突入隊は壊滅的で、あちこちに同胞の亡骸が転がっている。まともに動けるのは……私達だけ。
ぎゅっ、と刀の柄を握り込む。
「星羅……」
親友の名前を呟いて、敵を見据える。
「梓くん、足は怪我してない?」
「……えぇ」
「走れる?」
「行けます」
徐々に近づいてくる足音、鼻をつく腐臭。決断の時間は……ない。
「梓くん、君にこの戦いの趨勢を託すね」
辛い役割になるけど、ごめんね。と胸の内で独りごちる。
「私が道を開くから、思い切り走って」
「……それって」
「うん、囮は私。キミは、生きてここから逃げ延び──」
「嫌だっ!! これ以上逃げることは俺にはっ……」
言い切る前に怒号に掻き消される。だが……やってもらわないといけない。
「私じゃ駄目なのよ。私は………立場が、ね」
「でもっ! 二人なら……」
「わかって欲しいなぁ」
星羅なら、彼女ならどう言っただろうか。浅く息を吐く。
「どちらかが逃げないと、私達は犬死に。本部は敵の特徴もわからず、次の味方を危険に晒すことになる」
「……っ!!?」
息を呑む音。
「貴方は、まだ見ぬ誰かを護らないといけないの、梓くん」
──だからね、お願い。
それを伝える前に、支配者の声が響き渡った。
「お互いに遺言を言い合う場面は終わったかな?」
ばっ、と振り向くと、白髪の少女の姿を取った妖魔が薄ら笑いを浮かべこちらを眺めている。
時間切れ、ということね。
「お出ましね………」
短く息を吸って、吐き出す。
「頼むね、梓くん」
「待っ───!?」
「走ってっ!!!!」
叫び、駆け出し、そして、突きを繰り出す。
肉の裂ける音、骨が砕ける感触。そして、反射ごと引き千切る神経だったもの。──相手は普段着の女性、『だったもの』だった。
ごめんなさい、と思わず声が漏れる。その一瞬の逡巡を掻き消すように叫んだ。
「走ってっ!!!! 生きて……生きて、必ず帰って!!」
「っ………!!! うおああああああっ!!!」
声に押し出され、梓くんが弾かれるように飛び出した。
「必ず、追いかける。追いかけるからっ!!」
そのままに近くの骸を斬り伏せ、有象無象を薙ぎ払い、もう一度ぐっと踏み込み、突進に屍群を巻き込んで吹き飛ばす。
側を駆け抜ける風に少し笑みが浮かんだ。
「逃がすと思うのかっ!!」
リジェスタが采配を振り、屍達が梓くんに殺到する。
「追いつかせると思って?」
その魔物の中を突っ切り、そして一息に彼女の喉元に刃を突き立てる。
濁った血が舞った。
「残念ね………でも、狙い通り」
瞬時に割って入った屍の束が折り重なりリジェスタを守る。幾重にも重なった鋭く冷たい突きを無効化していた。
「この状況で、私狙いとは………命を捨てたか?」
「いいえ? 託したの。あなたを狙えば、戻ってくると思って」
「死ぬのが、怖くないのか?」
リジェスタの問いに首を振る。
「いいえ? 死ぬのは誰だって怖い」
でも、と言葉を継ぐ。
「それを乗り越えることが出来る。それだけよ」
「…それは、逃げていった奴の為か?」
「いいえ?」
彼女の問いに笑って答える。
「憧れてる人の真似をしただけ。それだけよ」
一人だった時、家を勘当されたとき、そして、悩んだ時、彼女は側にいて、手を引いてくれた。
孤独だった私に、居場所をくれた。
『──真耶』
思い出の中の彼女が、微笑む。
「大丈夫、大丈夫だよ、星羅。ちゃんとやるね」
再び、リジェスタに視線を向ける。
「ここで貴女を倒せば、私は生きて約束を果たせる。そうでしょ?」
「この期に及んで、まだ生きることを願うとは……天晴なやつだよ、お前は」
「そうね、昔から前向きとはよく言われるわ〜」
「下らんな………死ねっ!!」
刀を引き抜いて、一息に距離を取る。
アドレナリンが全身を満たし、脳が生存の為にフル回転を始める。眼前の屍の群れをどのように処理するか、それだけを見据える。
刀をいつもの構えに。
突きを繰り出しやすい変則の正眼。
呼吸は落ち着いている。身体はまだ動く。きっと……大丈夫。
「それじゃ………せいぜい足搔いてみましょうか。生存への道ってやつをね」
「貴様は何だ………? 何故そこまで……他人のために……」
「そうね……きっと、私も助けられたからかしら」
突いて、斬って、避けて、また斬って、突いて、受け流して、やっと躱して、斬って、斬って、受けて、突いて。
無限に続く地獄をギリギリで躱し、そして繋げる。
手足の感覚がそろそろ痺れて、リジェスタの顔に冷や汗が浮かび始める頃。群れを躱して、物陰で一息を入れる。
刀を置いて、傷を焼いて塞ぐ。己の中から聞こえる声を無視しながら、息を整える。
「うぅぅ……」
「!? 生存者!!」
微かに喘ぐ声に反応し、倒れ伏す身体を揺する。私よりも小柄な女性の身体。確か、名前は……後藤さんだった筈。出血箇所に破いた服を巻き、水を置いておく。
仲間が生きていたんだ、という安心感と、また逃がさないとという使命感でまた立ち上がる。
「走れるなら逃げて、駄目そうならここでじっとしてて」
声に反応しやってくる敵の気配を感じ、刀を手にとる。
一人でも……助けないと。
「ここから先は敵を通さないから」
「ぐ、ぅうううう、せん……ぱい」
「私が、なんとかする。大丈夫。大丈夫だから」
そうしてまた駆け出し、道を塞ぐように仁王立ちする。
「来なさい……ここから先は通さない………っ」
敵を待ち構え、刀を構え、また踏み込み、そして───
「がっ………ふっ…!?」
「うぅぅ、せん、ぱい。ころ、す」
私の身体に刃を突き立てたのは、倒れ伏していた女性。後藤さん『だったもの』であった。
ふっ、と気が遠くなりそうになりながら、振り払い、得物を弾く。肺にも刃が届いたのか、動くたびに口から鮮血が漏れだす。
「リジェ……スタッ………私の、仲間もっ……!!」
「残念ねぇ、惜しかった……というにはあまりにも遠すぎ」
「まだっ、私は………っ!!!──がっ!?」
いつの間にか接近していた屍に頭を殴られた。腕を掴まれた、腹を殴られ──
あたまがゆれている、じぶんのなか、から、しんじられないぐらい、ちがでて。
あれ? じめんが、ちか………
地面が急速に近づいて、激突したのが現在の脳で辛うじてわかったことだった。
かつかつ、と誰かが寄ってくる。
「まったく………半数くらいやられたかしら? まぁ、補充出来るからいいけど」
リジェスタが周囲を見渡す。死屍累々と積み上がる死体。真耶が倒し、欠損したリビングデット。血と腐臭が立ち込める地獄。
そこで地獄の主が笑う。
「全く、笑わせてくれる。脆弱で、欠陥品風情がっ!!!」
力が抜けて立てない身体が蹴り上げられる。芋虫のように転がる私。
「あら? まだ生きてたのね? どうしたい? 凌辱してもいいし、バラバラにして下僕達のパーツにしても良い。ねぇ、どうされたい? 愚かで無謀な勇士さん?」
「そう、ね………ごほ、っ……」
だんだんと冷たくなっていく身体を認識しながら、リジェスタに向き合う。
「ねぇ……あの子は、逃げられた、かしら?」
「あぁ……そうだな……どうやら同行者は優秀だったらしい」
「ふふふ、よかった……」
安心感が込み上げて、感覚のない指先が少しだけ動く。
「あのね、リジェ、スタ」
「……」
彼女は答えない。
「必ず、貴女を倒す人がここに来る。それ、まで……精々震えると良い、わ」
「───っ!!!!!」
逆上したリジェスタが、刃物を振り上げ……そして──
side リジェスタ
不快だ、不快だ不快だ不快だ不快だ不快だ不快だ。
鮮血が舞い、目の前の女はビクンと一度大きく跳ね、動かなくなった。あれだけの光を宿した瞳すらも、今は黒く濁っている。
あの御方を蘇らせる為とは言え、この女は不快だ。殺して、壊して、そして二度と戻らないようにしなければならない。
『いいえ? 誰だって死ぬのは怖い』
『それを乗り越えることが出来る。それだけよ』
何故不快なのか……その理由から目をそらしながら。
蹴り上げ、駒共に服を破かせ、パーツにしようか、という指示を出し、ピクリとも動かぬ死体が眼の前で凌辱される。
その肉体がぎりぎりと音を立て切り離される寸前、といったところで思い留まる。
にたり、と、口角が上がるのを抑えられなかった。
「そうね……それじゃ、本人にやってもらいましょうか」
『いいえ、託したの……』
「じゃあ、その託した望みからすり潰そうかしら……ね? 名もなき死体さん?」
呪文を唱え、目の前の死体に、仮初めの『生』を与える。
濁っていた瞳に鈍く光が宿り、土にまみれ、血に塗れた白く美しかった肌がピクリ、と微動する。
一糸まとわぬ均整の取れた身体が、不自然な動きで起き上がった。
今一度動き出す『真耶だったもの』におおよそ人らしい表情は見たらない。
柔和な笑みを浮かべていた顔は、貼り付けたような無表情に。白く綺麗な肌と異性も同性からも羨望の眼差しを受けていた肌は更に白く。戦闘時に生への執念と、希望を抱いていた瞳は今は何も映していない。
その無惨な姿を満足そうに眺めながら、濁った瞳を覗き込む。
「あなたの名前はわかるかしら?」
「何も………わかりません」
抑揚も、生気もない声が返ってくる。
「あぁ、脳へのダメージが結構酷いわねぇ」
いっぱい殴られてたものねぇ……と、ぼぅと立ち尽くす彼女を後ろから抱きすくめる。小振りな胸に腕を被せるように肩から手を回す。
「ねぇ、貴女は誰か教えてあげる」
「はい………」
「貴女は私の駒、私の思う通りに動いて、私のおもちゃになるの」
「は……い」
「うんうん、いい子ね」
血と油にまみれた髪をゆっくりと梳く。
「あなたはこれからゆっくりと時間を掛けて、自分を無くすの。オモチャになるたびに記憶を書き換えて、ゆっくりと壊れていくのよ」
「は………い」
虚ろな瞳は何も映さず、されるがままに立ち尽くす。
「それじゃ………そうねぇ、緊急で作って出来も悪いし、まずは貴女に仕事をあげる」
アレ、と真耶に最初に刃を突き立てた死体。後藤だったものを指を差す。
「パーツ取りするから、もう一度殺して頂戴。簡単でしょ?」
地べたに置いてあった刀を目の前に転がしてやる。からんからん、と空虚な音を立てて転がったそれを真耶の死体は拾い上げ………
「い、や………で、す」
また、それを地面に置いた。
その光景を見た瞬間、また口角が上がる。
「そう……そうね、やっぱり出来が悪くないと面白くない」
にこにこしながら、裸の彼女の頬にキスをする。そして、彼女の顔に手を翳し、意識を奪った。
息もなく眠る彼女を見遣りながら、私は一人呟く。
「ゆっくりと……ゆっくりと、貴女を漂白して私だけのオモチャにしてあげる。貴女はこれから記憶を失い、同胞を殺し、そして私だけのものになる」
生きていた頃の輝きを思い出しながら、笑い声を上げる。
「嫌なら、精々足掻くといいわ。出来るならだけど」
腐臭立ち込める地獄の中、その笑い声だけが響いていた。