ねずみ男 幻想郷に立つ   作:狸狐

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こんにちは、狸狐です。

 まさかのパソコンが使えなくなり、編集ができずやばかった。なんとか10月中に一本出してやると気合い入れて書いたら、クソ時間かかってしまった。

 仕事のストレスもヤバく、そろそろ発散しないと爆発してしまうかも。

 ハロウィンなのにハロウィンネタも書けず悔しい。本当なら10月に二本くらい投稿する予定だったのに。けど十一月はもっと出せるように頑張ります!!









仙人たちの本気と──覚醒

 

 

 霊夢が修行している間、井戸仙人の背中を追いかけて大柄な男は森の奥へと進んでいった。

 

 

『待て!』

 

「誰が待つかっ、デカブツ。儂を待たせたいのなら待たせたいと思わせる言葉を言ってみろ。ホホホ〜」

 

 

 井戸仙人は煽り散らかすだけで待つつもりはない。それがさらに怒りを爆発させ、やがて石造りの建造物が並ぶ場所へと辿り着く。そして一軒の家の中に入っていく。そこに男も一緒に入ると井戸仙人はすでに筋斗雲から降りて立ち止まっていた。

 

 

「・・・」

 

『へぇ、へぇ、へぇ……ふぅ、やっと追いついたぜ。逃げられんと思ってここに隠れたつもりだが残念だったな。袋の鼠だぜ、げぇっへっへっへっ』

 

「お前さん。暗いところは平気か?」

 

『あ?』

 

 

 井戸仙人の背後には井戸があった。

 苔むして何千年も経つような古井戸。その前で井戸仙人は中を覗きながら続けた。

 

 

「暗いところが怖いならママを呼んできても構わんぞ。だが、もし勇気があるのなら降りといで」

 

 

 井戸仙人は躊躇なく、井戸の中へ飛び降りた。

 

 

『なっ……!』

 

 

 大柄な男が井戸を覗き込む。

 底では井戸仙人がこちらを見て笑っていた。

 

 

『糞爺が〜〜〜っ』

 

 

 悪態をついてからニヤリと笑う。

 

 

『…へっ、そう言って煽ればこの俺が怒って降りてくるとでも思ってんだろ。古臭いんだよっ、やり方が。井戸なんて罠感丸出し。怒りのままに俺が降りたところ生き埋めにするって魂胆が見え見えっ。舐めやがって』ウキキキ

 

 

 男は井戸へ入るどころか、周囲を見回した。

 そして近くに転がっていた巨大な岩を見つける。男が岩を持ち上げる。

 

 

『だったらテメェが生き埋めになりやがれェッ』

 

 

 岩を井戸の口へ叩きつけた。

 井戸の入口が完全に塞がれ、男が笑う。

 

 

『ジジイの棺桶、一丁上がり!ギャハハ』

 

「そこまで単純じゃあなかったか!意外と賢くて安心したぞ」

 

 

 岩の向こうから、井戸仙人の声が聞こえる。

 

 

『あれ?』

 

 

 男が振り返る。

 井戸仙人は、いつの間にか少し離れた場所に立っていた。そして彼は別の井戸に腰掛ける。

 

 

『どうやって出た?生き埋めにしたのに』

 

「この井戸から。言ってなかったが、この一帯は昔、修行者たちが暮らしていたのだ。意外と多くてな生活に使う井戸が一つだと困ると言って幾つか作っていた。つまり、その井戸だけではないということじゃよ」

 

『!』

 

「そしてこっちが本命」

 

 

 地面から無数の蔓が飛び出した。

 男の足に絡みつく。さらに周囲の植物が一斉に動き出す。腕に。腰に。身体に。まるで生き物のように蔓が絡みつき、男の身体を一気に引っ張った。

 

 

『ぬわっ!?』

 

「いやぁ、ホホホ。お前さんが賢くて良かった。儂の罠が無駄にならなくて」

 

 

 男が踏ん張る。

 だが、植物の力は想像以上だった。

 

 

『こんなもの……!』

 

「やめとけ!植物ってのは地面を突き破る力がある。無理に抜こうとすると・・・」

 

 

 力任せに蔓を引きちぎる。

 しかし、その瞬間、足元が崩れた。

 

 

『あが──』

 

「ほら、言わんこっちゃない」

 

 

 身体が宙へ浮く。

 崩れた先にあったのはまた別の井戸。土の中に埋もれていたのだが崩れたことで現れた。蔓はその井戸から伸びているようだった。

 

 

『クソがぁぁぁっ!!』

 

 

 大柄な男の巨体が、井戸の中へ落下した。

 井戸仙人は、井戸の縁から静かに見下ろす。井戸の底には落下した男が呻き声を上げながら立ち上がる。

 

 

『いっ、でぇ…』

 

「ホホホ。よっと・・・」

 

 

 井戸仙人も降りた。しかし転がり落ちるのではなく、急成長した植物が優しく受け止めた。井戸仙人と男が向かい合う。井戸仙人が杖で地面を叩くと植物たちは周りを囲む。対する男は身に着けていた服を自ら引き裂いた。

 

 

「むぅ?」

 

『糞爺が。どんだけ俺をこの井戸に落としたかったんだよ。へっ、しょうがねえ。ならテメェの策にのってやる。お前のテリトリーであるこの井戸を──』

 

 

 そのまま自分の顔に手をかける。

 ベリッと引きちぎれる音と共に仮面が剥がれ落ちる。

 

 

『ここをテメェの墓にしてやるぜぇええっ!!』

 

 

 その下から現れたのは黄色い目。赤土のような肌に白い縞模様が走る異形の顔。顔面と同様色の身体。緑がかった髪。黒いローブを身につけて耳まで裂けた口の中からは鋭い牙がずらりと並んでいた。

 

 

「お前は南方の妖怪…、『アドバラナ』……?」

 

 

【アドバラナ】

 

 パプアニューギニアに伝わる邪悪な妖怪。

 太陽が昇っている間は暗闇に潜み、夜になれば活動を始める。隙間さえあればどんなところにも侵入でき、人間をマラリアにして死に至らしめる。

 

 

『その通り。俺こそバックベアード帝国の秘密部隊【夜の斧】の1人さ』

 

「お前の国は西洋妖怪たちにより占拠されたはず。なぜ西洋妖怪たちに仕え、霊夢を狙う?」

 

『そりゃあ、俺は賢いからな』

 

 

 胸を叩き、誇らしげに笑う。

 

 

「はあ?」

 

『俺は妖怪留学生としていろいろな国を渡り歩いた。その時にたくさんのことを学び、そしていかに自分の国が遅れていることを自覚した。俺は賢い。俺は強い。だが環境が悪い。俺を活かせることはできない。だからベアード軍に志願した。そして最高幹部のヨナルデパズトーリ様に選んで頂いた!!』

 

「愚かな……。忘恩負義とはこのことじゃな」

 

『何だって言え。俺は【夜の斧】として博麗霊夢の抹殺の任務を果たす。だからこんな所でジジイと遊んでる暇なんてねえんだよぉぉぉおっ!!』

 

 

 アドバラナが地面を蹴った。

 一瞬で井戸仙人との距離を詰める。

 

 

「!」

 

 

 井戸仙人は杖を構えツタを伸ばすが、アドバラナの鋭い爪が迫る。井戸仙人が伸ばした植物のツタが、一瞬で切り裂かれた。さらに別のツタを伸ばす。しかし、それもアドバラナの爪によって真っ二つにされる。

 

 

『罠に引き込んでおいて何もなし。しかも偉そうなこと言って戦闘力は全くないねぇっ!!馬鹿馬鹿しいねえっ!』

 

 

 アドバラナが吠える。

 その身体能力は凄まじかった。伸びてくるツタを次々とかわし、あるいは爪で切り裂きながら、一直線に井戸仙人へ迫ってくる。

 

 

(こっ、こえぇぇえ〜〜〜っ)

 

 

 井戸仙人は戦うための仙人ではない。

 薬学の知識は誰よりも深い。植物を操ることもできる。しかし純粋な戦闘能力では、アドバラナに及ばない。というか勝てるわけない。筋肉がない、皆無といっていいくらいに。

 

 

「うひっ、くっ……!」

 

 

 井戸仙人が後退する。だが、逃げ切れない。

 

 

『ジジイ殺しっ、らっくしょ〜〜〜っ』

 

 

 アドバラナの巨大な腕が振り抜かれる。

 井戸仙人の身体が吹き飛んだ。そのまま背後の棚へ激突する。薬瓶が大量に床へ落ちる。井戸仙人もその場に倒れ込んだ。

 

 

『ハハハハハッ!』

 

 

 アドバラナが拳を鳴らす。

 

 

『どうした、仙人!ダウンにゃあ早すぎるぜぇへへへへっ!ふぉーーーーっ!!』

 

「う、ぐぅ……っ」

 

 

 井戸仙人はすぐには立ち上がらない。

 どんなに賢くても身体は鍛えていない。痛みが広がり、腰が破裂しそう。汗をかかない井戸仙人も、何百年ぶりに脂汗を流す。

 

 

「こ、これは、きつい…。蝦蟇よ、早う来てくれぇ……。…ん?」

 

 

 

 ぶ〜ん。

 ぷ〜ん。

 

 

 

「不快な羽音じゃのう。これは蚊?」

 

 

 痛みに耐えるために閉じていた目を開けて天井を見上げると、どこから入ってきたのかは不明だが数匹ほど蚊が飛んでいた。蚊は大して珍しくないが、その種類はここにいないはずのものだった。

 

 

「ハマダラカ・・・?おっ、か、痒いっ」

 

 

 血を吸われたようだ。

 腕が赤く腫れ始め、痒みを伴いながら腫れは大きく広がっていく。

 

 

「こ、こりゃあまずい…!!」

 

 

 井戸仙人は懐から注射器を取り出すといきなり腕に注射した。薬液を体内に注入すると腫れは治まり、痒みも消えた。杖を支えに立ち上がるとアドバラナはやっと起き上がったなというように笑う。

 

 

「危ない危ない。流石にやばかった」

 

『お〜、素晴らしい対処だな』

 

「そりゃあマラリア原虫をいきなり体内に寄生されたら虫を殺すしかないじゃろ。それにしてもマラリア原虫を宿したハマダラカを操るとは恐ろしい力じゃ」

 

『これを活かせるのは西洋妖怪たちだけ。ちなみに一つ訂正させてもらうと俺の能力は──全ての蚊を操れる』

 

 

 

 

 アドバラナの能力【蚊の王(キンチョール)】

 

 毒や寄生虫を体に備えた蚊を自由自在にできる能力であり、アドバラナの体内に無数に飼っている。これを体から出してひっそりと相手を病気にし、いつの間にか殺してしまう。ただこの能力でアドバラナの身体に影響はなく、自分自身を強化したり、病気になったりはしない。

 

 

 

 

「だが惜しかったな。刺された所でマラリアを治す薬があるし、先ほど打った薬には身体に抗体を作るものがある。時間経過でいくら刺しても儂にマラリアは効かなくなる」

 

『すっごーい。でもこの量に耐え切れるかな?・・・がぱぁぁぁ』

 

 

 口を開く。

 そこから塊のようなものがブワアアアと溢れ出した。十匹。百匹。いや数えきれないほどの蚊が井戸の中を埋め尽くしていく。

 

 

「・・・こりゃあ参ったな。流石にこの量の薬は・・・む?」

 

 

 足元を見る。床には割れた薬瓶。乾燥した植物。薬草の粉末。いくつもの精油の小瓶が転がっていた。井戸仙人の目が、いくつかのものを捉える。

 

(シトロネラ。ハッカ。ゼラニウム。ニーム…………)

 

 井戸仙人の視線が、アドバラナへ向く。

 井戸仙人は倒れたまま、素早く手を動かした。床に落ちた小瓶。薬草。精油。それらを手元へ集める。

 

 

「シトロネラ……」

 

 

 少量。

 

 

「ハッカ……」

 

 

 さらに加える。

 

 

「ゼラニウム……ニーム……」

 

 

 即興だった。

 今、自分の目の前に現れた能力に対抗するための薬を、薬学の知識と経験を頼りに、その場で作っている。アドバラナはそれに気づいていない。

 

 

『あぁぁぁ……ぷはっ、へへへ』

 

 

 アドバラナが両腕を広げる。

 

 

『かかれ』

 

 

 蚊の大群が井戸仙人へ殺到する。

 井戸仙人の姿が、あっという間に蚊の群れに覆い隠された。蚊の群れが密集する。

 

 

『勝った』

 

 

 アドバラナは勝利を確信した。

 しかし、蚊の群れの中から、足音が聞こえた。

 

 

『・・・?』

 

 

 アドバラナの笑みが止まる。

 しっかりと操っているはずの蚊の群れが、ゆっくりと左右へ分かれていく。ちゃんと包めと、しっかり襲えと、ざっくり刺せと指示をしているのに勝手に動いている。

 

 

『馬鹿な』

 

 

 モーゼのようにパックリと割れた蚊の群れの中から井戸仙人が歩いてきた。アドバラナが目を見開く。井戸仙人は平然としている。蚊に血を吸われた様子もない。身体もふらついていない。

 

 

『なぜだ!?』

 

 

 アドバラナが叫ぶ。

 注射器が転がる足元で井戸仙人は、先ほど倒れた際に作った小瓶を手にしていた。

 

 

『…何だ、それは!?』

 

「蚊避け薬だ」

 

 

 井戸仙人が薬を身体へ塗っていた。

 薬瓶を掲げる。

 

 

「蚊が嫌う成分を組み合わせた」

 

『ふざけんな……!親の言うことは聞けっ、さっさと行け!』

 

 

 どんなに指示を出しても井戸仙人の身体の手前で、蚊たちが止まる。ブンブンと周囲を飛び回るだけ。決して身体には触れられない。アドバラナが愕然とする。井戸仙人は静かに歩み寄る。

 

 

「羽や手足に指示を出した所で嫌いという本能は動かせない。動かそうにも頭と心が嫌がっておるんだ。無駄じゃ、残念だったのお」

 

 

 杖を構える。

 アドバラナは悔しげに歯を食いしばった。自分の操る蚊の大群が、目の前の老人ひとりにまるで通用しない。その事実が、どうしても許せなかった。しかし、ふとアドバラナの脳裏にある考えが浮かぶ。

 

 

(そうだ。自分はまだ、力でこいつを圧倒している!)

 

 

 薬だの植物だの、小賢しい知恵に頼る老人。真正面からの力比べなら、自分の方がはるかに上だ。アドバラナは蚊の群れを引き下がらせると、鋭い目で井戸仙人をにらみつけた。

 

 

『そんな事で俺に勝ったつもりか?』

 

 

 井戸仙人は、警戒しながらも動かなかった。

 次の瞬間、アドバラナの口が大きく開いた。その口の奥から、巨大な蚊の口吻を思わせる、細く鋭い針が伸びてきた。

 

 

『蚊が役に゛立だなくでもぉぉぉ……がばぁぁぁ…っ、おれがあぁぁぁ…ざあぁぁぁすぅぅぅぅ…!!』

 

「なにを!?」

 

『カァーーーッ、アッハハ!!』

 

 

 井戸仙人が反応するよりも早く、針がその身体に突き刺さる。

 

 

「ぐあっ……!」

 

 

 アドバラナは針を通じて、井戸仙人の血を直接吸い上げ始めた。

 蚊の群れを使わずとも、これならば確実に仕留められる。

 

 

「あ、…ぁぁ……あ…」

 

『ごぎゅっ、ごぎゅっ……、くそひひいのひぃぃい゛っ、まずぅぅぅぅ…、ごぎゅっ、ごぎゅっ』

 

 

 お腹に巨大な針が刺さり、そこから大量の血液を吸われる。アドバラナは勝利を確信し、口元を歪めた。

 

 だが――。

 

 

『ぐ、が……っ』

 

 

 突然、アドバラナの表情が変わった。

 身体が大きく震え、井戸仙人から針を引き抜く。足元がふらつき、両手で喉元を押さえながら、その場でもがき始めた。先ほどまでの余裕は、どこにもなかった。

 

 

『あ゛っ、ぁぁぁぁっ、何を、な、何を……した……!』

 

「お前さんが……ぜぇっ、ぜぇっ、わしの血を吸うだろうと想定してた」

 

 

 苦しそうな顔で井戸仙人は自分の腕に目を落とした。

 

 

「さっき薬品棚にぶつかったとき、蚊除け薬を作るのと同時に【ニチノシン』を体内に打っておいたんじゃ……ひぃっ、ひぃっ」

 

 

 ニチノシンとは、蚊を死に至らしめる毒。

 それが今、井戸仙人の血と混じっていたのだ。蚊のような針を通じて血を吸ったアドバラナは、自らその毒を取り込んでしまったのである。

 

 

『ば、馬鹿な……この俺が……!!成り上がるはず、だった、の、に………ぅっ』

 

 

 アドバラナは最後まで信じられないといった様子で、井戸仙人をにらみつけた。やがて、その身体から力が抜け、地面に倒れ伏した。もう二度と、立ち上がることはなかった。無数の蚊たちも、主を失ったことで統率を失い、次々と散っていく。

 

 

 静寂が戻った井戸の底で、よろよろと倒れるように伏してしまう井戸仙人は深く息を吐いた。

 

 

「これぞ薬学の応用じゃ。儂、もうダメ……」ガクッ

 

 

 

 

 

 

※※

 

 

 

 

 カイラス山の奥深く、木々の生い茂る山道を、一人の男が駆け抜けていた。その男の名は蝦蟇仙人。普段はのんびりとした性格の彼だが、今は険しい表情を浮かべ、後方を警戒しながら走っていた。

 

 

「ほっほっほ……まさか、わしのスピードについて来れるとはのお!」

 

 

 その背後から、一定の距離を保ちながら追跡してくる細身の男がいた。黒いスーツに身を包み、無駄のない足取りで木々の間を駆けている。息一つ乱していない様子で、蝦蟇仙人を追い続けていた。

 

 

『この程度のスピードで大きい顔しないでください』

 

 

 男がそう言うと、蝦蟇仙人は振り返りもせずに答えた。

 

 

「いや〜〜なるほど。年寄りの散歩に付き合ってくれるとは、ずいぶん親切な若者じゃのう!」

 

『…減らず口を』

 

 

 男が右腕を振った。

 次の瞬間、袖口から飛び出したのは、羽の形をした鋭い刃だった。刃は風を切り、蝦蟇仙人の背中へと迫る。しかし、蝦蟇仙人は振り返りもしなかった。刃は頭部にあたるのだがヌルリと皮膚を伝って、背後の木の幹へ突き刺さった。

 

 

『なに?』

 

「おお、危ない危ない」

 

『避けた、のか。なら、これはどうです!』

 

 

 男は今度、両腕を広げた。

 袖口から次々と羽型の刃が飛び出し、左右から蝦蟇仙人を挟み込むように襲いかかる。ヒュンッと風を切る音が響くが蝦蟇仙人は焦ることはなかった。

 

 

「よいしょ」

 

 

 蝦蟇仙人は地面を蹴り、木の根を踏み台にして跳び上がった。刃は足元を通過し、互いにぶつかり合って甲高い音を立てる。着地した蝦蟇仙人は、さらに山道を駆けていった。

 

 

「まったく、最近の若者は気が短くていかんのう!刃物を投げる際には確実に一本ずつ投げるのが常識じゃろ。馬鹿みたいにたくさん出しても途中で刃物同士がぶつかるに決まっておるわ」

 

『ご指導感謝しますよっ、はぁっ!!』

 

 

 羽型の刃が何度も飛ぶ。しかし、蝦蟇仙人はそのたびに身をひねり、跳び、あるいはほんの少し歩幅を変えるだけで、ことごとく回避していく。男の攻撃は正確だったが、蝦蟇仙人はその軌道を読んだり、体に当たっても受け流したりして全てを防ぐ。

 

 

「よし」

 

『?』

 

 

 その直後、木々の隙間から開けた景色が見えてきた。山道の先に広がっていたのは、濁った水をたたえる広大な沼地だった。周囲には背の高い草が生い茂り、ところどころに大きな岩が突き出している。ここは蝦蟇仙人にとって、見慣れた場所。以前に博麗霊夢が修行に訪れた沼地だった。そして、この沼地の中央には、ひときわ大きな古木がそびえ立っている。蝦蟇仙人は沼の縁まで来ると、ぴたりと足を止めた。

 

 

「到着」

 

 

 男も数歩遅れて立ち止まる。

 

 

『ここが、あなたの縄張りですか?』

 

「まあ、そんなところ」

 

 

 蝦蟇仙人は振り返った。先ほどまで浮かべていた人懐っこい笑みは、そのまま残っている。だが、その目には、先ほどまでとは違う鋭さが宿っていた。

 

 

「さて……」

 

 

 蝦蟇仙人はゆっくりと沼の上へ足を踏み出した。すると、信じがたいことに、その足は水面に沈まなかった。蝦蟇仙人は沼の中央付近まで進むと、そこで立ち止まった。

 

 

「お待たせした。遠慮はいらんからかかっておいで。この蝦蟇仙人がぶちのめしてやるから」

 

 

 右手を持ち上げ、人差し指を男へ向ける。

 くい、くい。まるで挑発するように、指を二度動かした。

 

 

『・・・・・・はぁ』

 

 

 男は小さく息を吐いた。

 そして、ゆっくりとネクタイに手をかけた。すっと緩め、それを首から外す。続いて上着のボタンを外し、黒いスーツを脱ぎ捨てた。上着が沼地へ沈み落ちる。

 

 

「むぅ」

 

 

 その下から現れたのは、人間のものとは明らかに異なる異形の体だった。背中から大きく広がる、鳥の翼。腕や肩を覆う羽毛。人間のような姿を保ちながらも、その顔立ちには猛禽を思わせる鋭さがあり、瞳は獲物を見定める鳥のように冷たく光っていた。

 

 

『蝦蟇仙人…、ふーん、蝦蟇ねえ。醜悪で愚鈍、それでいて弱い。どうやら貴方はアドバラナと戦った方が相性が良かったのでしょうね。私とは最悪だ』

 

 

 細身に見えた体には、しなやかな筋肉が備わっている。そして、両腕の周囲には、先ほど飛ばしていたものと同じ羽型の刃が浮かび上がった。男は背中の翼をゆっくりと広げた。突風が吹き抜け、沼の水面に大きな波紋が広がる。

 

 

「相性だと?」

 

『ええ。とっても最悪です。私にとっては貴方は最高ですがね』

 

 

 男は蝦蟇仙人を見下ろすように、冷ややかな声で名乗った。

 

 

『我が名は──“スィームルグ”』

 

 

 その名を告げた瞬間、翼が大きく羽ばたいた。

 

 

『鳥は蛙を食らう。蝦蟇は捕食対象に過ぎないのですよ!!』

 

 

 翼を大きく広げた瞬間、その姿が空中へと舞い上がる。凄まじい速度で旋回し、蝦蟇仙人の死角へ回り込んだ。次の瞬間、鋭い爪が襲いかかる。しかし、蝦蟇仙人はわずかに腕を動かしただけだった。

 

 

「ほいさ」

 

 

 爪の軌道を正面から受け止めず、腕で逸らす。スィームルグの身体が勢い余って横へ流れた。

 

 

『くっ』

 

 

 スィームルグは翼を打ち、紙一重で上空へ逃れた。間髪入れず、無数の羽手裏剣が放たれる。刃となった羽根が、四方八方から蝦蟇仙人へと飛来した。だが、蝦蟇仙人は一歩も退かなかった。

 

 

「はいはいはいっ」

 

 

 腕を払い、手のひらを返し、時には身体を半身にずらす。飛来する羽手裏剣を一枚ずつ受け流し、攻撃の軌道を巧みに変えていく。羽手裏剣は蝦蟇仙人の身体をかすめることすらできず、次々と地面へ突き刺さった。

 

 

(なぜ当たらん)

 

 

 スィームルグの目が細くなる。遠距離からの攻撃では仕留められない。翼を畳み、急降下。嘴を前方へ突き出し、蝦蟇仙人の胸元を狙って突進した。その速度は、先ほどまでとは比べものにならない。対する蝦蟇仙人は、突進してくるスィームルグを見据えたまま、静かに構えを変えた。

 

 

『射抜く嘴(アクセル・バイク)ッ!!』

 

 

 嘴が胸元へ迫った瞬間、身体をわずかに傾ける。片手で嘴の軌道を横へ流し、もう片方の手で相手の勢いを受け流した。スィームルグの身体が、蝦蟇仙人の目の前を通り過ぎる。

 

 

「随分と分かりやすいのぉ」

 

 

 その一瞬を、蝦蟇仙人は逃さなかった。踏み込みと同時に腰を回し、全身の力を拳へと集中させ、一撃を繰り出す。その拳がスィームルグの胸に深々と打ち込まれた。

 

 

『ぐぶっ……!』

 

 

 スィームルグは口から血を吐き、勢いよく吹き飛ばされた。翼を広げて体勢を立て直そうとするも、衝撃が大きく、地面を転がってようやく止まる。地面に倒れ伏したスィームルグは、翼を垂らしたまま動かなくなっていた。

 

 

「・・・」

 

 

 全身は傷つき、幾度も叩き込まれた蝦蟇仙人の連撃によって、立ち上がる力さえ残っていないように見えた。蝦蟇仙人は構えを解かずに警戒する。翼が、かすかに動いたが何も起きない。

 

 

『・・・』ニヤ

 

 

 その羽根の中に、ほかとは明らかに異なる輝きを放つ一枚があった。柔らかな光を帯びた、不思議な羽根だった。それがはらりと抜け落ちると羽根から温かな光があふれ出し、スィームルグの身体を包み込んだ。

 

 

「!?」

 

 

 傷ついていた身体がみるみるうちに回復していく。乱れていた羽根も元通りになり、弱々しかった呼吸は落ち着き、消耗していた体力までもが完全に回復していった。やがて光が消えると、スィームルグは何事もなかったかのように立ち上がった。

 

 

「・・・やっちったか」

 

『攻撃だけに意識を集中させたのが失敗でしたね』

 

 

 

【スィームルグ】

 イランや北インドに伝わる鳥の王である。

 象をも持ち上げて喰らう怪力に、どんな傷をも癒す羽根を持つとされている。

 本来は優しい性格をした妖怪であるが、優しい性格なのは育ての親による性質があり、悪人に育てられると邪悪な性格となる。

 

 

 

『私を卵の頃から育ててくれた父、ヨナルデに報いるためここで死ぬわけにはいかない』

 

 

 スィームルグは地面を蹴り、蝦蟇仙人へ向かって突進した。その拳が蝦蟇仙人へ迫る直前、スィームルグの腕が異様な変化を始める。拳そのものが膨れ上がり、瞬時に巨大化していく。

 

 

『部分倍化(イスファンディ)ッ!!』

 

 

 身体の一部分を巨大化させ、その破壊力を飛躍的に高める能力だった。巨大な拳が、蝦蟇仙人めがけて振り下ろされる。轟音が沼全体に響き渡った。スィームルグは巨大な拳を振り抜き、蝦蟇仙人を吹き飛ばした。

 

 

『・・・今の感覚、なるほど。分かったぞ。お前の力は……“受け流し”だな。だが流石に巨大すぎる衝撃は逃しきれないようだな』

 

 

 煙の中から、蝦蟇仙人がゆっくりと姿を現した。

 衣服には多少の乱れがあり、身体にも軽い衝撃が残っている。だが、深刻な傷は見当たらない。むしろ無傷に近い。

 

 

「いや〜〜〜っ、ぶっ飛ばされるなんて久しぶりだ。お陰さんで頭にしっかりと血が巡ったわい」

 

 

 蝦蟇仙人は再び構えを取った。

 

 

「巡ると頭もよく働いてきた。楽しんでる場合じゃなかった。……お前さんとのお遊びもさっさと終いにして妖犬を助けに行かねえとなあ!!そうだろうっ、大蝦蟇ァッ!!」

 

 

 直後、沼の水面が大きく波打ち、巨大な大蝦蟇が姿を現した。

 大蝦蟇は大きく口を開き、突然のことで動き切れなかったスィームルグに向かって虹色に輝く毒気を噴き出した。

 

 

「ゲロォォ〜〜ブハァ〜ッ」

 

『!? か、体が痺れ……っ!!』

 

 

 七色の毒気がスィームルグを包み込む。たちまち手足が痺れ、翼の動きが鈍くなった。自慢の怪力も発揮できず、空中で体勢を崩してしまう。その隙を逃さず、大蝦蟇は手にした薙刀を振り抜いた。

 

 

『ぐあああっ!?』

 

 

 薙刀の一撃を受けたスィームルグは、勢いよく吹き飛ばされた。しかし蝦蟇仙人はその行く先を見極めていた。吹き飛んでくるスィームルグを前に、蝦蟇仙人は静かに構える。スィームルグの身体が目前に迫った瞬間、蝦蟇仙人はその勢いを正面から受け止めることなく、巧みに受け流した。身体の向きを変え、腕で軌道を導き、相手の勢いを殺さずに進む方向だけを変えていく。

 

 

「一名様ご案内、だ」

 

 

 痺れた身体では抵抗することもできない。スィームルグは蝦蟇仙人の操る軌道に乗せられ、巨大な古木の幹に設けられた入口へと流されていった。スィームルグの身体は入口を通り抜け、古木の内部へと飛び込んでいった。

 

 

『ぐっ、ここは・・・?』

 

「ようこそ、妖怪関ヶ原へ」

 

 

 その先に広がっていたのは、霊夢が蝦蟇仙人との修行に使った広大な異空間──【妖怪関ヶ原】だった。後ろから蝦蟇仙人がゆっくりと姿を現す。蝦蟇仙人はスィームルグを見据え、静かに告げた。

 

 

「さて。大変申し訳ないが、この場所に入った時点でお前さんの負けだ」

 

『なに?はっ、見たところお前の固有結界のようなところだろうがな、私はいかなるダメージも回復できる。どんな攻撃をしようと全て無駄だ』

 

「重力1(・)0(・)0(・)0(・)倍(・)」

 

『!?』

 

 

 凄まじい圧力が、スィームルグの全身を襲った。

 骨が軋み、彼の身体が一気に押し潰されるように沈み込む。脚の骨が折れ、両手が床に叩きつけられた。

 

 

『ぐっ……お、おおおおっ……!?』

 

 

 スィームルグは必死に腕を突っ張った。象を持ち上げるほどの怪力を誇る両腕に、ありったけの力を込める。しかし、身体は一ミリたりとも持ち上がらなかった。まるで山そのものを背負わされたかのような圧力。胸が床へ押しつけられ、息を吸うことさえ困難になる。

 

 

『ゔっ、かっ、ひゅ…ひゅ……っ』

 

 

 蝦蟇仙人は、もがくスィームルグを見下ろした。

 

 

「スィームルグ。確か鳥の王と呼ばれる妖怪で象を巣まで運び喰らうらしいな。……だが今、お前さんだけは重力が1000倍になっとる。大体100キロあるお前さんの重さは今、1000000キロになっとるわけ。象より重いものは運べんだろ?」

 

 

 早く回復して体制を整えなければと羽根を落とそうとする。蝦蟇仙人は止まることなくただ見下ろした。

 

 

「悪いなぁ。この空間の中だと儂は無敵になり、儂以外は全ての力を失う。力以外にも特技や技術、才能なんかも発揮できん。儂がルールなんだ」

 

 

 スィームルグの血の気が引く。

 

 

「ほっほっほ。まぁ、もちろん制約はあるがな。この空間は大木と一心同体。大木の中以外に妖怪関ヶ原を発生させることはできないし、大木が壊されたり燃やされたりしたら空間も消え、儂(・)も(・)死(・)ぬ(・)」

 

 

 蝦蟇仙人が一歩踏み出す。

 

 

「まぁ、この空間の秘密を知ったところでどうにもできんがね」

 

 

 蝦蟇仙人が手を掲げると、床からシダ植物の葉が伸び、スィームルグの手足と翼に絡みついた。蝦蟇仙人は静かに告げた。

 

 

「では、またな」

 

 

 蝦蟇仙人が指を鳴らす。

 スィームルグの身体が淡い光に包まれ、鳥人の姿が徐々に変化していく。

 

 

『むっ、ゔぅぅぅーーーーーーーーー』

 

 

 声が途切れた。

 そこにいたのは、一匹の大きなガマガエルだった。

 

 

『げろ。げろげろ』

 

 

 蝦蟇仙人はガマガエルを持ち上げると空間を抜けた。抜けた先で沼にガマガエルを放つ。実は、この沼地に生きるガマガエルたち全てが元々は邪悪なる妖怪たちであった。だが蝦蟇仙人や大蝦蟇に妖怪関ヶ原に投げ込まれてはガマガエルへと封印されてしまっていたのだ。

 

 

「・・・さーて井戸のやつは無事かな。妖犬は余裕だろうが」

 

「儂は無事じゃ〜」

 

 

 筋斗雲に乗ってふわふわと井戸仙人がやってくる。

 傷だらけでボロボロだ。

 

 

「おおっ!生きてたか!元気そうでよかった」

 

「死んだと変わらん。もう全身傷だらけで辛いのなんの…。とりあえず雷獣の睾丸を飲んでドーピングじゃ。無理やり動かしてるわい。お前さんは……相変わらずのチート空間でデタラメやり放題か」

 

「カカカッ、だがあの木に入らなければ意味がない。とりあえず妖犬の元へ向かおう。加勢せねば」

 

「八仙の最強じゃし、杞憂だろうよ」

 

「まぁ、そりゃそうか!ガハハハハハッ」

 

 

 

 

 

 

※

※

 

 

 

 

「「!?」」

 

 

『あっはははは!よっわーい!ざ〜こざ〜こ♡』

 

 

 クラウンピースは倒れた妖犬仙人の背中に乗り、両手を広げてくるくると踊っていた。

 

 

『ねえねえ、あんたって八仙の中でいっちばん強いんだよね。それなのに、アタイみたいな小娘に好きにされてる気分ってどう?ねぇねぇっ、教えてよ♡あはははっ!』

 

「・・・っ」

 

『えーっ、無視?だっせ〜♡頭も力もよわよわの分際でアタイに唯一抵抗出来るのは口だけとかキモすぎて超笑える♡」

 

「貴様!妖犬に何をした!」

 

 

 蝦蟇仙人が怒声を上げると、クラウンピースはぴたりと踊るのをやめた。

 

 

『あれぇ?アドバラナとスィームルグは?何あいつら負けた?……使えねー。雑魚すぎじゃん。こんな枯れ木どもに負けるとかさァッ。あーあ、新しい部下たちを用意してもらわないとなァ』

 

「そんな心配しなくていいぞ。今から地獄に送ってやるからな」

 

「待て待て、冷静になれ。あの妖犬がやられてんだぞ。落ち着くんじゃ」

 

「落ち着いてられるか!!」

 

 

 蝦蟇仙人は力を込める。

 すると全身が膨れ上がり、筋肉が隆起し、身長が今の2倍となる。筋肉が込み上げた大男へと変わる。

 

 

「ふぅ……解放率100%だ」シュウウウウ

 

『きっも〜。うげぇ、なんでここにきてカエルじじいの裸なんて見なきゃいいいけないわけ?』

 

「援護頼むぞっ、井戸仙人!!」

 

「馬鹿もんっ!──クソッ、早まりおって。伸びろ、食虫植物!!」

 

『脳筋すぎでしょ』ニマァ

 

 

 蝦蟇仙人は飛びかかった。

 しかしクラウンピースは手に持つ松明を掲げると、それを見た蝦蟇仙人の動きが止まる。全身から力が抜け、そのまま地面へと崩れ落ちた。蝦蟇仙人の背後から伸びる食虫植物には松明の炎を飛ばして一気に燃やす。

 

 

「蝦蟇仙人っ!?」

 

『はい、あなたもこれで終わり』

 

「あっ」

 

 

 井戸仙人の目の前にはクラウンピースが立っていた。彼女が松明を目の前で揺らすと井戸仙人は意識を失い、その場に倒れる。3人の仙人たちが一気にやられると、その光景を見てクラウンピースは腹を抱えて笑い出す。

 

 

『あっははははは!敵の能力が分かんないのに突っ込んでくるとか猪じゃん!バカすぎ〜っ、頭空っぽの馬鹿ばかりで超ウケる』

 

 

 彼女は倒れた二人の周りをぴょんぴょん跳ね回った。

 

 

『仙人共も排除完了したし、残るは霊夢ただ1人か。けどどこにいるのかなァ。探すのめんどー』

 

「・・・っ、うぐっ」ヨタァ

 

『あれ?起き上がれるんだ、すごいね。犬のくせに』

 

 

 起き上がったのは妖犬だった。

 彼は震える身体に鞭を打って無理やり立ち上がる。

 

 

「こ、心を支配する力…。松明を見たものをおかしくさせるのか。ぐっ、うっ、油断したが、俺は心を空にできる。支配されたが抜け出せたぞ……」

 

『へーすごいすごい。けどさ、空にしたところで直ぐにアタイの狂気が埋めちゃうよ』

 

「そしたらまた心を……ふぅ…空にすればいい。悪いが、お前にとって俺は相性が悪い…!」

 

『えー!ばかじゃん♡相性の良し悪しってのはさ、雑魚の言い訳にすぎないんだよ』

 

 

 松明をくるりと回し、彼女は楽しそうに言い放った。

 

 

『身体の方はビビってんじゃん』

 

「!!」

 

 

 再び倒れ込む妖犬。

 クラウンピースはしゃがみ込んで、その顔を覗く。

 

 

『確かに心をまっさらにすれば狂気からは逃れられる。洗脳できなくて悔しいなあ。でも一度アタイの狂気の炎を見たものは身体の方も狂っていく』

 

「ば、ばかな…っ、これは…、精神に介する力を上回っている……!?」

 

『そして狂気から逃れたいがためにあんたの身体はアタイの言うことを聞く。心まで染まっちゃえば何も気付くことなく怖いことなんてないのにね。意識がある分最悪だね。あーあ、かわいそー♡』

 

 

 妖犬の身体が勝手に動く。

 手が首にかかり、ゆっくりと絞めていく。

 

 

「あっ、ぐっ…」

 

『心まで乗っ取られれば気づかないで死ねたのに。おじさん、かわいそー♡変に抵抗するからそうなるんだね』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

※

※

 

 

 

 

 

『そのまま……』

 

 

 霊夢は、ぽつんと立っていた。

 目の前には、古びた絞首台がある。頭上から垂れ下がる一本のロープが、まるで霊夢を招くかのように、闇の中で揺れていた。周囲には何もない。音も、光も、人の気配もない。

 

 

「……」

 

 

 霊夢はぼんやりとロープを見つめていた。

 これまでの修行で味わった苦しみ。迫り来る西洋妖怪の脅威。自分の力が足りないという現実。そして、守りたいものがあるのに、まだそのための力を手に入れられていないという焦り。そうした思いが、暗闇の中で霊夢の心を覆い尽くしていた。やがて霊夢は、ゆっくりとロープへ手を伸ばした。

 

 

『死ね』

 

 

──ズキンッ

 

 

 

「──っ!?」

 

 

 突然、頬に鋭い痛みが走った。

 霊夢は思わず顔を押さえた。ロープへと伸びていた手が引っ込む。

 

 

「な、なに…?」

 

 

 痛み出した頬に触れた。

 その瞬間、その痛みの原因を思い出す。そうだ、この痛みには覚えがあった。忘れるはずもない。

 

 

「……ぁ…」

 

 

 カイラス山へ修行に来る前、魔理沙に頬を叩かれ、喝を入れられた時の痛みだった。

 

【目ぇ覚ませよ、霊夢!!】

 

 脳裏に、魔理沙の声がよみがえる。

 あの日、魔理沙は真剣な顔で自分を見つめていた。普段の軽口とは違う、必死な表情だった。そして、霊夢は思い出した。魔理沙と交わした約束を。

 

 

「……なんで…、分からなかったんだろ」

 

 

 霊夢の瞳に、わずかな光が戻った。

 闇はその異変に気づく。霊夢がなぜか、どうやって、なにをして、光を取り戻したのかは不明だが、闇の中から出ようとしているのは感覚でわかる。

 

 

『霊夢、お前は死んでくれないのか・・・。私たちはお前のせいで・・・』

 

 

 闇が再び魔理沙の姿をして声をかける。

 落ちろ、落ちろ、堕ちろ。そういう歪んだ願いを込めて落ちろと何度も繰り返す。だが霊夢の瞳に宿った光は消えることはなかった。むしろ光は増していき、闇の声が届かなくなる。

 

 

「魔理沙が誰かのせいにする?死を望む?……そんなこと、言わない。魔理沙の姿にいくら似せても中身がまるで違う…!!」

 

 

 魔理沙は絶望したところで誰かを責めず、己の力不足だと自分自身を恥じて鍛え直すし、どれだけ苦しくて、どれだけ絶望的な状況でも、こんな結末を望むはずがない。

 

 それに私が諦めてしまえば、魔理沙との約束はどうなる。病室で眠る紫を見て決めた覚悟はどうなる。幻想郷を守るために、ここまで来たのではなかったのか。西洋妖怪との戦いに備え、三人の仙人のもとで修行を積んできたのではなかったのか。

 

 

 そのすべてを、こんなところで無駄にするつもりなの?

 

 

 

「……冗談じゃないわよ」

 

 

 霊夢は顔を上げた。

 先ほどまでの虚ろな表情は、もうなかった。

 

 

「私は博麗の巫女よ。幻想郷を守るのが、私の使命であり存在理由…!!」

 

 

 握りしめた拳に、力がこもる。

 霊夢は、目の前のロープから手を離した。すると闇が、かすかに揺らいだ。絞首台の輪郭がぼやけ、足元の地面が音もなく消えていく。周囲を覆っていた暗闇にも、亀裂が走り始めた。まるで、霊夢の決意を拒めなくなったかのように。

 

 

「私の……邪魔を…するなァァァァーーーッ!」

 

 

 霊夢が叫んだ瞬間、闇が砕け散った。

 霊夢の目の前に広がったのは、先ほどまでの不気味な暗闇とはまるで違う景色だった。

 

 

「……あ、れ、ここは?」

 

 

 そこには、一本の山道が続いていた。

 道は歩きやすいように整えられ、足元には石が敷かれている。道端の草木も適度に刈り取られており、山の中にしてはずいぶんと歩きやすい。

 

 自然にできた獣道ではない。明らかに、人の手が入っている道だった。

 

 

「さっきまでの場所とは、全然違う……いや、これが本来の姿なのかな…」

 

 

 霊夢は周囲を見回した。

 あれほど不気味だった空気も、今は落ち着いている。風が木々の葉を揺らし、鳥の声さえ聞こえてくる。しかし、ここが妖犬仙人の言っていた入らず山道であることに変わりはない。霊夢は気を引き締め、道の先へと歩き始めた。

 

 しばらく進んだところで、道沿いに一軒の建物が見えてきた。

 

 

「……家?」

 

 

 それは、ひどく古びた小さな家だった。

 

 

「こんなところに?」

 

 

 壁はところどころ崩れ、屋根も傷んでいる。長い間、人が住んでいないことは一目でわかった。周囲には雑草が伸びているが、建物そのものは山道から少し外れた場所に、ぽつんと残されていた。霊夢は足を止めた。

 

 

「誰か住んでいたのかしら……」

 

 

 戸は閉じられたまま。窓の向こうにも人影は見えない。それなのに、霊夢はなぜか、その家から目を離せなかった。ただの廃屋とは思えない。

 

 

「……今は、先に進みましょう」

 

 

 霊夢は小さく首を振り、再び山道を歩き出した。

 やがて、道の先に小さな祠が見えてきた。

 

 

「……あれが、レワ?」

 

 

 それは、山の中にひっそりと建てられた小さな祠だった。華美な装飾はなく、古びてはいるものの、周囲はきちんと整えられている。まるで、誰かが今も大切に守っているかのようだった。霊夢は祠の前に立ち、静かに中へ入った。内部は薄暗く、ひんやりとした空気に満ちている。

 

 そして、奥へ目を向けた霊夢は息をのんだ。岩の割れ目から、澄みきった水がこんこんと湧き出していたのだ。水は絶えることなく流れ、小さな水たまりを作っている。光を受けてきらきらと輝くその水は、どこか普通の湧き水とは違う神聖さを帯びていた。

 

 

「これが……命の水」

 

 

 霊夢は水の前に膝をついた。

 妖犬仙人から聞いていた、最後の目的地。この水を飲むことが、修行の仕上げになる。霊夢は両手で水をすくい、口に運んだ。

 

 

「……っ!」

 

 

 全身に、力がみなぎった。

 身体の奥底から熱が広がり、今まで感じたことのないほどの活力があふれ出す。疲労が消え、身体が軽くなる。

 

 だが、それだけではなかった。

 

 水が喉を通った途端、霊夢の内側に何かが流れ込んできた。山に宿る神秘。大地を巡る霊気。目には見えない自然の力。神仏にまつわる気配や、長い年月をかけて積み重なった霊的な力。それらが一つ、また一つと霊夢の体内へ取り込まれていく。

 

 

「な、何……これ……!」

 

 

 霊夢は自分の身体を見つめた。

 今まで感じ取れなかったものまで、はっきりと感じられる。風の流れ、地面の奥に眠る力、遠く離れた場所にある気配。世界を構成するさまざまなものが、まるで手に取るように伝わってくる。

 

 それらは霊夢の中で混ざり合い、ひとつの大きな力となっていった。身体も、感覚も、霊力も、そのすべてが別次元へと引き上げられていく。まさに、超絶的な進化だった。

 

 

 霊夢はゆっくりと立ち上がった。

 自分の中に満ちた力を確かめるように、そっと拳を握る。

 

 今ならわかる。

 

 井戸仙人から学んだ知恵。蝦蟇仙人から学んだ技。そして、妖犬仙人のもとで向き合った心。三つの修行が、自分の中でひとつにつながったような感覚があった。

 

 

 霊夢は祠の奥に目を向け、静かに頭を下げた。

 

 

「……ありがとう」

 

 

 そして、祠を後にした。

 次の瞬間。

 

 

「え!?」

 

 

 霊夢は、見覚えのある場所に立っていた。

 そこは、入らず山道の入り口だった。

 

 

「戻ってきた……?」

 

 

 つい先ほどまで歩いていた山道も、古びた家も、レワの祠も見当たらない。まるで、あの一連の出来事が夢だったかのようだった。だが、身体の内側に満ちる力は確かに存在している。

 

 霊夢は自分の手を見つめ、ゆっくりと握りしめた。

 

 

「夢じゃないわね……」

 

 

 以前とは明らかに違う。

 自分の中にある力が、はっきりと感じられる。

 

 

 

 それと同時に、この山に広がる邪悪な気配と仙人たちの命が危ないことも感じた。霊夢は空を舞い、すぐに邪悪な気配の元へと飛ぶ。

 

 

 

「待ってなさい──」

 

 

 

 

 

 




ありがとうございました。

 覚醒・霊夢vs.クラウンピース ついに始まる!!



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