「【部分顕現:■■=■■■■】」
少女と小鳥遊の耳は、丞久が
けれども丞久の行使した力が如何に異常であるかは、否応なしに理解させられる。
「なっ──」
「……き、消えた?」
迫り来るショゴスはブレーカーを落とすような、バツン! という音と共に、まるでフィルムからショゴスが映っているシーンだけを切り取ったかのように、刹那の内に忽然と姿を消す。
人など容易く呑み込み、たちまち消化せしめるであろう大質量の液体が、一切の予備動作も前兆もなく居なくなってしまったのだ。
「……! ショゴスを
小鳥遊は逡巡したのち、丞久が『何』の力を借りたのか、その正体に思い至り声を荒らげる。
丞久もまた、自然な動きで額の汗を指で拭いつつ感心したように言葉を返す。
「年の功か、察しが良いな。まあ感覚から察するに……南極の海底だな。今頃シャーベットにでもなってるんじゃないか?」
「馬鹿な、魔術師単体で行使できる力の範疇を──いや、そうか。ハスターは奴の……」
自問自答で合点のいった小鳥遊が考え込むのを横目に、少女が抗議の声をあげる。
「専門用語の会話はやめてくださいよぉ」
「あとで教えてやる。いやダメか、死ぬわ」
「死ぬ!?」
「……さて、まだやるのか? 着の身着のまま南極ツアーがしたいなら付き合うぞ」
左手で作った印を構える丞久に、小鳥遊は深いため息をついたのちに両手を上げた。
「降参しよう。これ以上は不毛だ」
「賢明だな。いや、よかった。もう一つのとっておきは力加減が難しくてな、地盤沈下は上の病院の迷惑になっちまうから使えねえ」
「丞久さん、このあとは……?」
「────。そうだな、魔術に理解のある警察関係者に連絡して終わりだ」
「そう、ですか」
シュンとした様子の少女はちらちらと小鳥遊を見る。丞久は呆れ気味に薄く笑みを浮かべて、すっとぼけたように言葉を続けた。
「でもまあ……来るまでに
「──! あ、ありがとうございます」
「ふっ、なんのことだか……」
【
「……さすがにしんど。あーもしもし? 全部終わった、諸々の後処理頼む」
手短に電話をしながら、じっとりと額に滲む汗をそれとなく袖で拭いそう言ったが、少女と小鳥遊には聞こえていなかった。
「あの~、小鳥遊……さん」
「──わかっている、疑問があるのだろう。自分は誰のクローンなのか? と」
「あっはい、話が早くて助かります」
おずおずと近寄る少女に、重い腰を上げた小鳥遊がデスクの引き出しに向かい、開けて何かを取り出すと、それを彼女に手渡す。それは男女と子供が写る──ごく普通の家族写真だった。
「……これが、私のモデル……」
「小鳥遊
「親バカですねえ」
くつくつと笑う少女は、ハッとして口許を手で押さえる。変に意識してしまったのか、どことなく頬が赤い。小鳥遊はそれを見て、懐かしむように目尻を細めていた。
「笑美さんはどうして──あ、いえ、その」
「……10年前、妻と笑美は追突事故で上にある私の病院に運び込まれてきた。妻は出血多量で死亡、笑美は最初は一命を取り留めたものの、手術後の合併症で死ぬまで苦しみ続け…………。ミ=ゴが裏山の地下にある鉱石を求めて来訪し、地下施設を作ったのはその後の話だった」
「──そんで、最悪の発想が浮かんだわけか」
ひょいと横から写真を覗く丞久の言葉に、小鳥遊は頷いて続ける。
「……私はミ=ゴと共に二つの計画を考えた。一つはクローンを作ることで、私は対価として失敗したクローンの脳や臓器を提供した」
「この世の終わりみたいなリサイクルですね」
「あんまり言ってやるな」
「そして二つ目は……ショゴスを利用して笑美に擬態させる、というものだった」
「さっきのウネウネが、人間に……??」
「出来ちゃうぞ。あいつらアホだからちゃんと調整しないと不味いことになるけど」
うへぇ、とげんなりした表情をする少女に、似たような顔をしたまま丞久がそう言う。それから少女は写真を眺めて、ふと口を閉じる。
「────」
まるで鏡のように、少女と写真の娘──笑美は同じ顔をしている。しかし、違う。この人物は自分とは違う。全くの別人なのだ。そうして改めて冷静になると、不意に疑問が湧いてくる。
「……1号さんとか、ミ=ゴたちとか、あのウネウネがあんまり怖くなかった理由って、たぶん……私も普通じゃないからなんですよね」
「──そうかもな」
「……私は小鳥遊笑美じゃない。怪物でもない。かといって、普通の人間でもない」
少女の声が、表情と共に暗くなる。
「小鳥遊さん、丞久さん。私って、結局のところ『何』なんですか? 私はいったい、これから何をすればいいんですか?」
「……それ、は」
「貴方はもうクローンを作らない、だってこれから捕まるから。私は貴方の娘じゃない、だって貴方の妻がお母さんじゃないから」
「っ……」
「私にあるのは
今になって感情が噴出するのも、仕方のない事なのだろう。今まで少女が朗らかに振る舞っていたのは、演技であり演技ではない。
異常事態の連続に対して冷静だったのは、冷静だったのではなく、生まれてから今までで、驚き恐怖する機会がそもそも無かったから。
外で襲われ、連れ拐われるところで丞久に助けられ、空を跳び、地下施設に侵入し、真実を告げられ、ムーンビーストやミ=ゴやショゴスを見てただただ頭が混乱していて。
──冷静に
「小鳥遊センセ、あんたはいつか作り出した自分の娘の偽物に、こういう質問をされる日が来るって一度も思わなかったのか」
「…………」
「──ったく。じゃあ、アレだ。人生の先輩がひとつだけ、良い質問をしてやる」
項垂れた小鳥遊に代わり、丞久が少女に向かい合い、そしてあっけらかんと問い掛けた。
「何がしたい?」
「……えっ」
「確かにクローンであるお前には何もないのかもしれない。でもこれから何にでもなれる。これからの人生で、どんなことだってやれる。お前は外で、何をしてみたい?」
諭すように、染み込ませるように問い掛ける丞久の言葉。少女は眉間にシワを寄せ、口をぎゅっとつぐみ、深くまぶたを閉じると──
「──夏、夏が、暑いって、知識でだけは知ってました。でも実際に暑さを感じて、汗をかく不快さと、風の心地好さも知れました」
「ああ」
「何がしたいかなんて、わからない。わからない、けど……その事で悩みながら、
ぎこちなく笑みを浮かべて、少女は言った。
「普通の人として、普通に生きてみるというのは、贅沢な選択なんでしょうか」
「……ああ。みんながやってる、贅沢な選択だ。それを選べるお前は、やっぱり人間だよ」
少女の答えに、丞久もまた満足げに微笑を浮かべると、締めくくるように続ける。
「だとよ。小鳥遊センセ」
「……ああ」
「……小鳥遊さん」
全てが終わり、研究も水泡に帰し、これから逮捕されるであろう小鳥遊に少女は向き直る。
面と向かって顔を見て、小鳥遊もようやく理解する。──してしまう。彼女は自分の娘ではない、この子は小鳥遊笑美にはなれない、と。
「もっと早くに、気づくべきだった。でも止めたくなかったんだ、ベッドの上で死ぬ直前まで、あの子は言っていた。死にたくない、もっと生きたい、死にたくない、死にたくないと」
「……だから、笑美さんの偽物を作ってでも、生きている姿を見たかったんですね」
「許してくれとは言わない、許されるとも思っていない。だが……本当にすまなかった」
小鳥遊の謝罪に、少女は哀れむような、困ったような、色んな感情を混ぜた顔をして。
「──ちゃんと、罪を償ってくださいね」
ただ、そう言った。謝罪を受け入れたわけでも拒絶したわけでもなく、かといってそう簡単に許してはいけないし、許されてもいけない。
お互いに苦しむ。それが自分と小鳥遊にとってベストだと、彼女はそう直感している。
──あれから一週間近く経過し、丞久は事務所でコーヒーを啜りながらニュースを見ていた。
小鳥遊院長の逮捕は記憶処理魔術で脱税をしていた事になり、世間はこの一週間でそんな話題すらも記憶の片隅に追いやって行く。
「ま、そんなもんだよな」
まさか怪物と結託してクローンを作っていました、などと馬鹿正直に明かせるわけもない。妥当な落とし所だろうと納得した丞久は、ふと次のニュースに関心を向ける。
『
「……暗帝九。どっかで聞いたことあるな、与一の幼馴染が通ってるんだったか」
どうやら部屋に荒らされた痕跡が無ければ失踪前にその前兆すら見せなかったことから、この事件は現代の神隠しだなんだと言われているらしい。丞久は呆れながらも、自分の方に情報が来ていないことから、
「近々捜査も打ち切られるだろうし、今度
独りごちる丞久の耳に、インターホンの音が届く。カップをテーブルに置いて事務所の玄関に向かうと、外に居たのは見覚えのある顔。
「お、お久しぶりです、丞久さん」
「……ちょっと痩せたか?」
「いえ特には……」
丞久の冗談をさらりと流して、苦笑を浮かべる少女は、どことなく憑き物が晴れたような表情をして探偵事務所に訪れていた。
「──あれから大変でしたよ、病院を出て保護されたあと、あれよあれよと話が進んで……」
「証人保護プログラムの応用で、個人情報が無いお前に新しい戸籍を与える……だったか。あいつらもえげつない手を考えやがる」
出されたコーヒーにざらざらと砂糖を流し込む少女に信じられないモノを見る顔を向けつつ、丞久は2杯目のコーヒーを飲み始める。
「秋山さんと、小雪さん……でしたっけ。お二人が丁寧に教えてくれて助かりましたけど、なんだかものすごい疲れてるみたいでしたよ」
「いつものことだ。ついでに言うと、あの病院の件は探偵として依頼を受けたわけでも上から指示されたわけでもないから、私もタダ働きさせられたわけだな。泣けるぜ」
「えぇ……」
カラカラと笑ってコーヒーを啜る丞久に、少女は露骨にドン引きしていた。
「正義の味方なんて割に合わねえから、私を手伝いたいとかは言うなよ」
「そう言われてもなお手伝いたがるほど私の精神は高潔ではないですよ」
「そりゃ安心」
流し込んだ砂糖を溶かすようにスプーンでコーヒーをかき混ぜていた少女は、それを一口飲んでから再度質問を投げ掛ける。
「どうして丞久さんは、こんな仕事を?」
「誰もやりたがらないから」
「被虐趣味なのは丞久さんなのでは……」
「強めに叩くぞ」
ため息をついて、丞久はカップの中身を飲み干してから少し考えるそぶりを見せた。
「……私が
「友達、かあ」
「『居たんですね』とか言われたらさすがにグーが飛び出したかもしれねえ」
──ひええ。とおののく少女に、丞久がそう言えばと呟いて気になったことを問い掛ける。
「めでたく戸籍をゲットしたわけだけど、名前は決まったのか?」
「えっ? ──ああ、はい」
少女はこほんと咳払いを一つに、姿勢を正して丞久を真っ直ぐ見据えて。
「……
少女──歩は、生まれて初めて自己紹介をする。こうして、彼女は一人の人間になった。
「──以上が、一連の、事態の……すーべーて、である、と。いかんつい口に出してしまう」
カタカタとキーボードを叩きながら独り言を呟く丞久は、少女が新生歩になるまでの流れと、何が起きたか。黒幕は誰で、裏に何が居たのか。その全てを記すと、軽く伸びをしてから『なお』と続けて再度文字を打ち込んで行く。
「……なお、今回の一件にも【
カチ、と最後の一文字を打ち終えて、パタンとパソコンを閉じる。ギィッと背もたれに体を預けて、丞久は天井を見上げて静かに言う。
「あれから、もう5年か」
まぶたを閉じれば、昔の事もつい最近の出来事のように思い出せる。自分と同じ稀有な能力を持った者同士としての親近感や、高校3年間で共に解決してきた厄介事。
──そして、今やほとんどの人間の記憶から消えた、
「…………円花」
5年前、高校3年の夏に起きた事件。その犯人である元友人──円花を、丞久はずっと探している。それは、また会いたいからなどという可愛らしい理由などではない。
「──お前は私が絶対にぶち殺す」
ただただ明確な殺意。友人
「くぁ……あふ、歩も帰ったことだしちょっと寝るか。依頼は来ないだろ。どうせ」
それはそれとして椅子から立ち上がり、あくびをしてソファに向かおうとする丞久。
すると、狙っていたかのように、不意打ち気味にデスクの固定電話が甲高く鳴り響いた。
「──なんで、こっちが、望んでないときに限ってよぉおおお……ッ!?」
破裂しそうなくらいに額の青筋を立てて、目尻をピクピクと痙攣させながら、握り潰さん勢いで受話器を取ると丞久は短く答える。
「明日の今頃にもう一回電話しろ」
【おー、そのトゲのある感じ懐かしいな】
「…………?? 誰だ?」
【4年も前なら忘れるのも無理ないわな、俺だよ俺。
「────。あー、大学の。なんの用?」
聞き覚えのある名前に、丞久の怒りが収まり普通の対応を始める。
男性──太陽は、4年ぶりらしい会話をしようと電話を掛けたその理由を簡潔に述べる。それは、丞久の関心を向けるのに充分すぎた。
【丞久さあ、あの時帰る前に写真を見せてきただろ。ナントカ……そう、ヒトトセマドカ……ってやつが危ねえから気を付けろ、とか】
「ああ」
【そう、その春夏秋冬 円花、あいつをこの前見掛けてな。それで丞久を思い出して連絡したんだけど、連絡した方がよかったんだよな?】
「…………はぁ!?」
『完』
お気に入りと感想と高評価ください。
明暗丞久 (23/♀)
・本作の主人公B。幼少期に旧支配者から力の断片を押し付けられ、魔術の世界に半ば無理やり関わることを余儀なくされた。実力はこの作品内において上から数えた方が早い程度。桐山与一の先輩探偵として色々と教えているが、丞久に関わる度に面倒事に巻き込まれるため、与一からは尊敬されていても好かれてはいない。
新生歩 (15/♀)
・小鳥遊の娘をベースにしたクローン42号。41号と共に病院から抜け出すも捕らえられ、丞久に助けられたことで外の世界を体験した。現在は新しい名前と戸籍を得て新たな人生を歩んでいる。
小鳥遊 (52/♂)
・妻と娘を喪い、邪法に手を出した魔術師。協力関係にあったミ=ゴを丞久に全滅させられ、最終手段のショゴスすら空間転移で排除されて計画の中断を余儀なくされた。