与一が竹田と共に事務所を出て行ってから数時間後。正午より数十分手前の辺りで、真冬と結月は少し早めの昼食を摂っていた。
牛乳に浸したシリアルをスプーンで掬い、大口を開けて食べる結月が嚥下してから問いかける。
『真冬さぁ、こないだ蛇神人形を作る時に、ショゴスのくだりで反応してたよね』
「────。だから?」
『うんにゃ。ただ……深景のことでも思い出してたのかなぁ〜って』
「……かもね」
テーブルの上で大皿を持ち上げ牛乳を豪快に飲み干す結月を見ながら、真冬は小さく肯定する。
──深景。それは以前に出会い、そして
「あのとき【人形化】を使う選択肢があったとして、コアを失った状態でも人形に出来たのか? 出来たとして、あいつはそれを受け入れたのか? ……もう確かめようのない可能性が、頭を過っただけ」
カラン、と自分が使っていたスプーンが皿に転がる。それから結月のモノと纏めて台所に置きに行くと、戻ってきた真冬は結月に声を掛ける。
「んじゃ、出掛けるぞ。事務所は閉める」
『えっ? なんで?』
「所長と所長代理が居ない時点で商売になってねぇ。あたしは所長代理でも、代理の代理でもないし」
『あー、まあ、そっか。……そんでどこ行く?』
結月がふわりと浮遊すると、真冬の傍らに浮かびながらそう聞いてくる。
真冬は上着を羽織り、携帯と財布だけポケットに入れると逡巡してから口を開いた。
「……ここは直感で行くか」
『あ、最後は勘なんだ……』
「人間、最後に頼るのは運と勘だろ」
『それはそう』
──水角大学構内、廊下の一角にて、教員と女生徒が歩いていた。
格闘家もかくやと言わんばかりの体格の教員に、体格差もあって余計に小さく見える女生徒が、ふと思い出したことを口にする。
「夏木先生、夏木先生」
「あん? どうした、東間」
「先生は、吹っ飛んだ大学が建て直されるまでの間はなにをしてたんですか?」
「あぁ……もっぱら家庭教師だな。今どきはリモートでやるから、中々暇はしなかったぜ」
「はぇ〜」
教員こと夏木太陽は、女生徒──東間ほなみの質問にそう言葉を返す。
「中高生の手助けは気分がいいぞぉ東間。お前も教師を目指さないか?」
「鬼みたいな勧誘してきた……いえ目指さないので遠慮しますけど、それはそれとして今どき類を見ない教師の鑑ですね」
「大して子供が好きでもねえのに教師やってる方が問題なんじゃねぇかあ?」
などと、昨今の教師事情を憂いている太陽だったが。そんな折にふと話題を切り替えたほなみが、そういえばと問いかけてきた。
「夏木先生、知ってます? なんか最近、大学周りで不審な人影を見ることが多いらしいですよ」
「人影ぇ? あー……なんかそういう話は教員間でも聞いたことあるな」
「なんでもフードで顔を隠した男の人で、腰に棒があったから刀かバールでも持ってるんじゃないか? って噂になってて」
「警察呼べよ──いや、そうか。怪しいだけでまだ何もされてないのか」
太陽の推察に、ほなみはこくりと頷く。不審者、刀、という二つの情報から知り合いの
「問題が起きてからじゃ遅いんだ、俺の方からも掛け合って…………」
「? 先生?」
ぴたりと、太陽が足を止める。ほなみもまた足を止め、彼の視線を辿って廊下の奥を見やり、こちらを見ている女性を視界に収めた。
「──タイヨウ・ナツキか?」
「そうだが、なんか用か。お前ここの生徒じゃねえだろ、見覚えねえし」
「25歳、英語教諭、趣味は筋トレと格闘技」
それは赤毛かオレンジのような明るい髪を揺らし、遠巻きでも背の高さが窺える外国人だった。
「…………。ははぁん、俺のファンだな?」
「たぶん違うと思うんですけど……」
「冗談だ」
そんな女性がつらつらと語り、太陽はしたり顔で言う。しかしほなみの指摘に視線を上げて苦笑した太陽は、女性の次の言葉に表情を一変させる。
「そして、シュブ=ニグラスの適合者、コウメ・ナツキの一人息子……
「──あ゛?」
「ひえっ」
刹那、ズンッと廊下の空気が重くなる。横に立つ太陽から今まで感じたこともない程の威圧感と怒気が放たれ、カタカタと窓ガラスが揺れた気すらして、ほなみの口からは小さく悲鳴が漏れた。
「なんで、テメェが、そのことを知ってる」
「ンッフフフ、さぁ? なぁんでだろう」
「……ああそうかよ、なら……不法侵入の現行犯としてふん縛ってから聞くとしようか」
「やってみなァ」
左手にパシッと握り拳を当てて強気に前に出る太陽。それを見て、女性はおもむろに片手を前に伸ばし──不可視の魔力を飛ばす。
術式も使わない、
生身に当たれば良くて骨が砕け、悪ければ死ぬ。そんな威力の魔力が、今まさに太陽めがけ飛んでいき────眼前の空間の
「きゃっ!?」
「うおっ! ビックリした……」
「────ン???」
斜め上に逸れ、太陽とほなみを迂回するように後方に飛んでいく魔力を見送って、女性はすっとんきょうな声と共に疑問符を浮かべる。
「今のは……お前の能力か何かか?」
「ン??? え???」
手に伝わる衝撃も強かったのか、軽く手首を振りながら眉を顰めた太陽が問うが、女性の頭には困惑の感情だけが渦巻いている。
女性──アビゲイル・ウィンターは、自分で言っておきながら、失念していたのだ。
夏木太陽が、『誰』の『何』であるのかを。
「…………ヨシ」
「あっ、逃げた!?」
──しかし、アビゲイルの直後の判断は早かった。即座に踵を返すとそのまま走り出し、廊下を曲がって姿を消す。声を荒らげるほなみを尻目に、太陽もまた軽く柔軟をしてから口を開く。
「丞久案件か、与一案件か。絶対にどちらかだろうが……ここで逃がすのも不味いからな。東間! 次の授業は休みだ!」
「でしょうね!?」
それからアビゲイルを追うように駆け出す太陽に追従するほなみへと、更に続ける。
「避難してろ……って言いたいが、俺の居ないところでさっきのに出会して殺されるか人質にされるかのどちらかだ、ついてこい」
「……ひぃん、さっさと逃げればよかった」
「お前も俺も、こういうのに巻き込まれる星の下に産まれちまったみたいだな」
呆れたような顔の太陽と、半泣きのほなみは、侵入者を追いかけ廊下を走るのだった。
──大学構内から出たアビゲイルは、建物の陰になっている壁際に立ち止まり背中を預けて座る。
深いため息をついてから、数分前に見た男の顔を思い浮かべながら言葉を絞り出した。
「……魔術師でもなんでもないっつー前提だから頭からスッぽ抜けてたけど、シュブ=ニグラスの適合者の息子がマトモなワケねーんだよな」
少しの休憩を挟んで、立ち上がり尻の土をはたき、よしっと気合を入れ────
「第2ラウンドと行──「見ぃ〜つけたぁ」──んぐぅおおおっ!?!?」
刹那、ボコォ!! と音を立てて背後の壁が砕ける。構内から外に飛び出してきた手がアビゲイルの顔面を鷲掴みにして、そのまま力任せに引きずり込まれ空き教室の真ん中にゴロゴロと転がされた。
「うっゲッうっ」
受け身も取れずに腹と背中を打ち、鈍痛を耐えながらも起き上がるアビゲイルは、壁を破壊した張本人である太陽とその後ろに隠れるほなみを見る。
「な゛っ、んで、居場所が……」
「
「まさか一発目で当てるとは思いませんでしたけどね……あっ私は避難してまーす!」
「おう、とっとと逃げろ」
さも当然かのように言い放つ太陽と隠れ場所を当てられ驚愕しているアビゲイルを余所に、ほなみはササッと廊下に出て中を覗く。
太陽がそう言いながらシッシッと手を振り、耳にはほなみが駆けていく足音だけが残る。
グラつく視界を戻すようにこめかみをトントンと小突くアビゲイルが、壊れた壁と太陽を見て言った。
「ゲホッ、あの馬鹿力……魔術は使ってなくても、純粋な魔力出力が筋力に直結してんのかァ?」
「……魔力? ああ、
アビゲイルの言葉に、思い当たる事があるのか。太陽がふと握り拳を作ると、その手と腕を中心に漆黒の魔力が湯気のように溢れ出る。
「気合を入れ過ぎると、これが出てきちまう。まあ、加減は出来なくはねぇけどな」
「シュブ=ニグラスの息子、か。いわゆる、
アビゲイルは僅かな憐憫の表情で呟くと、疲れたような顔をしてため息をついた。
「……可哀想になァ、親が
「────。もしかして、お前も……なのか?」
「ハッ、すんげぇ家系……の、その末裔ってダケ。衰えて、衰退して、もはやなぁンの魔力も無い両親の間に生まれたアタシが、なんでか魔力だけはすげぇと来たもんだ。この意味が分かるか?」
アビゲイルが片手間でブンッと腕を振るうと、その動きに合わせて見えない魔力の塊がグシャりと机を叩き潰す。太陽は、彼女の力の使い方に、さながら子供の癇癪めいた感情を垣間見た。
「もうさァ、楽しむしかないデショ。それで死ぬのは……まァ、仕方ないんじゃね〜の? 国に戻るよりはマシってもんだなぁワハハ」
「──お前」
乾いた笑い声を上げるアビゲイルだが、その目は笑っていない。教師としての太陽の直感が、そんな彼女の
「なあ、お前、名前は?」
「あん? ……あー、アビゲイルだけど」
「そうか。アビゲイル、これは提案なんだが……」
会話をしながらそれとなく教卓に腰を置いていた太陽が、腕を組みながら顔を上げて、それから一拍置いてアビゲイルを見ると。
「──俺んとこに来るか?」
そんな提案をした。
「……………………。はァ!?」
「うちの事情は知ってんだろ、俺いま一人暮らしで部屋なら余ってるからよ。どうだ?」
「いや、ちょっ、うん? ……えー、っと……聞いていい? なんで???」
一瞬で殺し合いの空気が失われ、アビゲイルは目をパチクリとしばたたかせる。
困惑のままに質問を投げかけると、太陽は逡巡の後にあっけらかんと言った。
「大人としちゃあ、教師としちゃあ……ガキにはあんな顔してほしくねぇんだよ」
「……
「ま、今すぐ決めろってのも無理か。ひとまず誰と何やってんのか聞いてからでも遅くないし、色々話してもらわないと────」
もはや、戦う必要も意思も無いだろう。そう判断して、アビゲイルへの警戒を解いて歩み寄ろうとした太陽は、不意にぞわりと背筋を駆け抜けた寒気に従って意識を壁に空いた外へと繋がる穴に向ける。
「──なんだ、てめ「天誅」
刹那、視界に映ったのは、ギラリと光を反射する鋭い刀身だった。
ほとんど脊髄反射で首の位置に置いた腕と、服の下から溢れた魔力が刀身と衝突して火花を生み、不意打ちを防がれたと判断すると同時に何者かは数歩後退りして太陽とアビゲイルを同時に視界に入れる。
「なんっ、だ、テメェ!?」
「ウゲッ、狂信者……!」
「……すっげえシンプルな名前だな」
何者か──フードで顔を隠した刀を手に持つ男を見て、アビゲイルは露骨に顔を顰めた。
「白痴教の教祖……アタシをスカウトしたボスに心酔しきってるイカれ野郎だ、あの
「妖刀……道理で嫌な気配がした訳だな」
「──我らが、神に、仇なす者は、殺す。貴様もだ、我らが神から乗り換えようとした異国人……! だから私は反対したのだ、異国人など、信用ならないと、必ず裏切り背中を刺そうとすると……!」
フードの奥でかろうじて聞こえるくらいの声でブツブツと言葉を放つ男を前に、アビゲイルは弁明するかのように首を振る。
「いや別に乗り換えるとかそういうアレじゃ」
「たぶん話通じねえぞコイツ。……つーかフードの不審者ってコイツじゃねえか……?」
ほなみの見聞きした情報から、犯人が眼前の男だと推察した太陽は、とにかく捕まえなくてはとファイティングポーズを取る。
けれどもその動きか敵意を感知したのか、男は予想を上回る早さで太陽へと斬り掛かってきた。
「づ、ぅおっ!?」
「天誅……天誅、殺す、神の、敵を……!」
「
「バっ……避けろ!」
鋭い剣戟をボクシングのようなフットワークで避ける太陽と、助けに入ろうとして身を乗り出すアビゲイル。男は駆け寄ろうとするアビゲイルに振り返り、返す刀による一閃で首を狙ってくる。
「アッ!! ……ぶな!?」
「コイツ、普通に強いぞ……!」
単純に刃物に対して素手であることも含め、刀身のリーチ故に懐に踏み込めない。
それでいて、イカれた言動を抜きにしても、剣術に心得があるのか実力もある。
まるで背中にも目があるかのようにアビゲイルの不可視の魔力を避けて太陽に斬りかかり、逆にアビゲイルに斬りかかれば太陽の拳や蹴りをさらりと避けられ、数回の打ち合いの果てに────
「首、獲った……!!」
「…………やべっ」
男の振り抜いた刀が、太陽の首へと一直線に向かう。アビゲイルの魔力も、本人の回避も間に合わない、首に魔力を集中させれば防げるか──という逡巡に反して、体の対応があと数秒足りず。
男自身も、太陽を斬り伏せられる。そう確信して刀を首へとめり込ませて。
──パン、と。拍手の音が響いた。
「……馬鹿な」
「なん、だ? 斬られて……ない……?」
男は間違いなく、刀を振り抜いた。しかし首を落とせていない。それどころか、太陽ともども同時に、立ち位置が入れ替わっていたことに気がつく。
「──よぉ、不審者」
続けて、そんな声が聞こえると、男は反射で刀を声の主へと振るい────再度、パンと拍手の音。
「…………天誅……!!」
「バァカ、遅いわ」
「がっ!?」
瞬きの内に、更に位置が入れ替わる。
「……お前ら、確か……」
教室の端へと転がる男と自分の間に誰かが立っていたことに気がつき、太陽が声をこぼす。
アビゲイルよりは小さいが、それでも長身と言える背丈。プラチナブロンドの髪は腰まで伸び、その肩に、見覚えのある人形が掴まっている。
「与一んとこのお嬢と、生き人形……!?」
『ども〜』
「ピンチみたいだから手ぇ貸すけど、何がどうなってんの? そいつは味方?」
太陽を助け、アビゲイルを見て小首を傾げる何者か。その正体は、
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