「お待たせいたしました〜」
「うい、どうも」
駅前に停まる移動販売のキッチンカーから、二人分のバゲットサンドとコーヒーを受け取る。
ベンチまで戻り、片方をイデアに手渡すと、彼女はバゲットとコーヒーを訝しげに眺めたりそれぞれの匂いを嗅いだりしていた。
「これが……
「……キミ、今までどうやって生きてきたの」
【ご飯、食べたことないんですか?】
「
雅灯さんの問いに、イデアはそう言いながらバゲットとコーヒーを乗せたトレイを傍らに置いて、懐から銀のフィルムに包まれた栄養バーのような物体を取り出すと、こちらに渡してくる。
「あぁ、こういうやつか。イデア、これちょっと食べてみてもいいかな」
「ええ、構いません」
「んじゃあ遠慮なく──」
渡された物を掴んでビリッとフィルムを破くと、中からは茶色の固形物が現れる。
パッと見はチョコバーなの、だが。どうにも匂いがしない。チョコの匂いがしないとかじゃなく、本当に無臭なのだ。鼻を近づけて匂いを嗅いでも何も感じ取れない。なんだ、この……なんだ……!?
「……ええい、南無三……!」
勢いづけて、先ず一口齧る。なんか口の中で『メキメキメキッ……バキッ』とか聞こえたけど無視して、少しずつ咀嚼してみると。
「……うん、うーん……す、すげぇ無味。なんだろう、俺いま、硬いだけの『無』を食べてる」
【そんなヤバいんですか?】
「雅灯さん、五感の共有で味だけは感じられますよね、体験してみます?」
【じゃあちょっとだけ】
ひょこりと顔を出した雅灯さんにも、この地獄の感覚を味わってもらう。
彼女もまた、味を感じようと何も入ってはいないが味覚を共有している口をモゴモゴと動かし、やがて怪訝そうに表情を歪める。
【────。ちゃんと食べました? よね?】
「食べてこれです」
【ははぁ……そりゃあ『栄養補給』なわけですねぇ。間違ってもこれは食事では無いですもの】
残りは……コーヒーに浸してふやかしつつ苦味を加えてさっさと飲み込む。
味がしないとは美味しくない、美味しくないということは、すなわち不味いということだ。
「──どうしたもんかな」
「……与一様? わたくしは何か、不味いことをしてしまったのでしょうか」
「まあ、二重の意味でね」
この『栄養』しか存在していない無味バーの
前提として、人は歯で物を噛んで胃で消化することでそれらの機能を維持しないといけない。
使わなければ弱っていくのは、どの部位でも同じことだ。つまり──この硬くて味のしない栄養バーは、最低限イデアの歯と胃の機能の維持をする以外を考えていないという事実が伺える。
「……んーまあまぁ、とりあえずそのバゲットとコーヒーで、正しい意味での食事ってのを文字通り味わってみなさい」
「これを、ですか」
「ガブッといきな」
「…………」
あまり具沢山でも困惑するだろうと、シンプルにハムとレタスをチョイスしてみたが、イデアは意を決したように口を開けてバゲットを齧る。
すると、噛み千切ってもぐもぐと咀嚼する彼女の目が驚愕に見開かれ、何度もまぶたを
「っ、っ!?」
「飲み込んでから話しな?」
「…………これは、なんと言いますか、凄い、ですね。あの栄養バーと水以外を口にしたことが無いので、その……凄く、未知です」
「えぇ……」
【また変な感想になった……】
どういう環境で育ってきたんだ?
……小さい口を大きく開けてバゲットを齧っては咀嚼して飲み込むイデアの背後に、どうにも薄ら寒い感覚を覚える。人造神格を扱う組織の一員で、味の無い栄養バーと水しか食べたことがない、見た目は琴巳ちゃんとか歩ちゃんくらいの年若い少女。
……これは、駄目だ。こんないたいけな子を、そんな組織に置いていてはいけない。
「──なあ、イデア」
「はい?」
「組織から抜けないか」
「……それは、できません」
「どうして?」
「わたくしは組織に拾われた身ですので、恩を返すためにも働き、戦わなければならないからです」
淡々とした、それでいて決意の硬い言葉。魔術師として裏で戦い続けてきたがゆえのひねくれた思考が、イデアを引き止めるためのV.I.Pの策略なのだろうという邪推をしてしまうのである。
けれども、それを否定する証拠も権利も無い。
「そっか」
「ですが」
「……ん?」
「きっと、このまま組織に従順でいたら、こうして……
バゲットサンドの欠片──最後の一口を惜しむように噛み締めて、イデアは微笑を浮かべて言った。
「今、わたくしの心は、少しだけ揺らいでおります。あなたは罪深い人ですね、与一様」
「……そうかもね」
これが罪だというのなら、甘んじて受け入れるさ。──今ここに、この一件でやるべきことは決まった。イデアの未来のためにV.I.Pを潰そう。
この子はこうやって笑えるのだ。イデアは機械じゃない、組織のための歯車なんかじゃない。
「──おぞましい独善だな」
「……? なにか?」
「いいや」
そこまで考えて、なんでもないと頭を振る。いったい何様のつもりだ、と自虐気味に口角を歪める。
……だとしても、子供には美味いものを食べて欲しいし、笑っていて欲しい。そう思うことが、いけないことなのだろうか。
──いや、違うな。思うだけならなんとでも言える、思うからにはやり遂げろ、ということだ。そのためにも……先輩と合流しなければ。
「ところで与一様、この……こーひー? というのは何なのでしょうか」
「ん? ああ、簡単に言えば……豆を挽いてお湯で抽出した飲み物だよ」
「なる……ほど……?」
ともあれ、今は昼食の時間だ。こちらもバゲットを食べ進めながらコーヒーを飲んでいると、イデアは手元の紙コップの中身を眺めている。
問いかけに答えたあとに少しの間を置いて、彼女は早速とコーヒーを一口呷り…………べっ、と舌を出して渋い顔をしていた。
「んゃ」
「大丈夫か?」
「…………。嫌な味ですね」
【子供舌ですねぇ】
「……この液体はきらいです」
「じゃあ俺が飲むよ」
こちらのバゲットも食べ終わり、コーヒーも飲み干して、イデアが飲みたがらなくなったコーヒーも受け取りさっさと飲み干す。
「さて、一息ついたところで……そろそろ先輩も暴れ終えた頃かな」
「あまり心配されていないのですね」
「あんなどうやったら死ぬかも分からない人を心配するのは時間の無駄だからねぇ」
【流石に寿命では死ぬのでは?】
「それはどうかなぁ」
それに、先輩とか円花さん辺りは近い内に【不老長寿】でも使って老化を止めるだろう。
そうなると、いよいよを以て誰も手を付けられないモンスターが誕生するわけだ。
──そんなふうに思案していると、突如としてイデアの端末からけたたましい警告音のようなブザーが鳴り響いて少し驚く。
【うわぁビックリした】
「なんだ?」
「……! この反応は……ヴォイド!?」
「ゔぉ……なんだって?」
ガタッと立ち上がり、慌てた様子で端末を覗くイデア。横から画面を覗き込むと、最初に見た緩やかに動く赤いマークとは別の青いマークが、凄まじい勢いで赤いマークへと接近していた。
「こっちがその、ヴォイドってやつ?」
「──わたくしが追っている人造神格は、厳密には2体居ます。1つは明暗丞久が連れていった『無垢なる器』、そしてもう1つがヴォイド……『無垢なる器』に入れる予定だった『力』の方です」
「『力』ってそんな簡単に分離するんだ……」
──と、そこまで言って、ふと違和感を覚える。なんだろう、今……なにか重要なことが脳裏を掠めた……ような、気がしたんだけど。
「誰にも宿っていないヴォイドは、視認は出来ても干渉は出来ないはず……」
「そうなの?」
「先程まで端末が反応していなかったのが証拠です。ということは、つまり──」
「──ほんの少し前に、誰かの体に宿った?」
こちらの言葉に、イデアが『おそらくは』と呟きながら頷いた。……だとしたら。
「イデア、ヴォイドの反応が出たのはどこだ?
「それは……お待ち下さい、ええと……ここです。ですがヴォイドの方は?」
「先輩──と一緒の人造神格に接触するつもりなら、先輩に時間稼ぎさせとけばいいよ」
「扱いが雑では……?」
これが信頼ってやつだよ。
──果たして、ひとまずヴォイドが現れた地点に向かうべく、イデアと二人でビルの屋上から屋上へと跳躍して移っていく。
【強化】も込みでの跳躍なのだが、イデアは……なんか、素の脚力で跳ねているように見える。もしかしてかなり力が強いのか……?
「……! ここです!」
戦うことになったら勝てないかもなあ、などと考えながら、彼女の合図で次のビルの屋上に着地。ザザザっと足の裏でブレーキを掛けて止まると、そこには──見慣れた荷物が散乱していた。
見慣れたスマートフォン、見慣れた筆記用具入れ、見慣れた手帳、それらを入れていたリュック。
──そして。
「? なんでしょう、これは……四等分に切断された人形……ですか」
「────。あっ」
そして、イデアの足元に落ちている、毎日のように会っていて見慣れた
「ゆ、結月────ッ!!?」
【まぁた結月ちゃんが雑な扱いを受けてる……】
いったいどんな攻撃を受けたのか、生き人形こと結月の体が腹の辺りを中心に十字に切り裂かれ、四等分にされた状態で荷物と共に転がっている。
──ここまで証拠が揃っていれば、例のヴォイドとやらがここで『誰』に宿ったのかなんてのは、自ずと分かってしまうわけで。
「……真冬が器になってるのか」
「まふゆ?」
「俺の幼馴染。さて、どうしたもんかな」
先輩と合流して、V.I.Pを潰す。それだけのことだった状況が、更に複雑な状況へと展開する。
散乱した荷物を纏め直して、四等分の結月をこちらのバッグから取り出したテープで仮止めしながら、どうしたものかと悩んでいると。
「うん?」
不意に、都会特有の喧騒に混じって、遠くから銃声が響いてきたのを【強化】された聴覚が拾う。
「……イデア、2つのマークがどの方角に向かってるか教えてもらえる?」
「ええと、あちらです」
そう問いかけて、イデアが指を向けた方を見やる。その方角は、今まさに銃声が響いてきた方向と同じで、とどのつまりは
「はぁ……準備運動した方がいいな」
深いため息をついてから、真冬の荷物とリュックを丸めてバッグに詰めて最後に結月を入れる。
ここからは、少し
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