とある探偵たちのクトゥルフ神話事件簿   作:兼六園

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黒山羊ユニバーシティ 6/7

 ──『田中』というありふれた、ありきたりな名前(きごう)。それはどこにでも入り込めるようにという理由で彼に与えられた偽名だった。

 

 風の旧支配者(ハスター)を信仰する教団の一員として神の招来を目標に掲げて活動し、彼もまた魔術の才を認められ、いざ計画を実行しようとしたその時。彼ら教団メンバーは、自らの才能を上回る一人の少女の圧倒的な暴力によって捻り潰され、解散を余儀なくされた。

 

 それが()()()()()()の出来事であり、尚且つ少女──明暗丞久がそれを覚えていないのにも事情はあるのだが、相手が覚えていなくとも、田中の記憶にはきちんと残っている。

 

 才能があると褒められた魔術でも、単純な実力でも敵わず、なんとか召喚した奉仕種族すら八つ裂きにされたあの日のことを。

 

「……あーあ」

 

 ──そう言った彼女の、つまらない見世物を眺めているかのような、冷めきった目を。

 

 

 

 

 

「どれだけ善人面をしようが、正義の味方を気取ろうが……結局、お前も同じなんだろう?」

「……あん?」

「お前も魔術師だ。頭のどこかでは一般人(こいつら)と自分は違うのだと線引きをしている。──だから仲良くしていた()が一匹死んだところで! そうやって眉ひとつ動かさない!」

「…………」

「シュブ=ニグラス! この女を殺せ!!」

 

 堰を切ったように、田中の怒りが溢れ出る。なぜなら、丞久がずっと、()()()()()()()()()()から。それではまるで、こうして怒り狂ってる自分だけがガキのようではないか。

 

 ()()()()()を受け入れることができていれば、彼は今頃こんなことはしていない。──重要な選択肢で致命的な判断ミスをしたことを、見抜けないわけがない。

 

「【Taaあ、いii、よおoo?」】

「……? 何をしている、殺せ!」

「【たaa、ii、Yooおお」】

 

 田中は魔術師である。当然のように一般人を見下す感性と道徳倫理の中で生きてきた、ある種の被害者とも言えなくはない。

 

 彼は、魔術師である。

 だからこそ、彼にはわからない。

 

「【た、ii、よぉおooお」】

「シュブ=ニグラス! 言うことを聞け!」

 

 わかるはずもない。まさか神格に、()()()()()()()()が存在しているなどと。

 

 人間の体をベースにした神格ゆえにパワーダウンしていることが功を奏し、コントロール出来ている筈のシュブ=ニグラスは、倒れて動かない太陽を見下ろして、ずっと名前を呼んでいる。

 

 

「田中よお、お前がいったい何に怒ってるのかとか、そんなん知らないんだけどさ」

 

 田中の「殺せ」という命令を無視するシュブ=ニグラスを見ていた丞久は、ため息混じりに彼に視線を移して静かに口を開く。

 

「私は少なくとも、お前が想定を遥かに上回るどうしようもない馬鹿だったことに呆れてるぞ」

 

 彼女のする憐憫と呆れ、そして退屈が混ざった顔は、まさに田中の逆鱗(トラウマ)であり──極自然に煽っている言動の自覚すらないその態度は、田中から冷静さを奪う的確な一手となっていた。

 

「づ、ぎ、ィ……!!」

 

 もはや言語化すら出来ないほどの怒りが天を衝き、歯が砕けんばかりに食いしばる田中は、ずっと太陽を見下ろしているシュブ=ニグラスの髪を掴んで振り回すようにして怒号をあげ──

 

「さっさと奴を殺「【uるSaい」】

 

 

 

 ──ボンッ、と。田中の胸元で何かが爆ぜる。シュブ=ニグラスの裏拳が一瞬で振り抜かれていた事に気づいたときには、すでに自分の体は屋上のフェンスに叩きつけられていて。

 

「………………ごぼっ」

 

 一拍遅れて、彼の口から大量の水を吸ったスポンジを握りしめたようにボタボタと赤黒い血が溢れる。不思議と痛みがない感覚に違和感を覚えながらも顔を下に向けると、殴られた箇所が爆発したように抉れ、肉と骨が見えていた。

 

「なんで子供を殺した猟師が、ヒグマに見逃してもらえると思ったんだろうなあ」

 

 カツカツと床を鳴らして、ひしゃげたフェンスにもたれ掛かるようにして脱力した田中の元に可哀想なものを見るような顔をした丞久が歩いてくると、窘めるように続ける。

 

「どうした、ペットに『お手』でもさせてるつもりだったか?」

「…………ごふっ、がっ」

「神は平等だが、少なくともこの個体は、神じゃなくてあいつの母親だった。それだけだ」

 

 丞久の言葉に、田中は言葉にならない音を血と共に吐き出す。彼女はいつまで経っても自分に敵意を向け続けている田中にふと問われた。

 

「……俺の、な、にが、悪かっ、た」

「強いて言うならやり方と頭。でも自殺騒動がブラフだったのはちょっと上手かったかな、アレだけは完全に騙された。今後に期待」

「…………、……」

「あれば、の話か。まあ……お休み」

 

 その言葉を最後に、田中の目から光が消える。それを一切興味を持たない顔で眺めると、丞久は振り返り太陽の元に歩きながら呟く。

 

「──結局誰だったんだ~い、っと。おい太陽、死んだ振りはもういいぞ」

「…………7割くらいは死んでたけどな。いいいっででででで……」

 

 頭をブーツのつま先で小突かれると、倒れていた太陽は起き上がり、右肩と首の間辺りを貫いた銃創から発せられる激痛に顔をしかめた。

 

「良く、生きてるってわかったな……」

「うっすら呼吸の音は聞こえたし、というか事前に【障壁】張っといたから」

「障壁?」

「ちょっとしたおまじないって言った時の」

「ああ、そう……?」

 

 言葉の意味を理解できずに首を傾げつつ、片手で銃創を押さえる太陽は、ふと胸と腹の辺りからポロっと潰れた弾丸が落ちるのを確認する。

 

「なるほど、バリアだったのか」

「【たaaい、yOおお」】

「うおっ、母さん……じゃなくて、シュブ=ニグラス……だったか?」

「【Taaいiよooo」】

 

 生きていることを確認するように、シュブ=ニグラスは太陽の周りをぐるぐる回りながら、まぶたを細めて楽しそうに山羊のような四角い瞳孔でじっと見上げていた。

 

「なんかすげぇ若いな、どんどん……年齢的には俺くらいになってきてる……?」

「相性が良すぎるのが災いしてるな。神格の力と魔力で体を全盛期に戻そうとしてる」

「流石に実の母親が俺より若くなるのは絵面的にもヤバいと思うんだけど?」

「……そんじゃあ、私の中の魔術師(ろくでなし)が好奇心を催す前にちゃっちゃか解決するかぁ」

 

黄衣の王(ハスター)】を解除して元のコートに戻す丞久は、内ポケットから刀身を布で巻いた短刀──神削鉾(かみそぎのほこ)を取り出して逆手に握る。

 

「おおおい待て待て待て待て! なんでいきなりナイフを取り出した!?」

「【う?」】

「どうして私が殺そうとしてる前提で話が進んでるんだ。これは神格()()の……あっやべ違う違う今の無し、いや違うんだって本来の使い方が『そう』ってだけで今回は裏技っていうかさあ」

 

 さっと左腕でシュブ=ニグラスを隠そうとする太陽に、逆手で神削鉾を握る丞久がジリジリと近づいてくる。端から見れば即通報レベルの光景を、召喚されてからまだ帰されていないビヤーキーが、屋上の隅でのんびりと眺めていた。

 

「……神削鉾は『神格だけに致命的な(ダメージ)を与える』という制約で作られた人造神器(アーティファクト)でな、例えばそれを、『人間の体を器にしている神格』に使ったらどうなると思う?」

「まさか──シュブ=ニグラスだけを斬って母さんを助けられる……!?」

「まあ殺すんじゃなくて引き剥がす程度に留まるし、刃物っちゃあ刃物だし、最低でも刀身を半分くらいめり込ませないと効果がでない『縛り』で急所も避けないといけないんだけど」

 

 説明を聞いて、太陽の顔はパッと明るくなる。だが、それからすぐに後ろに庇うシュブ=ニグラスの角や瞳孔、黒い魔力を見て表情を変えた。

 

「……今ここに居るこいつは、どうなる」

「夏木女史から引き剥がされたあとに()()()()()が無いなら、そのまま消えるだろうな」

「っ、いや、でも」

「太陽、そいつはお前の味方だ。それだけは断言できる。でもこのまま夏木女史の体を使わせ続けたら、ほぼ確実に完全に乗っ取られる。そいつが望んでるかどうかは関係なく」

「────っ」

「夏木女史に魔力を使う才能があればコントロール出来たんだろうが、たらればは無意味だな。──選べよ太陽、両方は救えない」

 

 太陽の呼吸が荒くなる。実の親か、はたまた。関わった時間は短くとも、彼にとって、このシュブ=ニグラスから感じる()()()()が、簡単に見放せないだけの理由となっていた。

 

「……ズルい選択で、悪い」

「ん?」

「……お前が、決めてくれ……っ」

「ん。んー、まあ、まあ、それはそれで悪かない。わざわざ子供に親を殺せって言わせようとしてるとなんか私が悪者みたいだし。──なあ、シュブ=ニグラス。わかってるんだろ?」

「【──う、う」】

 

 ひょこりと太陽の後ろから顔を覗かせる、どんどん若々しくなって行くシュブ=ニグラスが、丞久の指をちょいちょいと動かす手招きに前へと躍り出て、おもむろに太陽へと振り返る。

 

「【たぁ、いい、よおお」】

「…………ああ、なんだ?」

「【げ、げぇえ、んき、でぇ、ねえ」】

 

 背伸びをして、両手を伸ばして。息子の頬をぐにぐにと捏ねるシュブ=ニグラスに、太陽もまた涙を堪えるようにグッと顔に力を入れる。

 

「じゃあな、もう一人の……母さん」

 

 その言葉を合図に、トンと彼女の背中に神削鉾が突き刺さる。可能な限り急所に当たらないようにと気を遣ったスムーズな刺突が、神格殺しの術式を発揮してシュブ=ニグラスを夏木小梅の体から追い出すように魔力を噴出させた。

 

 抵抗せず、満足気に微笑を浮かべて、シュブ=ニグラスの意識は虚空へと消えて行く。

 角が消滅し、瞳孔は四角から元に戻り、その場には若返った小梅の体だけが残る。

 

 全ての黒い魔力が霧散する直前、丞久は空いた手の中にシュブ=ニグラスの残滓を握り締めると、神削鉾を引き抜いて苦い顔をした。

 

「あんまり気分のいい終わり方じゃないな」

 

 すると、まるで役目を終えたかのように、片手に握る神削鉾の刀身が氷細工のように根元からパキンと折れる。やがて柄すらもボロボロと崩れ、最初から無かったかのように消失した。

 

「……私の384億円が消し飛んだことだし、もうビヤーキータクシーで病院寄ってあんたら入院させて帰るぞぉ~。あー疲れた」

「今なんかすげぇ金額が聞こえた気がする…………ビヤーキー?」

「後ろ後ろ」

「あ? ──うおっ気持ち悪!?」

【…………】

 

 屋上の隅でじっとしていた怪物(ビヤーキー)がのそのそと現れて太陽の後ろに立つと、彼はそれに驚きつつ反射的に罵声を浴びせた。ビヤーキーはどことなく哀愁を漂わせ、さっさと乗れと言わんばかりにその巨躯を屈めて待機している。

 

「おい、あんまり言ってやるなよ。私も屋上に戻ってから存在忘れかけてたけど」

【…………】

 

 床に落ちたままの刀を拾いながら、普段の態度でなんの気なしにそう言った丞久のそれがトドメになったのか、ビヤーキーは小梅を両手で抱えると、得物を鞘に納めた丞久と肩を押さえる太陽を飛び上がりながらそれぞれの足で鷲掴みにして羽ばたき始めた。

 

「お前もしかして怒ってる?」

「俺怪我人なんだけどっていででででででせめて優しく掴んでくれ!!?」

【…………】

「あーこりゃキレてんな。病院はあっちなぁ」

「あががっがががががああ!?」

「寒いだろうけど気合いで耐えろ太陽ー」

 

 ゴウゴウと冷たい空気を裂いて、ビヤーキーは夜空に紛れて丞久のナビゲート通りに翼をはためかせる。自分だけどさくさで【黄衣の王(ハスター)】を発動して風の装甲で寒風を阻害する彼女は、自分の眷属なのにシュブ=ニグラスの器だった小梅の方を丁重に扱うビヤーキーに眉を潜めた。

 

「……ハスターの妻の器だからか夏木女史だけ甘やかしやがって」

 

 あくまでもハスターの力の器である丞久は、ビヤーキーの主であって主ではない。

 果たして敬われつつも雑に扱われつつも、ビヤーキーに病院近くの駐車場に下ろされ、太陽と小梅を救急外来に押し込む。

 

 

 

「うーん、よし。帰って蜂蜜酒飲んで寝るか」

 

 冷凍庫に2分放り込んだように凍えている肩を撃たれた重傷人と、あまりにも滑らかな刺し傷ゆえに一瞬無傷に見えるほどの重傷人が纏めて担ぎ込まれるという謎の体験をするスタッフを横目に、丞久はその場から姿を消すのだった。




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