「おはようございます……あら」
「はいおはようございます」
「作業中でしたか。手伝いましょうか?」
「いえ、平気です」
朝から事務所で一人、ここ最近の事件に関する資料の追加やら他資料の整理やらを纏めて行っていると。合鍵を使ったのか、葉子さんが頭に被っていたキャスケットを脱ぎながら挨拶をしてきた。
それに返しつつ、彼女が上着と
「紅茶でいいですか?」
「えっ? ああ、そんな。私が淹れますよ」
「いやいや、休憩がてら動きたいんで俺がやります。座りっぱなしも体に悪いし」
来て早々にお茶淹れさせるって、そんな、こちらとしてもそこまで偉ぶれる立場じゃないからね。
というわけで、資料の整理を一旦終わらせて棚に戻してから台所に向かう。
「さて、確か冷蔵庫にチーズケーキを冷やしておいたはず…………なん、だけど、なぁ……??」
冷蔵庫を開けて中を見れば、ケーキの箱が無い。ワンホール丸々無い。こちらが事務所に居ない間に、結月とソフィアのどちらか、或いは2体で半分ずつ食ったか? 真冬の可能性もあるな。
……一仕事終えた自分へのご褒美だったんだけど、仕方ないか。名前書いてなかったのが悪い。
「……あれ、そういえば葉子さんと一緒に居なかったな。真冬と結月について行ったのか?」
出会った当初はこちらに懐いていたのに、いつの間にやら葉子さんの方に懐いていたソフィアだったが、そういえばと今日は居ない事を思い出す。
まあ、あの見た目で実はこちらと同い歳の大人なのだから、特に心配はしてないけど。
「────。あ、牛乳の賞味期限が近いな」
ついでで中を見回して、まだ半分残ってる牛乳のパックを発見。それから紅茶の茶葉が入った袋を見やり、ため息混じりにメニューを変えた。
「どうぞ、ロイヤルミルクティーです」
「紅茶を淹れに行ったのでは??」
「牛乳の賞味期限が近くて」
「な、なるほど……」
半分残った牛乳を全部消費するために量が多くなったロイヤルミルクティーを、それぞれ大きめのマグカップ2つに分けて注いで持ってくる。
理由を聞いて苦笑しながらも受け取って一口啜る葉子さんは、文字通りホッと一息ついた。
こちらも同じように一息つく。人造神格と戦った日から一週間、五月も半ばまで来た頃。
あれ以来、これといった問題が起きないことを嬉しく思うべきか、嵐の前の静けさと思うべきか。
「──それにしても」
「ん?」
そんなことを考えていると、不意に葉子さんがポツリと呟く。ソファに隣り合って座っている彼女は、マグカップをテーブルに置いて続けた。
「与一くんとこうして同じ空間に居るのって、なんだかすごく久しぶりな気がしますね」
「え。そうでしたっけ…………あぁ〜まあ、そう言われてみれば、確かに久しぶりかなぁ……?」
思い返せば、確かに葉子さんが近くに居た記憶は……アレだな、琴巳ちゃんとリオンちゃんと竹田さんが来た時が最後だったかな。
「ん? でも渋谷のときは……いや会ってないな、先輩たちと京都に行ってムカデの相手をして、そのあと戻ってきてすぐにシセルを止めに行こうとして、円花さんを連れてすっ飛んでいったんだ」
「そうですね。私たちも、突然集められたかと思ったら、丞久さんと与一くんと円花さんの別行動を知らされて、あれよあれよと戦っていたので」
事務所でも外でも、意外と一緒にいることはそう多くない。なにせ人手が必要な依頼が来るか、魔術師絡みで戦力が必要にならない限り、特に真冬や結月あたりが自由に行動しているからだ。
葉子さんも葉子さんで、依頼が無い日は秋山さん経由で連盟組織の射撃訓練室に入り浸っている。
……この人、顔とか態度とか言動に出さないだけで、わりと銃を撃つの好きっぽいし。
「ところで、ソフィアはどこに?」
「あ、そうでしたそうでした。実はここに来る途中で真冬ちゃんと結月ちゃんに会いましてね、なんでも三人組限定の大食い企画を見つけたらしくて」
そういえばと葉子さんにソフィアの所在を聞いてみると、思い出したように言う。真冬はともかく、結月とソフィアが、大食い企画に……!?
「おおぉぉ…………うん、なるほどね」
「ソフィアちゃんは二人についていったので、恐らく、そのお店はもう……」
なんてことだ、もう助からないぞ。
と、そのお店が潰れていないことを祈りつつ、ミルクティーを飲み進めながら時計を見る。
そろそろお昼時、依頼は特になし、ファイル整理も後日でいい──となると。
「参ったな、暇になってしまった」
「なぜ残念そうに言うんですか」
「部屋の掃除も葉子さんが来る前にとっくにやっちゃったからなあ……どうしたもんかな」
葉子さんに苦笑されるが、なんというかこう、ほどよく動いていないと落ち着かない事もあるのだ。あまり読書などで時間を潰そうという気分ではない日がある、と言えば分かってもらえるだろうか。
「でしたら、外にお散歩に行きませんか?」
「はあ、お散歩」
「はい。たまには、依頼も戦いもない日を普通に楽しんでもバチは当たらないですよ」
「……そうですねぇ。そうしますか」
幸いにも天気がいいし、確かにたまにはいいかもしれない。それに、エリーやシセルを利用して
──確実に来る。こちらか先輩か円花さん辺りを狙って、何かを仕掛けてくる。それだけは、絶対に起こるだろう。断言してもいい。
だからこそ……今は気を緩める時だ。
「家主が家でもずっと仕事モード、ってのは不和の原因ですからね」
「ふふ、そうですよ」
「それじゃ、お散歩に行きますか〜〜」
そう言ってから、ミルクティーを飲み干して、流しに置いてから出かける準備をする。
とりあえず財布と携帯だけをジーンズのポケットにねじ込んで、事務所の一角で異彩を放っている刀掛けの上に鎮座した妖刀を一瞥。
「…………。いやまあ、まあまあまあ」
いやぁ、流石にね。こればかりは持っていけないからね。いつもいつも、
「与一くん?」
「ああいえ、気にしないで」
声を出してこなくとも、置き去りを食らうことが恨めしいかのようなオーラと雰囲気が出ている妖刀を尻目に、二人で外に出て歩道を歩く。
ここ最近にしては珍しい平和な時間に、何とも言えない感覚を抱きながら。こちらから隣を歩く葉子さんにふと言葉を投げかけた。
「葉子さんは、事務所で働いてないときって、普段なにしてるんですか?」
「そうですねぇ……だいたいの場合は連盟組織の訓練室で射撃練習をしてますが────」
と、そこで言葉を区切る。葉子さんは少し考え込むように視線を斜め下に逸らしてから、改めてこちらに顔を向けて続けて言う。
「与一くん、
「……? いや、初耳です」
「実は、町の診療所で私の知り合いが
「辻……斬り……………………」
特に理由も無いが、脳裏に眼帯をした女性の顔を思い浮かべて、鼻で笑って頭を振る。
「流石に先輩は殺らないか。無い無い」
「まず真っ先に敬愛している師匠を疑うのはよくないと思いますよ!?」
「だって、辻斬りするかしないかで言えばするタイプなんですもんあの人」
「わぁ、かり、ますけどぉ……! そもそも
「ああ、そうなんですか」
こちらも別に本気で言っているわけではない。……けど、辻斬りによる連続殺人事件……か。
「最近は、ちょくちょくその知り合いに相談を持ち掛けられていまして。ですので恐らく、近い内に向こうに手助けに行くことになりそうです」
「わかりました。仮にそのとき俺が居なかったら、最悪の場合は事後報告でも問題ないので」
可能であれば一緒に手を貸してあげたいけど、なんというか、こう……その時にはこちらは居ない気がする。そういう時に限って別件が邪魔をしてくるような気がしてならない。
経験則と勘が警鐘を鳴らしているのだ、『グレイはこのタイミングでやって来るぞ』と。
「はぁ〜〜〜、嫌だなぁもう。白百合の次は人造神格、その次はグレイ
「私の居ないところで色々とあったみたいで。月並みですが……大変、でしたね?」
「ほんと、大変でしたよ……」
──人造神格2体との戦闘は、決して楽勝ではなかった。あんな性能のボディに、エリーとシセルを利用した神格(仮)が精神を移して逃走し、なんらかの計画のために身を潜めている状況。
……ダメだな、やっぱり気にしないわけにはいかない所為で意識がそちらに向いてしまう。
冷やしてたチーズケーキも勝手に食われたし、甘い物でも食べて心機一転するかぁ。
と。そんな風に思案して、喫茶店でもないかと辺りにそれとなく視線を回したとき。
──不意に、遠くからこちらへと、重い足音を奏でながら走っている音が聞こえてくる。
「なんだ?」
「この足音は……大型の、動物?」
「それに、これは────」
ダカダカダカという無数のやかましい足音に混じって、更にはこれまでで幾度となく聞いてきた覚えのある破裂音まで近づいてきている。
ガガガガガガ!! という連続した轟音。町中で聞こえてきたそれは、間違いなく銃声だった。
「葉子さん!」
「分かってます、隠れましょう」
明らかな異常事態。平日の昼で、あまり居ないとはいえチラホラと見える人たちも、突然の非日常の音にざわついている。
【人払い】を使っていない、ということは……突発的な事態であるということだ。
それから即座に建物の間に滑り込み、音のする方に二人で顔を覗かせる。すると、視界の奥からこちらへと複数の人影が──黒い動物を追っていた。
「…………。ん〜〜〜〜……??」
「? 与一くん、どうしました?」
「なんか、なぁんか……見覚えあるなぁアレ」
その黒い動物は、ライオンのようで、トラのようで、ヒョウのようで、チーターのようで、それでいてどれとも断言できない、思いつく限りのネコ科動物を混ぜ込んだような大型の黒猫で。
──
【──へっ、バーカ。
そう言いながら近場の看板を足場に跳躍し、その大きな体をくるりと回転させ、街頭の上に骨格を歪ませながら軽やかに着地する。
頭頂部に耳を、腰に尻尾を生やした少女。その姿は確かに、以前、夢よりも更に深い位置にある世界──幻夢境で見たアイツで間違いなかった。
「クロ……なんでここに居るんだ」
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