「お、お外行くの? 私、ほら、高所恐怖症だから、ここで待ってるね?」
「ん。勝手に下行かないでよ」
「………………。はぁい」
「降りるつもりだったんだな?」
ふい、と目を逸らすほなみに呆れつつ、真冬は最上階で屋上に繋がる扉を開ける。
最上階は階段とエレベーターホール、屋上への扉だけしかなく、ガチャリと開ければ爽やかな風が吹き──眼前の手すりの向こうに、幼い少女がぼんやりと立っていた。
「っ……!」
そして、体を前へと倒してふわりと宙に躍り出る。咄嗟に駆け出そうとした真冬だったが、それよりも早く、少女の姿が消えて──遅れてゴドンと下から鈍い音が響いた。
助けられなかった。その事実だけを胸に、中に戻ろうとした真冬は、振り返った先に青年が座っていることに気づいた。疲労感を隠さない顔は外国人の血が入っているのか整っていて、その視線は少女の居た方から真冬に移る。
「──君は、ああ、まだ元気なんだな。一緒に居た男の人は居ないのか?」
「……下で野暮用だよ、あんたはこの繰り返しを自覚してるんだな。今落ちたのは?」
「俺の……妹だ」
疲れきった顔の青年は、出入口の扉横の壁に背中を預けて座ったままポツポツと声を出す。
「俺は
「────」
絶句。「大変だったな」とすら言えない壮絶なループの経験者に、真冬はなにも返せない。
「……それにしても、今回はまだ、
「あ、ああ。今のループのトリガーになってる奴がそこで待機してるから──」
くい、と指を横の扉の向こうに向けた真冬。けれども返ってきたのは、ほなみの返事ではなくつんざくような悲鳴だった。
「ぎゃ────!!?? よっよよ与一くん!? どうしたのその怪我!?」
「なんだ?」
ほなみの悲鳴に、真冬は青年──洋介と顔を見合わせ、彼は疲れた体に鞭打って立ち上がる。急いで中に戻ると、そこにはエレベーター内を血まみれにしながらも、右手に古い本を掴んだまま這い出てきた、
「待たせたな……野郎共……」
「与一、なんだその怪我!?」
「高速で飛び回るビー玉にボコボコにされただけだ……術者がビー玉に反旗を翻されて殺されるまでバカスカ撃たれて大変だったぜ……」
真冬とほなみに支えられて壁にもたれ掛かるように座ると、与一はぜえぜえと荒く息をしてその手に握られた本を膝の上で開く。横から覗く真冬が、文字列に疑問符を浮かべた。
「……ねえ、これ何語?」
「ようやくこの事態の解決策が手に入ったはいいものの、残念ながら文字がフランス語だったから読めないってオチだ」
「英語ならわかるんだけどな……」
「──いや、待ってくれ」
与一の言葉に、洋介が反応して歩み寄る。他人の大怪我を目の当たりにしてたじろぐが、与一は洋介の顔に見覚えがあった。
「……きみは、アレか。最初のループで上からカフェを覗いてたやつ」
「俺は長谷洋介。俺ならフランス語がわかる、祖父がフランス人だったから」
「そうか、なら、翻訳を頼む。仮に変な呪文が読めたとしても、絶対に口に出すなよ」
「わかった」
魔導書を受け取って早速と読み始める洋介をよそに、与一は事情を理解できずにずっとおろおろしているほなみを手招きする。
「ほなみ、おいで」
「よ、与一くん……?」
「どうせ無駄になるけど、全部話しとこうか。この程度じゃ、贖罪にもならないけどね」
──あるいは、自己満足か。口には出さずとも、その表情で真冬は与一の言わんとしていることを察する。それからしばらく、彼の説明に表情をコロコロ変えるほなみを眺めていた。
「はぇ~~~……じかんが、るーぷ」
「理解できてないなら素直にそう言え」
「分かるもぉん! ──あれ、この説明ってもしかして前にもやったの?」
「いや、今回が初めて」
与一の話に幾つもの疑問符を浮かべていたほなみは、それからくつくつと笑う。
「……でもさあ、律儀だよねえ。わざわざ私に見殺しにすることを伝えるなんて」
「…………」
「まあでも、そういうこと伝えるのは与一くんらしいし、許すのも私らしいかな。たぶん今回の私も同じ事を言われたら許すもん」
「マゾ?」
「違うやい!」
黙り込んだ与一に代わってぼそりと呟いた真冬に強く返すほなみ。そんな三人の元に、魔導書の翻訳が終わった洋介が戻ってきた。
「……だいたいわかったが、これは……すさまじいな……こんなものがあり得るのか」
「何か魔術に関する記述があっただろ」
「ああ。モノに魔力を付与する……というのと、ヨグ……ソトース? とやらを喚ぶか追い払うかのどちらかを選ぶ魔術だそうだ」
自分で言いながらも壮大すぎる内容に半信半疑の洋介を見て、与一は合点がいったように思案して面倒くさそうにため息をつく。
「なるほどなぁ────、これ、魔術の誤作動が原因なのかもしれん」
「どういうこと?」
「俺たちがこのループを繰り返すなかで確認できた死は横断歩道の事故、少女の飛び降り、ほなみの死……そしてビルの方での事故だ」
小首を傾げる真冬に畳んだ指を一本ずつ伸ばしなから解説する与一が、改めてそう言い再確認する。そして脳裏に魔術師の女を思い浮かべて、確信から来る推理を続けた。
「恐らく、一番最初のループが起きたきっかけは、魔術師が長谷妹を狙ってこの魔導書に魔力を込めようとしたことが原因だ。
魔力を搾り取り、そして操るついでに自殺させて証拠隠滅を図ったが、ビルから逃げるときに車かトラックに撥ねられて魔術師も死亡。
その時に血を浴びた魔導書が活性化し、それまでに蓄えた魔力を使い、部分的にヨグ=ソトースの招来を成功
与一は洋介から返してもらった魔導書を捲り、体に力を入れてふらふらと立ち上がる。
「つまりこの魔導書で部分顕現したヨグ=ソトースを退散させればいい。外で呪文を唱えてこのループはめでたく終了だ」
「…………! ま、待ってくれ」
「あん? ……ああ、そうか」
その言葉に慌てた様子で、洋介が待ったを掛ける。出血で顔色が青い与一は、彼の言わんとしていることに察しがついたように言った。
「ループを閉じたとき、死んだままのやつがどうなるかがわからない。もし妹が死んだままループを終わらせたときに元の時間でも死んだままだったら……ってところか。違うか?」
「──勝手なことを言ってるのは、わかってる。だけど、妹が……ひなが死んだまま繰り返しが終わったとき、もしもあいつの死が覆っていなかったら、俺は……耐えられない……」
血が滲むほどに力強く拳を握り、洋介はぎゅっとまぶたを閉じる。妹を助けたい。その一心で回数を忘れるほどのループを繰り返してきたことは、事情を理解したほなみですら痛ましい努力だと感じざるを得ない。けれども、それは。
「──だからもう一回ほなみに死んでくれ、って言いたいのかよ、あんたは」
「っ……!! いや、それ、は」
「ま、真冬ちゃ~ん、あんまり年下をいじめちゃダメだよ~……」
妹を救いたい。つまりそれは、今目の前にいる被害者に死んでもらわなければならないということになる。そんな会話を聞いていた与一が、持っていた魔導書で全員の頭を小突いた。
「あだ」
「う゛」
「んぎゅ!? なんで私まで……」
「こんな状況でいっちょまえに一般論で口喧嘩すんなよ。悪者は俺に任せときな」
与一はそう言って、魔導書で肩を叩きながらほなみを見ると、一瞬視線を逸らしてから吐き出すように、最低最悪の提案をする。
「……絶対に、次で終わらせてくる。約束だ。約束だから──もう一回だけ死んでくれ」
「────。しょうがないなあ」
今この場にあるのは、もはや常識やモラル、一般的な道徳倫理ではない。
妹を救いたいという意思。地獄に堕ちることを承知の上で友人を見殺しにする決意。そして惚れた弱みもあるが、それ以上に困っている人の力になりたいという優しいエゴ。
どれが正しいか、という話ですらないのだ。重要なのは、当人同士の納得。
高所恐怖症であるにも関わらず、ほなみは震える足で屋上に出ると、振り返り言う。
「……正直さ、めっっっちゃくちゃ怖いよ。死にたくないもん。だから────だからね、本当の本当に、これっきりで最後にするからね」
せめてもの抵抗で、ぐっとまぶたを閉じるほなみを前に、与一は激情を押さえ込んで真冬と洋介にそれぞれ指示を飛ばす。
「真冬、お前は次のループが始まると同時に速攻でここに来て長谷妹の自殺を阻止しろ」
「わかってる」
「洋介、きみは今回と同じ行動を取って、ループに変化が生じないようにするんだ」
「……ああ」
「そして俺は、念のためもう一度魔術師から魔導書を奪ってくる」
とっくに13時25分というタイムリミットは過ぎ去り、運命が東間ほなみを殺しに来る。
どこからともなく飛んできた屋上広告の看板がぐしゃりとほなみを押し潰す光景を目の前にして、三人の脳内にいつもの音が鳴り響く。
「……やるぞ」
──次が最後と約束した繰り返し。正真正銘のラストループが、始まる。
──カララン、カララン、カララン。
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