連盟組織内部に設置されている、あらゆる感知システムは、事前に指定してあるモノを除く全てを対象にして監視・記録を行なっている。
けれども、それら全てを文字通りに
当然だろう、風景に一切の変化が起きないのだから、動体検知も赤外線も通常の監視カメラも意味をなさない。そこに居ない者が動いた所で、埃一つ揺らがない。存在感を薄めて監視や意識をすり抜け、肉体を薄めて壁や床をすり抜ける。
そうして十数の階層を落ちていき、覚えのある魔力反応のある階で存在希薄を維持しながら物理透過だけを解除して、クロは音も無く床に着地した。
【さてさて、博士とシロはどこにいんのやら」
大型猫から人間の姿に戻りながら独りごちるクロ。魔力反応があることだけは分かるが、詳しい位置を把握できない。それは
「この建物、何体の神格が居んのにゃ……」
うげ、と舌を出して軽く引きつつ。
「たぶんこっちの方……だと思うんにゃけど。いやマジでなんにゃこの建物……少なくともダンナよりヤベーのが三人くらい居るんだけど……ここより地下に
警戒心と異様な魔力に耳がピクピクと跳ねるクロが、ゆったりとした動きで通路を曲がる。
『……む?』
──自身で言っていたがゆえに、クロの反応が一手遅れる。妙に人間味の無い、匂いの薄い
「う、げ、ぇ……!?」
声が漏れそうな口を自身の手で押さえて、反射的に【
『うん?』
──の、はずなのだが。
『うーん?』
「どうしたんだい」
『いや、何か……違和感』
台車を【浮遊】で動かしている張本人──段ボール箱に座る生き人形が、紅い瞳で左右を見やる。
白いメッシュが一房入っている黒髪の女性に問われて、人形がおもむろに傍らにサバイバルナイフを創り出して台車と同じように【浮遊】で遠隔操作して数メートル先の空間に刃をブンブンと当てた。
そこはちょうど、【
『ふむ。気のせいか』
「いきなり変なことをしないでくれるかな」
『いやすまないね、
「その気持ちは、わからないでもない」
ふっとナイフを消して、人形は女性と共に進行を再開して通路を通っていく。
『……そろそろ、人形化させた肉体の対応も出来そうだからねぇ。もうひと頑張りしたら、久々に顔でも見に行こうかな』
「まあ、それの許可を出すかどうかは私の判断するところでは無いのだがね」
いまいち理解できない会話を聞き流し、二人が別の方向に曲がっていくのを尻目に、クロは脱兎のごとく駆け出す。兎にも角にもあの人形から距離を取り、同時に探し人の居るであろう方角へと走る。
「ここかにゃ。……すう、ふぅ〜っ」
部屋に近づいてわかる、気配と匂いに魔力。心臓がバクバクと音を奏で、ここまで来た以上は──と、クロは一思いに扉をすり抜け中に入った。
「……ん?」
「……おっす」
「────」
【
「クロ……!?」
「にゃす」
「────? ──!!」
「あっ、シロ!」
続けて近くに立っていた白髪に犬の耳と尻尾を生やした少女が、クロの姿を見てから瞳を輝かせて突進。思わず【
「相変わらずイノシシみてぇだにゃお前は」
「──! ──!!」
「あー、はいはいはいはい、よしよし」
方向転換して背中に飛びつこうとしたシロに対して、クロは【
「クロ……やっぱり、生きていたのね」
「まぁ〜……にゃ。……あー、博士。そのぉ〜、えー……と。……悪かったにゃ。もっと早くに、顔を見せるべきだった」
部屋の奥から出入口付近まで小走りで近づいてきた女性──【遍在】する白百合の内の一人に、クロはシロをあやしながらそう言って耳をペタンと折る。
困惑と驚愕の混じった顔。生きていると信じながらも、死んでいる可能性が常に脳裏を過っていたがゆえの焦燥。それらがぐちゃぐちゃに混ざり合っている顔を見て、クロは心の底から後悔していた。
──こんな顔をさせるつもりではなかったのに。
「──クロ、いいのよ。あなたが悪いんじゃない。あの組織と、それに参加していた私が全面的に悪いの。閉じ込められていたあなたは被害者で、出ていく力があるならそれを使うことは正当だった」
「……仮にそうだとしても、そのあと一度でも生存報告をするべきだったのに、
クロの仮面が崩れていく。
「あの組織が嫌いで、飼育係の博士も信じきれなくて、少しでも心のどこかで『連れ戻されたらどうしよう』って……そんな風に、わたしは貴女を恐れた」
飄々とした態度で蓋をした後悔が溢れて、白百合への懺悔が部屋に響き渡る。
その言葉に、白百合もまた、一歩前に出て──シロごと纏めて抱きしめた。
「は、かせ」
「クロ。私はただの組織の一員で、確かに、もしかしたら、私もあなたのことを実験動物の1つとしてしか見ていなかったかもしれない」
「…………」
「月並みだけれどね、失ってから気づいたの。私はあなたのこともシロのことも大好きだったんだって。──それだけで良かったんだって」
「…………。うん」
抱きしめられて、初めて気がつく。ガラス越しでの付き合いでは分からなかった、白百合の温もり。服の匂い。手の感触。
「おかえり、クロ」
「……ただいま。博士、シロ」
「──!」
いまだに喋れないシロでも、満面の笑みで返すほどに、クロは二人に受け入れられている。
もっと早くに──という後悔はあれど、もう、作ったキャラクターで蓋をした心は、辛くなかった。
「まあもう帰るけどにゃあ」
「えぇっ!?」
「いやだってこの魔窟にいたくねーんだもん」
「魔窟……まあ、まあまあまあ、わかるけど」
キャスター付きの椅子に座ってぐるぐる回るクロが、あっけらかんと言う。
動きを止めるクロに、白百合もまた言わんとしていることを理解しているからこそ苦笑した。
「さっきも喋る人形に本気の【
「あれはナイさん、でしたっけ」
「…………。言葉通りに、触らぬ神に祟り無しってやつにゃあ。近づかんとこ」
「そうした方がいいわね」
ビーカーに淹れたコーヒーを啜る白百合に、クロは片手間でシロの頭を撫でながら続ける。
「あと、こんな組織に居んのやめた方がいいにゃあ。なんならニャーが脱出を手伝ってやるけど」
「そうね……まあ、でも、私たちを助けてくれた人への報告もしなきゃいけないし、また今度になっちゃうかしらね。……ところでクロ」
「おん?」
「あなた、どうやって帰るの?」
「────。っすぅ〜〜〜……」
「向こう見ずなんだから」
「最悪の場合はここから直接ドリームランドに
視線を逸らして誤魔化すクロを見て、小さく笑みを浮かべながら白百合はやれやれと頭を振った。
「クロ、このフロアからなら、地下鉄に繋がっている緊急脱出用の扉に向かえるわ。地図で言うと……ここからこうで、こう」
「ほーん」
「そこから線路を少し歩いて駅に行けるから、そこから出ればいいわ」
「……あんまり異能頼りでもイカンしにゃ、ここは博士の指示に従っとくにゃあ」
部屋に貼られていた今いる階層の地図を見せて説明する白百合に、椅子から飛び降りながらクロが口を開く。この場から居なくなる雰囲気を察知したからか、不意にシロが服を指でつまんだ。
「────……?」
「んにゃ、悪いけど帰るにゃ。……シロぉ〜、ちゃんと博士のこと守るんだぞ〜?」
「──!!」
「よしっ。そんじゃ、また今度にゃ」
力強く頷くシロに、クロもまた笑って返し、扉に向かう。その背中に、白百合は声をかけた。
「クロ」
「にゃ?」
「前は、ほら。言えなかったから」
「……?」
振り返った先で、どことなく目を潤ませて、白百合は笑いながらクロに元気よく言った。
「──行ってらっしゃい」
「……! …………行ってきます」
その言葉が、自然と、クロの背負っていた後悔という重荷を軽くしていく。
背中越しに軽く手を振って出ていくクロを見送った白百合の中にも同じようにあった後悔。
互いが互いの後悔の赦しとなっていた事に、二人が気付いていたのか、はたまた。
ともあれ、この日、一つの奇妙な関係の、けれども確かに親子と呼べる者たちは救われたのだろう。
──その数分後に、ナイ経由で行われた侵入者の報告による混乱が発生したのは、言うまでもない。
『完』
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