彼女に希望と涙を添えて #1
──2016年2月29日、13時頃。週に3日か4日、たまに朝食と夕食で日に2回訪れることもある、足立区北千住にある喫茶店『雪国』の扉を開ける。
ドアベルがカランコロンと鈴の音を奏で、来客──すなわち俺が来たことを知った店主が、キッチンの奥からひょこりと顔を覗かせると、暗い表情をぱあっと明るくさせてパタパタと歩いてきた。
「いらっしゃい、与一くん。今日はお昼なんだね」
「お〜す。仕事前の遅めの昼食にね。……相変わらず、だぁ〜れも居ないなこの店」
「うん。まあ、ね。私はあんまり気にしてないから、大丈夫だよ」
「気にした方が良いんじゃないかなぁ……?」
薄く笑みを浮かべる店主──
──
数年前に偶然見つけてから通い続け、高校を卒業して探偵をやっている今でもよく食べに来ているのだが、これがビックリするほど客が来ない。
俺以外に誰も来ない、というわけでもなく、居るには居る。しかしこうして昼時に来ても誰もおらず貸切状態なのは、店としてはどうなのやら。
「メニューはどうする?」
「んじゃあ、シュニッツェルとブラン・ボラチカで。飲み物はビール」
「こら。与一くんまだ19でしょ」
「今年で20歳だよ」
「じゃあ、まだ19だよね?」
「そうとも言う。……冗談だよ、このあと仕事だし。炭酸水の……無糖があったらそれで」
「ん。待っててね」
彼女はくすりと小さく笑って、店の奥に引っ込んだ。しかしまぁ、チェコ留学の経験もあってか、ほとんど趣味みたいなチェコ料理は本当に絶品だ。
オマケに彼女自身、不思議な白髪碧眼で、純日本人の筈だが日本人離れした美貌もある。料理の味の良さに加えてこの見た目なら客も増えそうなもんだが……やっぱり、1年半前から今のような暗い雰囲気を漂わせるようになったのが、前以上に客足が途絶えている原因の一端を担っているのだろうか。
まあ分からなくもない。なんとなく入った店の店主がどんよりした空気を纏っていたら、俺のような物好き以外は通いたく無くなるものだ。
俺にだけは妙に機嫌が良く愛想も良いのだけれども、客商売なんだから客全員に満遍なく愛想良くしろよ、とも思わなくもない。
とはいえ、明らかに悩みを抱えているからあんな暗い顔になっていると分かっていても、いつ問うても本人が「大丈夫だよ、ありがとうね」としか返さないのだから、こちらからはどうしようもない。
「……もう少し頼ってほしいんだけどなぁ」
などと、カウンター席から見えるキッチンの奥で、機嫌良さそうに手際よく料理を作っている燐ちゃんの背中を見ながら独りごちる。
……歳上にちゃん付けはどうかと思うけど、本人が嫌がらないから流れで定着しちゃったんだよなぁ。まあ、『さん』よりは『ちゃん』って感じだし、違和感が無いほうが悪いと言えるな。
──少しして、燐ちゃんは俺が注文した料理を入れた皿をトレーで運んでくる。シュニッツェルとブラン・ボラチカ。簡単に言えば、薄く伸ばして揚げた子羊肉と、ウインナーを添えた野菜スープだった。
「う~~~ん相変わらず美味い」
「……ふふ、ありがと」
「燐ちゃんの腕が良いのも大前提だけど、やっぱり、こう……異国の料理を日本の衛生基準で食えるって贅沢なことだよなぁ」
「そうだね、場所によっては本当に、危ない環境の中で料理が出てくることがあるから」
食べ慣れることはあっても飽きることはない美味い料理を楽しみつつ、世間話に花を咲かせる。
「与一くんの方は、最近なにかあった?」
「あ〜…………まあ大したことじゃないんだけど、なんかこの前、妙な女の子に懐かれちゃってさ」
「十分大したことだよ……?」
「顔を見合わせるなり『わたくしは貴方と出会うために産まれてきたのですね……!』って言われるし、結構ビックリしたよね」
「ビックリした、で済むのすごいね」
驚愕と呆れの混ざったような顔をされる。しかし、問題はそこではないのだ。
あの女の子はまるで俺と出会うことが運命であり必然かのような物言いだったが、俺の顔を見てようやく合点がいった、みたいな反応だった。それこそ、これまでの違和感の正体に気づいた、みたいな。
何を隠そう、俺の方もあの子が
……こういう話は親父と母さんにした方がいいんだろうけど、あの二人、俺を置いて世界中を飛び回ってるから容易に会えないんだよなぁ〜〜。
「はぁ。ごちそうさん、今日も美味かったよ」
「……このあとは、探偵のお仕事だっけ」
「そんな感じ。それじゃあ、また明日」
「…………。…………。……うん、またね」
「?」
会計も済ませて店を出る直前、ふと、違和感。燐ちゃんの言葉が、一瞬詰まったような気がした。
それはなんというか、返事をするかどうかで迷ったかのような。
……なにか、思い詰めている気がする。
でも、そういった重要なことに限って、燐ちゃんは頑なに口を閉ざす。
よほど嫌なことがあったのか、はたまた皮肉にも俺との交友が深いからこそ話したくないのか。
……そういえば、燐ちゃんの家族の話って一度もされたことないけど。いや、まさかなぁ……。
「──っだぁあ〜〜疲れたぁ〜〜」
同日23時50分頃。数分前に乗り込んだ、家に向かえる最終電車の中で、深いため息をついた。
知り合いの探偵の手伝いで向かった洞窟に、大量のグールが居るとは思わなかった。しかも古いトラップが全部作動して大岩に追いかけられたし。
あの人の手伝いはなぁ〜。するのは良いんだけど、毎回毎回どこかしらで面倒な事態になって、最終的にハリウッド映画のクライマックスみたいになるから勘弁してほしい。うちの従業員なんて別件で1回だけ斜め上に8メートルくらい飛んだからな。
しかし今日は、帰ったら明日の昼まで寝ることになりそうだな。ってくらいの疲労感にまぶたが重くなり、力を抜くとそのまま寝てしまいそうになる。
「……明日。明日だな、今度こそ燐ちゃんの悩みを聞こう。どうにも、嫌な予感がする」
ここで寝たら確実に降りる駅を通過しかねないため、意識を繋ぐために声を出す。
それに、燐ちゃんが心配なのは本心だ。……まあ、多少の下心が無いと言えば嘘になるけど、そもそもの話として、彼女はとても善良な人なんだよ。
俺の周囲の人間に碌でもないのが多すぎるからこそ、あの店で燐ちゃんに会い、チェコ料理を食べることが数少ない癒しになっている。
──だからまあ、結局は、自分のためだな。
「…………ん?」
と、そこで。不意に気配を感じて顔上げると、そこには黒い上着とフードで顔を隠した何者かが立っていた。ダボダボの袖をこちらに向けており、疲れもあって反応に遅れ──いや、待て。
「お前、人間じゃな────
ブツン。
……眠らされる直前、隠し持っていた道具で
しかし元々の眠気を後押しするような強烈な睡眠欲求を呼び覚まされたかのように、意識が急速に落ちていくことは防げなかった。
もしや洞窟内で始末した敵性魔術師の残党か? でもそれにしては纏う空気というか雰囲気というか、とにかく『なにか』がおかしい。
「……て、……き、……お……て」
……なんだ。誰かが、体を揺すっている。それは、どこか聞き覚えのある気の弱そうな声。
「起きて、起きて与一くん」
「う……おぉ……」
意識が浮上し、目を覚ます。
眼前には、おどおどしながらも前屈みで俺の肩を掴んで揺すっている女性が居た。
寝ぼけ眼に映るのは、見覚えのある白髪に碧眼。わざわざ確認するまでもなく、俺を起こした彼女は、間違いなく燐ちゃんだった。
「……燐ちゃん?」
「よかった、起きてくれた。与一くん大丈夫? ケガとかしてない?」
「まあ……大丈夫。というかケガしてないかは俺のセリフなんだけど」
「私は平気。ほら、与一くんって私よりしっかりしてるけど、一応、歳下なわけだし……ね?」
「そういえばそうだった」
本音混じりの冗談で茶化しつつ、ひとまず状況を整理する。その結果、お互いにケガ一つ無いことと、実はあの最終電車に乗り合わせていたこと。
そして眠らされる直前に黒フードの……体格的に男であろう人物が目の前に現れたことも、俺の状況と同じ。それから所持品は全て無くなっており、燐ちゃんもつい数分前に起きたばかりで、まだ何処も調べていないことが判明した。
「それにしても、私たちって誘拐……されたん、だよね? 手とか縛られてないのは何でだろう」
「確かに。燐ちゃんは無害そうだから分かるけど、俺を拘束しないのはおかしいな。いや片方だけ縛ったところでって話になるか」
「……どちらにせよ、誘拐犯が戻って来る前に逃げないとね。どこから調べよっか?」
燐ちゃんはそう言って辺りをキョロキョロと見回す。こちらとしてもさっさと探索して逃げるのには賛成、なのだが。問題が一つ。
──俺が魔術師であることを、なるべく燐ちゃんには悟られないようにしないといけないことだ。
そのうえで、あの何らかの神話生物であろうフードの男を始末して生きて帰らないといけないわけだ。……結構大変だな。
ひとまず、燐ちゃんの思い詰めた悩みを聞き出すのはあとになりそうだな〜、と。そう思いながら、部屋の探索を始めるのだった。
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