俺と燐ちゃんが誘拐された先の部屋は、何年も放置された廃屋の中のようで。埃や木片、鉄片が散らばり、裸足で歩いたら怪我をしそうな程度だった。
それ以外で目立つポイントと言えば、俺と燐ちゃんが別々に眠らされて座らされていた一人掛けのソファ2つと、壁に埋め込まれたモニター。
そしてこの正方形の部屋の四方にある、別室に繋がっているであろう4つの扉くらいか。
「とりあえず、あそこのモニター見てみようか」
「そうだね。もしかしたら現在地とかわかるかも」
燐ちゃんも特に反論は無い……というかこの状況で率先して行動する勇気は無いよな、普通は。たぶん「あっちに行け」と言えばあっちに行くし、「こっちに来い」と言えばこっちに来るだろう。
「…………。犬?」
「……? な、なにが?」
「いやなんでもない」
モニターの方へと歩いていけば、燐ちゃんは俺の後ろをピッタリとついてくる。
犬……なんだろう、大型犬。おっかなびっくりしながら飼い主に引っ付いてくるタイプの。
ともあれ、モニターの所に歩いていけば、それがタッチパネル式の画面だったことに気がつく。
「……これ、何の数字だろう」
「うーん、流石にわからん」
画面中央に映し出されている、『86 164.098 903 691』という数字。
いきなりこんなものを見せられてもどうにもならないが、左上の数字が3:15から3:16に切り替わったことで、現在時刻だけは判明した。
「今は夜中の3時なのか。電車に居たのが深夜00時前だったから、仮にその地続きなら……まだ3時間強しか経っていないんだな」
「……じゃあ、もう3月1日なんだ」
「そうなるなぁ」
後ろからひょこりと顔を覗かせて画面を見ていた燐ちゃんが、小声で囁くように言う。
その声色は、どこかホッとしたような、落胆したような、複雑な感情が混ぜられていて。
「……あっ、み、見て与一くん」
それを誤魔化すように、彼女は後ろから手を伸ばして画面左下を指差した。
「ふぅん。PASSWORD、ねぇ」
軽く触って調べてみると、日本語入力・漢字変換可能で7桁のパスワードだった。つまり数字7桁じゃなくて七文字の文章を書き込めってことか。
「……って、わかるわけないよな」
「この部屋、調べられるのはこれくらいかな。あとは……別の部屋を見に行くしか、ないよね」
「そうだなぁ。とりあえず、扉が開くなら俺が最初に入るから、あとから入ってきて」
「う、うん」
ひとまず、部屋の中央から見て……眼前の扉を便宜上、地図などで言うところの
それから
「さて、扉開けた瞬間に矢が飛んでこないことを祈ろう。前はそれでちょっと刺さったし」
「ちょっと刺さった!?!?」
「先端がおでこにちょっとね」
「だいぶ重傷だよ!?」
知り合いの探偵の頼みで遺跡に同行したらトラップが満載だったんだよ、嫌な思い出だ。
まあ俺と一緒に行った従業員はハリネズミみたいになってたけど。
……っといかんいかん、普段のノリで情報をポロッと暴露しそうになっている。
俺の方も、誤魔化すためにもそそくさと北の部屋に入ると、鍵は掛かっておらずあっさりと開く。そして中には、奇妙な風景が広がっていた。
「なんだこりゃ」
「……わっ。不謹慎かもだけど、なんだか……綺麗な部屋、だね」
後ろから入ってきた燐ちゃんが思わずそんなことを言うのもよくわかる。室内の壁一面には星空を模した壁紙が張られていて、中央には4メートルくらいの巨大な地球儀がゆったりと回転していた。
壁紙の星にあたる部分と地球儀の至るところにはLED電球が付けられていて光っているが、反時計回りで回転している地球儀をよく見れば、唯一、日本の東京に該当する電球だけが灯っていない。
「燐ちゃん、この地球儀、東京のとこだけ光ってないけど……どう思う?」
「え? う、うう~ん……例えば、私たちが誘拐されたのが最初か最後、とか? 私たちが最初に来たから消えたのか、それか私たちが最後で、何かをしたりされたら、この電球も光る……のかも?」
「なるほどなぁ。燐ちゃん天才か?」
「いっ、いいやいやいや、パッと思ったことを言っただけだよ。間違ってるかもしれないし……」
納得感のある推測に感嘆して褒めると、燐ちゃんは顔を赤くして首をブンブンと横に振る。
うーん、この可愛げをうちの従業員にも習わせたいもんだ…………いや、たまたま形状が人間と同じなだけのゴリラみたいな奴に可愛げがあってもおぞましいだけか。その辺は一長一短だな。
「……ふぅ〜んむ。なんというか、ここは俺たちを誘拐したやつの、何らかの確認部屋って感じだな。逆に言えばこれ以上は特に何もなさそうだ」
「じゃあ、別の部屋に行く?」
「そうしようか」
何らかの専門的な知識があれば、電球の付いている場所の法則に気づけるかもしれないけど。残念ながら俺にはそういう知識は無いので、まだ残っているかもしれない謎を置いて部屋をあとにする。
部屋を出て左、東の扉に向かって歩き、扉を開ける。ここも鍵が掛かっておらず、特に抵抗なく開く。しかし部屋の中に足を踏み入れた瞬間、強烈な違和感に襲われ反射的に一歩後ずさった。
「っ──、うおっ、気持ち悪っ!?」
「与一くん! ……大丈夫!?」
「あ、ああ。大丈夫大丈夫」
強烈な違和感。その正体を探るべく、燐ちゃんにそう言いながら改めて部屋に入る。
すると、よくわかった。ここは通路だが、ただの通路じゃない。この部屋がどこかの異空間に作られた場所で、現実空間とを繋ぐ通路になっているのだ。
空間がめちゃくちゃで、踏み入れた足が浮くほどに重力が機能していない。だから俺の魔術師としての経験則が『気持ち悪い』と感じ取ったのだろう。
床のタイルも幾つかが宙に浮かび、奥にある扉に辿り着くのには少しばかり苦労しそうだが、無重力というわけでもないし、呼吸できないわけでもない。
「……死にはしないか。いや誘拐しといて死ぬような部屋に行けるようにするなよって話だけど」
「与一くん?」
「大丈夫だよ。ほら、気を付けて。入ると、なんか……ふんわりするから」
「ふ、ふんわり?」
俺の言葉に小首を傾げながらも、燐ちゃんが続いて扉を跨ぐ。通路に出た彼女は、重力の軽い通路内で隣に立って浮いているタイルを眺めた。
「うわっ、とと。なんだか、すごく変な通路だね。あ、でも奥に扉もあるよ、行って……み…………」
「? ……燐ちゃん?」
奥にある扉を見て、口を開いた燐ちゃんの声が詰まる。それから体を震わせ、ガクガクと膝を揺らし、俺の腕にしがみつきながら言う。
「よ、与一、くん。この部屋の、奥、扉の向こう……ダメ、いやだ……怖い……」
「わかった、一回戻ろう」
「ご、めん、ね。足が、竦んじゃって……」
「ほら、俺が抱えるから」
「…………うん」
奥の扉の向こう、誰か、あるいは何かを恐れて大粒の涙を浮かべる燐ちゃん。こんな状態の彼女を連れて先に進むのは、流石にリスキー過ぎる。
膝裏と背中に手を回して抱き上げれば、普段の調子なら恥ずかしがるであろう状態にも関わらず、腕を首に回して必死にしがみつく程に怯えていた。
「燐ちゃん、大丈夫か?」
「……うん、ごめんね」
「いいよ。こういう時の……直感的な恐怖ってのは馬鹿に出来ないもんだ。あのまま奥に進んでたら、危なかったのかもしれないし」
中央の部屋に戻り、ソファに座らせて数分。傍らで手を握ってあげたままじっとしていれば、燐ちゃんは落ち着いた様子で口を開く。
「よく、分からないんだけど、あの扉の向こうに、何かが
「なるほどねぇ」
少なくとも、燐ちゃんよりも俺の方が実力・経験は上だと断言できる。
しかしそういったものを感じ取る……その、なんて言えば良いんだ? 感受性……アンテナのようなものは、今回に限って言えば彼女の方が上らしい。
「……与一くん、あの扉の先に行くなら、十分に準備してからの方がいいかもしれない」
「そうだなぁ。すぐ向かうのも無理そうだし、次は……どっちの部屋に行くか。扉が開くかどうかだけ確認するから、ちょっと待ってて」
「わかった……」
名残惜しむように、俺の手を指先を引っ掛けるように掴む燐ちゃんの傍から離れて、さっさと戻るために小走りで確認を済ませる。
ソファから近かった西の扉のドアノブをガチャガチャと弄ると、鍵が掛かっていることがわかる。それから南──現段階で一番古くなっている扉の方に向かい、ドアノブを捻れば……開いた。
次はこっちに行けばいいのか。
──いや、行くように誘導されているのだろうな、とは、なんとなく理解できる。
「燐ちゃん、ほら。行こう」
「……うん。……よ、与一くん、その……腕、掴んでても、いい?」
「ご自由に」
「ん、ありがと」
「────ぬ゛」
よほど怖かったのか、許可をすると燐ちゃんは即座に俺の左腕にしがみつく。
「与一くん? い、嫌なら、言ってね」
「イヤデハナイヨ」
「……そう?」
少しだけ歩きづらいけど、まあ不用意にパニックになられたり暴れられるよりはマシかと、腕に当たる柔らかい感触から視線と意識を逸らしつつ。
──この不可思議な場所から脱出するための手段、情報、あらゆるものを探すべく、俺たちは次の部屋へと向かうのだった。
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