点灯したランプと無造作に置かれた黒電話、そして机の真ん中には見開き状態で置かれている一冊の本。特に異変や違和感、異質な気配なども感じないことを確認して、俺と燐ちゃんは室内に入る。
「す、すごい量の本だね……」
「上の方とかどうやって取るんだろうな」
天井にまで届く本棚には、どこを見ても専門書がずらりと並べられている。
まあとりあえず、と。俺は燐ちゃんを連れて部屋の中央に向かって開かれたままの本を手に取った。
「ふぅん。『友へ』、ね」
斜め読みでも意味不明な文章をしているが、実際に声を出して読めばなおのこと意味不明だった。
神がどうとか『廻る』がどうとか、何を言いたいのかいまいちよく分からない文章でしかなく、横で聞いている燐ちゃんですら頭に疑問符を浮かべる。
──が、読み終えた辺りで異変が起きた。
「『神の御許へいざ逝こう』……なんじゃこりゃ。わけがわからん──ん?」
キィ──ンという脳に響く妙な感覚。あ、まずいな、これ……魔術的な干渉が来ている。
「おぉ〜〜久々に強烈なのが来た」
頭を軽く振って、どこかからの干渉を跳ね除けた。このくらいなら、まぁなんとかなる。
うっかり洗脳とかされようものなら、うちの従業員に容赦なく顔面をぶっ飛ばされるからな。耐える方法は幾らか編み出しているんだよね。
「…………」
「燐ちゃん?」
本を閉じて机に放ると、隣で腕に体を寄せて覗き込んでいた燐ちゃんが俺の声に無反応になる。
それから急に振り返って、部屋の外にふらふらと歩いて出ていこうとしていた。
これは〜〜……食らっちゃってるな。
「あの、燐ちゃん? 燐ちゃ〜ん?」
「…………」
「──精神をヤられちゃってるな。時間経過で治るかな? はいちょっとごめんねぇ」
「…………」
部屋から出ようとする燐ちゃん。後ろから彼女の脇に手を差し込んでヒョイと持ち上げ──軽っ──ると、あっさり持ち上がった燐ちゃんは、本人的には歩いているつもりなのか、持ち上げられながらも足をパタパタ動かして抵抗していた。
なんか、こう……こんな感じでライオンの赤ちゃんをサルが持ち上げてる映画のワンシーンがあったなあ、と思いながら数分。
「…………。あ、あれ?」
「お。戻った」
「……あれっ、え? 与一くん……?」
持ち上げられた状態でキョロキョロと左右を見回す燐ちゃんが、宙ぶらりんになっていることに気づいて驚いた様子で首を後ろに向ける。
「えっ、なんで私持ち上げられてるの!?」
「なんでってそりゃあ、ねえ。アレ読んでから急にどっかに行こうとするから」
「……あ、そ、そっか。アレを、横で黙読してたら、頭の中に声が響いて……『こっちへ来い』って言われてるみたいで……」
「どうせなら、どこに行こうとしてるか確かめるためにも歩かせとけばよかったな。燐ちゃんは自分がどこに行こうとしてたかわかる?」
ストンと床に足を下ろさせると、燐ちゃんは少し考える素振りを見せてから言う。
「たぶん、私が恐れた、あの扉の向こう。あの奥に、行こうとしてたんだと思う」
「なにかに、導かれた。ってことか」
こくりと頷く燐ちゃんは、それから逡巡を挟むと、ほんのりと頬を赤くして問いかけてきた。
「……私、重くなかった?」
「いや別に。むしろ軽すぎてびっくりした」
「そ、そう?」
「なんだろうなぁ、中身の詰まった段ボールを持ち上げるつもりだったけど、いざ持ち上げたら中身が空の発泡スチロールだった〜〜くらいの軽さ」
「……そっ、か」
「もうちょい肉をつけることをお勧めします」
「……まあ、まあ。機会があったら、ね?」
また、誤魔化すように言う。燐ちゃんは、何かを隠している。そしてそれが俺にバレることを恐れている。……最近の気落ちした様子と関係していることは確かだが、無理やり暴くのもな、とも思う。
この件は後回しにして、今はとにかく情報収集だ。本棚の背表紙を眺めていってピンとくるモノを探る。こればかりは
「……お。なんかピンときた」
「何か見つけたの?」
「ああ。無数の専門書に混じって……なんだ、小説? が挟まってたみたいだ」
抜き取って確認すれば、タイトルには『廻る世界』と書かれている。そして中身を読んでみれば……うん、まあ、察してはいたが。
あいも変わらず、何が言いたいのかさっぱり分からない、支離滅裂な文章の羅列といった内容。随所に『廻る』という単語が入っているのはある意味でタイトル通りと評価できるのかもしれない。
「うう……読んでるこっちの目が回りそう」
「だなぁ。結局ただ時間を浪費しただけだ」
とはいえ、気になるフレーズがあったのも確かだ。【眷属たる歯車は『廻る』時計が存在せねば『廻ら』ない。『廻る』時計が秒針を刻むことを止めれば歯車は総て止む】、特に
つまり、偽装工作。意味不明な文章の羅列を書き殴って、本当に伝えたい部分を隠した。
……考えすぎか? いや、こんな状況だ。考えすぎるくらいがちょうどいいか。
ともあれ、他にめぼしいものは見当たらない。いつまでも同じ部屋に居続けるよりは、次の変化を期待して別の部屋に行くほうがいいだろうとして、二人で書斎を出る。南の部屋から出て、最後は西の扉か。ここは鍵が掛かっていたはずだから、開ける必要があるなら鍵を見つけてくるか無理やりぶち破るかの2択。
──壊す方が早いか。と思案した瞬間、というよりは書斎とを隔てる扉の縁を跨いだ瞬間、ふとカチリという音が西の扉から響いた。
「……もしかして、鍵が開いたのかな」
「俺たちの行動を見て、タイミングを計ってたってことか。いやらしい敵め」
俺たちを眠らせたあの黒ローブか、真の黒幕がいるのか。どっちにしろ、俺はともかく燐ちゃんまで巻き込んだツケは払わせないとなぁ。
そう思案しながら、先導して西の扉を開く。背中に引っ付く燐ちゃんを連れて中に入ると、そこは、最初の部屋のようで、最初の部屋よりは少しだけ広い──またしても四方に扉のある部屋だった。
「またこんな部屋か……」
ひとまず最初の部屋になぞらえて、入ってきた西の扉をこっちでは東の扉と定義。そして
どうやらこっちの扉は、上に蛍光灯が取り付けられているらしい。と言っても、それに何の意味があるのかはよく分からないのだけど。
「うーん。燐ちゃん的には、どの部屋から行ってみたいとかある?」
「えっ。ええ、っと……そういわれても。じ、じゃあ……さっきは北側の扉から入ったから、今回もあっちの扉から、ってことで、どうかな」
「了解。んじゃ行きましょ」
後出しになっちゃうけど、実のところ俺も
「……どうなってんだよ、もう」
ガチャリと開け放たれた先の室内は、これまた異質。この空間に似つかわしくない、窓のない廃ビルの通路のような形状をしていた。
──空間同士の繋がりが目茶苦茶すぎる。言語化しづらいが、なんというか、開けた瞬間に部屋の中身を固定されたような感覚。
……これ、もしやどの扉を選んでも出る場所は同じだったりするのか。
「ま、行くしかないか」
「……そう、だね」
荒れて壁から鉄骨が見えているコンクリートの廃墟のような一室に出た俺と燐ちゃんは、進まなければどうにもならないからと顔を見合わせてから苦笑して歩き出す。どこから電気が供給されてるのかもわからない蛍光灯の明かりを頼りに歩いていけば、通路の最奥にたどり着く。
通路から広い空間に出れば、まず最初に目に入るのは鉄格子。それが牢屋であると即座に分かったのは、取り囲むように正方形に設置された
オマケに牢屋の前には赤い物質で魔法陣が描かれていて、これまでの部屋とはまた別の異質な雰囲気を醸し出している。血、ではないな。独特の臭いがしないし、血なら乾いて赤黒くなる。
「それには触らないようにね」
「頼まれても触らないよ……」
「よろしい」
一瞬、血で描かれてるとでも勘違いしたのか、ギョッとした様子の燐ちゃんに即答されつつ。
赤い魔法陣を迂回する形で回り込み、牢屋の方に近づいてみると、蛍光灯だけの薄暗い部屋の明かりで辛うじて中を覗き込める。
「よ、与一くん危ないよ」
「中に居るのがヒグマとかでない限りはどうとでもなるから大、丈……夫…………」
「? どうし……た、の……っ!?」
言葉を詰まらせた俺の横から同じように牢屋を覗き込んだ燐ちゃんが絶句する。
それもそうだろう、中に居たのは、クマが可愛く見える程に、奇妙な存在だったのだから。
──牢屋の中に居たのは。否、
「こ、れ、生き……てる……?」
「そう、みたいだな。人間なのか、これで」
──生きているのだ。この樹木は、一つの生命としてそこに居る。人型の樹木。樹木になった、人間。
なにより、生きているということは、こちらを認識しているということ。この樹木人間……
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