牢屋の中の化木人。彼、あるいは彼女。……ともあれヤツは、あろうことか、唐突に、俺には聞き馴染みのない言語で喋り始めた。
【────、──】
「こいつ、喋んのかよ……!?」
「……! 与一くん待って、これチェコ語だよ」
「マジかよ。一応聞くけど、分かったりする?」
「う、うん。翻訳してみるね」
牢屋の前でしゃがみ込み、化木人の言葉を聞く燐ちゃん。いつでも下がらせられるように傍らに立ちつつ、彼女が翻訳した化木人の話を纏めてみる。
──曰く。
・彼は、チェコスロバキア第一共和国のブラチスラヴァ出身である。名前はヴィーテクラースカ。
・俺たちは眠らされている間に【化木人薬】を投与されている。ヴィーテクもかつては俺たちと同じ境遇だったが、連れてこられた時に6時間ほど眠らされていたこともあり、目が覚めた頃には化木人になる兆候が見られていたらしい。
・化木人の薬は体内から変異していく効果があるようで、見極めるのは困難。目に見える形での変異が起きた頃には既に手遅れである。
・その後、化木になった自分の元に黒フードの男が現れ、計画の手伝いをする提案をしてきた。
・気に食わないからと断った結果こうなったが、後悔はしていない。しかし俺たちにはまだ時間はあるから、二人だけでも生きて帰ってほしい。
・フードの男は地質学者の自分を仲間にしたかったのか、幾つかの情報で屈服させようとしてきた。
・この空間の何処かには、特効薬を作るための本が置かれている部屋と、脱出するための機械が置かれた部屋があるらしい。
・この牢屋には出ようとしたら奴らにバレる魔法が仕込まれているから自分は脱出できない。だから自分のことは置いていって構わない。
──長々と燐ちゃんの翻訳経由で話を聞いたが、こんなもんか。あと、どうやらヴィーテクには、サーラ・ジェナターという義理の娘が居て、父は抗ってみせたのだと遺言を遺したいだけらしい。
だから、俺たちに情報を与え帰らせるのは、あくまで自分のためだ……と。
うーん、大変結構な物言いだ。意識が薄れて記憶が曖昧らしい割にはベラベラとよく喋るなあ、という疑問点を与えなければ騙せていただろうさ。
燐ちゃんだけにピンポイントで伝わるチェコ語を話す、ブラチスラヴァ出身の、特効薬と脱出手段を知っている元人間。よく出来た話だ。
この絶妙に、というのが厄介なのだ。幾つかは真実、幾つかは大嘘。どれが本当でどれが間違いかを悟らせないようにしているが、一番面倒なのが『ヴィーテクが意図的に嘘をついている』のか、『敵に操られ言わされている』のかが分からないところにある。
ただ、一つ分かることがある。
「……言葉が軽いんだよなぁ」
小声でボソリと呟く。──言葉が軽い。ヴィーテクの発言には、どうにも必死さが感じられない。『こう言えばこいつらは信じるだろう』というマニュアルを読み上げているような違和感があった。
言葉の重み、それは言語が違ったとしても共通して存在する。こればかりは俺がそう感じるだけだから、燐ちゃんには伏せておくけど。
ともあれ、まだ行っていない部屋がその特効薬の部屋と脱出の部屋なのだとして、それを確かめる為にも、この部屋から出るためにも、ヴィーテクの前から離れるように燐ちゃんを引っ張っていく。
「わ、わっ。与一くんどうしたの?」
「……あいつの話、どう思う」
「化木人さんの話は……うん、私は信じてもいいかなって思うよ」
「その心は?」
燐ちゃんは蛍光灯がある方の中央の部屋に戻ってくると、自重で勝手に閉まる扉に視線を送りながら、どこか気まずそうに口を開く。
「私たちが誘拐された事とか、放置されてることと辻褄が合うし、それに……これは個人的なモノなんだけど、化木人さんが私たちを助けようとしてる理由が『自分のため』っていうのが、懐かしくて。だから……信じてもいいかなって思えたの」
「懐かしい? それは、なにが?」
俺が問うと、燐ちゃんの表情が暗くなり、うつむきがちになりながら答える。
「亡くなったお父さんの口癖だったの。よく『自分のためにやってるんだ』みたいに言ってた」
「…………。そっか」
親が亡くなっている。もしや、それが急に暗い雰囲気になった原因なのだろうか。
それ以上を語ろうとしない燐ちゃんには、こちらとしても追求する気にはならないため、俺は彼女の手を引いて次の部屋への扉を開ける。
残る
「ここは……どう見ても脱出のための機械がある部屋、ではないな。あえて言うなら実験室?」
「みたい、だね。植物に薬品に実験器具……これで特効薬を作れ、ってことなのかな」
「何を使ってどう、が抜けてるのがなぁ。ちょっと2階の方から調べてみようか」
「そうだね」
薬品だのは専門的すぎて、迂闊に触れない。まずは特効薬を作る本が実在するかどうか確かめる為にも、部屋の奥の階段で2階に上がる。
2階にはこれまた本棚に無数の本が納められていて、英語以外にも幾つかの言語の本がある。前回の書斎もそうだが、どうやら敵は敵で何かの研究をするためにこの閉鎖空間を作り出しているようだった。
──それから二手に別れて、件の本を探し始めて数分。辛うじて翻訳できる英語の本に絞ってタイトルを眺めていると、後ろから上機嫌な声が届く。
「与一くん与一くんっ」
「ん?」
「あったよ、特効薬の本!」
振り返ってみれば、一冊の本を大事そうに両手で胸元に抱えている燐ちゃんが立っていた。
「お〜〜凄いなぁ燐ちゃん。本当に偉いぞ〜〜よーしよしよしよし……」
「えへへへへ」
ボールを取ってきた大型犬の如く、どことなく誇らしげな燐ちゃん。陰鬱な空気を誤魔化すのも兼ねて、頬を両手でもちもちもちもちと捏ねくり回すと、彼女は嬉しそうにして笑みを浮かべた。
……この子、本当に俺の4つ上なんだよな? という何度目かも忘れた疑問を脳の片隅に追いやる。なんか、もはや大型犬ってかキーウィみたいだ。
「しかし、よく分かったね?」
「うん。日本語で書かれてたから」
「…………。ウーーーーン」
怪しすぎるだろ……!!!
この無数の英語やらの外国語の中で、よりにもよって特効薬を作るための本とかいう敵にとって読まれたくないヤツだけ日本語!? 罠じゃん!?
「……? 与一くんどうしたの、早く特効薬を作らないと。化木人薬の所為で時間が無いんだよ?」
「う〜〜〜ん。そこも疑問なんだよなぁ、だって俺たちも眠らされてから3時間は経過してるんだから、多少は体に違和感があってもおかしくない」
「それは……そうかもだけど、体の内側から変異しちゃうんだから確かめようが無いよね」
「自分で自分の腹殴ったらなんか分からんもんかね。よっこいしょ」
即座に、ドムッと強めに俺自身の腹を殴ってみる。自分の体を自分で殴るとついつい加減してしまうものもあって、いまいち分からない。
というか鍛えてるもんだからそもそも普通に腹筋が硬い。くそっ鍛えてるせいで……!
「ど、どう?」
「わからん。燐ちゃんもちょっと俺の腹殴ってみて。自分じゃ加減しちゃうから」
「ええっ!? い、いやだよ与一くんを殴るなんて……! 自分だと加減しちゃうなら、わたっ、私のお腹でやっていいよ……?」
「キミわりと発言が危ういよね」
やるわけないだろ虐待になっちゃうよ。……と、両腕を広げてウェルカムの姿勢を取る燐ちゃんを窘めて、体の調子を確かめる案は微妙な結果に終わる。
「……はぁ〜〜〜仕方ない、とりあえず作るだけ作って、さっさと飲んで、あの浮遊感ある部屋の奥も調べて、脱出用の機械で帰るとするか」
「う、うん」
「それじゃあまず材料探しからだな」
シンプルに【特効薬】と書かれた日本語の書籍を開き、作り方を確認。まずベースとなる薬品が、天然樹脂を主体とした薬品。
さらにビタミンCとカルシウムを含む果物を用意して、この2つを魔法陣……すなわち本に隣接させて薬を飲む者が魔力を注がないといけないらしい。つまり俺と燐ちゃんの二人がかりだ。
術式は本に描かれた魔法陣が代替してくれるから必要ないとは、至れり尽くせりだな。──いやぁ、スムーズに事が運び過ぎている。不思議だなぁ。
「……とりあえず俺が薬品棚を探すから、燐ちゃんは冷蔵庫とかからビタミンCとカルシウムがありそうな果物を探してくれる?」
「うんっ。ビタミンCとカルシウムがある果物……あ、あるかな……」
不安そうな声色で業務用冷蔵庫の方にパタパタと小走りで向かった燐ちゃんを横目に、俺も薬品棚を漁る。しかしなんだって樹液を飲まなきゃならんのだ。まあ特効薬の材料が天然樹脂なだけマシか、合成樹脂なんて広義のプラスチックだからな。
「……ふん、化木人になる薬を打たれているのに、特効薬の材料が樹液か。騙す気満々、としか言いようがないが……打たれたかどうかを確かめる術もない以上は飲まざるを得ない。嫌な誘導だよ」
ヴィーテクは『6時間寝かされていて、起きた時には手遅れだった』と話している。俺たちは3時間強ほど寝かされていて、起きてからも30分は過ぎている。6時間弱がリミットだとして、俺たちにはまだ2時間は残されていることになる……と思う。
──俺だけだったら、時間切れがあるかどうか試す、或いは最初の部屋の東……燐ちゃんが怯えたあの扉の向こうに突撃をかますのだが。
「はぁ〜〜。なるようにしかならんか」
それに、この手の事態には『流れ』ってものがある。意外とこのまま進んでいけばなんとかなるもんだ。これでどうにもならなかったら、ケジメで
「っと、あったあった。天然樹脂と〜あれとこれとそれ。全部混ぜて〜〜……はい完成」
必要なモノを混ぜ合わせて、試験管1本分の薬品液を精製。これ自体は多少調べれば簡単に作れるようになっていたし、あとは……
「どっかにアルミニウムと酸化鉄の粉末とかないかな……いや、そういえばさっき────」
薬品棚に戻り、中を漁れば、目的のブツを手に取れる。それはいわゆる無水エタノール、濃度の高い消毒液だった。そして、アルコールは、燃える。
「空き瓶に半分ずつに割って詰めて、蓋にちょっと穴空けて布ねじ込んで……と」
ボトル1本分の無水エタノールを半分ずつに分けてそれぞれを瓶に移し、蓋に穴を空けて布をねじ込み……よし。あとは着火用に……通路に落ちてた金属片を使えばいいか。俺の筋力で打ち鳴らせばファイヤースターター代わりに火花を飛ばせる。
──まさか、敵も想定してなかったことだろう。この手の事態に慣れている魔術師を連れてきてしまったことを。そして、本来であれば恐怖に怯えながら必死に特効薬を作っているであろう時間で火炎瓶を拵えているなどとは欠片も想定できまい。
覚悟しろよこの野郎……俺だけならともかく、燐ちゃんまで巻き込んで無事で済むと思うなよ。
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