『神』は、既に死んでいた。
否、これは抜け殻だ。『神』は生を全うして、神霊として肉体という枷から解き放たれたのだ。
しかし、この死骸との繋がりは残っている。この死骸こそが、『神』がこの世に存在している証明にして、神霊となった『神』との唯一の繋がり。
故にこそ、『神』と繋がるこの死骸を──抜け殻を破壊してしまえば、存在証明との繋がりが途切れた『神』は、消え去る。つまりは死ぬ。
そんな確信を後押しするように、ふと、書斎で読んだ小説のフレーズが想起される。
「──【眷属たる歯車は『廻る』時計が存在せねば『廻ら』ない。『廻る』時計が秒針を刻むことを止めれば歯車は総て止む】……そういうことか」
「それって、あの小説の?」
「あのフレーズは、この事を教えたかった何者かが遺したメッセージだ。『神』を破壊すれば化木人も死ぬ。誰かが、果たしてくれると信じて。俺たち以外の誰かが遺したんだ。……もしかしたら、正気だった頃のヴィーテクが書いたモノだったりしてな」
「…………そう、だといいね」
出入口付近で燃え尽きたヴィーテクを横目に、俺は強く拳を握って構える。
あとは『神』を破壊して終わり。問題は、樹木化が進んでる俺の扱いなわけだが。
「ま、なんとかなるだろ」
少なくとも、最悪でも燐ちゃんだけは生き残れる。そう思いながら殴り砕けば、『神』は飴細工のように脆く崩れ去った。
呆気なく、あっさりと、『神』の抜け殻は消え去り、邪悪な気配は消え去り、化木人の燃え残りはボロボロと崩壊していく。
「……これ、で、終わり……?」
「かもな。俺の体は────」
と、そこで、突如として体内の異物感が一気に消え去り、清々しさと共に──樹木化とは別の理由の激痛が発生した。それもそうだろう、
「うっ、おっ、おお……!?」
腫瘍を切除しなければならないとして、その部分を麻酔無しで引き千切る荒療治をされたようなものだ。体のあちこちに出来た
「与一、くん?」
「なんだかんだ、死に損なったな。お互い」
「──与一くんっ!!」
ぎこちなかった関節の動きが元に戻ったことを見せるように一回転。それから燐ちゃんが、俺にタックルでもするような勢いで抱きついてくる。
「よかった……! よかったよぉ……」
「んぐぉぉぉぉ……!!?」
優しく受け止めは、したが、力強く抱きつかれてる所為で全身の隙間がギチギチに締まって、尋常ではない痛みがガンガンと脳をぶっ叩いてくる。し、死ぬ……! 今度こそ死ぬから力緩めてくれ……!
──直感的に戦いが終わったことを悟ったからか、張っていた気が緩んでしまったのだろう。泣きながら抱きついて来た挙げ句、全然まったく力を緩めてくれない燐ちゃんにされるがままで数分。
ようやく落ち着いてくれた燐ちゃんを連れてUFOから脱出すれば、山を包み込んでいた濃霧が晴れていて、この辺りを見渡せるようになっていた。
それから近くに建てられていた物置小屋を見つけて探ってみれば、色んな時代・国の人間から奪ったような多種多様な私物の中に、俺たちの荷物が無造作に放置されていた。勿論、携帯も無事。
「はぁ〜とりあえず、ここ何処なんだぁ?」
辛うじて電波が入ることから、そう遠くない場所に人里はあるのだとわかるが、この空気感からして、なんか……日本ではないよな。
周囲にちらほらと漂っていた化木人の気配が薄まり消えていくのを感じ取りながら、位置情報を検索すると、俺たちの現在地はすぐに判明した。
「…………。
「ウガンダって、確か……アフリカ東部で……ケニアから西にあるところだっけ」
小屋の中でトランクケースに座る俺の横から、顔を近づけて画面を見る燐ちゃんが言う。
そう、俺たちはウガンダ──の西部にある、ルウェンゾリ山に連れてこられていたのだ。
日本とウガンダは直線距離で10000キロ以上は離れているから、東京の電車からここに誘拐するのは時間が要る。もしや2月29日深夜から3時間強、ではなくあの日から数日経過していたのか。
そう思って日時を確認したが、今日は3月1日。誘拐されてからまだ4時間半くらい。つまりあの蒼い脱出用機械は、ここから出たりここに連れてくるための転送装置だったということか。
そんでもって……たったの4時間半で、俺たちは『神』とその信者を滅ぼし、巡り巡って世界を救う一助を果たしたわけだ。
「……これから、どうしよっか」
「とにかく、近くの町に向かって……日本大使館まで案内してもらって保護してもらうしかないな。この国に来た記録もパスポートも無いから、『誘拐されました』で押し通すしかないだろうけど」
「まあ……私たち、程よくボロボロだもんね」
「だなぁ」
改めて互いの格好を見る。俺も燐ちゃんも、ワイシャツが森を移動したりであちこち汚れている。
俺に至っては血も吐いてるから一部が赤黒いし、『一緒に誘拐された女の子を庇って拷問されてました』とか言っとけばいい。ちょうどよく体内がズタズタだからな。ちょうどよく体内がズタズタ……?
──と。なにはともあれ、帰るための準備として小屋から使えそうなものを漁る。
結果、ウガンダでも使える一般的なドル紙幣を見つけて、ひとまずどうにかなりそうだった。
それから一番近くの町に向かうべく下山する途中、俺と指を絡ませるように手を繋ぐ燐ちゃんに問いかける。……ある意味、これが最後の戦いかもな。
「なあ、燐ちゃん」
「なぁに?」
「
「…………。な、んの、こと」
俺の手を握る手に力が入る。
「責めるつもりはない。ただ……疑問に感じただけだ。なあ、燐ちゃん。キミはどうして────
29日の深夜、家とは
突発的に、衝動的にやったことではない。燐ちゃんはきっと、何度も何度も何度も何度も悩んで、苦しんで、考えた末に決めたのだろう。
「俺じゃあ、力不足だった?」
「ううん。違う。違うの、言えなかったんだよ。だって、私と両親の問題だったから」
「…………」
「…………」
そこで一度、会話が途切れる。
けれども、俺から話すことは出来ない。これは、燐ちゃんが覚悟して行う話だからだ。
「……人が居る所に着くまでの暇つぶしに、面白くない話を聞いてくれる?」
「勿論、いいよ」
「……私ね、小さい頃からよくいじめられてたの。ほら、髪と目の色が日本人離れしてるし、明るい性格でもないから。格好の的だったのかな」
俺にとっては美しい髪と目の色、俺にとっては気弱で内気だが優しい性格。
けれども子供とは、残酷なまでに素直だ。自分たちと違うものを排除してコミュニティを安定させたがるのは、野生でも人間社会でも変わらないが、言っちゃあなんだが人間のやり方は些か陰湿すぎる。
「それから暫くして、高校生の頃かな。ストーカー被害にも遭うようになって……人を信じられなくなってきてた。でもそれ以上に、周りの人たちが私のことを助けようとしてくれても、最後まで手を貸してくれなかったり……利用されるだけで終わったりしたの」
「フン。要するに善人アピールに使われたわけだ。『可哀想なアイツを助ける自分』っていうステータスが欲しいだけだったんだろうさ」
そういう意味では、今は両親と一緒にイギリスで暮らしてる俺の幼馴染も小さい頃は大変だったな。ハーフ故の見目の良さが目立っていた。
「……かもね。……そして、その人たちは決まって言うの。『あなたのために』、『燐のために』って。私は……そんな言葉が嫌い。でも、お父さんだけは違った。身勝手で、私とお母さんに暴力を振るうし、暴言も吐くような人だったけど、私の相談を真面目に聞いてくれたし、約束は必ず守る人だった」
──『自分のために』が口癖の、決して善人ではない父親。けれど、きっと燐ちゃんにとっては、人間不信になった原因たちよりも遥かに誠実な人間に見えたのだろう。家族に手を上げる親が
「こんな私でも個人経営の喫茶店をやれてるのは、お父さんが約束を守ってくれたから。与一くんと出会えたのも、お父さんのおかげ。──でも、お母さんは、お父さんの暴力に耐えられなかった」
燐ちゃんの表情が暗くなる。
「2年半前かな。お母さんはお父さんを殺して、直ぐに捕まった。暫くして刑務所に収容されたお母さんは、面会に来た私に言ったの。『あなたのためを思ってあの人を殺したのよ。辛かったでしょう?』って。……お母さんの気持ちは、理解できるよ。殴られるのは痛いし、暴言だって辛い。でも、私にとって辛かったのは────言われたくない言葉を言った人が、私が信用していた人を殺したという事実だけ」
燐ちゃんは、歪な笑みを浮かべる。引きつった口角と目尻は痙攣し、頬にポタリと涙が垂れた。
「それから精神的に参っちゃって、何もかもが上手くいかなくなっちゃった。たぶん、与一くんのことも心の何処かでは信じきれなくて、こんなこと打ち明けられなくて……もう、こんな悩みすら考えていたくなくて。ちょうどいいタイミングだったから、『次の誕生日に死んじゃおう』って思ったの」
「──で、そう思って終電に乗ったらこんなところに誘拐されちゃったと」
「……ふふ。びっくりしたよ。だって与一くんまで攫われてるんだもの」
クスリと笑う燐ちゃんに、俺も口を開く。
「ごめんな、燐ちゃん。気づいてあげられたらよかったのに。わりとムカついてただろ、『こいつ人の気も知らずに呑気に飯食いやがって』って」
「そ、そこまでは思ってないよ!?」
「『そこまでは』?」
「…………チョットダケ」
「ま、思う権利ならキミにもある」
気まずそうに顔を逸らす燐ちゃんに、俺も小さく笑う。胸の内に溜め込んでいたモノを暴露したからか、彼女の顔はどことなく明るい。
しかしこれまでの辛い経験は、燐ちゃんの心と体には今もなお重く伸し掛かっている。
嫌な思いは、経験は、決して無くなることはない。ヒビの入った心の穴を塞ぐことは出来ても、ヒビを直すことは出来ないのと同じ。
この先、燐ちゃんは、何度も何度も学生時代の経験を思い出し、父を殺した母の顔を思い出し、ふとした拍子に人生の選択肢に『自殺してしまおうか』と過ぎることになる。だからこそ、傲慢だと自覚しながら、俺はこの子の負担を軽くしてあげたいのだ。
「…………。そういえば、疑問に思ったことがあるんだけど、与一くん」
「うん?」
「与一くんの探偵事務所って新橋の方にあるよね。そこから北千住ってそこそこ遠いけど、車で来たことはないよね? まさか徒歩?」
「あぁ〜〜〜、まぁ〜〜〜、ねぇ〜?」
ふとした質問に対して、返答に詰まる。
「……魔術で身体能力を上げて、建物の上とか走ってるから、20分くらいで着くんだよね」
「なんて????」
「いやほら、さっき森の中で化木人をぶん殴って木っ端微塵にしたじゃん。アレ」
「……? ……!? アレって与一くんの素の腕力でやってたんじゃないの!?」
「それはそれで俺が化け物みたいじゃん」
あんなもん素でやれ………………ないよ。うん。
「はぁ〜〜〜。お互い、帰ったら忙しくなるな。喫茶店も事務所も無断で閉めっぱなしだ」
「あ。……そう、だね」
「あと今のうちに従業員のアホタレに連絡……はいいや。めんどくさい。電源切っとこう」
「それでいいの?」
「ほっとけばいいんだよ。流石に俺が居なくても餓死したりはしないだろ、たぶん」
携帯の電源を切ってポケットに突っ込み、ようやくと山を抜けた辺りで、人が何度も通っているであろう道になっているところに出る。
もうしばらく歩けば車道も見えるだろう、そうすれば自然と人の集まるところにたどり着く。
「ほら、もう一踏ん張りだ。大使館に行かないと不法入国者扱いで裁かれかねん」
「うん。──ねえ、与一くん」
「うん?」
「……どうして、ここまでしてくれるの」
「すんごい大雑把な質問だなぁ」
足を止めた燐ちゃんの横で立ち止まり、俺を見上げる顔と目を合わせる。
「そりゃ、可愛いヤツが美味いチェコ料理を作ってくれる店なんてそうそう滅多に無いからね」
「……もう、真面目に答えてよ」
「んなっはっは。これはこれで真面目に本心だよ。最初は……高校の時にふらっと立ち寄ったのが切っ掛けか。あの時は、緊張してる幸薄そうなヤツだなぁくらいにしか思ってなかったけど──」
それこそ本当に、ただ偶然、空腹の時に立ち寄った店が『雪国』で、おそらくその頃は経営し始めたばかりだった燐ちゃんがガチガチに緊張しながらお冷とメニュー表を渡してきたのを覚えている。
──それで、なんとなく頼んだチェコ料理が本当に美味かったのだ。丁寧に下処理された、日本人の舌にも合う味。おどおどしながらも、仕事には真剣な子が、俺には眩しく映っていて。
「俺は、あの店が好きなんだよ。だからまあ、それこそ、
「────! ……そっか。そっかぁ」
燐ちゃんはしみじみと呟く。それから頬を染めて、ふわりと花のような笑みを浮かべて言う。
「じゃあ、早く営業再開しなきゃね」
「……楽しみにしてるよ」
探偵で、魔術師で、成り行きで世界を救って、でもそれ以上に──女の子の笑顔が見られるのであれば。それはきっと、十二分な報酬足り得るのだろう。
あとは、二人でウガンダから帰国しなければ、と。そう決意を固めて──果たして体内の至る所がズタズタになっている所為でウガンダの病院に叩き込まれ、帰国が少し遅れたのは余談である。
──女性は、疲れていた。
辛い過去、信用できない人、親が親を殺し、暗い自分にさえ嫌気が差している。
生にしがみついても辛いだけだった。生きる理由などとうに亡くなっている。
この世界から居なくなりたくて、けれどもどうせ死ぬのなら、せめて自然の糧になりたい、と。
そう考えて、遠くに行こうとして、そして化け物と相対し、『神』の実在を知り、自分の中にも『死にたくない』と思える感情があるとも知り。
下げていた視線を上げ、周りを見回してみれば、女性の『救い』はあったのだ。
ずっと、ずっと傍にあったのだ。気づかなかったのではない。気づこうとしなかっただけ。
女性は、仕事で手を抜かなかっただけ。ただそれだけの純粋な行いが、ある『1人』との繋がりを作っていたことに、ようやく気づいたのだ。
──女性に希望と涙を添えてくれる青年が、ずっと自分を見てくれていたことに、ようやく気づいて。そうして…………
「……今日も、頑張ろう」
自室のベッドで目を覚まし、開店前の下準備を始めるために、そっと部屋から出るのだった。
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