「与一くん、シャワーお借りしました」
「はい。俺のワイシャツ入りました?」
「少し大きいですが大丈夫です」
ホカホカと湯気を立てて、浴室から葉子さんが出てくる。ハンドタオルを首に下げ、濃すぎる一日の疲れが出たのか、彼女の目元はどこか眠気でトロンとしていた。
「寝るとこは……どうしますかね。一応、寝室の俺のベッドは消臭剤かけまくっといたんで臭くはないと思いますけど」
「そもそも寝るところがどこに何ヵ所あるんだよこの事務所」
上着をポールラックに引っ掻けている秋山さんが、そんなことを問いかけてくる。
「えーと、ここのソファ2つ、俺の寝室のベッド1つ、予備の敷き布団1つですね」
「俺はどこでもいいぞ」
「私も右に同じ」
「私はソファでも問題ないですよ?」
「しかしですね、女性にはちゃんとしたところで寝てもらいたいですし……」
「一度で良いから私の方を見てからそういうこと言ってくんねえかな」
客人にちゃんとした寝床も出せない男に育てられた覚えは無いし、かといって男の部屋を堂々と使えるほど葉子さんも図太くはない。
先輩と秋山さんは知らん、この人たちならたとえ岩の上でも安眠できるでしょ。
「ソファをどかして敷き布団を置いて葉子さんをそこに、秋山さんは台所に、丞久先輩は玄関に、俺はソフィアとベッドで寝る……?」
「お前もしかして眠いのか?」
「冗談ですよ」
「マジのトーンで言ってたよな?」
「冗談ですよ」
確かに僅かばかり日頃の恨みが出た可能性はある。ともあれ、ああだのこうだのと話し合った結果、丞久先輩に絞め落とされた我々男二人が寝室に投げ込まれるという形で論争は終わった、とだけ言っておこう。避けるより早く後ろから首に腕を回されてはどうにもならないよ……!
──翌日の昼頃、掛かってきた電話に対応して数分。向こうも問題に巻き込まれてしまっていることに心配しつつも、数日ぶりの幼馴染の声を聞いて安心……するには、首筋に突き付けられた刀の刃先が、あまりにも冷たすぎた。
「……何かあったらどうするんですか」
「お前の幼馴染だろ? じゃあ問題ないでしょ、与一が与一ならそいつもそいつだ」
「あの子は確かに身体能力が高いし頭も良いけど、それ以上に子供なんですよ?」
真冬の方で起きた殺人事件。それが犬神筋という特殊な家系の子によるモノだと判明したはいいが、助力を先輩に却下されていた。
刀を鞘に納める先輩は、問題など無いかのようにあっけらかんと続ける。
「肝が据わってさえいれば死にはしねえだろ。
「────。それは」
「お前の幼馴染は魔術師適性あるぞ、卒業したら探偵助手にでもしてやったらどうだ」
「ダメダメダメダメ! 絶対ダメ!!」
「なぜ、ダメなんでしょう?」
話を横で聞いていた葉子さんが、ソフィアを膝に置いて指先で髪を撫でながら聞いてきた。こっちは初対面から一週間くらい掛けてようやくそのくらいの距離感になったというのに、ソフィアはたったの一日で葉子さんに懐いている。
なんというか、やはり……子供に必要なのは母性であったかと思わざるを得ない。
「そりゃあダメでしょう、こんな危険な仕事させられませんから。もっとこう、普通の人生を歩んでいて欲しいんですよ。わかります?」
「────。ふ、ふふっ」
「葉子さぁん?」
「ああ、いえ。ごめんなさい」
今の言葉のどこが面白かったのか、なぜか笑い出した葉子さんは続けて言った。
「私も、父に反対されたことがあるんです。警察官なんて危ないからなっちゃダメだ! 就職して普通の人生を歩いた方がいい! って」
「それ、いつの話なんですか?」
「10歳くらいの時ですね」
「その頃から警察になりたがってたんですか? いや本当にすごいことですよ」
「……たぶん、その幼馴染さんは与一くんのことが大好きなんですよ。だからこそ、あまり本人にダメだダメだって否定しない方がいいですよ。却って躍起になるものですから」
そういうもんかなあ。まあ確かに真冬は過保護にされるのは嫌がるだろうし、面と向かって言えば余計にやる気を出すのは想像に難くない。
「──『上』に連絡終わったぞ、今回の一件は魔術師絡みとして正式に案件として処理するらしい。良かったな報酬が出るぞ多忙探偵コンビ」
そうして談笑していると、事務所の玄関の方から携帯を片手に秋山さんが戻ってくる。
「……なんだかんだ長い付き合いだった気がするけど、秋山さんたちが言う『上』がなんなのかって聞いたこと無かったですよね」
「あん? あー……まあお前
「
「楠木葉子、お前も聞いとけ」
「わ、私ですか?」
一瞬固まった秋山さんは、そう言って反対のソファに深々と座ると淡々と語り出した。
「その昔、この国では軍と警察と魔術師で、神格や悪意ある魔術師から人と世界を守るための連盟組織を作ったことがあった。それが……100年以上前、ってのは俺たちも把握している。で、俺はポジションで言うと『警察側の
……つまり、魔術や神格の存在は国ぐるみで隠蔽されているのか。道理で先輩たちに巻き込まれた仕事の報酬が必ず何十万も振り込まれてるわけだ。口止め料も兼ねてたんだな、あれ。
「楠木葉子ならわかるか? 20年前くらいから、いきなり警察の装備が見直されて拳銃がリボルバーからオートマチックに変わっただろ」
「ええ……それも連盟組織、とやらで変えるべきだと判断されたから、なんですか?」
「ああ。とはいえ気を付けることはねぇよ。良くも悪くも『国のために』って組織だから、犯罪を犯さなきゃ始末されることはない。……つっても、これからやることが
「──っ」
表情を強張らせる葉子さんに、秋山さんはガンバッグを引っ張り出しながら問いかける。
「それで? お前は今回の件で、何をどうしたい? 考えを纏める時間はあったはずだぞ」
「……私は、仮に犯人を目の前にしても、自分がどんな行動を取るのか想像もできない。殺すのか、殺さないのか、それはわからない」
膝の上に置かれたソフィアの前で両手をぐっと強く握り込み、葉子さんは言った。
「それでも追わないという選択だけはあり得ない。今の私が警察官ではないとしても、それがグレーな行為だとしても……」
「要するに?」
「──今は犯人を探すだけに留めて、殺すか逮捕するかは見つけてから決めます」
「優柔不断な断言とはな。……まあはっきり口にしてくれただけ及第点か」
真っ直ぐ秋山さんを見据える葉子さんは、ガンバッグのファスナーをシャアアアッと開かれて行く光景を前に小首を傾げる────が、その表情は中身を見るや困惑と驚愕に変貌した。
「ぶ、武器庫……!?」
「俺みたいな魔術を使えない人間は、対怪物・神格・魔術用のハッキング弾を装填した銃の携行を許可されているんだよ」
「へー、この薬莢と弾に術式を刻み込んだヤツってそんな名前なんですね」
バッグ内にベルトで固定された幾つもの銃器と一緒に置かれた弾薬箱を手に取り、半ばまで取り出されている中から1発を取り出す。
「上司はカッコつけて『魔弾』って呼んでるが、効果からして魔弾ではねえだろうよ」
「効果……なんだっけ、怪物に物理攻撃が通るようになる……とかなんとか」
「……すみませんその辺に詳しくなくて。私にも説明してもらえませんか?」
「────。ちっ」
聞こえるように大きく舌打ちした秋山さんは、露骨に苛立たしげにはなるものの、一応は説明してくれるつもりらしく腰を据えた。
「ハッキング弾。厳密には弾丸が当たった怪物・神格・魔術の魔力を乱して、生物の場合は魔力的防護の機能を不全にし、魔術の場合は不発或いは失敗させたりできる。当然だが銃弾ではあるからな、人に撃てば普通に死ぬぞ」
「聞けば聞くほどゲームみたいですね」
「私はテレビゲームはしないので、いまいちピンと来ませんが……こんなすごい力のある武器、いったい誰が開発したんでしょうか」
当然の疑問を抱く葉子さん。実際、秋山さんはバカみたいにドカドカ撃ちまくるから、量産は出来ていると推察できる。
さっき言っていた連盟組織で作ったのか、と思案していると秋山さんが答えた。
「この弾薬を見つけたのは俺。…………
「らしい?」
「色々あって昔の記憶がねぇんだよ」
引っ掛かる言い方に疑問符を浮かべたところ、秋山さんはおもむろに額に手を置いて、髪を指で掬い上げて逆立てると、額と側頭部に縫い目──すなわち手術の痕があることがわかった。
「……っ! その傷は……?」
「うわあ痛そう」
「5年前、俺はおそらく今みたいな荒事に首を突っ込んでいたんだろうな。それで何者かに頭を撃たれて、脳の一部が吹っ飛んで死んだんだが、とある技術者が俺の死体を確保して蘇生しやがったみたいでな。その時俺の懐にこの弾薬が入ってて、調べたらハッキング弾だったんだと」
さらりと言っていたけど、つまりこの人ゾンビなのか。いや違うか? どちらかと言えばフランケンシュタインの方かもしれない。
「その技術者は?」
「今の上司。まあそんなわけで、俺の記憶は5年前に目を覚ました部分が最初ってことだな。常識以外はすっぽ抜けてるわけだ」
「5年前か……俺が先輩とエンカウントしたのもちょうどその頃だったなあ」
「あ?」
「いえなんでも」
ずっと放置されていた先輩に視線をちらりと向けると、勝手にコーヒーメーカーで作ったコーヒーを飲んでいたから放っておく。
「さて、長々と話したが、つまるところ俺たちと行動するならお前にもハッキング弾入りの銃を使ってもらうことになるわけだが」
「…………はい」
ガンバッグ内のベルトから取り外した予備の拳銃とガンベルト、マガジンを纏めて葉子さんに差し出しながら、秋山さんは面倒くさそうながらに眼光だけは鋭くして続ける。
「別にお前が居なくても俺たち三人で犯人を取っ捕まえることは出来る。それでもなお自分で探したいってんなら武器を取れ」
「…………」
「でも、対魔用武器を取ったらもうこれまでの人生には戻れない。ただの正義のお巡りさんには戻れない。ここがお前の引き際だぞ」
そう言われた葉子さんは、一度こちらを見ると視線を戻して両手で装備を受け取った。
「──覚悟の上です」
「そうかい。──こちら側にようこそ、楠木葉子。まともな死に方は出来ないと思えよ」
「……は、はい」
受け取った装備を手にしながら、葉子さんはその脅し文句に口角をひくつかせる。
「それ秋山さんなりの叱咤激励だからテキトーに流していいですよ」
「分かりづらい……」
「んじゃ、面接も終わったことだし行動に移すか。敵が署長サンの死体を持ち去ろうとしたってことは、何か情報を持っていてそれを抜き取るため……だとして、じゃあそれをどこに隠す? って話になるわけだ。あんたら二人暮らし?」
秋山さんの横に何杯目かのコーヒーを入れたカップを手に座った先輩が本題に戻しつつ、そう問いかけた。装備を脇に置いてソフィアを撫でていた葉子さんは頭を横に振ってから言葉を返す。
「いえ、私はアパートに住んでいて、父は住宅街の一軒家で暮らしています」
「お父さんが娘の家に情報を隠すとは思えないし、葉子さんの部屋は外して問題ないですね。となると一軒家の方……だけど、昨日の今日じゃ他の警察が捜査してるだろうしなぁ」
「丞久が記憶消す魔術使えるし問題ねえよ」
「その発言の時点で問題しかないんですよ」
「よっぽどの事態じゃないと使わねーよ」
秋山さんはすぐそういうこと言う。ぶっちゃけると我々より魔術師みたいな思考回路してるよ……これで使えないんだからその方が安心できるんじゃないかとすら思えてくる。
そんな思案をしながら荷物を纏めて席を立ったとき、ふとあることに気付いた。
「……ああ、そうか。秋山さん、頭撃たれて一回脳が欠けたから魔術が使えないのか」
「だろうな」
「……? それは、どういう?」
「魔術って無意識レベルで行われる脳内演算で行使するんですよ。だから、欠けた脳を治療する際に自分のモノじゃない物質で補ったかなにかで脳内演算にバグが生じてるんじゃないかと」
そう言いつつ葉子さんのガンベルトを隠せるように男物のジャケットを貸して予備を羽織り、裏ポケットにすぽっとソフィアを収納する。
事務所を最後に出て鍵を閉めて駐車スペースから出した車に三人を乗せ、助手席に座った葉子さんに案内されながら走らせているのだが。
「……ん?」
あと数百メートルで目的の家にたどり着く、といったところで、不意になにか────何かを
「【人払い】か……かなり大規模だな。葉子さん、今の違和感に気づけました?」
「……はい、なにか……薄い膜を通ったような、奇妙な感覚が」
「人を術式範囲から遠ざける魔術ですね。たぶんもう、敵はお父さんの家に向かってます」
ちら、と辺りを見回せば、いつの間にやら人の気配が無い。雨が降っているからなどではなく、不自然に人が居なくなっているのだ。
「あ、あそこです!」
「え~~…………屋敷じゃないですか。そりゃまあ確かに住宅街にはあるけど……」
視界の奥に指された指を辿り、そこにあるご立派なお屋敷を見つけてつい言ってしまう。すると、ふと後部座席の先輩が口を開く。
「住宅街は住宅街でも高級住宅街か。まあ署長サンだもんな、いいとこ住んでても不思議じゃあねえ。……与一、離れたところに停めろ」
「ういうい」
住宅街にも関わらず、人っこ一人居ない町並みに違和を感じるが、それはそれとして数十メートル離れた曲がり角に車を停める。
「人払いされてるなら銃を隠す必要も無くて助かるなぁ、テンション上がるぜ」
「怖いなあ警察呼ばなきゃ……」
「ここに居ま……すけど今はお休みなので……」
【人払い】も相まって、この場が局地的な治外法権になってしまったなぁ。
ドアを開けて出てきた秋山さんが中に押し込んでいたガンバッグから散弾銃を引っ張り出す光景を見て、先輩がその背中に声を掛けた。
「──秋山、今回ばかりはマジで
「おっと、ボスの許可が出たな」
「……明暗さんがボスなんですね?」
「うち基本的に実力至上主義なんですよ」
などと言いながら、装備を確かめて署長さんの家に向かう。……こうなると、自分だけ素手なのが少し寂しいな。かといって刃物とか銃の扱いは不得手だから、人形化事件の時に曲がって捨てた警棒の代わりを買っておけばよかった。
「……殴る系のいい武器ってありません?」
「さあなあ。私の友人だった奴は三節棍振り回してたけど同じの用意してやろうか?」
「特殊すぎませんかそれ」
「馬鹿力の私やそいつがぶん回してもヒビすら入らない特注品だぞ。まあこの刀共々、連盟組織の倉庫から出てきたヤツをテキトーに使ってるだけで、誰が作ったのかは知らないけど」
警棒とかメリケンサック辺りを勧められるのかと思ったら想定の斜め上をオススメされたのは置いておくとして、いまいち悩みが改善されそうにない。というのも、この場の全員がわかりきっている事なのだが、先輩や秋山さんと違って、こちらには秀でた一芸すら無いのである。
邪神の寵愛者である最強の魔術師でもなく、訓練を受けた卓越した射撃能力の持ち主でもなく、この場には居ない小雪さんのような特異体質でもない。何か新しい力を身に付けないと、冗談でもなんでもなくそろそろ死にかねない。
せめてあと2~3倍は魔力があればなあ、と贅沢を願いつつも、屋敷の出入口にたどり着く。
「葉子さん、室内の間取りは覚えてます?」
「はい、中に入って……居間の奥に書斎があって、父はそこを寝室にしてます」
「情報を隠すとしたら情報の中か……敵が中に居るなら後ろを取れるか?」
「──無理だな、もうバレてる」
言葉を遮るように、先輩がそう言って出入口の反対に視線を向ける。
同じ方向──後ろの一軒家の屋根を見上げると、そこから何かが降ってきた。
「…………あ?」
その姿を見て、ドクンと心臓が跳ねる。まかり間違っても恋が始まったわけではない。
むしろその逆、一瞬で沸騰するかのように体が熱く、それでいて頭は氷水を浴びたように、極めて冷静に殺意を滾らせる。
「……与一くん?」
「あっやべ──秋山構えとけ」
「すげぇ的確に地雷踏んだな」
周りの声が聞こえない。耳元に心臓があるかのように心音が爆音を奏でる。
「楠木葉子、与一を連れて二人と1体で情報を探せ。こいつらは私と秋山でやる」
「っ、はい」
道路と屋根には、雨粒を弾く白い巨躯。屋敷を中心に、ムーンビーストが槍を携えて合わせて7体ほど佇み、空には3匹のシャンタク鳥が警戒するように飛び回る。
──頭の中で、千切れてはいけない堪忍袋の尾がぶつりと千切れる存在しない音を、どういうわけか、鮮明に耳にした。
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