とある探偵たちのクトゥルフ神話事件簿   作:兼六園

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脳と記憶を繋ぐものは 1/3

 ──うじゅるうじゅると、蠢く『何か』がコンクリートの床を這う音が地下に響く。

 黒いスーツの男は曲がり角に隠れるように腰を下ろして、面倒くさそうに口を開いた。

 

「さて、どうしたもんか……流石にこんなやつを相手にする想定はしてねぇぞ……」

 

 手元の拳銃からカシャンと外したマガジンを覗き、残弾を確かめる。男の目に移る弾薬には、当然だが、何も刻まれてなどいなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 ──要人の警護、或いは権力者の暗殺。それが黒服の男の主な任務だった。

 ある時は有名人の警護をするためにと暗殺者を暗殺するために奔走し、ある時は権力者を暗殺するためにと同業者すら手に掛ける。

 

 拳銃1丁で大抵の仕事をこなす、血も涙もない人の姿をしたバケモノ。そんな風に恐れられている男は────面倒くさそうにアパートの部屋がある階まで足を動かしていた。

 

「…………なぁーにが血も涙もない、だよクソが~~~。暗殺のついでに手負いの身内始末して罪全部被せただけだろうがよぉ……」

 

 自室の扉の前で懐から鍵を出す男は、ぶつくさと文句を言いながら開けようとして、はたと思い出したかのように身嗜みを確認する。

 

「その場その場で俺が判断しなかったら全滅の可能性があったんだから感謝ぐらいしろっつーの……ったく。……あー、最終チェック」

 

 体臭を嗅ぎ、新品の衣服を見て、仕事の際に付いた臭いは取れていると再確認する。

 

「服は全部燃やして買い直して、体も帰る前に銭湯で洗ったし……大丈夫だな。──血と硝煙の対策なのに浮気の朝帰りみてぇだなこれ」

 

 そう言って自虐気味に口角を歪めて笑う男は、改めて鍵を開けて扉を開けた。

 

「ただーいまー」

 

 という言葉を聞いてか、玄関に入った男を、スリッパ特有のペタペタという足音を奏でて誰かが出迎えてきた。リビングと廊下を隔てるのれんの奥から、艶のある黒髪を後ろで括り、けれども一房の白メッシュが目立つ女性が現れる。

 

「やあ、お帰り。今日もお疲れかな」

「ああ、今回も肉体労働とアホの尻拭いだよ」

「ふふ……キミは世話焼きだからね」

 

 指を口許に当ててくつくつと笑う女性は、エプロン姿で男の前に立つと両腕を広げる。

 要求を察して一歩前に出て抱き締めると、女性は男の胸元に顔を埋めながら言った。

 

「お帰り、秋山クン」

「……ただいま。香織(かおり)

 

 ──秋山(あきやま)狐鉄(こてつ)、20歳。

 これは、彼が死ぬまでの物語。

 

 

 

 

 

「相変わらず帰ってくる度に服が変わるね」

「仕事の都合で汚れるんだ、仕方ねえだろ」

「まるで浮気をごまかしてるみたいだねぇ」

「んぐっ」

 

 啜っていた味噌汁が喉に詰まり咳き込む秋山は、対面でいたずらっぽく目尻を細めて口角を緩める女性──白道(はくどう)香織に苦い顔で返す。

 

「……自分でも思ったけどさあ」

「まぁ構わないけれどもね。キミが何時、何処で女を作ってこようが」

「全くもってその気でもない事で優しくされるのわりとキツいんだが?」

「冗談だよ。秋山クンが余所で浮気とかしてたらかなり辛いかもしれない」

「……かもしれない、なんだな」

「そうだねぇ」

 

 他人事のように言う香織は、食事中の秋山を見ながらテーブルに頬杖をついて続ける。

 

「やっぱり、いまいち私たちは恋人らしい関係にはなれないねぇ」

「そうか?」

「ああ。そもそも普通の人間らしく、ですらないのだろうね。私が大学でなんて陰口されてると思う? 『ロボットみたい』だよ」

「……ふっ」

「笑い話じゃないのだけど?」

「いや笑えるだろ。まあ確かに、お前あんまり表情筋が動かないもんな」

「わざわざ動かす必要がないじゃないか。私は知識を蓄えに行っているのであって、私の陰口で盛り上がるのに必死な連中のように遊びに行っているわけではないんだ」

 

 そう言いつつも、香織の顔はほんのわずかにムッとしたような表情になる。

 外では絶対にしないのだろうそんな顔を、家でだけはこうして見せてくれる。少しばかりの優越感が、秋山の中に確かに存在していた。

 

 

 それから食事も終わり風呂にも入り、就寝までの時間をのんびりと過ごす二人だったが、眼前で流れているテレビのニュースに意識が向く。

 

「……ふぅん、製薬会社の社長が殺害された、ねえ。……この人、前にも通り魔に襲われたとかでひと悶着起こしてなかったかい?」

「────。物騒だな、被害がなかったからって油断でもしていたのやら」

 

 座椅子に腰掛ける秋山の膝にすっぽりと収まりテレビを見ていた香織が、体重を預けながら言う。秋山の目に映る顔写真に、彼は見覚えがあった。当然だろう、犯人は自分なのだから。

 

 秋山は事前にこの社長の警護をしていたときにサクラによる通り魔事件を起こし、都合の良いルートに誘導させてから、後日改めて人気の無いところに向かわせこっそりと殺害していたのだ。

 

 上からの指示で言われるがままに殺したとはいえ、叩く度に巻き上がる埃のように汚職の証拠が出てきているニュースを見て、毎回ながら罪悪感が薄まるのを感じる自分に嫌気を覚える。

 

「まさかとは思うけれど、キミ、こういう危険なことに首を突っ込んでるんじゃないかね」

「はっ、まさか。俺の仕事は広義の社会奉仕ってやつだ、そりゃあ服だって汚れるさ」

「どうだか────おっと」

 

 ガタンと座椅子を倒した秋山が寝転がると、それに引っ張られて香織も倒れ込む。

 秋山の胸の上で起き上がった香織が腕立て伏せのような姿勢で彼を見下ろすと、その眼前に、突然ずいっと小箱を差し出された。

 

「なんだい、これ」

「いわゆる指輪ってやつ」

「ふぅん…………なんだって?」

 

 片手で差し出したそれを指で開けると、中にはサイズの違う指輪が2つ入っている。キョトンとした顔をする香織に、秋山は言った。

 

「俺たちは全然恋人らしくない。仕事で帰れなくても寂しくないし、たぶんお前も俺に会えないからって寂しくはならないだろ?」

「そうだね」

「お互いに普通じゃない。なら、普通じゃない同士で居るべきだと思わないか?」

「……そうだね」

 

 その言葉を理解して、香織は微笑む。しかし秋山は、神妙な顔で続ける。

 

「でも、今はダメだ。次の任務を終わらせて仕事を辞めるまでは、預かっててほしい。お前から返してもらって、改めて俺から渡すから」

「……仕方ない。じゃあその時は、どんな仕事をしていたのか教えておくれよ」

「話せる範囲ならな。というか、俺だけか?」

「なら私も、秘密を明かしてあげようかな」

 

 差し出されたままの指輪の箱を受け取って、仰向けに寝転がる秋山の腹の上に股がる香織は言葉を返す。髪がカーテンのように垂れ下がり、彼女の顔を隠すように光を遮る。

 妖しく輝く瞳が自分を見下ろす光景を前に、秋山はニヤリと笑って口を開いた。

 

「──実は3キロ太った、とかか? 重いし」

「…………惜しい。厳密には2.6キロ、だっ」

「うっごぉおおぶ」

「ふふ、普通の女性と違って気にしてはいないんだけれどね、不思議とちょっとムカついた」

 

 バランスボールの上で跳ねるように上下した香織の軽くはないが重くもない体重を食後の腹に受け、秋山は逆流した料理を飲み込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 ──車に揺られながら、秋山は手元の拳銃を見る。最後の仕事で呼び出された任務の内容に違和感があり、何ともいえない不安感が頭を過るままに、彼は目的の場所に搬送されていた。

 

「どうした、アルファ」

「…………。俺は今回の任務が最後だからな、給料も良かったから寂しくて仕方ねえんだ」

「そうか、お前が辞めるってことは……いよいよをもってここらが引き際ってことか」

「ブルー、俺を辞める時の基準にするな」

 

 秋山はブルーと呼んだ男にアルファと呼ばれてそう答えた。男──ブルーもまた、秋山と同じ黒服を身に纏い、腰には拳銃を納めている。

 飄々としながらも判断力があるブルーに侮れなさを感じつつ、その視線を別の黒服に向けた。

 

「チャーリー、一応聞くが今回の任務がなんだったか覚えてるよな」

「……『下水道に偽装した通路を通って地下研究施設の研究員を保護する』、だろ」

「────。わかってるならいい、全員拳銃の動作確認と予備弾薬を用意しておけ」

 

 懐の携帯に届いたメールを一瞥しつつ、秋山はそう言って車が止まるのを確認してから車の足元を人一人通れるように削った部分を外し、ちょうど真下にあるマンホールを器具でずらす。

 

 秋山を先頭に降りて、下水道というよりはちょっとした駅の通路のように広がる空間を歩く。その途中、丁字路のように二手に分かれた通路に出会して指示を飛ばそうとしたが、ふと、左の道から奇妙な音が聞こえてくるのを感じた。

 

「……今、何か聞こえなかったか」

「そうか?」

「声というか、音……いや、鳴き声か? テケ……とかなんとか」

「んー、気のせいだろ」

「──いや、念のため確かめてくる。俺とチャーリーで左、ブルーデルタエコーは右だ」

「……了解」

 

 ホルスターから拳銃を抜きながらそう言って、左の通路を見る秋山は、チャーリーと呼ばれた男が横に並ぶのを見て背後で他二人を連れて右の通路に向かおうとしているブルーに言う。

 

「もし万が一、俺たちの方向から悲鳴や銃声が聞こえてきても助けに来ようとはするな。ブルーをリーダーとして三人で任務を続行しろ」

「気を付けろよ」

「そっちもな」

 

 短く返して双方に歩き出す五人は、二人と三人に分かれてそれぞれが通路の奥へと足を進める。銃口を通路の先に向けながら歩く秋山は、おもむろにチャーリーに言葉を投げ掛けた。

 

「この任務の違和感、わかるか?」

「違和感?」

「俺たちはただの雇われだ。やれアイツを守れだコイツを殺せだとそれだけを続けてきたのに、今回に限っては保護ときた。普段からメールで呼び出されるだけだが、だからこそ……」

「偽装かもしれない、ってことか」

「俺たちは欠けたメンバーが次の任務までに補充されてる使い捨て部隊だぜ? なのに俺が『次の任務が終わったら辞める』と提案したらあっさり承諾の返答が来やがった。恐らくは────」

 

 そこまで言って、不意に耳に届いた異音の方向に意識を向ける。

 チャーリーと二人で通路の奥を注視したところ、その異音は少しして姿を現した。

 

 

 

 通路に蓋をするような巨躯、うじゅるうじゅるとねばついた液体が流動する音、そして液体に形成された口のような器官から発せられる──テケリ・リ! テケリ・リ! という()()()

 

 目を見開いて驚愕する二人が思わず叫ばなかったのは、不幸中の幸いと言えよう。ともあれ、秋山は区切った言葉の続きを口にした。

 

「────俺たちは、嵌められた」

「っ、どう、する……アルファ……!?」

「どうもこうもねえだろ、こればかりは来た道引き返して外に逃げるしかねえ」

「ブルーたちは!?」

()()()()、運がなかったってことだ」

 

 あっけらかんと見捨てる算段を立てる秋山に、チャーリーは眼前の怪物を見るような表情と同じものを向けたが、気取られぬように銃口を前に向けたまま提案する。

 

「……逃げる前に何発か撃っておこう。効いたら儲けものだし、助けに来ないとしても反対に行ったブルーたちには異常事態だと伝わる筈だ」

「そうだな。ただ、こいつの動きの早さがわからん……撃ったらすぐに引き返すぞ」

 

 こくりと頷くチャーリーと距離を空けて横並びに立ち、秋山は少しずつ迫ってくる液体の怪物に向き直る。たかだか重力に逆らって保持される大質量の水分ごときとは思えない、威圧感と不快感を混ぜ混んで精神そのものを抉ってくるような感覚に、拳銃を握る手がカタカタと震えていた。

 

「3でいくぞ、1……2…………3!」

 

 秋山の合図で、引き金に掛けた指に力が加わる。液体の怪物を前に、銃弾が発射され、ダンッダンッと2発の銃弾が────壁に刺さる。

 

「──は?」

 

 無傷の怪物と、驚愕するチャーリー。気だるげな顔で秋山は遅れて引き金を引くと、なんの躊躇いもなく、仲間(チャーリー)の膝を撃ち抜いていた。

 

「……づ、あ゛ぁ!? ……なん、で」

「最初からそう来ると思ってたからだよ」

「がっ!?」

 

 ()()()()()()発砲していたチャーリーは、素早くしゃがんで避けた彼に行動を見抜かれていたことに困惑する。それから思い出したかのように発生する激痛に膝を突く彼の頭をついでとばかりに銃を握っていない手で殴り床に倒すと、懐から携帯を引き抜いて指紋認証を解除させた。

 

「……ふん、やっぱり。『研究員を保護せよ。そしてアルファが裏切り者である明確な証拠を掴んだ、他四名は隙を見てアルファを射殺せよ』……雇い主か偽物かはともかく、この任務が俺らを()()()()()()為に仕組んだモノだと確定したな」

「な、んだ、と」

 

 その言葉を皮切りに、血の臭いでも嗅ぎ付けたのか、怪物が液体の体をうねらせて動きを早める。それを見た秋山は、チャーリーに迫らんとするあまりに通路の壁際に隙間が出来ていることを確認して、ベルトのマガジンを抜き取った。

 

「冥土の土産に教えてやるよ。俺の任務は『──────と、他四名の黒服の殺害』だ」

「…………!」

「どうやらアレは、人間を獲物として見てるらしいな。最期も存分に役立ってくれよ」

「たっ、助けてくれ……」

「嫌に決まってるだろ」

 

 秋山はそう言うと、迫ってくる怪物の脇をすり抜けて奥へと走る。背後の悲鳴が水に沈んで消えて行くのを聞き届けて、拳銃を握るままに静かに殺意を募らせていった。

 

「さて……怪物から逃げながら、研究員を探しつつ、ブルーとデルタとエコーの三人を始末か。俺だけハードスケジュールだな……」

 

 やるべきことを纏めて、しかして自分だけが仕事量が多いことに首を傾げつつも、その走りを止めることはない。なぜならば。

 

「──必ず香織の所に帰ってやる。人を殺すのも銃を握るのも、これで最後だ」

 

 秋山には、ここから生きて出たい理由があるから。例えそれが()()()()()()()()()()()()()望みなのだとしても、今の彼に残された希望は、ただそれだけなのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 ──薄暗い部屋の中で、パソコンのモニターだけが爛々と光っている。

 

「今時さ、流行らないんだよねぇ。人間同士で警護だの暗殺だのっていうのは」

 

 地下通路を走る黒服たち、液体生物、地下研究施設で慌ただしく動く研究員の全てを眺める女性は、別のウィンドウでごく普通の会社に偽装されていた組織に警察のガサ入れが行われている光景を横目に見て口角を愉快そうに歪める。

 

「これからどんどん熾烈になる魔術師や怪物との戦いに必要だと判断して取り入れようとした戦力を、掠め取っておきながら使い捨てられるのは困るんだ。それに、よりにもよって人の()()()()()を奪ったのなら……容赦をする必要は無いに決まっているだろう?」

 

 女性の指がモニターを撫でる。その先にいる、一人で駆ける男──秋山を見て、心の底からの慈愛と執着を混ぜたような表情で言う。

 

「期待しているよ、秋山クン。キミがこの任務を完遂できる実力者なのかどうかが分水嶺だ」

 

 目尻を細める女性──白道香織の、地毛であるにも関わらず一房だけがメッシュのように白い黒髪を、エアコンの風が揺らしていた。




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