──秋山狐鉄が白道香織と出会ったのは、とある日の
『ん。やあ、お隣さん。初めましてかな』
『……ああ、そう、だな?』
『ふふ。大喧嘩でもしてきたのかい? 随分とまあ
『────。そんなとこだ』
『──なあ、秋山クン』
『なんだ』
『私たちは……なんだ、付き合っている……ということでいいのかい?』
『まあ、いいんじゃねえの。俺はそのつもりでいるし。香織は違うのか?』
『いやあ、その……初めてなんだ、こういう感情を抱くようになったのは。
『……相変わらず変なこと言うよなお前』
珍しく無表情を崩す香織に、秋山もまた、むず痒そうに視線を逸らす。
秋山は、彼にとってもこの関係があまりにも都合が良すぎることには気づいていた。
しかし、嘘でもいいとさえ思っていた。例え今の心地好さが、白道香織の打算によるものだとしても────彼女を愛してしまったのだから。
──はたと意識が浮上する。ガバッと起き上がる秋山は、体の節々の痛みに顔をしかめながらも辺りを見回して惨状を目の当たりにした。
「くそっ、どれだけ気絶してた……」
「10秒弱ですよ、アルファさん」
「細波青井、現状は……?」
「エコーさんと彼が殺した研究員は補食されました。恐らく研究に使っていた全てのショゴスが統合したようで、巨大なアレが暴れて天井が落ちてきました。そして触手状に伸ばした一部に弾き飛ばされたアルファさんが10秒ほどだけ意識を失っていた……という状況です」
片手に握られていたままの拳銃が無事であることを確認し、そこそこ広い研究室のほとんどを埋め尽くすショゴスを見る。
すると、眼前の液体生物と瓦礫が邪魔で通れそうにない向こうの出口の方から声が届く。
「アルファ! 無事か!?」
「問題ない、そっちは?」
「俺は平気だ、あと研究員が一人こっちに居る! 細波青井じゃない方の女性研究員だ!」
「あー、平沢さんですね」
「……だそうだ、生きてるんだな?」
「ああ! ただ足を負傷してるらしい!」
秋山がブルーからの声を聞いてちらりと背後に視線を向ければ、自分と同じようにショゴスから隠れている男性研究員三人と青井の姿。
ブルーと一緒にいるらしい女性研究員と合計すれば、生存者はエコーに殺された一人を除いて残り五人しかいない。──
「ブルー! 先に逃げろ! 俺はショゴスを倒してからこいつらを連れて脱出する」
「…………大丈夫なんだな!?」
「はっ、誰に聞いてんだ」
「っ、任せる!」
その言葉を最後に、ショゴスの巨躯と瓦礫で隠れた向こうで扉の開閉音が聞こえる。
チャーリーの携帯で確認した自分以外の任務を思い返し、秋山は呆れたような表情をして、それにしても──と呟いてショゴスを見上げた。
「……俺が最初に見たやつの数倍はあるな」
「これどうします?」
棚に隠れて観察していた秋山だったが、ふと壁の中に視線を向けると、ショゴスが壊したことで配管がむき出しになっていることに気がつき、続けて青井に問いかける。
「そうだな…………ん、あの配管はガスのやつか。量の調整はどこでやってる?」
「え~~~っと、あそこですね」
青井が指差したのは、ショゴスとは真逆の部屋の角にあるバルブだった。それを見て、秋山は逡巡してからおもむろに口を開く。
「細波青井、俺がショゴスの注意を引き付けておくから、その間にガスの栓を全開にしろ。配管に穴空けてガスを噴出させてそれに引火させれば、ヤツを焼く簡易的な火炎放射機になる」
「えー、私よりそっちの男性方にやらせたほうがよくないですか?」
「ナチュラルに生け贄にさせようとしてんじゃねえよ、お前が失敗したら次はそいつらにやらせるから安心して行ってこい」
「貴方も中々に酷いですね?」
──まあ良いですけど。と言って、青井はショゴスを一瞥してから秋山に頷く。
そして、一気に駆け出すと同時に青井に反応したショゴスへと秋山が特殊弾を発砲した。
術式が刻まれた弾丸が体内にめり込み、粘性の液体に絡まるようにして勢いが削がれるも、威力の無さに反して──ショゴスは撃った秋山が驚くほどに不快な鳴き声を奏でて苦しみ始める。
「効いてる、が……うっ、るせぇ……!」
「アルファさーん! 栓を開けます!」
その声を合図に、青井の方からギギギッとバルブを回す音が聞こえてくる。ガスの過剰供給にショゴスの背後──背中と呼べる部位は無いが──で配管がガタガタと震え始め、秋山もまた隠れている男性研究員に声を荒らげて問いかけた。
「水に反応して発火する薬品はあるか? あと少し下がらせないと、配管から噴出するガスに引火させてもショゴスに当たらねえ!」
「……えー、あー……これです! あっ具体名はちょっと……法律にアレコレするので」
「今気にすることじゃ、ねえっ!」
秋山は男性研究員が当然のように持ち合わせている瓶を奪い取り、ショゴス目掛けて投げると、即座に照準を合わせて発砲して瓶を破壊して中身を上から降り注がせる。
表面の水気に反応してボンッと小規模な爆発が起き、続けてまとわりついて燃え上がる。炎から逃れるように破壊した壁の奥へと逃げようとするが、それが秋山の目的だとは察することが出来なかったのか──ショゴスが体内に生やした耳が聞いたのは、発砲音と、配管に穴が空く音。
そして、2発目の弾丸がガスに当たり、勢いよく炎が噴き出す音だった。
「……殺虫剤とライターでやる奴の100倍は威力出てるな、これ」
巨大なショゴスを包み込む炎の熱気で、室内の温度が急上昇する。このまま放っておけば死ぬだろうと判断して、秋山はバルブの方から戻ってくる青井を横目に
「ああ……私の研究材料が……」
「そういやお前、なんでショゴスで全く同じ自分を作ろうとしてたんだ?」
「ん? あれ、言いませんでしたっけ。……ほら、私って変じゃないですか」
「知ってる」
秋山の即答に、男性研究員たちもうんうんと頷く。そんな四人にじとっとした目を向けつつ、青井は燃え盛るショゴスを見ながら続けた。
「だから、見てみたかったんです。『私』の頭の中を。主観的にもおかしいと分かる『私』を、客観的に覗いてみたかった。まあ、この辺は研究者の
「────。それもここを脱出してから改めてやり直せばいいだろ。ほら、俺はアレが確実に死んだか確かめるからお前ら先に出てろ」
「はい、ではお先に」
しっしっ、と手を払う秋山の指示に従って、青井が先導する形で四人は背を向ける。
その刹那、3発の銃声が青井の後ろから聞こえてくる。驚いて足を止めた彼女が疑問に思って振り返ると──視界に入ってきたのは、頭を撃たれて床に倒れて行く研究員たちと、銃口を頭の高さに向けていた秋山の姿だった。
「あの、アルファさ────
続けて2発、秋山は何の躊躇いもなく引き金を引く。腹に銃弾を受けた青井は、後ろに引っ張られるようにして仰向けに倒れる。
彼女の頭には、ただただ『どうして』という困惑だけが浮かんでいた。
「……ごぼっ、がっ、ど、ういう、こと」
「今回の任務内容を見たとき、流石にそこまでする必要はないんじゃないかって思いはしたんだ。でもな、お前の思想を聞いてようやく理解したんだよ、こいつら殺した方がいいなって」
どんどん辺りに引火して火の手が伸びてくる部屋の中で、秋山は青井を見下ろして言う。
「俺の任務は『研究員の抹殺、及び研究内容の破壊』。悪いな、全てはローリスクで完遂するための演技だ。お前らの研究は……凄いとは思ったが素晴らしいと思ったことは欠片もねえ」
「…………。ふ、ふ。凄い、とは、思ってくれたんだ。じゃあ、まあ……いいかな」
腹に空いた穴から流れ出る赤黒い血液を見て、青井は自分がこれから死ぬことを察する。
怒りもしない、命乞いもしない、ただこれから訪れる避けられない死を受け入れて感情を荒らげない青井に、秋山の顔が一瞬強張った。
「トドメは刺さないの?」
「……
「慈悲が無いねぇ……」
「…………じゃあな」
薄く笑う青井を見てから、秋山は一人で部屋を出る。残された彼女はなんとか体を起こして、燃え尽きて炭のようになったショゴスを見た。
「ぅ、あ~~、いだだだだ……全く……
その言葉の通りに、秋山はこの日この場で、致命的な2つのミスを犯した。
1つは、ショゴスの生命力を甘く見たこと。そしてもう1つは────細波青井の頭を撃ち抜き、脳を破壊しなかったこと。
「……こうなったら、仕方ない、計画を変更しよう。おいで、ショゴス。まだ生きていたいなら……私の脳を取り込みなさい」
青井がそう言うと、炭のように固くなった体を割って、中から体積が減ったが無事な液体がずるりと這い出てくる。力なくか細い声でテケリ・リと鳴くショゴスは、手を差し出した青井の元へとずるずると床を溶かしながら移動して行く。
「内側に層を作って中に隠れてたのか……その賢さと生き抜こうとする意思があるなら、キミは必ず、
しかし彼女の思考に、不思議と
「……私というオリジナルがここで居なくなると、全く同一のコピーとの違いが確かめられなくなるのがなぁ……なるほど、
──連盟組織か。と呟いて、今にも自分を呑み込まんとしているショゴスを見上げる。
「──じゃあ、
果たして、細波青井は、脳を残してそれ以外の全てを溶かされ消滅するのだった。
──足を負傷した研究員に肩を貸して、ブルーは入ってきたマンホールの方へと急いでいた。けれども背後から発生した銃声に伴い、研究員の体が崩れ落ちる。
「っ……!」
「足手まといを連れていこうとするから追い付かれる。お前一人なら逃げ切れただろうよ」
即座に後ろに向きながら拳銃を向けたブルーの視線の先に立っていたのは、軽く息を切らしながらも銃口を向ける秋山だった。
「アルファ……あいつらは」
「わざわざ言わないと分からないか? 全員殺した。もちろんショゴスもな」
鋭い眼光で自身を睨み付けてくる秋山に、ブルーは銃口を向けたまま提案する。
「お互い何も見なかった、ってことで二人とも別々に逃げるってのはどうだ?」
「逆に聞くが、お前は自分の顔を知ってる裏社会の人間を見逃したまま足を洗うのか?」
「ありえないな」
「そういうことだ」
如何に馬鹿げた提案だったかを改めて考え、確かにとブルーは薄く笑う。
「しかしアルファ、お前なんで……こんなタイミングで辞めようとしたんだ? ──いや、男がこういう時に足を洗いたがる理由なんか一つしかねぇよな。女が出来たんだろ」
「否定はしない」
「なら少しは考えろよ、お前はこれから先、血の染み付いた手で女を抱き締めることになるんだぞ。本当にこれでいいのか?」
頬に冷や汗を垂らして、ブルーは必死に言葉を選ぶ。目測で5メートルは離れているが、ここから撃ち合いになれば確実に死ぬか、良くても共倒れになることを理解しているからである。
「……ふっ、くっくく、まさかブルーの口から、そんなありきたりな命乞いが出てくるとはな」
「…………?」
──だが、誤算があるとすれば。それはすなわち、ブルーが白道香織という人間を
「アイツはマトモな感性してねえんだよ。例え俺の手が血生臭く薄汚れていようと、アイツはなんの躊躇いもなく握ってくれるだろうさ」
「っ、交渉は決裂か……!」
そうして向け合う銃口に意識が向き、集中力と殺意がチリチリと高まって行く。
あとは、互いの間に生まれる刹那の気の緩みを突いて引き金を引くだけ。
ショゴスは居ない、研究員は全員
ある種の我慢比べに、双方のまばたきの回数すら減る。やろうと思えば一日中できるだろうにらみ合いに、しかして、決着のタイミングは、互いの意図しない瞬間に訪れた。
──カラン。
不意に背後から聞こえてきた異音。秋山は、鋭敏に研ぎ澄まし
「…………しまっ」
「……が、か、あ?」
直後、ほんの少し、頭が軽くなる。
視界に、そして思考にノイズが走り、どうして自分の体が倒れそうになっているのかと、他人事のように思案している自分に疑問を抱く。
「──悪いな、生き残るのは俺だ」
そんなブルー言葉が聞こえ、薬莢が床に落ちる。彼は偶然にも、ショゴスの移動や壁の破壊による揺れで発生した小さな破片が、秋山の後ろで落ちて音を奏でるという奇跡を引き寄せた。
頭に1発。着弾を確認し、ぐらりと崩れ落ちようとする秋山の姿を見て、ブルーは背中を向ける。自身の実力と、拳銃の威力を把握しているからこそ、あとは死ぬだけである秋山の姿を見届けることはせず、彼は逃げることを優先した。
秋山との睨み合いから解放された安堵と、一刻も早く怪物の居た空間から離れたいという恐怖心。それが、ブルーの判断を鈍らせているなどとは本人も理解できていない。
「────。おい」
「…………は?」
頭を撃った。着弾するのを見た。弾丸が突き抜け脳の一部を撒き散らすのも見た。
故に、秋山の声が聞こえてくるというあり得ない事態に、ブルーの思考が止まる。
──その隙を見逃す筈もなく、頭に穴を空けながらも立っていた秋山が、ブルーの背中にマガジンが空になるまで撃ち込むのは必然だろう。
「う、そだ、ろ……」
彼の最期の言葉は、殺したと思った相手に撃たれた事に対する疑問だった。
「……ぁ」
続けて、秋山の足から力が抜けて彼は背中から倒れる。もはや自分でも、なぜ立てたのか、なぜ撃てたのかなど分かりはしない。
安っぽい理由をつけるならば、それはいわゆる『意地』でしかなかった。
けれども、脳の損傷による反応で指がいつまでもガチガチと撃ちきった拳銃の引き金を引き続けていることすらわからないとしても、秋山は急速に死へと向かっている感覚を覚える。
「……ぁ、あ」
ノイズが掛かった思考の中で、顔の見えない女性が、朗らかに微笑んで名前を呼ぶ。
「…………。
天井を見上げる瞳から、光が失われる。果たして、秋山狐鉄は──死亡した。
「さて、終わったか。……ああ、こっちの男だ、急いで部屋に運んでくれ」
静寂が訪れた地下通路にそんな声が響く。その正体である淡々とした女性の声は、壁に作り出された扉──【門】の奥から聞こえていた。
──そこは、とある施設の一室。女性はベッドに横たわる頭に包帯を巻いた秋山の傍で、無機質なパイプ椅子に腰かけていた。
彼女は出入口である扉の近くに待機している、スーツ姿の男二人に視線すら向けずに言う。
「傭兵崩れの暗殺者モドキを運用する組織と、ショゴスを利用した臓器密造をしていた組織を潰せ、そして有望な人間を連盟組織にスカウトしろ。なんともまあ酷い無茶振りがあったものだ。私が苛立っているのも理解してる筈だ、しばらく消えて二人だけにしろ。任務を完遂した私になにか文句があるなら言ってみるか?」
彼女に機嫌を損なわれては不味いとわかっているからか、男たちは何も言わずに部屋から出て行く。周囲に人の気配が無いことと盗聴の心配が無いことを確かめると、改めて意識を失っている秋山の傍に座り直して口を開いた。
「……なあ、秋山クン。私はね、イス人という種族なんだ。18年前、3歳くらいの女の子が事故で脳死状態になって、その体と意識を交換して活動しているモノなんだよ」
返ってこない返事に、目尻を細めて彼女──白道香織は言葉を続ける。
「キミと同じアパートの隣人になったのは偶然じゃない。キミが私と交流するようになったのは、任務で戦っていたキミに取り入って心の安らぎになるため。秋山クンは人殺しであることを私に隠すことで罪悪感を抱いていたのかもしれないけれど、酷い嘘つきは私の方なんだ」
だらりと伸びた秋山の右腕を掴むと、香織は手を包むように両手で持ち上げた。
「普段の組織ではなく、私が用意したメッセージでキミとお仲間を誘き寄せて、死体を回収して記憶を消しつつ蘇生するために今回のように殺し合わせた。全ては打算、計画通りだ。その為だけに、今まで偽りの恋人を演じてきた……ずっと、そう言い聞かせてきたんだけどね──」
言葉が区切られ、香織は持ち上げた右手を頬に寄せて大粒の涙をこぼす。
「──愛していたよ。この感情だけは嘘じゃない。……絶対に、嘘なんかじゃないんだ」
こちら側に引き込むには、『敵対組織の人間』のままでは駄目だった。だから一度死なせて蘇生させることで、『白道香織の所有物』という立場にさせる必要があった。それが、秋山を生かしたまま有用な駒として引き込む最善手。
だから、平気だと思っていた。人間の道徳倫理を客観的に理解できる
「……人間の体を使う人ならざるモノは、その感性を人間に引っ張られる、ということか」
──本気で、そう思っていたのに。
「……こんな気持ちになるくらいなら、この時代になんて、来なければ良かったよ」
その懺悔に応えるものは、この場には居ない。眠ったままの秋山の手を握り、頬に寄せて温もりを感じながら小さく啜り泣く香織。
彼女の胸元には、チェーンで繋いだ2つの指輪がぶら下がっていた。
『完』
お気に入りと感想と高評価ください。
秋山狐鉄 (20/♂)
・傭兵と暗殺者の中間のような仕事をしており、香織との付き合いにより辞めることを決意したが、生きて帰ることは叶わなかった。最期は頭を撃ち抜かれて脳を損傷し、『秋山狐鉄』としての彼は地下の通路で死亡した。
白道香織 (21/♀)
・事故で脳死状態になった3歳児の体を使い、18年ほど現代で活動しているイス人。連盟組織の側に立ち、有用と判断した秋山をスカウトしようとしたが、壊滅させる予定の組織の一員だと判明し計画を変更。一度死なせることで無関係の存在にさせるために、別の組織を壊滅させる計画に利用した。秋山に対して、なんの感情も抱いてはいけない筈だったにも関わらず、彼を愛してしまったのが最大の誤算である。
細波青井 (23/♀)
・ショゴスを利用する研究をしていた研究者。自分がイカれた人間であることをちゃんと認識していたが為に、ショゴスを使って『自分』を複製して頭の中を解明したがっていた。地下施設で今回の問題が起きた原因は、こっそり脳を複製してショゴスに取り込ませていた彼女にある。最期はギリギリで生き延びていたショゴスに自身の脳を取り込ませる過程で消化されて死亡した。